ある双子兄弟の異常な日常 第一部
第2章 ある夏の日々
SCENE 1

「まあ、そっくり! 驚いたわ、双子なのね!」
 アリス・ゴールドバーグが叫ぶようにそう言った瞬間、その口から覗いた銀色の歯列矯正器具に、ついクリスターの目はいってしまった。
 あんなものをつけていて、気持ち悪くないのだろうか。
 家族揃って出かけたアッシュフィールド瑚で、兄弟は彼女と出会った。 
 オルソン家が借りたロッジの隣に、彼女の家族はやはり休暇で滞在していたのだ。そうして、ヘレナがアリスの母と親しくなったことから家族ぐるみの付き合いが始まった。
 オルソン家のバーベキューディナーに招待されて、両親と共にやってきたアリスは17歳。長いストレートの金髪とくすんだ緑色の瞳のなかなかの美人だった。
 紹介されたオルソン家の双子を見て目を丸くした彼女は一目で彼らを気に入ったようで、湖を臨むことができるロッジの前庭でのディナーの間中、クリスターとレイフに向かってしきりと話しかけてきた。
 レイフは、この年の異性と話す機会は今まであまりなかったせいか、緊張のあまり、ついぶっきらぼうになってしまったようだ。別に彼女のことが嫌いなわけではない。むしろ健康的に日に焼けた伸びやかな手足とか、ぴったりとしたティーシャツの胸のふくらみがまぶしくて、気になって仕方がないくせに、6歳も年上の相手に何をどう言っていいかも分からず、怒ったような顔つきで視線を逸らして黙り込んでいた。
 レイフの反応から、自分は嫌われていると取ったのか、それとも単に話にならないつまらない子供だと結論したのか、やがてアリスはクリスターだけを相手にすることにしたようだ。
 次第に夜も更け、父親達は適当にアルコールも回っていい気分になり、母親達はやはりお喋りに熱中し出した頃、表に持ち出していたラジオからいいムードの音楽が流れてきた。
「ねえ、クリスター、踊りましょうよ」とアリスが言って、椅子から立ち上がった。
「ダンスなんてできないよ、僕」
 大抵の物事には動じないクリスターが怯んだように囁くのも聞かず、なかなか強引な彼女は彼の手を引っ張って、立ち上がらせた。親の目を盗んでほんの少し飲んだビールのせいで、幾分大胆で解放的な気持ちになっていたのかもしれない。
 クリスターは、最初は困った顔をしていたが、彼女の勢いに負けて結局ダンスのパートナーをすることになった。
 クリスターがちらっと弟の方を見ると、レイフはぽかんとした顔で兄が連れ去られていくのを見送っていた。
 レイフを放っておいて自分だけが女の子と仲良くするなど、クリスターは何となく気まずい気分がした。
「アリスの足を踏みつけるんじゃないぞ、クリスター!」
 ほろ酔い気分のラースは息子に向かってからかうように叫んだ。
 クリスターが年上の女の子の積極的な態度に戸惑いつつも、一所懸命に相手をつとめている姿にヘレナも微笑みを誘われたようだ。しかし、ふとレイフの方に視線を移し、彼が一人ぼっちで、苦痛に満ちたくるおしげな目をして、少し前にはやったバラードにあわせて踊っている2人を追っているのにふと眉をひそめた。
「あなたのお母さんって、すごい美人よね、クリスター。昔ミス・アメリカに出たことがあるんですって? あなたのお父さんが自慢していたわよ」
 アリスにリードされて、初めてにしてはなかなか上手にダンスの相手を務めながら、クリスターはぴったりと彼女が身を寄せてくるのに少し困っていたのだが、表情には出さずに穏やかに答えた。
「うん、ミス・マサチューセッツ洲として準決勝までいったんだけれどね。そこでちょっとトラブルがあって、辞退したんだ」
「あら、それも何だかカッコイイわ。自ら辞退したなんて」
「母さんはそういう経歴はあまり誇らしくないそうなんだけれど。ミスコンに出た女性なんてグラマーなだけの馬鹿女だろうと男どもに思われがちで嫌なんだよ。それに、基本的に、あれは女性蔑視の考えに基づいているものだからって、どちらかと言えば母さんは反対なんだ。時々ね、テレビのコマーシャルなんかで、無意味な女の人のヌードが出てくると、『馬鹿な女!』って不機嫌そうに呟くんだ。本当に馬鹿なのは、その女の人じゃなくて、そういう広告を作った製作者やそれを喜んで見ている男の人達なんだということは承知しているけれど。たぶん母さんはフェミニスト寄りなんだと思うよ。でも、テレビのトークショーに出ている人達みたいに、ミスコンは性を商品化するもの、男女平等の理念に反するものだから何が何でも絶対やめさせるべきだなんて、凝り固まっているわけじゃないんだよ」   
 アリスがいきなり足をとめたので、クリスターは危うくぶつかりそうになった。
「ど、どうしたの、アリス?」
 アリスは顔をぐいっと近づけ、戸惑って瞬きをする彼の琥珀色の瞳につくづくと見入った。
「あなたって、子供のくせに妙にインテリぶった生意気な話し方するのね、クリスター。それも面白いけれど、あんまり過ぎると女の子を退屈させるわよ」
「ご、ごめん」
 別に謝る必要はなかったのかもしれないが、どんなに大人びて見えようがクリスターも所詮は小学校を終えたばかりの子供だったので、アリスの奔放な物言いや態度には振りまわされてしまうようだ。
 一方のアリスはクリスターのことは自分より年下だとは知っていたが、さすがらまだ11才だとは夢にも思っていなかったはずだ。大体、フェミニズムについて論ずる11才など、そう簡単にいてたまるものではない。
 アリスにたしなめられて、恥ずかしそうに頬を赤くして、どうしたらいいか分からないというように黙りこんだまま瞳を揺らしているクリスターに、アリスは表情を和らげて微笑んだ。
「あなたはお母さんにそっくりね、クリスター」
 アリスは声を低めて、囁いた。
「こんな綺麗な男の子、私、見たことがないわ」
「ア、アリス…」 
 自分を見つめるアリスの潤んだ目にクリスターはどぎまぎした。こんな状況ではどういう態度を取れば一番よいのか本から得た知識で対処できるものではなく、さすがに経験不足の彼には分からなかった。できれば、適当な言い訳をして彼女から離れレイフのいる場所に戻りたかったのだが、その言い訳の仕方が分からずに、クリスターは身を固くして立ち尽くしていた。
 アリスの瞳に悪戯っぽい光が瞬いた。
 アリスは、クリスターの肩越しに彼らのことなどおかまいなしに自分達の話に熱中している大人達を見やったかと思うと、ちょっと身を屈めるようにして彼の唇に軽くキスをした。
 クリスターの体が小さく震えた。
「私、喉が乾いちゃった。ヘレナおばさん、コーラをもらってもいいですか?」
 何事もなかったかのようにテーブルに戻っていく彼女のすらりとした後ろ姿を凍りついたように立ちつくしたまま、クリスターは呆然と見送った。

 思考停止状態。

 少しして頬に上ってきた血を意識しながら、クリスターは己の唇を手の甲で軽く押さえた。
女の子にキスされてしまった。もちろん、こんなことは初めて。
 刺すような視線を感じてそちらを見ると、案の定、泣きそうな顔をしているレイフと目があった。
 妬いているのだ。だが、どちらに?
 クリスターがばつの悪い気分で見返しているうちに、レイフはぷいっと顔を背けてしまった。
 後であれやこれやと言ってなだめてやらなくてはならない。全く、アリスのおかげで、楽しいキャンプが台無しになりそうだ。
 だが、困ったと思う反面、彼女との出会いに、これまで覚えたことのない不思議と胸を躍らせる興奮をクリスターは見出してもいた。
 毎年同じように繰り返される、家族だけの休暇に、今年はまた別の楽しみが加わったようだ。
 アリスは年上だし、奔放で、どう接したらいいか分からない部分もあるけれど、だからこそクリスターは興味をかきたてられる。あんなふうに突然にキスされても嫌な感じはなかった。むしろ他人に意表を突かれたことを喜んでいた。
 唯一の不安はレイフのことで、アリスはどうやらクリスターだけに関心を抱いており、また、レイフもアリスに反発を、少なくとも今の時点では覚えているということだった。
 クリスターはできれば3人で仲良くしたいのだが、この分だとそれは難しいかもしれない。
 テーブルに戻ったアリスは、コーラのグラスを手にヘレナと談笑しているが、隣に坐っているレイフには見向きもしない。レイフも怒ったように頬を膨らませて、彼女とは反対の方向に視線を向けてしまっている。
 クリスターは、その様子に内心溜め息をつきながら、アリスに触れられた唇に指先をそっと持っていった。
 そして、まだ心臓がどきどきしているのを意識しながら、アリスがあんなふうなキスをレイフにもしてくれたらいいのにと思った。

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