ある双子兄弟の異常な日常 第三部

第7章 FAKE

SCENE17

「レイフ…」

 クリスターは呻くように呟いた。

「おまえは馬鹿だ…僕に対する腹いせに、後先も考えず、自分の将来を滅茶苦茶にしてしまうなんて…この時期に暴力沙汰のせいで入学取り消しになって、それでこの先どうするつもりなんだ…何も考えていないだろう? 本当に、何て馬鹿なことを…」

 途方に暮れたクリスターの嘆きを、レイフは冷ややかに嘲笑った。

「そんなこと、もうおまえが心配する必要なんてないんだぜ、クリスター。オレは、ようやっと目が覚めて、おまえの呪縛から解放されたんだ。この自由を、オレはオレの好きなように使う」

 クリスターの瞳に、怒りの火が閃いた。

「そんなこと、僕が許さないぞ、レイフ」

 クリスターは、不祥事を引き起こした弟を正しい道に立ち返らせることのできるのは自分だけなのだという使命感にでも駆られているようだった。

「おまえは間違っている。いくら僕のしたことが許せないからといって…一時の感情に任せて、大変な過ちを犯してしまった。後になって頭が冷えたら、おまえは必ず後悔するんだ。いいか、今からでも遅すぎることはない…おまえが今回のことを心から後悔していると大学側に納得させれば、きっと最悪の事態は避けられる…いや、この僕が絶対そうしてみせる…!」

 厳しい顔に決意を漲らせ、激しく詰め寄ってくる兄に、レイフも少し怯んで、じりじりと後ずさりした。

「おまえこそ、何馬鹿なこと言ってんだよ…オレは二度とおまえに従うものか。もう決めたんだ!」

 苦々しく吐き捨てて、レイフはぷいっとクリスターから顔を背けた。

「レイフ!」

 クリスターの怒号を聞いたと思った、次の瞬間、強烈な衝撃を頬に受けて、レイフは床に投げ出された。

「なっ…何を…?」

 じんじん痛む頬を手で押さえ、レイフは、たった今自分を殴り倒したクリスターが、拳を震わせながら、すぐ前に仁王立ちしているのを、呆然と見上げた。

「言葉を尽くしても分からないなら、力づくでも、おまえを修正してやる」

「そっ、そんな…オレが言うことを聞かないから暴力に訴えるなんて、おまえのやり方じゃねぇだろっ!」

「うるさい」

 クリスターの手が伸びてくるのをとっさに振り払い、レイフは慌てて床から飛び起きた。

「クリスター、やめ…!」

 レイフが制止の声をあげる間もなく、素早い動きで間合いに入ってきたクリスターのパンチが続けざまに彼を襲った。

「う…わぁっ…」

 レイフは必死の思いでそれらをかわしながら、クリスターの腕を押さえてこんな一方的な殴打をやめさせようとしたものの、あまりに素早い動きに対応できない。次第に彼は、じりじりと壁際に追い詰められていった。

(やべぇ、こいつ、本気でキレやがった)

 頬を掠めていった衝撃の鋭さに皮膚がちりちりする。少しでも気を抜くと際どい所に飛んでくる拳に、レイフは、どっと冷や汗が吹き出すのを覚えた。

 思えば、こんなふうにレイフが、ボクシングでならしたクリスターの攻撃を真っ向から受けるのは初めての体験だ。

 ついに、レイフの背中が壁に突き当たった。

「頼むから、やめてくれ!」 

 追い詰められたレイフの叫びにも答えず、クリスターは体ごと飛び込むようにして渾身の一撃を繰り出してきた。

「うわぁっ!」

 レイフは頭を抱え、転がるようにして、その場から逃れた。

 鈍い破壊音が聞こえ、ぎょっとなって顔を上げたレイフが見ると、クリスターの拳は壁を突き破って、穴を開けていた。丁度、レイフの頭があった辺りだ。

「クリスター、お、おまえ、弟のオレを殺す気か!」

 顔から音をたてて血の気が引いていくような気分で、抗議の声をあげるレイフを、クリスターは振り返った。

 怒り心頭に発しているにもかかわらず、恐ろしく冷たく光る瞳に自分を捕らえて、じりじりと近づいてくる兄に、レイフは慄然となった。

(普段何かと自分を抑え付けている奴が我慢の限界MAX超えるとこうなっちまうのかよ…て、しゃれにならねぇ…!)

 胸の前に拳を構え、リズムを取るように体を軽く揺らしていたクリスターが、転瞬、レイフの胸元に稲妻のようなストレート・パンチを繰り出してきた。

 今度もレイフはぎりぎりでその攻撃をかわした。そうして、クリスターの右腕をがっしり捕まえると、体を捻るようにして思い切り相手を振り回し、壁に叩きつけた。

「くっ…」

 衝撃で一瞬目が眩んだらしいクリスターに起き上がる間も与えず、レイフは襲い掛かった。胸倉を掴んで、思い切り彼の体を壁に押さえつけ、拳を振り上げた。

 クリスターははっと息を飲み、今まさに拳を打ちおろそうとしている弟の顔をまっすぐに見上げた。

「この僕に手を上げようというのかい、レイフ?」

「うっ」

 とっさにレイフが怯んだように拳を震わせ固まる瞬間を、クリスターは見逃さなかった。レイフの腕を左手で押しやって攻撃を封じ、素早く右のパンチを打ち込んだ。

 ずしんと響くような、重い一撃を鳩尾に喰らったレイフは、たまらず、膝から床に崩れ落ちた。

(ひ、ひでぇ奴)

 こみ上げてくる強烈な吐き気に身を二つに折って喘ぎながら、レイフは涙目になって、己の上に聳え立つクリスターを仰ぎ見る。

「何が使いものにならない、だよ、クリスター…おまえ、その肩、もうほとんど治ってんじゃないのか…?」

 クリスターの唇に、酷薄な笑みが浮かぶ。

「立て」

 低い声で命じられ、レイフは悔しさに歯噛みしながらよろよろと起き上がり、片方の手でまだ痛む腹を押さえ、身構えた。

「どうしてかな、レイフ、おまえは僕との一対一の争いでは、いつも劣勢になってしまうよね」

「クリスター…」

「僕を打ち負かしてまで何かを成し遂げようという気概が、おまえには、そもそもないんだ。僕は違う…目的を果たすための強い信念ある。そのためにあらゆる努力も犠牲も惜しまない、持続する意思の力がある」

 クリスターは、確かに強い信念に支えている人間特有の揺るぎない眼差しを、レイフの苦しげな顔にあてながら、何としても彼の心を変えようと執拗にかき口説いた。

「僕には、おまえが進むべき正しい道筋が何なのか分かるんだよ…確かに、僕は取り返しのつかない過ちを犯したのかもしれない。しかし、この一点についてだけは、僕は正しいと断言できる。おまえの憤りはもっともだけれど、それはただの感情論にすぎない。レイフ、僕を許さなくてもいい。ただ今だけは、僕の指示に従ってくれ」

 レイフはクリスターの迫力に飲まれまいと必死で闘争心を燃やし、反抗的に叫んだ。

「嫌だ! おまえの指示になんか、オレは絶対従うものか!」 

 クリスターの顔が、たちまち突き上げてきた憤怒のあまり、引き歪む。

「レイフ…!」

 殺気立ち、激情を迸らせながら自分に向かって突っ込んでくるクリスターを、レイフは瞬きもせず見ていた。

(やばい、やられる…!)

 危険を知らせるシグナルが、彼の身の内を戦慄となって駆け抜け、奥深くに隠れていた強暴な何かを目覚めさせた。

 次の瞬間、レイフの体は、ほとんど反射的に動いていた。 

 まっすぐに打ち込まれてくるクリスターのパンチを避けざま、レイフはその腕を捕らえ、体勢を深く沈めながら、鋭くなぎ払うような足払いをかけた。

「せえぇぇいっ!」

 裂帛の気合が、レイフの口から迸しる。

 レイフ必殺の背負い投げは見事に決まった。クリスターの大柄な体は宙を舞い、傍にあったラースの作業用の簡易テーブルを巻き添えにして、勢いよく床に叩きつけられた。

 木っ端微塵になったテーブルの残骸。埃がもうもうとあがる中、ぐったりと伸びているクリスターを、レイフはしばし、技をかけた姿勢のまま、爛々と輝く獰猛な目で見据えていた。しかし、数瞬後には、夢から覚めたように、いつものレイフの顔に戻った。

「兄さん…!」

 レイフは真っ青になった。他ならぬ自分がクリスターを叩きのめした事実に慌てふためきつつ、仰向きに倒れたまま動かない兄に駆け寄り、ひしとすがりついた。

「だ、大丈夫か? しっかりしろ、クリスター!」

 固く目を閉ざしているクリスターの肩を掴んで揺さぶりながら、レイフは、先程見せた猛々しさの片鱗もなく取り乱し、子供のように泣き喚いた。

「目を開けてくれよ、クリスター! し、死ぬな…オレを置いて死なないでくれぇっ!」

 ふいに、クリスターの目がぱたりと開いた。

「クリスター!」 

 クリスターはうるさそうに顔をしかめ、レイフが伸ばす手を邪険に振り払った。

「だ、大丈夫か、どこか痛む…? 体は動かせるか?」

 クリスターはまだ少し意識が朦朧しているようだったが、やはり体を動かすと痛いのか、起き上がろうとして小さく唸った。

 レイフはおろおろしながら、クリスターが完全に正気を取り戻すのをじっと待ち受けた。

「レイフ…?」

 クリスターは、己の脇にぺたんと膝をついて、心配そうに腕をさすっている弟をじっと見上げた。

「痛むなら、無理して動くなよ、クリスター…怪我はしてないみたいだけれど、変なとこ打ってないとも限らないし…ごめんよ、オレ、つい本気になって、クリスターを思い切り投げちまった…」

 しょんぼりと項垂れる弟を静かに見守りながら、クリスターは己の取り留めのない考えを追っているようだった。 

「おまえが本気になれば、この僕でも敵わないか…分かっていたつもりだが、実際に思い知らされるとなかなかショックなものだな」

 溜息混じりのひっそりとした呟き。

 レイフは問いかけるように、クリスターの顔を上から覗き込んだ。

「レイフ」

「な、何?」 

 クリスターは、己の手をしっかり掴んで放そうとしない弟を苦笑の混じった目で見上げた。その顔には、もはや怒りの色はなく、何としてもレイフを従わせようという強い意思を窺わせるものは全て消えうせていた。

「心底惜しいと思うよ…それほどの身体能力、プロのスポーツ選手にもならずに、一体何に活かす気だ…?」

「うん…」

 レイフは一瞬きょとんと瞬きした後、困ったように頬を引っかいた。

「それはまだ分からないけれど…でも、きっと、どこかに何かあるはずだから…これから探してみようと思うよ」

 クリスターは、まだ少し放心したようなとらえどころのない目を、ふっとレイフの上から逸らし、何もない天井にさ迷わせた。

 そんな兄を、レイフは心配そうに見守った。

「一体、何のための苦労だったんだろう」

 ふいに、疲れたように、クリスターは呟いた。

「おまえのためによかれと思ってやったことなのに、全てが裏目に出てしまった。僕はこの手で、自分だけでなく、おまえの夢まで壊してしまったんだね…」 

 何の力も勢いも持たず、その乾いた唇から吐き出される言葉は、そのまま空中でばらばらになって分解していくようだった。

「おまえのことを一時の感情で動く馬鹿だと僕は否定したけれど…本当の愚か者は、他でもない、この僕だった。ごめんよ、レイフ…僕のせいで、おまえにまで余計な苦労をさせてしまって…本当にごめん…」

 クリスターのうつろな顔を、一筋の涙が力なく滑り落ちていく。

「クリスター…」

 クリスターはレイフの視線に耐えられなくなったかのごとく、両手で顔を覆ってしまった。

「…う…っ……」

 そのまま声を殺して静かに泣き始めるクリスターを、レイフは胸を締め付けられるような思いでじっと見守っていた。

(ああ、本当に…どうして、こんなことになっちまったんだろう。結局オレもクリスターも、一番大切なものをなくしちまった。オレ達2人はフットボールを通じて分かりあい、この先ずっと一緒に歩いていくこともできたはずなのに、どこでどう道を踏み外して―)

 クリスターの悲哀と絶望のこもった切れ切れの歔欷を聞きながら、そんな感慨をひっそりと噛み締めていたレイフは、その時、ふっとあることに思いあたった。

「クリスター…」

 レイフは何かしらはっとなりながら、小さく肩を揺らせて泣いているクリスターの上に身を乗り出すようにして、震える声で問いかけた。

「どうしてなんだ…?」

 レイフの声の中に今までとは違う響きを感じ取ったのか、クリスターは顔を覆っていた手を下ろし、訝しげに弟を見つめ返した。

「どうして…いくらオレのためだからって、おまえはここまでやらなくてはならなかった…? クリスター、おまえをそこまで追い詰めた、本当の理由は何だ?」

「レイフ…何を言ってる…?」

 クリスターは初めレイフの問いの意味が分からず当惑していたが、すぐに思い当たったようだ。慄くように目を見開き、さっと顔を背けてしまう。

「ここまで来て、もう隠すな…オレもおまえも、どうして、こんな犠牲を払わなきゃならなかったんだ! どうして、こんなに傷ついて、苦しい思いをしなきゃならなかったんだ! オレ達はただ、一緒に夢を叶えて幸せになりたかっただけなのに…何で、それが駄目だったんだよ?! 言えよ、クリスター…言ってくれっ!」 

 頑なに心を閉ざそうとするクリスターを激しく問い詰めながら、レイフはその顔に手を添えて、強引に自分の方を向かせた。

「頼むよ、兄さん…」

 レイフの目から溢れた涙が、クリスターの混乱した顔の上にぽたりと落ちかかった。それは、クリスターの流した涙と混じりあい、彼の頬を伝い流れ落ちていく。

 突然、張り詰めていた糸が切れたように、クリスターはぽつりと漏らした。

「僕達は普通の兄弟じゃない…だからだよ」

 弱々しいクリスターの囁きに、レイフははっとなって耳を欹てた。

「おまえは、いつも僕を、兄さん、兄さんって屈託なく呼ぶけれど…そんな振りをしたって、いつまでも誤魔化せるものじゃない。少なくとも、僕には自信がなかった…おまえのことをただの弟として愛そう、もう二度と触れるまいと決意したのに、そのことに次第に耐えられなくなってくるのが分かる。おまえには誰よりも幸せになってもらいたいから、僕の手から離れてちゃんと自立した大人の男になってほしい。いずれは愛する人を見つけて家庭を持ち、可愛い子供達に囲まれた豊かな人生を送って欲しい…そう願う反面、僕は、自分の目の前で、おまえが僕以外の誰かのものになることには、きっと我慢ならない。どんなに努力しても…おまえの幸せをこの手で壊しても構わないほどに、僕は…おまえを欲しいという気持ちを消し去れないんだ」

 クリスターは途中で言葉を切ると、こみ上げてくる何かを飲み下すように喉を上下させた。

「こんな僕には、とてもおまえのように無邪気に、一緒に夢を叶えて幸せになろうなんて言えない…無理なんだ。だから、諦めるしかなかった…僕達の大切な夢も、おまえのことも…わざと怪我をして、自分の選手生命は終わったと自覚した時、これでやっと諦められると泣きながら思ったよ。テキサスは遠い…おまえさえ僕の手の届かない所に行ってしまえば、うっかり触れてしまう心配もなくなるだろう…?」

 言い終えた後、クリスターは、喉の奥で低く、何とも自嘲的に笑った。

「クリスター、おまえ…クリスター…」

 レイフはうろたえ咳込みながら、クリスターに呼びかけるが、クリスターは今度こそ力尽きてしまったかのようにぐったりと目を閉じ、静かに涙を流すだけだった。その姿は、レイフの胸を痛ませた。

「オレ達が普通の兄弟じゃないってことくらい…オレだって、分かってたよ…」

 ふいに、胸の奥からこみ上げてきた熱く、苦しく、切ない感情に、レイフは息が詰まった。

「オレだってずっと…クリスターが欲しかったんだから…!」

 レイフは深く息を吸い込むと、思い切って、クリスターの上に身を屈め、微かに震えている、その唇にキスをした。

 勢い込みすぎたせいで歯に歯がぶつかってしまい、少し痛かったが、そんなことは構わず、レイフは無我夢中でクリスターの唇を貪った。

 クリスターは突然の出来事にとっさに対応できず、レイフの下で体を硬直させたまま、彼の荒っぽいキスの嵐を一方的に受け止めている。

「クリスター…好きだよ…」 

 キスの合間に熱っぽく囁きながら、レイフは慣れない手つきでごそごそとクリスターの体をまさぐり、引っ張り上げたシャツの裾から手を突っ込んで、その素肌に直接触れた。

「レイフ…おまえは、一体何をしている…?」

 あまり色気のない、困惑しきった固い声が返ってくるのに、レイフは些か不満を覚えながら、はっきりと言い返した。

「何って、今からおまえとやるんだよ…決まってるだろっ」

 クリスターの動揺が、震えとなって、直接触れた肌から伝わってくる。興奮を誘われたレイフがむしゃぶりつこうとするのを、クリスターは必死になって押し返した。

「馬鹿、やめろ…! おまえ、自分が何をしようとしているのか、分かっているのか…? 駄目だ、僕達はもう昔のような何も知らない子供じゃないんだぞ。分かってて、同じ間違いを二度犯したら、それはもう確信犯だ…言い訳も、後戻りもできなくなる…」

「オレを欲しいって、さっき自分で認めたくせに、この期に及んでくだらねぇことをぐちゃぐちゃ言うなよ…ああ、もちろんオレは言い訳なんかしやしないさ…!」

 レイフはクリスターの手を押さえ込み、荒々しく言い返した。

「おまえと寝たら、それでどうなるかなんて、分からないけど…でも、とにかくやってみるんだよっ! オレ達がずっと我慢して、避け続けてきた、このことが…そんなにものすごく罪なことなのか…? こんなに好きなのに、傷つけあうばかりで、お互いから遠ざからないといけないほどにか? オレにはどうしても分からないから、こうすることで確かめるんだよっ!」

 まだ何か言いかけるクリスターの口をレイフは噛み付くようなキスで再び塞ぐ。クリスターは歯を食い縛って抵抗するが、レイフは果敢に挑み続け、ついにはクリスターの熱い口腔に舌を滑り込ませることに成功した、

「あ…うっ…」

 レイフの腕の中でクリスターの体が震え、仰け反る。

「んっ…う…ぐっ…」

 レイフは舌先で、クリスターの濡れた口内を思う存分に侵し、探った。奥に引っ込もうとする舌を執拗に追い、絡ませ、夢中になって味わった。深く重なった唇の合間からは、どちらのものとも知れない唾液が細い筋となって流れていく。

「う…うぅ…」

 一呼吸つくために唇を解放すると、クリスターはむせたように咳込み、苦しげに喘いだ。そのまま半ば放心状態に陥り、床にぐったりと横たわっている。

 レイフは下半身をクリスターのそれと密着させるようにしながら、息を弾ませ、熱っぽく囁いた。

「クリスター…なあ、いいだろ…? もっと色んなこと、させてくれよ…」

 クリスターは答えなかった。かろうじて残っている理性でレイフの行為をとめようとしながらも、その体の芯には既に熱が灯っているようだ。こみあげてくる震えを堪えるように喉もとを手でぎゅっと掴みしめる仕草が意外にも扇情的で、レイフは思わず喉をごくりと鳴らした。

「兄貴って…何かすげ、色っぽいのな…」

 クリスターの下腹部に押し付けられたレイフのものには、熱く沸騰した血が体中から集まり、固く張り詰めて痛いほどだ。

 いつまでもキスだけでは埒が明かないと、レイフはクリスターのジーンズに手をかけるが、焦るあまりどこかに引っかけたのか、ジッパーがうまく下ろせない。

「ああ、もうっ…こんな時に…!」

 イライラしながらジーンズ相手に格闘しているレイフを、クリスターはしばし微妙に定まらない眼差しで見ていたが、次第に、その眉間には深い皺が刻まれていった。

「うわっ」

 突然、クリスターの脚に体をなぎ払われて、レイフは横様に倒れ伏した。

「何、するんだよっ」

 突然の反撃に、レイフが慌てて起き上がろうとすると、今度は顔を張られ、床の上に仰向きに引き倒された。その上に、無言のまま、クリスターがのしかかってくる。

「ク、クリスター…?」

 動転するレイフの唇を、クリスターの唇が強引に塞ぐ。殴られた時に少し切ったのか、再び彼と交わすキスは、錆びた鉄のような血の味がした。

(こいつ、いきなり攻めに出やがって…ああ、でも―)

 レイフはクリスターのキスに応えるように、積極的に口を開いた。

「ふ…っ…ん…んっ…」

 2人は濡れた唇をすり合わせ、何度も角度を変えて深く重ねて、飢えたように貪りあった。

 荒く速くなった吐息を吐き出しながら、レイフは、あっという間にクリスターに主導権を奪われたことを悟ったが、別に無理に取り返そうとまではしなかった。

(ほら、見ろ。駄目だの、諦めるだのは口先だけで、やっぱりオレに負けず劣らず、滅茶苦茶やりたがってるじゃん)

 くっと、喉の奥から笑いがこみ上げてきそうになったところに、肺の中の空気まで持っていかれそうなほど熱烈に吸い上げられて、レイフは一瞬酸欠を起こしそうになった。

 口腔内でクリスターの舌が生き物のように動いている。混ざり合った互いの唾液が重なり合う唇と唇の間からあふれ、顎の方に伝い落ちていく。粘膜と粘膜がこすれあう湿った音がしばらく続いた。

「ふ…うっ…」

 ようやくクリスターは唇を離し、荒い呼吸下で、自分と同じように胸を激しく上下させているレイフを見下ろした。そうして、レイフのものがジーンズのごわごわした布地を押し上げているのを確認するや、ためらわずに手を伸ばし、素早くジッパーを引き下ろした。

「ひゃっ…」

 レイフはさすがに恥ずかしくなって、顔を赤らめた。中に入り込んだクリスターの指が熱を持って疼いている性器に触れた時には、思わず、女のような嬌声を漏らしそうになった。

「レイフ…レイ…フ…」

 欲情に濡れたクリスターの声が、火がついたように熱くなったレイフの耳に響く。

 クリスターは、レイフの勃起した性器を露出させると、その固さを確かめるように手の内に包み込み、ゆっくりと上下に扱きだした。

 レイフはびくっと体を痙攣させ、声にならない声をあげて、大きく喉を仰け反らせた。

 レイフの反り返った棹の先端からは透明な液体が染み出、亀頭の下にまで垂れてきている。それを潤滑油代わりにして、クリスターは彼のものを扱きつづけ極致にまで追い詰めていった。

「僕に触れられるのが、そんなにいいのかい…?」

 先程危うくレイフに屈しかけたことに多少の恨みでもあるのか、弄るように囁いて、クリスターはレイフの耳たぶに軽く噛み付いた。

「あっ…んっ…!」

 レイフは逃げるように顔を背けたが、気持ちのいいのは本当なので、一方的に攻め立てられることに悔しさを覚えても、彼の手を引き離すなどできなかった。

「クリスター…クリスタ…ああっ…」

 電流にも似た快感が、クリスターに触れられている部分から頭の芯にまでびりびりと伝わってくる。レイフは身悶えし、クリスターの腕に指先を食い込ませながら、鼻にかかった声で囁いた。

「クリスター、オレにも…おまえのを触らせろ…よ…」

 この言葉に、クリスターは軽く片眉を跳ね上げ、面白そうに笑った。

「そうだね…」

 クリスターは素早く己のジーンズの前をくつろげ怒張した自分の性器を引き出すと、レイフの手を導いてやった。

「おまえも…気持ちよくしてやるよ…」

 レイフがそれを握り締めてゆっくりと上下に動かすと、クリスターは、ああっと、痺れたような甘い吐息を漏らした。

 2人は共に横たわり、激しく抱き合い、絡み合っている。無我夢中で互いの唇を貪り、ほとんど限界にまで膨れ上がり先端から先走りの液を滴らせている性器をキスのように擦り合わせながら、かつて感じたことのないほどの興奮に浸りきっていた。

 こんなふうに触れあうことをあれ程慎重に避け続けてきた2人なのに、一端たがが外れると、後はもう、ただひたすら、相手のことがもっと欲しい、ひとつにつながりたいという欲求だけに突き動かされて、やめることなど、どちらも思いつかなかった。

「あ…ああっ…あ…んっ…」

 レイフが、堪えかねたように内腿をぶるぶる震わせ、股間のものを押し付けながら、クリスターの体にしがみつく。

「オレ、もう駄目、イキそう…イカせて…」

 己のものを弄るクリスターの手に手を添え、もっと強い刺激を与えようするが、いきなり、その手をじゃけんに払われ、レイフは不満気に唸った。

「まだだ…レイフ…」

 荒い息の合間に囁くや、クリスターはいきなりレイフの体をうつ伏せに転がし、ジーンズを下着ごと一気に膝の辺りにまで引きおろした。

「あ…」

 クリスターの手が剥き出しになった尻の上に乗せられる。レイフは息を飲み、緊張のあまり身を固くした。 

「力を抜け、レイフ…これじゃ、僕が何もできないよ…」

 クリスターの苦笑混じりの声が、レイフを少しリラックスさせた。

「う…ん…」 

 レイフが、なるべく力が入らないようにしながら、膝をついて脚を開くと、クリスターはレイフと自分が零したもので濡れた指を引き締まった尻の合間のその部分に押し当て、ゆっくりとほぐしにかかった。

「さすがにジェルも何も持ってないからね…なるべく、ひどくならないようにはしたいけれど…」

 クリスターの指が進入した瞬間、レイフは汗ばんだ背中をびくりと震わせ、言葉にならぬ啼き声をあげた。

「う…うぅ…ひ…いっ…」

 内壁を探りかき回しながら押し広げているのがクリスターの指だと思うと、それだけで達してしまいそうだったが、その次にくるものを期待して、一層欲望は強くなるばかり。レイフはがたがたと身を震わせ、全身を駆け巡る快感に、唇を噛み締め耐えていた。

 こいつとつながりたい、ひとつに溶け合いたい―。

「クリスター、もう、いいから…挿れろって…」

 荒い息の合間に、レイフは切れ切れの声で囁いた。

「レイフ…?」

「早く…いいから、クリスター、早く…オレの中に、おまえのを挿れてくれ…よぉっ…!」

 ついに堪えきれなくなったレイフはすすり泣きを漏らしながら、頭を揺らして懇願する。

 すると、クリスターは待ちかねていたかのようにレイフの熱く蕩けた内部から指を引き抜き、己の猛り立った肉の棒をレイフの股間に押し付け、力を込めてねじ込んでいった。

 ずぶりと、先端が入り口を割った瞬間、レイフは喉を仰け反らせ、かすれた悲鳴を迸らせた。

「アッ…ア…!」

 がたがたと脚が震え、背中には汗が玉のように噴出した。不自然な交わりに、引き裂かれた体が悲鳴をあげているのが分かる。

「んっ…くっ…」

 レイフが最初の衝撃から立ち直るのを見計らって、クリスターは、その腰を片手でしっかりと押さえ、更に奥深く侵入を試みた。

「!…っ…うっ…クリスター…あぁっ…ぅんんっ…あっ…」

 己の体を貫き犯すものの圧倒的な質量に、レイフは喉を引きつらせ、息も絶え絶えに喘いだ。生理的にあふれ出す涙が、ぽたぽたと床に零れ落ちる。

(ああ、こんな痛い目見るなら、あんなに簡単にクリスターに主導権を渡すんじゃなかったな…)

 一瞬激しく後悔しながら、レイフは、ゆったりと確かめるように肛門の内と外を行き来するクリスターのものの感触をリアルに感じていた。

「…っ、ふ、…っ、あっ…」

 最初は、ただ股間から突き上げる痛みに顔をしかめ、目を固く瞑って耐えていたレイフだったが、いつしか、それは体の芯を燃え立たせる快感に変わっていった。

「あぁ…っ…ふぅ…んっ…あ…んっ…」

 レイフの苦鳴が明らかな嬌声に変わっていくつれ、クリスターは次第に大胆に、激しく腰を使い始めた。一瞬動きを止めたかと思うと、レイフの胎の最奥まで深々と穿つように打ち込んだ。

「うわっ…あぁぁっ…!」

 レイフは泣き叫び、身悶えし、激しく頭を振りたてた。

「レイフ…レイ…フ…くっ…」

 半ばうわ言のように、熱っぽく呼びかけてくるクリスターの囁きを背中に聞きながら、レイフは彼をもっと深く受け入れようと腰を突き上げる。

「あっ…あ…んっ…ひっ…ぃ…」

 自分達が没頭している行為が何なのか、これまで逡巡してきたのはなぜなのか、そんなことは、もう完全に抑制の弾けとんだ頭の中にはうかんでこない。

「クリスター…クリ…スター…もっと…そうだ、もっと…あ…ああっ…!」

 レイフにぶつかってくるクリスターの腰の動きが速くなってくる。内部の更に深いところを抉るように突いてくる、それの質量が増し、クリスターの限界が近いことを知らせてきた。

「いっ…ひっ…ぃっ…クリス…」

 ますます激しくなるクリスターの攻めに体を揺さぶられながら、レイフが熱を持った粘膜でぎゅっと締め付けてやると、彼はレイフの上で耐えかねたように呻いた。

「ん…く…うっ…」

 レイフのものも今にも暴発しそうなほど膨れ上がり、その先端からは堪えきれなくなった液が溢れてくる。おかしなことに、別に触れられているわけでもないのに、レイフは己の性器をぎゅっと締め付ける熱い肉の感触を確かに覚えていた。クリスターの感覚とどこかで交叉しているのだろうか、抱かれているのに、同時に抱いているような、言い知れぬ感覚にレイフは酔いしれている。

「あ…あぁ…っ…」

 腰を支えるクリスターの手は震え、その指先が肌にぐいぐい食い込んで痛いほどだ。

「はっ…はぁっ…はっ…あぁっ…レイフ…!」

 激しく抜き差しを繰り返していた動きが唐突にやんだ。瞬間、クリスターが吼え、その体をぐんと反り返らせて、レイフは己の中に彼の精が注ぎ込まれるのを感じた。

「あぁ…クリスター…!」

 ほとんど同時に達したレイフも、びくびくと震える棹の先端から勢いよく精を迸らせていた。

(クリ…スター…)

 頭の中まで真っ白に燃え尽きたように、レイフはしばし何も考えられなかった。

 クリスターとつながったまま、ぐったりと横たわり、放出後の脱力感に呆然と浸っていた。

(クリスター、クリスター…オレのクリスター…)

 レイフは荒い息をつきながら、背中にのしかかっているクリスターの体の重み、その熱さ、依然として己の中に残っている彼の一部を感じ、この上もない幸福と満足感がこみ上げてくるのに薄っすらと笑みをうかべた。

「レイフ…」

 クリスターが身じろぎした。彼はレイフの胸に腕を回し、愛しくてならないというようにぎゅっと抱きしめてくる。その唇が首筋に押し当てられ、恋人達がするように優しい言葉を何事か囁きかけるのに、レイフはくすぐったいような幸せな気分でうっとりと耳を傾ける。

「…オレも愛してるよ…クリスター、おまえを愛している…」

 レイフもまた、幸せのあまりに泣きそうになりながら、あまやかな声で呼びかけていた。

 一度は熱を吐き出して満足したものの、やっとの思いでひとつになった体をまだ離し難く、レイフは、これだけでは足りない、何度でもクリスターと同じことをしたいと考えていた。

 クリスターも同じ思いなのだろう、レイフの中におさめたものをまだ抜こうとはせず、後ろから彼の首筋や肩に柔らかなキスを繰り返している。

(ああ、クリスター、やっぱり、オレとおまえは恋人同士だ。たぶん、生まれる前からそうだったんだ。離れられるはずがない、オレ達はこんなに愛し合ってるんだから―)

 羊水の中をゆったりと漂っているかのような安心感の中、レイフはついうつらうつらしそうになる。

 まるで、とっくの昔になくしてしまった、あの2人きりの子供部屋、ベッドの中の温かい暗がりで抱き合い眠っていた頃に戻ったようだった。

 互いの体に回した、腕の中にだけ存在する、全てが完璧に満たされた幸福な楽園―もう二度と手放しはしないとレイフは固く心に誓っていた。

 その時、飽きることなくレイフの肌を唇でついばんでいたクリスターが、ふっと、その動きをやめた。

 レイフは、密着している肌を通して、クリスターの体が緊張のあまり固くなるのを、その心臓が慄いたように震えるのを敏感に感じ取った。

「クリスター…?」

 レイフは重たげに半ば伏せていた瞼を上げて、首を捻って、問いかけるように兄を見上げた。

 クリスターは答えず、上体を僅かに起こした姿勢のまま、レイフの頭の向こう、この部屋の入り口辺りを強張った表情で見据えている。一体何を見つけたのか、彼の体からは先ほどの行為の余韻の熱が急速に失せていく。

「どう…したんだよ…?」

 レイフはいぶかしみながら、クリスターの視線を辿って、頭を巡らせ、部屋の入り口を振り返った。

(あ…っ…)

 レイフは息を吸い込んだ。

 大きく開かれた工作室の扉の向こうには、だらりと両腕を垂らし、呆然と立ち尽くすラースの姿があった。

 まるで、親に悪戯を見咎められた子供のように震えあがり、怯えて縮こまるレイフの体を、クリスターが反射的にぎゅっと抱きしめる。

「父さん…」

 からからに渇き、震える喉の奥から、レイフは搾り出すように囁いた。

 受けた衝撃の大きさのせいで束の間空白になっていたラースの顔が、苦しげに引き歪んだ。

 ラースは、床の上で、自分の息子達がそっくり同じ体を絡ませ、愛しあう姿を見てしまった。彼らが本当は恋人同士なのだと知ってしまったのだ。

 混乱のあまり揺れ動く目で2人を見比べている、今のラースには、双子達のどちらがレイフでクリスターなのか、区別することもできていないに違いない。

「と…父さんっ…」

 ラースは嫌悪も露に、半裸のままひしと抱き合っている子供達から顔を背け、扉の向こうから姿を消した。どさりと倒れ込むような気配がし、続いて、彼が激しく嘔吐する音が聞こえてきた。

(あ…あぁ…)

 レイフとクリスターは身を寄せ合ったまま、凍りついたように、父親のたてる物音に耳を傾けていた。

 そうしながら、彼らは、自分達がもはや親に悪戯を見咎められた小さな子供ではないのだということを、ここも2人が罪なく寄り添いあって眠っていたあの部屋でないのだということを思い知らされていた。

 2人とも、この行為が何か知らなかった訳ではない。知っていて尚、愛する相手と結ばれ、求める幸福を手に入れようとした。それでいいのだと、一瞬前まで思っていた。

(オレ達がずっと避け続けた、この行為が、それほどまでに許されないことなのか…ただ確かめようとして、知りたくて、そして―)

 自分達の体と体をぶつけあって知ろうとした、疑問に対する答えを、彼らは今、こうして逃れようもない現実として目の前に突きつけられている。




  クリスターとレイフは愛し合う恋人同士だ。そして、血を分け合った双子の兄弟だ。

  どちらも真実だが、彼らが生きる、この世界では、共に成り立つことは決して許されないものだった。


NEXT

BACK

INDEX