ある双子兄弟の異常な日常 第三部

第6章 最後の闘争

SCENE1


 ダミアン・ハートは長い間、死んだも同然の状態だった。

 貧しい母子家庭に生まれたダミアンはボストンのロウアー・エンドの集合住宅で幼い頃を過ごしたが、若い母親が男と蒸発した後は、兄と共に施設に預けられることになった。

 最低限必要な世話は受けられたものの、施設の環境は劣悪で、そこを出て行った子供達の多くが行き着く先はホームレスか犯罪者という厳しい現実が、ダミアンの前に横たわっていた。

 その例に漏れず、15才で先に施設を飛び出していったダミアンの兄ネルソンも、すぐに地元の犯罪組織に入り、じきに窃盗事件等を起こして警察に捕まった。

 それでも、1人残してきた弟のことを気にかけていたネルソンは、ある程度自立した生活ができるようになるとダミアンを迎えに来てくれた。

 しかし、時既に遅く、兄が不在の3年間、他に守ってくれる人もいない中、施設の職員達や孤児仲間―中には通いの神父もいた―から性的虐待を受け続けたダミアンの心はばらばらに砕け散っていた。

 暗く凍てついた目をし、一言もしゃべらず、ネルソンを含めた誰から話しかけられても何の反応も示さない。

 人形のような存在に成り果てたダミアンが、唯一興味を示したものが、兄が教えてくれたブーメランだった。

 ネルソンは、死んだ弟がやっと息を吹き返してくれたようだと単純に喜んだが、この遊びに対するダミアンの熱中ぶりは少々度を越していた。

 ほとんど一日中1人で黙々と練習を続けているうちにどんどんうまくなっていったダミアンは、そのうち小さな生き物を標的にしてブーメランを投げるようになった。

 この様子に、当然ネルソンは眉を潜めた。しかし、ようやく自分の意思で動き始めたダミアンから唯一の楽しみを取り上げるのをためらうあまり、弟の行為がどんどんエスカレートしていくのを止められないでいた。

 我とも分からぬ衝動に駆られるがまま、生き物を殺すダミアン。殺傷能力をより高められるよう、ブーメランのブレイドを加工し、投げ方にも工夫を凝らし、狙った獲物の体を切り引いた瞬間に、胸の奥に封じ込まれた鬱屈とした苦しさがすっと消えさるのを感じていた。

 初めはスズメやカラス、それから野良猫や野犬―小さな生き物を殺すことに次第に飽きたらなくなってきたある日、ダミアンは家の傍で1人のホームレスを見つけた。

 自分が何をしようとしているのか分からぬまま、ダミアンはそのホームレスの後をつけ、人気のない路地に入り込んだところで愛用のブーメランを構えた。

 たぶん、ダミアンは、その男を的にするつもりだったのだ。本当に殺していただろう。ダミアンの様子がおかしいことに気付いて後を追ってきたネルソンが、彼の手を掴んでとめなければ―。

『お前は、自分が何をしようとしたのか、分かっているのか?』

 その訴えの意味も理解できないダミアンを前に困り果てたネルソンは、それから間もなく、ダミアンの知らない1人の少年を連れてきた。

『…ダミアンを助けてやってくれないか。あんたなら、何とかできるだろう?このままだと、あいつはきっと取り返しのつかないことをしちまう!』

 ダミアンが彼と初めて出会ったのは、家の近くの小さな教会の中だった。

『そうだねぇ…確かにこのまま放っておけば、生き物を殺すことに満足できなくなったあの子は、ほぼ確実に、次は自分よりも弱い子供や女を狙うようになるだろうね。でも、不思議なものだね、他人を傷つけたり殺したりすることも平気なはずの君が、弟が人殺しになるかもしれないからと途方に暮れているなんて』

 長椅子に坐って、光に透けるステンド・グラスの中の天使をぼんやりと見つめているダミアンの耳には、兄が誰か知らない人と交わす言葉が届いていたが、それらも初めのうちは彼にとって何の意味もなさなかった。

『ダミアンは自分が何をしようとしているのかも、相手が誰なのかすら分かっちゃいないんだ。オレだって、たった1人の弟を、狂った無差別殺人鬼になどさせたくない』

『ふうん…自分で分かってやっている殺しならいいけれど、理由もない、手当たり次第の殺しは駄目だっていうことかな?』

 この辺りでは聞いたこともない綺麗な発音の英語。耳に快い柔らかな笑い声。やがて自分の方に近づいてきた静かな足音に、ダミアンがふと顔を向けると、色つきの窓から漏れてくる光の中、ゆったりと佇む金髪の人が笑いかけてきた。

『やあ、ダミアン』

 まるで天から舞い降りてきたかのような、こんなにも純真無垢な笑顔を見るのは初めてだとダミアンは思った。

 彼は、ダミアンがさっきまで眺めていたステンド・グラスの中の天使に少し似ていたが、その深沈とした暗い闇を湛えた瞳は全く異なっている。

 ダミアンは思わず身震いをした。

 昔施設のいた頃神父が聞かせてくれた話を、その時、なぜか思い出していた。

(気をつけるんだよ、悪魔は常に自らを光の使いであるかのように見せかけるものだからね…)

 ふいに、その神父が自分にしたことを思い出しかけたダミアンは、固めた拳を自分の頭に叩きつけようとした。

『駄目』

 その手を、ダミアンの知らない温かな手がとらえた。

『自分を痛めつけるような馬鹿なことはやめるんだ、ダミアン』

 弾かれたようにダミアンが目を上げると、金髪の少年の顔がすぐ近くにあった。藍色の瞳の中心に慄くダミアンの顔を映したまま、その双眸がゆっくりと細くなる。

『僕の名前はジェームズ・ブラック。君に会うためにここに来たんだよ。さっきお兄さんに色々君のことを教えてもらったんだけれど、ブーメランが得意なんだってね? ねえ、ダミアン、よかったら僕に君の腕前を見せてくれないか?』

 他人からこんなことを気安く頼まれても、普段のダミアンならば無視するところだが、ジェームズの願いを断ることはなぜかできなかった。

 ダミアンの心にするりと入り込んできたジェームズの声は、優しくはあったが、否とは言わさない魔力を帯びていたのだ。

 その日から、ジェームズはダミアンを度々訪ねてくるようになった。

 ダミアンは相変わらず一言も話せないままだったが、ジェームズには、そんなことを気にする様子は全くなかった。穏やかに響く声で、機嫌よくダミアンに話しかけてき、その綺麗な唇から柔和な笑みが絶えることはなかった。

 ダミアンは次第に彼の存在に慣れていき、共に過ごす時間を心地よく思うようになっていった。

 ジェームズは、ダミアンが得意のブーメランでカラスや野犬を殺すのを見ても、他の人達のように驚いたり騒いだりもせずに、凄いねぇと誉めてくれる。今まで他人から肯定されたことなどなかったダミアンは、ジェームズに感心されると、それだけでちょっと嬉しくなった。

 傍からは人形のように無反応に見えるダミアンだったが、実はちゃんとジェームズの話に耳を傾けていた。ジェームズもそのことに気づいていた。

 ばらばらに砕け散ったかに思われたダミアンの心は、ジェームズの助けを借りて少しずつ元に戻ってきていた。しかし、まだ真に目覚めるまでには至っていなかった。

(あの人はオレの全てを分かっている。受け入れてくれる。オレを裏切り、傷つけた、他の連中とは違うんだ…)

 いつしか、ダミアンはジェームズを深く信頼するようになっていた。

 信じられる対象が傍にいることは、子供に安心感をもたらす。

 だが実際、ジェームズがダミアンに与えたのは、それ以上のものだった。

(ねえ、ジェームズ、何をしに、どこに行くの?)

 その夜、ダミアンはジェームズに連れられて、暗い夜道を行く先も知らず歩いていった。

 ダミアンが目で不安を訴えかけると、ジェームズは彼をなだめるよう、絹のような手で頬を撫でてくれた。

『君が何を必要としているのか僕には分かっているんだよ、ダミアン・ハート。だから、心配することなどない…僕を信じて、言うとおりにするんだ』

 いつの間にか、暗い公園の中に、ダミアンはジェームズと共に立っていた。

『ダミアン、あそこに君の新しい標的がある。君のために、わざわざ僕が見つけてあげたんだよ。さあ、試してごらんよ。狙いを外さず、ちゃんとあてることができたなら、僕は君に、とっても素敵なプレゼントをあげるよ』

 まるでクリスマスの話でもするかのように楽しげなジェームズが指し示した方向を見やると、1人の若いホームレスがゴミ箱を漁っていた。

 傍にあった外灯が薄っすらと照らし出した男の顔を見た途端、ダミアンはいきなり気分が悪くなった。

 じりっと後ずさりするダミアンの背中を、ジェームズの手が支える。

『大丈夫、恐がらないで、ダミアン。本当の君は強いんだよ…あいつをやれ。そうして、君が心と体に受けた傷の痛みを、自分の力で克服するんだ』

 ベンチに坐ってタバコをふかしているホームレスを眺めながら、がたがた震えているダミアンの耳を、ジェームズの微笑混じりの吐息がそっと撫でる。

『見てごらん、あれはただの薄汚いホームレスだ…壊すことなど、簡単さ』

 死をもたらす甘い毒を含んだ蛇の囁き。

 聞いた途端、ダミアンの中で、何か狂暴なものが身じろぎした。

 ダミアンは、肩に引っ掛けていたリュックサックをおもむろに下ろして、中から1本の大型ブーメランを取り出した。ブレイドはよく切れるよう、研ぎ澄まされている。

(あれは、ただの薄汚いゴミだ。殺すことなんか、簡単だ)

 次の瞬間、ダミアンは全身を鞭のようにしならせてブーメランを投じた。

 空を切りながら飛んでくるブーメランの音に気付いたのか、訝しげに顔を上げる男の頭にヒットした後、それは見事な弧を描いて戻ってき、ダミアンの計算どおりの場所に落下した。

『素晴らしいね』

 ジェームズが後ろで拍手するのを聞きながら、ダミアンはベンチの下に倒れている男に恐る恐る近づいていった。 

 頭を割られて死んでいる男を、肩で息をしながらしばし見下ろしたダミアンは、思い切って、足で男の体を裏返した。

 外灯の明かりに照らされた、その若い顔には見覚えがあった。施設にいた頃、ダミアンを嬲り者にしていた連中の1人だ。

 ダミアンの目の奥で赤い火花が散った。長い間眠っていた彼の心が、その瞬間に目覚めた。

「あ…うああぁぁっ…!」

 獣のようにダミアンは吼えていた。胸の内に封じ込んでいた熱く狂おしい衝動のまま、泣き叫び、猛り狂い、既に死んでいる男の体に激しく打ちかかった。

 やがて―いつの間にここに来たのか、ダミアンの兄が彼を死体から引き剥がした。

「その男の顔、間違いないね?」

 ジェームズが冷静に確認するのに、ネルソンはうっそりと頷き、死んだ男を忌々しげに睨みつけた。

「ああ、ダミアンを弄んだ畜生だ。オレが先に見つけていたら、この手で殺してやったところさ。しかし―」

「この場合、ダミアンが自分の手で始末をつけることが必要だったんだよ」

 死体の傍にぺたんと座り込んで放心していたダミアンは、ジェームズが自分の名を呼んだ途端、さっと顔を上げた。死んだ魚のようだった緑の瞳には、生き生きとした輝きが灯っていた。 

「ジェームズ…」

 ダミアンは掠れた声でジェームズを呼び、手を伸ばした。傍らではっとネルソンが息を飲んだが、ダミアンはジェームズしか見ていなかった。

「ああ、やっと目が覚めたようだね」

 満足げな深い笑みを口元に浮かべたまま近づいてきたジェームズは、地面に膝をつくと、その胸にダミアンを抱きよせてくれた。

「お帰り、ダミアン」

 結局、ジェームズの言ったことは全て正しかった。 

 その夜の出来事をきっかけに、ダミアンは再び現実世界に戻ってきた。

 心を失った人形ではもはやない。ちゃんと言葉を話し、兄や他の人間達とも普通に接することができる。

 何もかも元通りのダミアン・ハート。いや、それ以上の生命力に満ちていたが、根本的なところはやはり狂ったままで―。

 実際、目覚めたダミアンが真っ先にしたことは、かつて自分を虐待した者達を1人ずつ処刑していくことだった。

 頭や首を鋭利な刃物で切り裂かれて死んだ男達の数は最初に殺されたホームレスも入れて5人にもなったが、犯罪歴のない11才のか弱い子供の名前が捜査線上にのぼることはついになかった。

 復讐を終えた後、得体の知れない胸の苦しさもすっかり癒えたダミアンは、新しく生まれ変わったような気分だった。

 何人も無残に殺したが、罪の意識など微塵もなかった。

「だって、オレはあいつらが誰なのかちゃんと分かっていたし、あいつらには殺されても仕方のない理由があったんだからさ」 

 一方、どことなく釈然としない様子のダミアンの兄に向かっては、ジェームズが悪びれもせずにこう言ってのけた。

「手当たり次第の無差別殺人でないだけ、よかったじゃないか。まさか、君だって、この子が今更普通の子供に戻れるなんて期待していたわけじゃないだろう? そんな悲しそうな顔をしないで、君の弟を認めてやることだよ、ネルソン。それにね、君がこれから始めようとしている計画においても、この子はきっと役に立つ武器となる。自分の力を兄さんのために使えると分かれば、ダミアンは喜ぶだろう。人は、誰かから必要とされることで、自分の存在意義を見出すものだからね」

 ダミアン自身は、兄よりも他の誰よりも、ジェームズにこそ認められ必要とされたいと強く願っていた。

(あなたは、オレを長い眠りから目覚めさせてくれた。生きる力を与えてくれた)

 ダミアンが暗闇の中で出会った天使―あるいは、それを装った別の何かだろうか?

 ジェームズ・ブラックがいなければ、ダミアンの世界は再び凍てついた闇となり、彼自身も糸の切れた人形のようにたちまち動きをとめてしまうだろう。




 ダミアンは館の大理石の階段をぽんぽんと跳ねるように上っていった。

 2階はジェームズのプライベートな場所だから他の連中が勝手に立ち入ることは禁じられていたが、彼とフレイだけは自由に訪れることができた。

 窓から廊下に差し込んでくる光は、夕暮れ時のオレンジ色を帯びている。

 今日一日、ジェームズは一度も部屋から出てこなかった。

 ひっそりと静まり返った幾つもの扉を通り過ぎ、ジェームズの寝室の前で足を止めたダミアンは、何か気になったように、後ろの扉を振り返った。

 くんくんと鼻を動かし、嫌そうに顔をしかめたものの、気を取り直して、ジェームズの部屋の方に向き直る。

「ジェームズ?」

 ダミアンは、ノックもせずにドアを開いて、素早く中に入りこんだ。

 部屋の主は、薄いカーテンを引いた部屋の奥にある天蓋付きのベッドの中で、背中をこちらに向けて休んでいる様子だ。

「眠っているの…?」

 さすがに少しは遠慮したダミアンが小さな声で確認すると、ジェームズの痩せた肩が震えるように動いた。

「いや、起きているよ、ダミアン」

 ジェームズはゆっくりと身を起こし、猫っ毛の金髪がはねている頭を無造作にかき回した後、ダミアンを振り返った。

「どうかしたの?」

「ううん…ずっと起きてこないから、ちょっと心配になって…」

 ぼそぼそ言いながら近づくと、ベッド脇の小さなテーブルに置かれた食事の盆に目をやる。スープや柔らかいオムレツは半分ほどなくなっているが、固形物はほとんど手をつけられていない。

「起きようと思えば起きられるんだけれど、何だか億劫と言うか…体の芯がだるくてね…眠気が取れないのは、たぶん薬の副作用だと思うんだけれど―」

「熱は?」

「相変わらずの微熱だよ」

 あまり気のないジェームズの返事を聞きながら、ダミアンは急速にこみ上げてくる不安を意識したが、直視したくない現実からはあえて目を逸らした。

「明日になれば、きっとよくなるよ」

「そうだね」

 ダミアンはジェームズのベッドによじ登ると、その膝の上に頭を乗せて、猫のようにまるくうずくまった。

「ねえ、ジェームズ、向かいの部屋のあれのことなんだけれど―そろそろ片付けないと臭いがやばくない?」

 ジェームズのしなやかな指先が頭を撫でる感触の心地よさに目を細めながらも、ダミアンは真剣に訴えかけた。

「オレにまかせてくれたら、今夜にでも綺麗に片付けるよ。ほら、ちょっと前に始末した、あんたに逆らった馬鹿な2人みたいに…」

 すると、ジェームズは放心したような眼差しを虚空に向けたまま、感情のこもらない声で淡々と呟いた。

「父さんは、僕のことを理解したことは一度もなかったけれど…少なくとも、僕を愛してくれていた。何の根拠もない盲目的な感情でも…僕が肉親から得られた数少ないものの1つだった。父さんがあのままずっと僕に騙されつづけてくれたら、よかったんだけれどね」

 ダミアンはぱちっと瞬きをした。何だか居たたまれなくなって、ジェームズの膝の上から起き上がるや、今度は両腕を彼の肩に絡めてひしと抱きついた。

「ごめんなさい。二度と言わないよ」

「謝ることなどないよ、ダミアン」

 ジェームズの声はいつもと同じ、凪いだ海のように静まり返っている。それでも時折、ごく小さな感情の泡が、深い水底から浮かび上がっては弾けて消える。

「オレさ、ジェームズが好きだよ」

 こんな直截的な言葉をぶつけることしかできない自分が、ダミアンはもどかしくて仕方がなかった。

 いや、こんなにも深く狂おしく、絶対的な感情を、そもそも言葉で表現しきれるものではない。

「分かっているよ。ありがとう」

「ジェームズが考えている以上に愛しているよ。あんたが望むなら、何でもするよ、本気だよ」

「そう」

 ジェームズは薄っすらと微笑んだようだ。ダミアンの白い髪に唇を押し付け、ごく低い声で囁いた。

「それなら、僕のことをずっと覚えていてくれ。僕がいなくなった後も、決して忘れないで―」

 呟いた後、頼むべき相手を間違えたとでもいうかのごとく頭を振って、ジェームズはダミアンの体をそっと押しのけた。

「ジェームズ…」

 ベッドから降りたジェームズは、テーブルの上から水の入ったペットボトルを取り上げ、グラスに注いだ。

「アイザックはどうしている?」

 いきなり話題を変えられてダミアンは一瞬戸惑ったが、日頃敵意を燃やしている相手の名前を聞いて、いささかむっとしながら答えた。

「あいつなら、いつものように、そこいらをこそこそと嗅ぎまわっているよ。別に屋敷を抜け出したり、誰かに連絡を取ったりする様子は今のところないけれど、あのまま自由にさせておくことには、オレはやっぱり反対だな。一度自分の仲間を裏切った奴だ。あんたのことも裏切らないとは限らない」

 ジェームズは、ベッドの端に坐って足をぶらぶらさせているダミアンを横目で見ながら、眉を軽く上げた。

「彼の服に盗聴器をしかけただろう? 昨日、僕に文句を言いにきたよ」

「あは。ばれたんだ」

「あまり行儀の悪いことをするものじゃないよ、ダミアン。僕の教育の仕方が悪いと思われてしまう」

「何だよ、それ」

 最高の冗談だというようにけらけらと笑い転げながら、アイザックの奴、後で脅しつけてやると、ダミアンは心に誓った。

「いつの間にか、こんな時間になっていたんだ」

 ジェームズはグラスを手に窓の所に行き、カーテンを開いて、外を眺めた。

「何だか、また時間を無駄にしてしまった気がするな」

 苦笑しながらグラスを口に運んで、水を飲む。

 いきなり、ジェームズは咳込んだ。喉を押さえ、何度も激しい咳をする。

「むせた?」

 ダミアンはちょっと眉を潜めて、身を2つに折って喘いでいるジェームズを見守ったが、すぐに慌ててベッドから飛び降りた。

「ジェームズ?」

 ジェームズの様子がおかしい。

「いや…大したことじゃ…な…」

 言い終えるより先に、ジェームズの手から滑り落ちたグラスが床の上で砕け散る。

 ダミアンは息を飲んだ。

 ジェームズは、グラスを取り落とした己の指先が小刻みに痙攣しているのを呆然と眺めている。

 ふっと、何とも苦い微笑みがジェームズの口元にうかんだ。

 手の指だけでない。やがて両脚までも彼の意思の制御を離れて震えだし、力が抜けた膝から崩れ落ちるように、ジェームズはその場に転倒した。

「ジェームズ!」

 ダミアンは悲鳴をあげて、床に倒れたまま自由にならない体をぎゅっと丸め、突然襲ってきた発作に耐えているジェームズに駆け寄った。

「ジェームズ、嫌だ、嫌…しっかりして!」

 すがりつくダミアンを、こんな時でも冷静なジェームズの手が押し返し、大きく見開かれた藍色の瞳がしっかりと見据えた。

「フレ…イを呼んで…くれ…早く…」

 がちがちと鳴る歯の間から押し出すようなジェームズの訴えに、ダミアンは涙目になりながらも瞬時に反応し、傍にあった電話に飛びついた。

(あなたがいなくなった時、オレにとっての世界は終わる―)

 たとえ何ものであっても、どんな姿に変わり果てようとも、ジェームズには生き続けてもらわなければならない。

 あれから4年経った今でも、ダミアンを支配し、動かす、見えない糸の先を掴んでいるのは、ジェームズ・ブラック、ただ1人なのだから―。 


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