ある双子兄弟の異常な日常 第三部

第7章 FAKE

SCENE11


 レイフの進学が決まった後は、学校でも家でも、表面上は平穏な日々が過ぎていった。

 2月に入るとクリスターには大学の合格通知が次々と送られてき、予定通り、彼はハーバードに進学を決めた。フットボールを断念するまではあれほど思い悩んだ選択なのに、いざ思い切ってしまえば、その後は張り合いがないほど順調に、卒業後の進路は定まっていった。

 そうして、穏やかではあるもののやや退屈な、残り少ない高校生活は瞬く間に過ぎ去り、シニア達が楽しみにしていたプロムも終わって、いつの間にか、卒業式まで残すところ半月となっていた。 

 レイフもこの頃ではすっかり覚悟を決めたのか、卒業後に家を出ることの不安や悩みを漏らすこともなく、学校でたまに友人達と一緒にいる姿を見る限り、明るい笑顔を取り戻している。

 家でも、クリスターに対して、あれきり何か言いたげな素振りも見せず、あくまで弟として普通に接していた。直情的で、後先の結果を考えて行動することの苦手なレイフでも、自分が危うく何を犠牲にしようとしていたのか、悟ったのだろう。

 2人が用心深く節度を守っているために、もしかしたら怪しまれたのではとクリスターが密かに警戒していたラースも、2人の関係についての疑いをすっかり解いたようで、レイフのテキサス行きの準備を嬉しそうに手伝っていた。

 ラースの精神状態は、実は、ジェームズの陰謀によって、親友達に裏切られ、ついには楽しみにしていた子供まで失って以来ずっと、不安定で荒れ気味だったのだが、今は自慢の息子達がそれぞれ前途洋々たる未来に向かって歩き始めたことの喜びが勝っているようだ。医者に散々言われているのに一向に減らなかった酒量も、本気で心配したレイフがカレッジ・チームでもすぐレギュラー入りできるよう励むことを約束して、何とか控えさせることに成功していた。そのせいか、最近では随分と顔色もよく、年相応の気力と体力を取り戻しつつある。

 レイフとクリスターがいなくなった後は、またしばらくラースは気落ちして寂しがるだろうが、しっかり者の母がついていれば、きっと大丈夫だろう。クリスターも独立するつもりではあっても、どうせ近くに住むのだし、ちょくちょく実家の様子を見に帰るつもりでいる。

 もしかしたら、残念なことをした、あの子の代わりに、新しい命を授かることも、まだ若いヘレナを思えば、充分にありうる。ラースが何を必要としているか分かっている彼女なら、そうした考えはとうに頭の中にあるかもしれない。

 そんな具合に、現在の平穏で円満な家庭環境に、クリスターは至って満足しているのだが、ふと、こんなふうに考えることもある。

(もしも、あの時、僕がレイフの話を最後まで聞いてやっていたら、どうなっていたかな…?)

 今更考えても仕様のないことだが、後少しで聞けたはずのレイフの言葉に未練がないと言えば嘘になる。

(オレは、おまえと…この先もずっと一緒に歩いていきたいんだ。オレのパートナーはクリスターだけだから…どうしても離したくない、だって、オレはおまえを―)

 レイフがあの後何と続けようとしていたか、本当は聞かなくても、クリスターには分かっていた。

 クリスターがレイフを欲しいと思うように、レイフもクリスターを求めている。それだけのことだ。

(ああ、それだけのことさ…けれど、叶えてはやれない。僕達はどこまで行っても兄弟でしかないから、普通の恋人同士のようにはなれやしない。そう、昔レイフが言った通りさ。あの時は僕の方が、あいつを欲しいという気持ちを止められなかった。レイフさえいれば、他のことなどどうなってもいい、家族も友達も皆犠牲にしても構わないなんて傲慢にも思っていたけれど、実際そこまで割り切れるものじゃない。父さんに怪しまれていると思えば、僕だって恐くなるし、ましてやレイフは…そう、愛情深くて優しいレイフには、他の誰かを傷つけてまで自分が幸せになることになど、きっと耐えられない)

 クリスターは、ひっそりと、諦め混じりの嘆息をする。愛する人と一緒に幸せになりたいという単純な夢が、自分達にとっては、どうあがいても手の届かないほど、遠い。

(馬鹿だな、僕も―分かっていたのに、つい、あいつが僕をあんなふうに熱っぽく見るものだから、最後まで聞きたいと思ってしまった。あいつの口から、愛しているって言わせたくなった…おかげで危うく、これまで築き上げてきた何もかもを台無しにしてしまうところだった)

 レイフがもうじき自分の生活からいなくなることを想像すると、クリスターは今でも、足元から世界が崩れ落ちそうな不安に駆られる。

 本当はどこにも行かせたくない。いや、傍にいて欲しいのだと、意地などかなぐり捨てて、レイフに訴えてみる夢想を何度したことだろう。

(しっかりしろ、卒業するまで後僅かだ。レイフが無事テキサスに旅立つまでは、僕は平気な顔をして、あいつが気を変えることのないよう励ましつづけなければならない―その後のことは、あまり考えたくないけど、僕も何とか慣れるよう努力するしかないな)

 昼間は、学校などでなるべく人と会ったり、卒業式の準備のために忙しくしたりで、何とか気を紛らわすこともできるのだが、夜になるとたちまち気が滅入って、隣の部屋にいるレイフの気配につい意識を傾け、まんじりと寝つけずに過ごすことが多くなっていた。

(何もかも順調すぎるのがいけないのかもしれないな…僕には、もっと緊張感に満ちた時間が必要なのかもしれない。こんなことを言うとまだ懲りないのかと顰蹙ものだけれど、ジェームズが僕の敵として存在していた頃みたいに―いや、いくら何でも、それはもうごめんだな。ただ、毎日が平和すぎて取り立てて熱中できることもないとなると、こんなふうにすぐに心に迷いが生じて、弱い方に流れて行きそうになる)

 そんな淡々とした日々の中にも、ふとしたきっかけで足元が崩れ落ちそうな心もとなさを密かに抱えながら過ごした、ある夜―クリスターは久しぶりにジェームズの夢を見た。

 この頃では、彼のニュースは入らなくなっていたし、思い出すことも随分少なくなっていたので、どうして今頃になってそんな夢を見たのか理由はよく分からなかった。

 寝覚めた時にはざらりとした後味の悪さが残っていた、その夢の細かい部分は覚えていなかったし、どのみちそれほど意味のある内容でもなかったように思う。

 そのまま忘れてしまってもよかったのだが、おそらくクリスターは退屈を持て余してもいたのだろう、その夢をきっかけに、ジェームズと繰り広げた、あの闘いを久しぶりに少しばかり振り返ってみる気分になった。

 勝つには勝ったが、こちらも無傷とは言えない終わり方をした。クリスターの友人達や家族にも犠牲者が出てしまった。それでも、誰かの命が奪われるような最悪の事態は避けられた。

 ジェームズは、クリスターの体に付けた傷以外には、何一つ望みを果たせぬまま、その仲間達と共に逮捕され、二度と再びクリスターを脅かすことはない。

 被害を受けた者達は、受けた痛手から少しずつ立ち直り、すっかり元通りとは言えないものの、憂いのない平穏な生活に戻っている。

(ああ、僕だって、今の状況には満足しているとも―腕一本の犠牲で、ここまでうまく収まれば、安いものさ。どのみち僕は、フットボールはもうやめるつもりだったんだし、レイフに至っては全くの無傷のまま、ジェームズの魔の手をやり過ごすことができた。ジェームズとしては、僕の一番の弱点であるレイフをどうにかしようとは考えていたはずだけれど―結局うまく使いこなすだけの時間がなかったのかな…病魔があいつの邪魔をしなければ、どうなっていたか分からないが…どうやら運も僕に味方をしてくれたようだ)

 そう全体を見渡してみても、ほとんどクリスターの計算どおりに終息させることができたと評価できる。にもかかわらず、今更のように、クリスターは、自分の中で何かが引っかかっていることに気がついた。

 何か、大切なことを見落としている。忘れてしまっているような気がする。

(おかしいな、ジェームズがこの上僕を悩ませることはありえないのに、何か大きな問題が未解決のままに残されているような―あいつの顔を夢に見たせいで、神経質になっているだけかな…?)

 考えているうちに胸騒ぎにも似た不安に駆られたクリスターは、ジェームズが今どうしているのか、急に気になりだした。

 最後に会った時から、もう九ヶ月にもなる。キャメロンが記した研究資料から推察しても、ジェームズの病状は相当悪化しているはずだ。

 ウォルターは事件後のジェームズと何度か面会をしていたはずだが、その彼も、2月頃に一度、警察病院に入院中のジェームズを見舞いに行ったきりだ。

 ウォルターが最後に会ったジェームズは、人工呼吸器につながれて、言葉を発することもできなくなっていたそうだ。

(ジェーズ・ブラックはもう終わりだよ。俺も、おそらくもう二度と彼と会うことはないだろう。)

 ウォルターがオルソン家に立ち寄った際、複雑な顔をしてそう話したことを、クリスターも覚えている。

(…奇妙なことだが、アイザックをあんな目に合わせた憎い奴だからというだけじゃない、俺はジェームズという人間に興味を覚えて、これまで何度も会いに行った。今だから告白するが、危うく彼に捕まりそうな気分になったこともある。ああ、こうやって彼は人を支配し操るのだと、ぞっとしたものだ。ああいう奴は、放っておくと世の中を震撼させるような希代の犯罪者になりかねない…いや、それ以上の大きな悪にだ。彼はな、ある時こんなことを漏らしたんだよ。もしも自分の命が限られたものでなかったなら、政治か軍事の道に進み、いつかは国家の中枢に入って、国や世界の趨勢に関わる仕事をしてみたかったとな。それはとてもスケールの大きな、複雑で、面白いゲームになっただろう…全く、冗談じゃない、あんな怪物に国の舵取りなどさせられるか。そう思うと、俺達はジェームズに取り付いた病魔に感謝してもしきれない立場にあるのかもしれないな)

 そう、病むことさえなければ、ジェームズは今でもクリスターを悩まし続けていたかもしれない。今でもクリスターを手に入れようと画策し、ウォルターに語った、ぞっとするような彼の将来の夢に、クリスターを相棒として引きずり込もうとしていたかもしれない。

(ジェームズは今ではかろうじて生きてはいても、ほとんど廃人同然となっているはずだ。話すことも、自力で体を動かすこともできず、機械の力でかろうじて命をつないでいる…そんな状態ではさすがにあいつの魔力も効き目を失って、人を操ることはもうできないだろう。体がそんな状態でも、あいつの頭脳は依然として無傷のままなのだとしたら、いっそ一思いに死にたいくらいに辛いはずだ。もはや何の希望も楽しみもなく、残された日々を、あいつは何を思って過ごしているのだろう…?)

 ほんの一瞬、クリスターは、ジェームズに最後に一目会いに行くことを考えたが、すぐに怖気を奮って、そんな思い付きを振り払った。

 別に、会ったところで今のジェームズが自分に何ができる訳でもないとは承知していたが、その妄執は今でも恐ろしかった。

(あいつは、どんな姿になろうとも僕を忘れてはいない…思い上がりなんかじゃないさ、あいつにとって、僕はそれだけの価値がある。もしかしたら、体は役立たずになりながらも、相変わらず悪魔のように働く頭脳をフル回転させて、何とか僕に一矢報いたいと思いつく限りの策略を組み立てているかもしれない…ああ、だが、君が何を企もうが、それを実現することはもう不可能なんだよ、ジェームズ)

 もう一度、クリスターはジェームズに面会することを考えてみた。話す機能が失われていたとしても、ジェームズを一目見れば、胸の奥に引っかかっている漠然とした疑念の正体が分かるかもしれない。

(いや、やはりよそう…単なる気のせいかもしれないのに、わざわざジェームズに会いにいくなんて不愉快な真似はしたくないし、それに、僕は、病み衰えたジェームズの姿など見たいとは思わない。あいつだって、嫌がるだろう。ジェームズ・ブラックは確かに憎い敵だけれど、僕はそこまで悪趣味じゃないさ)

 直接面会する考えは退けたが、それでもジェームズのことが気になりだすと頭から離れなくなったクリスターは、これも久しぶりにケンパーに連絡を取って、彼を通じてジェームズの容態を調べてもらうことにした。

 もしかしたら、クリスターは予感めいたものを薄々感じ取っていたのかもしれない。

 ジェームズ・ブラックはまだ生きているのか、それとも―?

 しかし、クリスターは最後まで、その事実を認めたくはなかった。

『…クリスター、実は、ジェームズのことなんだが―』

 そうして、卒業式を10日後に控えた、その日の夕方、クリスターはケンパーからジェームズの死の知らせを受け取った。

『君から連絡をもらった、つい2日前のことだったそうだよ。医者の話では、意識不明の状態がずっと続いていたらしいし、誰にも気付かれないまま、静かに息を引き取っていたそうだ。そう…もしかしたら、君は、虫の知らせのようなものを感じ取ったのかもしれないな』

 電話の受話器から流れてくるケンパーの声をぼんやりと聞き流しながら、クリスターはまるでジェームズにこんなことを言われているような気がしていた。

(やあ、クリスター、卒業おめでとう。僕が死んだというこの知らせは、君にとって最高のプレゼントになったかな…?)

 ケンパーにぎこちなく礼を述べた後、クリスターは電話を切り、まっすぐ自分の部屋に戻った。

 10日後の卒業式のことを考えた。クリスターは代表としてスピーチをしなければならないので、その原稿をそろそろ仕上げておきたかった。

 両親はまだ仕事から帰っていない。

 クリスターより先に帰宅していたレイフの部屋からは、彼の好きな激しいリズムのロックが流れてくる。

(レイフにも、知らせるべきかな…いや、今はよそう。何だか頭の中が真っ白になってしまって、まともに話をできるとは思えない。一体、どうしたのかな、僕は…ひどく気分が悪い)

 クリスターが逃げるように足早に自分の部屋に入ろうとした時、唐突に隣の部屋のドアが開いて、怪訝そうな面持ちをしたレイフが出てきた。

「何かあったのかよ、クリスター?」 

 レイフはクリスターの顔を見るなり、おかしいと分かったのか、眉をしかめ、迷いなく追求してくる。

 クリスターは、レイフのまっすぐな眼差しからとっさに顔を背けたくなったが、自分の動揺振りを認めるのも嫌で、かろうじて平静を保ちながら返事をした。

「うん…ケンパー警部から、今、知らせを受け取ったんだ」

「ケンパー警部? ああ、久しぶりに聞く名前だよな…って、一体何の知らせだったんだよ?」

 レイフの眉間に深いしわが寄った。

 クリスターは一瞬躊躇ったが、自分と違ってレイフがジェームズの生死に影響を受けるとも思われず、事実をありのままに伝えることにした。

「ジェームズ・プラックが、2日前に息を引き取ったそうだ」

「え…えっ…?」

 レイフは意表を突かれたかのように、目を瞬いた。本当に、彼は今までジェームズのことなどほとんど思い出しもせずにきたのだろう。羨ましいほどに、レイフはジェームズの影響をほとんど受けていない。こんなレイフだから、ジェームズも駒として使うことなど最初から諦めていたのか。

「J・Bの奴が死んだって…それ、ほんとかよ…?」

「彼がずっと闘病生活を送っていたことくらいは知っているだろ? これでも、よくもった方だよ。発症すれば余命は半年程度だと、ドクター・キャメロンは予測していたようだからね」

 レイフは驚愕のあまり口をぽかんと開いて、クリスターの顔を見るばかりだった。やがて、ほっと肩の力をぬいて、溜息をついた。

「そうか…あいつが不治の病なんて聞いてもピンとこなかったけど、本当に、死んじまったんだ。オレ達より1才だけしか年変わらないのに…」

「まさか可哀想だなんて言い出すつもりじゃないだろうね?」

「そりゃ、J・Bはとんでもない悪党だったし、今でもあいつがやったことを思えば、絶対に許せないけど―それでも、死んじまったって聞くと、やっぱ少し同情しそうになるよ」

 レイフはちらりとクリスターの右肩に視線を投げかけると、複雑そうな顔をして、付け加えた。

「一時は、この手で殺してやりたいとまで憎んだけれど、もしもあいつがあんな体に生まれついたんじゃなかったらとか、親とか妹とうまくいってたらとか―ああ、でも、オレがそんなこと言ったって、あいつは鼻先でせせら笑いそうだな」

 ふっと苦笑した後、レイフはクリスターにじっと探るような目を向けてきた。

「そんなことよりさ、クリスターは大丈夫なのかよ?」

「え?」

「顔色悪いし、ジェームズが死んだってことに、随分ショックを受けているみたいだぜ…?」

 レイフにはっきりと指摘されたことで、もう認めるしかなくなったクリスターは、のろのろと手を上げて、額に押し当てた。

「そう見えるか…? ただ単に驚いただけだと思っているんだけれど、おまえがそう感じるのなら、やっぱり動揺しているのかな…? 全く、この僕があいつの死の知らせにこんなにも気持ちを揺さぶられるなんて、おかしな話さ」

 クリスターは笑い飛ばそうとしたが、うまくいかなかった。眉間に深いしわを刻んで、訳の分からない感情がこみ上げてくるのをじっと堪えていた。

「ジェームズ・ブラックが死んだ」

 その言葉は、氷で火傷したようにクリスターの唇に張り付いた。慄いたようにクリスターは目を見開き、震える唇を噛み締めた。

「ク、クリスター?」

 レイフが喫驚した声をあげ、おろおろとクリスターに手を差し伸べようとする。

「い、いきなりどうしたんだよ、クリスター…なに、泣いてんだよ…?」

 レイフに言われてやっと、クリスターは自分がいつの間にか涙を流していることに気がついた。

 呆然となりながら目を上げると、ぼんやりと霞んだ視界に、レイフの心配そうな顔が見えた。

「全く、僕はおかしいね、レイフ…あいつの死を、僕ほど待ち望んでいた人間は他にいないと思うのに…」

 クリスターは、理解しがたい自分の反応に戸惑いながら、震える手で目元を覆った。

「自分でも分からない、どうして泣いているのか…あいつが死んで哀しいのかもしれないし、もしかしたら、ほっとしただけなのかもしれない」

 レイフはクリスターの惑乱ぶりを戸惑いながら見守っていたが、やがて、黙って手を伸ばし、彼の肩を慰めるようにそっと抱きしめた。

「すまない、レイフ、よりによって、あんな奴のために泣くなんて―」

 クリスターは恥ずかしそうにレイフに謝ったが、彼は問題にならないというように大らかに微笑んで、クリスターの頭をこつんと己の頭に押し当て、優しく囁いた。

「おまえの涙の理由なんて、きっとややこしすぎて、オレには理解できそうにもないさ。ただ、泣いて楽になるなら、すっきりするまで吐き出してしまえばいい。オレ相手に恥ずかしがることなんてないからさ、気にするなよ」

 クリスターは素直に頷き、レイフの体に手を回し、その肩に顔を埋めて、ひっそりと泣き続けた。

 ジェームズ・ブラックが、死んだ。

 その簡単明瞭な事実が、これまでジェームズとの間にあったどろどろとした深い怨嗟を、この一瞬、クリスターの中から吹き飛ばしてしまったかのようだ。

 憎んでも憎みきれない仇敵の死を、こんなふうに嘆くなど、どうかしている。しかし、実際、クリスターはまるで自分の影を失ったような、おぼつかなさに見舞われている。

(ジェームズ、僕の中の悪を写し取った鏡であるかのように、僕は君を憎んだ。ああ、僕達は似た者同士なのだと君は言ったね、僕は決して認めまいとしたけれど―もしかしたら、僕も、どこかで道を踏み外せばああなってしまったのではないかと思うと恐かった。僕の影の半身、君が滅ぶことで僕はやっと解放される…)

 レイフは不器用な仕草で、クリスターの頭を慰めるように優しく撫でている。

「情緒不安定でごめんよ、レイフ…ダニエルの時以来、僕は、おまえになだめてもらうのがすっかり癖になったのかな…?」

「へえ、そうなのかい? そんな癖なら、オレとしては大歓迎なくらいだよ」

 レイフが冗談めかして、ぎゅっとクリスターを抱きしめ頬を摺り寄せるのに、クリスターは些か閉口しながら、言い返す。

「調子に乗るなよ、馬鹿」

 レイフは喉を柔らかく鳴らして笑う。クリスターに注がれる、その温かな眼差し。その腕はクリスターを支えるように、しっかりとその背に回されたままだ。

(レイフ、ジェームズに危うく魅入られそうになった僕なのに、おまえは今もこうして、変わらぬ態度で寄り添っていてくれる…ああ、あの怪物は今度こそ消滅したんだ。僕も、これでやっと安心して暮らせるようになる…そうだよな、きっと…?)

 レイフの大きくて温かな腕の中、クリスターは、喪失感と安堵の入り混じった奇妙な悲しみにじっと浸るのだった。


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