ある双子兄弟の異常な日常 第一部
第2章 ある夏の日々
SCENE4

「っ…うぅっ…!」
 明け方近く、レイフはベッドの中でしきりと寝返りを打ち、びくりと体を震わせたかと思うとふいに目を見開いた。
(あ…あれ…?)
 むくりと身を起こし、自分がいる場所を確認するかのようにきょろきょろと辺りを見まわした。それから、ここがキャンプに訪れている湖のほとりにあるキャビンの自分達の部屋であることを思い出し、肩を大きく揺らせるように溜め息をついた。
(何か、変な夢見た…)
 レイフはベッドの上に坐りこんだまま、しばらくの間、ぼんやりした。ひどく汗をかいて、暑くて、もやもやと変な気持ちがしていた。 
 夢。よくは覚えていないけれど、アリスが出てきたような気がする。
 レイフは怒ったように顔をしかめて、再び横になろうとした。
(あれっ?)
 その時、レイフは奇妙な顔をして、パジャマのズボンと一緒にパンツをまくり、恐る恐る手を突っ込んで探ってみた。ぬるりと濡れていた。
 レイフはばつが悪そうに唇を歪め、下着の中から手を出すと、しょんぼりと頭をうなだれた。
(おねしょ…しちゃった…?)
 何となく納得できない気がして、助けを求めるように隣のベッドに視線を向けた。
 クリスターは反対側に顔を向けてぐっすりと眠りこんでいる様子だ。
「おにいちゃ…」と呼びかけて、レイフは言葉を飲みこんだ。理由はよく分からないけれど、何だか後ろめたくて、恥ずかしい。
 クリスターには内緒にしよう。
 それから、そのまま寝るのも気持ちが悪かったので、汚れたパンツを脱ぐと、取り敢えず丸めてベッドの下に隠しておいた。
 朝になったら、お母さんにごめんなさいと謝って、洗ってもらおう。下着を脱いでしまったのでおなかとお尻がすーすーするけれど、夏だし、それで風邪をひくことはないだろう。
 そうして、再び掛布を引き上げて寝転がったのだが、変に目が冴えてしまって、レイフは寝つけなかった。
 変な夢を見た。
 そのことばかりが気になって、思い出そうとすれば、心臓の鼓動が激しくなった。
 大嫌いなアリス・ゴールドバーグが出てきたのなら嫌な夢だったのに違いないのに、実際それほど嫌な気持ちはしないことも不思議だった。
(だって…あのアリスが、何だかさ…)
 レイフはベッドの中で1人赤くなって、ぶるぶると頭を振ると、目をつむって、無理矢理にでも寝る構えに入った。しかし、忘れようと思えば思うほど、気になってくるものなのだ。
(いつも嫌な奴だけれど…夢の中のアリスは嫌じゃなかったよ…いつもあんなふうなら、オレはきっと…仲良くできるのに…)
 そう、いつもクリスターには優しいのにレイフには意地悪ばかりする彼女が、夢の中ではとても優しかったような気がしたのだ。





「レイフ、レイフ、どこにいるんだい?」
 クリスターの呼ぶ声が聞こえても、レイフは返事をせずに、ロッジの裏手に広がる林の木の根もとに隠れるように坐りこんでいた。
 しかし、どんなに息を殺していても、クリスターから隠れることなどできなかった。いつだって、レイフがどんなにうまく隠れたつもりでも、クリスターは彼の居場所を易々と探し出してしまうのだ。
 この時も、土を踏みしめる足音がすぐにレイフのもとに近づいてきた。
「こんな所にいたのかい、レイフ。アリスが待っているから、早くおいでよ。彼女はもう行っちゃうんだよ。だから、お別れを言わないと」
 レイフは悲しそうにかぶりを振った。
「行かない」
 その声は、今にも泣き出しそうな震えを帯びていた。
「アリスが帰っちゃうのが、そんなに嫌? おまえが、そんなに彼女のことが好きだったなんて思わなかったよ」
 レイフはびっくりしたように顔を上げた。
「好きなもんかっ! あんな奴、早くいなくなればいいって、ずっと思ってたよ! だって…だってさ、オレのこと苛めてばかりで…クリスターをオレから取り上げて…すごく、すごく嫌な思いばっかりしたんだから…」
 この日の朝、突然、アリス達家族が休暇を終えて帰るのだという話を聞かされて、ショックを受けたのは、クリスターではなくレイフの方だった。しかし、アリスがいなくなることが寂しいなどと認めたくなくて、真っ赤な顔で、しどろもどろになりながら反論している。
 それを聞きながら、クリスターはふと別のことに気がついたように眉を寄せた。
「ねえ、レイフ、風邪でもひいたの? 声が変だよ」
 唐突に聞かれて、レイフは黙りこんだ。顔をしかめ、喉をそっと押さえて、ぼそりと呟いた。
「知らない。そうかもしれない。パンツを脱いで寝ちゃったから、寒かったのかもしれない」
「えっ?」
「…何でもない」
 そんな弟をクリスターはまじまじと見つめ、実際レイフが居心地悪くなるくらい、穴が開きそうなくらいに見つめ、ふっと微笑んだ。
「風邪じゃないと思うよ、それ」
 レイフは瞬きをした。それから、嬉しそうに笑っているクリスターの顔を凝然と見つめながら、己の喉に、確かめるように、また触れた。
 
 12分の差。

 何かある度に、その差をいつも意識してきた。どうしても超えられない、とても大きな違いであるかのように考え、焦り、不安を覚えてきた。けれど、そんなに思いつめることはなかったのかもしれない。
「母さんの言った通り、やっぱり、それ程差はなかったね」
 そう、たった12分の差でしかないのだ。
「行こうよ」
 クリスターはレイフに向かって手を差し出した。
「僕と一緒に行こう。今アリスにちゃんとさよならを言っておかないと、彼女が行ってしまってから、すごく後悔すると思うよ」  
 レイフは小さく頷き、その手を取った。クリスターが引っ張るのにあわせて、起き上がった。
 双子兄弟は手を握り合ったまま、しばし、お互いの顔を見詰め合った。
 頭上に生い茂る葉の間から漏れてくる金色がかった光が、彼らのそっくり同じつややかな紅い髪や顔の上で踊っている。
 辺りはしんと静まり返り、木々の緑に囲まれ隠されて、まるで、ここには2人だけしか存在しない、隔絶された別世界にいる、そんな錯覚に一瞬だけ捕らえられた。
「おおい、クリスター、レイフは見つかったのか?」
 父親の呼ぶ声が聞こえた。
 2人は夢から覚めたように瞬きをし、そちらを振りかえった。林の向こうに、彼らがこの夏休みに両親と一緒に泊まっているロッジが見えた。
「急ごう」
 クリスターが言うのに、レイフは素直に頷き返した。隠れてこっそり泣いていたことがアリスにばれないように眼の辺りを手の甲でこすり、じっと見守っている兄に笑いかけた。
「うん」
 彼が11才の夏―。
 まだまだ一人前の大人とは言えなかったけれど、それでも、もう小さな子供ではない兄弟がそこにいた。
 再び、彼らを呼ぶラースの声がした。
 2人は頷きあい、彼らを待ちくたびれているだろう大切な人達のもとに、手をつないだまま、一緒に走り出した。

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