ある双子兄弟の異常な日常 第三部

第8章 Paradise Lost

SCENE5

 新兵募集センターを訪問した、その夜、レイフはビョルンの書斎のドアを叩いた。

「伯父さん、まだ起きてるんだ?」

 ビョルンは、間もなく始まる大学の講義のための準備だろうか、机の上に広げた分厚い本のページにあてていた目を上げ、扉の所に佇んでいるレイフににっこりと笑いかけた。

「君こそ、どうしたんだい、レイフ。いつもならとっくに寝ている時間だろ?」

「うん…何だか、ちょっと寝付けなくて…」

 話があるとすぐには切り出せず、言葉を濁して、そっと部屋の中に入ったレイフは、窓の傍にある、背もたれのある椅子にどさりと座り込んだ。

「なあ、ここに少しいてもいい? 邪魔しないから…」

 レイフが上目遣いになって囁くと、ビョルンはふっと微笑んで、いいよと短く答えた。

(伯父さんって、やっぱりあいつに似てるなぁ…涼しげな目元や賢そうな話し方、人当たりがよくって誰に対しても優しいけど、怒らせるときっと厄介な所も…オレがこれから打ち明ける話は、この人をとても失望させるだろう。はっきり言って怖いけど、伯父さんがこれまでオレに注いでくれた愛情と気遣いを思ったら、やっぱ、黙ってここを出て行くわけにゃいかないもんな)

 熱心に調べものをしているビョルンの怜悧な顔にはからずも見惚れながら、レイフが考え込んでいると、そのビョルンがふいに小さな溜息をついて、顔を上げた。

「レイフ、そんなにじっと見つめられたら、顔に穴があきそうな気分になるよ。私に何か言いたいことがあるなら、早く言いなさい」

「ご、ごめん、邪魔しないって言ったばかりなのに…」

 レイフは慌てて背もたれから身を起こし、詫びた。

「いや、この辺りでそろそろ切り上げようと思っていたところだったんだ。この頃、夜遅くに根を詰めて本を読むと、目が疲れてね…年かな…?」

 ビョルンはおもむろに眼鏡を外し、疲れたように眉間を指先で押さえながら、言った。

「あはは、老眼にはまだ早いよ、伯父さん。たぶん、眼鏡があってないんだよ。いっそコンタクトにしちゃえば? その方が、若く見えるよ」

「…それで?」

 ビョルンは机の上に肘をつき、軽く片眉を跳ね上げるようにして、レイフをじっと見つめた。

「あ…う…あのさ、伯父さん…前に、言ってたよね、ずっと好きな人がいるって…その人はとっくに結婚して幸せな家庭を築いているから、今更どうするつもりもないけど、やっぱり忘れられないって…」

 ビョルンにいきなり水を向けられて焦ったレイフは、とっさに、今するつもりではなかった、別の話を切り出した。

「一体どのくらい、その人のことを愛してきたの…? 何年たっても、本当に、そういう気持ちは変らないものなのかい?」

 これはこれで、一度伯父に聞いてみたかったことではあったのだ。

「いきなり何を尋ねるかと思ったら…君が、こういう話に興味を持つのはちょっと意外だよ、レイフ。うっかり話すんじゃなかったかな…?」

「別にいいじゃん。そこまで教えてくれたなら、出し惜しみせずに話してよ、ケチ」

 ビョルンは一瞬迷うような顔をしたが、レイフがしつこく催促するので、しょうがなく口を開いた。

「その人とは、すごく昔からお互いによく知っていたんだ。私はずっと彼女が好きだったけど、いつから、その気持ちが恋愛感情に変わっていたかなんて、よく分からないよ。はっきり自覚したのは、私が20才くらいの頃か…彼女に恋人ができて、じきに結婚が決まった時かな」

「あちゃ…タイミングとしては、最悪だね。でもさ、結婚しちゃう前にコクって、彼女を婚約者から奪おうとかは思わなかったのかよ?」

「いや…彼女が私をそんなふうに見ていないことだけは明らかだったからね。相手の男がまた私とは正反対のタイプだったんだ…正直、がっかりしたけれど、彼女が一緒になって幸せになれるのはこういう男なんだろうなと、なまじ彼女の性格がよく分かるだけに、納得できる部分もあった。だから、私の出る幕なんて、初めからなかったんだよ」

「伯父さん、可哀想…あ、ごめん…でも、そうすると、もしかしてもう20年近く、ずーっとその人を想っていたわけ? ねえ、そんなことって、本当に可能なのかよ。一緒に暮らしているわけでもない、とうに他人のものになってしまった人を、一生愛していられるものなのかよ、どうして…?」 

 レイフの遠慮のない追求に、さすがにビョルンは困ったような顔をした。

「どうしてなのか、私の方こそ、聞きたいくらいだね。もしかしたら、一緒にいなかったからこそ、あの時のまま、私の彼女に対する感情は変らなかったのかもしれない…消えるわけでも燃え上がるわけでもない燠のように、ずっと…」

「でもさ、もし本当に今でも好きなら、その人がたとえ結婚していたって、やっぱり欲しいと思うことはあるんじゃないのかよ?」

 我ながら一体何をむきになっているんだろうといぶかりながら、レイフは尚もビョルンを問い詰めた。

「伯父さんは、告白する前にもう振られたって思い込んでるみたいだけど…ねえ、もしも…その人が、実は伯父さんのことが好きだとしたら、伯父さんはどうする…? 平穏な今の暮らしをぶち壊して、家庭も何もかも捨てさせてでも、自分の手でその人を幸せにしてみせるとは思わない…? そうさ、どこか遠い世界に一緒に行って、一からやり直すんだよ。そこまでやるにゃ、相当な勇気と覚悟がいるけど、お互い好きあっているなら、2人の幸せのため、そのくらいの犠牲を払うことはできるんじゃないのかよ?」

 椅子から半ば身を乗り出し、燃えるような激しい目をして訴えかけるレイフに、ビョルンはちょっと驚いたように目を見張った。

「そんな、『もしも』の話はできないよ、レイフ…」

「で、でも…ちょっとは考えたことくらい、あるだろ…? どうしたら、その人は自分のものになってくれたんだろうとか…?」

 ビョルンの困惑した顔を見ながら、一体自分はこの人に何を聞きたいのだろうとレイフ自身不思議に思った。

「もしも、うんと若い頃に…今の君くらいの年に、私が自分の気持ちに気づいていたら、どうしたかなと思うことはあるよ…衝動のまま、後先の結果も考えずに、好きだと言って…ありえないことだけれど、彼女も私を好きだと言い…一緒に幸せになる…駄目だ、今の私には、想像もつかないね…」

 ふっと苦笑して頭を振ると、ビョルンはしばし遠い目になって、何事か考え込んだ。その端正な顔が、どこかとても哀しそうだったので、レイフはたちまち後悔した。

「伯父さん…ごめんよ、変なこと聞いて、怒ったかい?」

「ああ、いや…別に怒ってなんかいないよ、レイフ。すまない、つい、ぼんやりしてしまった」

 はっと我に返ったビョルンは、取り繕うように呟いて、改めて、レイフに向き直った。

「それにしてもね、レイフ…まだまだ子供だとばかり思っていたけれど…まさか君が、誰かに恋するあまり、そこまで深く思いつめているなんて、全く驚いたよ」

「こ、恋なんて…どうして、そんなこと、分かるんだよっ」

 たちまちレイフは、茹で上がったように真っ赤になった。

「いや、今の話を聞いていれば、普通に分かるだろう…そうか、全てを捨てて一緒になろうとその人に言い出すには、君にもまだ自信が持てなくて、迷っている…いっそ、このまま何も言わずにいる方が、相手は幸せかもしれない…どんな人なんだい、私の可愛い甥っ子に、そこまで想われているのは…?」

 優しく笑ってはいても、レイフの本心を読み解こうとする鋭利さを秘めた、ビョルンの琥珀色の瞳を向けられて、レイフはとっさに顔を俯けた。

(ああ、やべっ…駄目だ、このままじゃ、あいつとのことが伯父さんにばれちまう…)

 クリスターと愛し合っている姿を見られた、あの時のラースの驚愕と嫌悪の入り混じった表情を思い出し、レイフは慄然となって、身を震わせた。

「レイフ、どうしたんだい、急に黙り込んで…?」

 頑なに押し黙っているレイフに痺れを切らしたのか、ビョルンはおもむろに机から離れて、こちらに近づいてきた。

 伯父のたてる柔らかな足音に耳を傾けながら、レイフは心の中で必死に懇願した。

(伯父さん、伯父さん、許して…これ以上は聞かないでっ)

 ビョルンの優しい手が頭に乗せられた途端、レイフのぎゅっと瞑った瞼の間から、涙が零れ落ちた。

「叶わなかった苦い恋の話なんて、人にさせるものではないよ、レイフ…そうだろう…?」

 ビョルンは、持ってきたティッシュの箱でレイフの頭をこつんと叩いた後、それを彼の膝の上に置いた。

「う、うん…そうだね」

 もっと深く追求されるかと思ったが、意外にあっさりとビョルンが引き下がってくれたので、レイフは心底ほっとしながら、もらったティシュで鼻を激しくかんだ。

(ああ、本当にやばかった…伯父さんだって、オレがどうして実家を飛び出してここに逃げ込まずにはいられなかったのか、未だに何をぐずぐずと思い悩んでいるのか気になってるはずなのに、うかつなことを言って…あいつとのことは誰にも相談できることじゃないのに、つい、昔の恋を忘れられないでいる、この人に確認してみたくなったんだ。離れて暮らせば、オレはいつか、あいつを忘れることができるのか…それとも、ずっとこんなふうにあいつを想って、1人で何十年も生きることになるのか…ああ、駄目だ、伯父さんみたいに穏やかに昔の恋を振り返れるようになるまで待つなんて、やっぱりオレ、我慢できないよ)

 結局、若いレイフが、ビョルンほど達観できるはずもなく、彼の話を聞いて余計に惨めになってしまった。

「…それで、レイフ、君がここに来た本当の用件は何なのかな…? 恋の悩みを聞いてもらうつもりでなかったなら、私に対し、他に言いたいことがあるんだろう?」

 レイフはぎょっとなって、ぐしゃぐしゃにしたティッシュの塊から、涙と鼻水で濡れた顔を上げた。

「伯父さん…やっぱり鋭いね…」

 レイフがぽかんと呟くと、ビョルンは蜂蜜のように甘く優しい目を細めた。

「ふふ、鼻の頭が真っ赤だよ、レイフ…」

 ビョルンの口調は、いちいち、ここにいない誰かを思い出させて、レイフの胸を切なく締め付ける。

(あいつが年を取ったら、きっとこんな感じの大人になるんだろうな…オレとは全く違う人生を歩んでさ…その頃にはオレは、どの国の空の下にいて、どんなふうに暮らしているのだとしてもきっと、あいつと全く似てもつかなくなっているだろう)

 レイフの脳裏に、まだ見ぬ遠い世界の獏としたイメージが過ぎる。

 そして彼は、自分がここに来た本来の目的を思い出した。

「あのさ、オレ、実は伯父さんに報告しなきゃいけないことがあるんだ」

 目の前に佇んで穏やかに微笑んでいるビョルンの陰に、愛しい人の姿を追いながら、レイフはだしぬけに言った。

「うん?」

「オレの進路のことだよ…昨日まで何も決められずに迷ってばかりいたオレだけれど、やっとこれだと思う仕事が見つかったんだ。驚かないで、聞いてよ、伯父さん…オレ、軍に入ろうと思うんだ」

 どんなふうに切り出そうかずっと思い悩んでいたレイフだったが、結局は、回りくどい言い方はせず、ありのままを正直に伝えることにした。

「じ、実は、今日…新兵募集センターまで出かけて、そこの担当官と話をしてきたんだよ。伯父さんの知り合いのマイルズ軍曹…本当に立派な、一本筋の通った、いい人だったよ。点数稼ぎのために、何としても強引に入隊させようとか、そんなことはなかったし、オレの質問にも丁寧に答えてくれた。オレがビョルン・エルバーグの甥だって知って、驚いて、本気なのかと何度も念押しされたよ…伯父さんに嫌がらせをしたリクルーターは転任させられたんだってね。二度とこんなことがないよう、厳しく監督するって言ってたよ…」

 ビョルンの沈黙が怖くて、レイフはひたすらしゃべり続けた。

「どんな職種があるのかも、詳しく教えてくれたよ…陸軍に200以上の職務があるなんて、知らなかったなぁ。オレは、海外とか色んな場所に赴任できれば何でもいいけど、せっかく子供の頃から習って身につけた格闘技のスキルも活かしたいから、戦闘職種の中から選ぶつもりだよ。それでね…」

「レイフ」

 感情を抑えた低い声が呼ぶのに、レイフはとっさに口をつぐんだ。

「軍隊に入りたいなんて、私はこれが聞き初めだよ。しかも、既に、リクルーターと接触までしている。一体君はいつ、そんな途方もないことを決めたんだい?」

「き、昨日の昼間、テレビを見てたら、たまたま軍のCMが流れたんだよ。その時、直感的にこれだと思って…そのまま電話で問い合わせして、事務所の場所を教えてもらった。夕べにでも、先に叔父さんに相談すべきだったんだろうけれど、こんなことを打ち明けたら、120パーセント伯父さんは反対するだろうから、内緒で話を聞きに行ったんだよ」

 レイフは緊張のあまり激しく汗をかきながら、しどろもどろになって、答えた。

「なるほど、とっさの思いつきで、もう新兵募集センターまで出かけたのか…呆れるくらいの即断即行ぶりだね。レイフ…レイフ、まさか、本気じゃないだろうな…?」

「確かに、思い付いたのは突発的だったけれど、オレの気持ちはもう固まっているよ、伯父さん。これほど今のオレにうってつけの仕事はないと思ってる」

「レイフ、若者受けする映画のように格好よく作られた、あの人を小馬鹿にしたCMのどこに、君はそこまで引き付けられたんだい? まさか、あれを鵜呑みにして、軍に入ろうと決めたわけじゃないだろう?」

「そこまで、オレは馬鹿じゃないよ…伯父さんの話を聞いて、軍のリクルーターの甘い誘いの裏にあるものについても知っている。よく奨学金目当てで入る子がいるらしいけれど、実際に、軍から学費をもらって大学に進学できるのは、その中の一握りだってこともね…でも、別にオレは、それが目的なわけじゃないからいいんだ」

 レイフの決意が思いの他固いことに、ビョルンはいささか不愉快そうに端正な眉を寄せた。

「レイフ、そこまで分かっているなら尋ねるが、君は、軍隊が何をする所か、本当に理解しているのか? 遊びで格闘技を楽しむのとは訳が違うんだぞ。武器を持って他の国に乗り込んで、敵とはいえ、人を殺すことになるんだ。そんなこと、そもそも君にできるのか、やりたいと思うのか?」

「い、いきなり、そう問われると怯むけど…でもさ、それを言うなら、警官だって同じじゃないか。確かに、悪い奴だからって撃ち殺したら、寝覚めはよくないだろうけど、どのみち誰かがやらなきゃならないことだろ。正義とか平和とか、人の暮らしの安全とか、大切な何かを守るために体を張って仕事をしてくれてるんだ…」

「私が聞いているのは、『誰か』のことじゃない。君が、それを仕事としてやりたがっているのかということだよ、レイフ」

 返事に窮してぐっと黙り込むレイフに、ビョルンはとうとうと理を説き続けた。

「遠くに行きたいと君は言っていたけれど…ならば、何も軍隊じゃなくてもいいじゃないか? 君は比較的裕福な家庭で、両親の愛情を注がれ、何の不自由もなく育てられた子だ。高い教育も受けているし、君の友達だって、そうだろう…現実として、高校を卒業してすぐに軍隊に入る若者の多くは、貧困から抜け出すため、他に仕事をしようにも必要な技術もないがために働く場所がなく、仕方なく入るんだ。他に選択肢がないのならともかく、どうして君が、そんな過酷で野蛮な世界にわざわざ身を投じなければならないんだい…?」

 レイフは追い詰められたような気分でしばしビョルンの厳しい顔を見つめた後、やがて諦めたように、ぽつりと言った。

「…伯父さんには、分からないよ」

 ビョルンの怒りと苛立ちが重苦しい程の沈黙の中ビリビリと伝わってくるのを感じたが、レイフは怯まず、心の中にある想いを包み隠さず、ぶちまけた。

「今までの常識や価値観なんてぶっ飛ぶような、全然知らない世界だからこそ、無茶を承知で飛び込んでみたいんだ…そこでなら、オレが今までどこで何をしてきたのか、知る奴は誰もいない。例えオレが…過去に罪を犯したことがあったって、そんなこと、誰も構いやしないだろう…レイフ・オルソンって名前は同じでも、そこにいるのは別人みたいなものさ。もしかしたらオレは、全く言葉の通じない奴ばかりがいる、遠い国に行かされるかもしれない。でも、それもオレの望むところなんだ…だって、そうでもしなきゃ、たぶん、オレの探し求める場所は見つからないだろうから…」

「レイフ…おまえの探している場所というのは、一体どんな所なんだい…?」

 ビョルンの当惑しきった問いかけに、レイフは遠い眼差しを何もない空に投げかけながら、ごく低い声でぼんやりと呟いた。

「オレが…自分の気持ちに正直に生きても、許される場所だよ。他人の視線を気にする必要もなく、誰かを傷つけるのではないかって不安に付きまとわれることもなく、オレ達2人…」

 瞬間、レイフの脳裏に、ある情景が広がった。

 凍てつくような冬の夜。

 満天の星空の下、どこまでも続くかのような広い荒野の只中に、ぽつんと佇んでいる2人の子供がいる。

 彼らは、茫漠たる大地に今にも飲み込まれてしまいそうなほど、ちっぽけで無力な存在ではあったけれど、なぜか、些かの不安も心細さも感じてはいない。

 しっかりとつなぎあった手から伝わる互いの温もりが、彼らを支え、どんな逆境にでも立ち向かうほどの力を与えてくれるからだ。

(ああ、そうだ…分かったよ、オレがどうして、こんな突拍子もない決断をしたのか。一体何を探し、どこに行こうとしていたのか…あの場所に戻りたかったんだ。世界から隔絶された場所に2人きり、オレとあいつが決して離れはしないと誓い合った…)

 レイフの顔に何かを吹っ切ったような、仄かに明るい微笑が浮かんでくるのを、ビョルンはすっかり途方に暮れた様子で見守っている。いきなり自分の理解できない話をし始めた甥を、彼は必死に理解しようと努力していたが、どうしてもできないようだった。

「レイフ、私には、君の気持ちを分かることはできない。誰にも打ち明けられない深い悩みがあって、軍に入ることが唯一の解決策になるとでも思い込んでいるようだが…一体どうして、そんな発想になるのか…」

「いいんだよ、伯父さん、分かって欲しいなんて無茶は言わないよ。たぶん、オレの気持ちを分かることは誰にもできないから…ごめんよ、伯父さんは軍隊嫌いの反戦主義者なのに、その身内のオレが軍に入るなんて、どれ程腹立たしく悔しいことか…嫌われて、二度と顔を見たくないと思われても仕方ないと思ってる。それでも、オレは決めたんだ。大好きな伯父さんがどんなに反対したって、オレをとめることはできないよ」

 どこか晴れ晴れとした口調で告げるレイフに、ビョルンはこのまま行かせることはやはりできないと必死になって、言い募った。

「レイフ、待つんだ。そんなに簡単に自分の進路を決めてしまうことはない。せめて、もう少し考えてから、結論を出してくれ…確かに私自身、君の決定を受け入れることは難しい…だが、私の信条を別にしても、君の身が心配なんだ。君は私にとって子供も同然だと言ったろう…我が子を、危険な場所にわざわざ行かせたがる親がどの世界にいる? ラースが生きていたら、きっと私以上に猛反対するはずだぞ」

「と、父さん…は…」

 今や胸の奥深くに刻み込まれてじくじくと痛む傷となった父親に触れられて、レイフはつい動揺した。

「ラースだけでない、ヘレナもどんなに君を案じるか…大体君はまだ家族の誰にも話していないのだろう? そうだ、明日にでも、私と一緒に実家に戻って、皆でよく相談しないか…? たった一人、一時の感情で決めてしまうには、あまりに重大な決断だよ」

 ビョルンの半ば懇願のような訴えに、レイフは一瞬瞳を揺らせたものの、頑として自分の意思を曲げなかった。

「駄目だよ、伯父さん…誰が何と言ったって、オレの気持ちは変らないんだ」

 ビョルンの哀しそうな顔を見ると迷ったが、心のどこかで、どんなに彼に似ていてもこの人にはやはり理解などできないのだという失望もあったためか、レイフは突き放すような残酷な気分になって、言い放った。

「それに、実を言うとオレ、もうサインまでしちまったんだ。マイルズ軍曹はちょっと考えてからにしたらどうだって言ってくれたけれどね…だから、伯父さんが今更何をしようと、もう手遅れなんだよ」

「レイフ…!」

「なるべく早く入隊したいってオレが頼み込んだから、手続きがなるべくスムーズにいくよう、マイルズ軍曹が手伝ってくれている。早ければ、来週にはもう新兵教育訓練基地に行ける手はずなんだ」

 ビョルンは一瞬絶句した後、日頃温和な彼らしくもなく語気を荒げて、レイフやマイルズを非難した。

「レイフ、君は、私に隠れてそこまでやったのか…何て馬鹿な、早まった真似をするんだ…! マイルズもマイルズだ、いくら本人が希望するからって、家族に何の相談もなく、高校を卒業したばかりの若者に安易にサインさせるなんて…こんな無茶苦茶な話、私は認めないぞ!」

「伯父さん、オレはもう、子供だということを言い訳にできる年じゃないよ。それに、オレの無茶な頼みを聞いてくれたマイルズ軍曹を困らせるなら、オレの方こそ伯父さんを許さないからな」

 ビョルンは口惜しげに唇を噛み締め、挑みかけるようなきつい目で自分を睨みつけているレイフを凝視した。

 その肩が力なく落とされるのを、レイフは半ばすまなく思い、半ばほっと安堵しながら、見守った。

「そこまで言い張るなら、仕方がない…確かに君はもう大人だ。自分で決めたことの責任は自分で取るべき年になっている。とても残念でならないが、そうだな、所詮私には君をとめる権利はない…」

「ごめんよ、伯父さん…」

 レイフがつい黙っていられなくなって囁くと、ビョルンも、どうしても言わずにはいられなくなったかのように、口を開いた。

「レイフ、くどいようだが、君は本当にそれでいいのか…せめて、君の大切な相棒のクリスターにくらい一言相談することはできたはずだ…それさえもせず、勝手に軍隊に入るなんて、いくらなんでもひどすぎないか」

 ビョルンの言葉に、レイフは痛い所を突かれて、ちょっと辛そうに顔を歪めた。

「あいつに知らせるかどうか、オレも最後まで迷ったよ。でも、大学生活が始まる直前のこの時期に、オレは軍隊に入るから、後はおまえの好きにしろなんて…あいつの足を引っ張るようなことは結局言えなかった。そりゃ、後からこんなことを聞かされたら死ぬほどたまげるだろうし、またぐるぐると余計なことまで考えて煮詰まりそうな気もするけど…あいつならきっと分かるはずだ…」

 レイフはビョルンの鋭い視線を避けるように顔を俯け、膝の上でぎゅっと手を握り締めて、半ば祈るような気分になりながら、心の中で呟いた。

(ああ、あいつは覚えているだろうか…? もしも、オレ達が11才の時に体験した、あの奇跡みたいな一夜のことを今でも忘れていなかったら…オレが、こうする理由にもすぐに気がつくだろう。後はあいつがどう動くかだけれど、これはもう、オレにとって、人生かかった賭けみたいなものだな) 

 レイフは、今でも大切な思い出となって胸の奥にしまわれている、遠い昔の出来事に心を傾けながら、何とも複雑な、哀れむような表情を浮かべて目の前に佇んでいる伯父に向き直った。

「そうだとも、これが、オレの考え付く限り唯一の解決方法なんだと、あいつはきっと分かってくれるはずだ。こうすることで、オレが何を伝えようとしているのか、言葉じゃなくても、あいつにだけは理解できる…!」

 レイフの片割れは、いまだ彼の手の届かない遠い場所にいる。

 クリスターを恋しがりながらその名前を呼ぶことも辛くてできない、今のレイフにとって、これは、別たれてしまった半身の運命をもう一度自らに引き寄せ結びつけるための、打てる最後の手段だったのだ。


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