ある双子兄弟の異常な日常 第三部

第5章 深淵に潜むもの

SCENE1


 紫がかった煙にかすむ広々としたサロンは、隅から隅までびっしり人で埋まっているように見えた。

 そこに集まっているのは十代の若者達がほとんどだが、中には目つきの鋭い怪しげな大人達も数人混じっている。

 アルコールやドラッグで酩酊し、異様にハイな状態になって騒ぎ立てているか、正体なく眠り込んでいるか、あるいは人前であるという羞恥心も忘れてソファの上で絡み合ってことに及びかけているという連中だ。

 ステレオから大音量で流されるロック・ミュージック。嬌声や笑い声の洪水。

 上気した人間の体臭と共に立ちのぼるマリワナやコカインの臭いが鼻を突く。

 サロンの入り口近くに、このパーティーの主催者と共に立ちながら、僕は嫌悪と軽侮に凍った視線を辺りに投げかけていた。

 すると、すぐ隣で小さな吐息をつく音がした。

 僕が振り向くと、淡い金髪の若者が退屈そうに肩をすくめ、ジャケットのポケットから取り出した古色蒼然とした懐中時計をぼんやりと眺めていた。

 やがて僕の視線に気づくと、彼は喉に手をやりながら、苦笑を含んだ声で話しかけてきた。

「ここはあんまり空気が悪いから、ちょっと部屋の外に出ようか。君も僕も、彼らに混ざる気は今のところないようだし」

 ジェームズ・ブラック。

 このひとつ年上の、一見人好きのする善良そうな顔をした少年に、僕は怒りに満ちた沈黙で答えると、彼と並んで、怪しくみだらな喧騒に満ちたサロンを後にした。

 丸天井から巨大なシャンデリアが垂れ下がった玄関ホールは先程のサロンよりはずっとましな状態だったが、それでも隅の暗がりに座り込んで放心した面持ちで紫煙を吐いている連中がいたし、ホールの左右に広がる幾つもの部屋の方からは興奮した複数の男女がたてる様々な物音、叫びやすすり泣きや笑い声が漏れてくる。

 聞きたくない音でも、僕の異様に発達した聴力ははっきりと捕らえてしまう。できるなら両手で耳をふさいで、それら不愉快な物音を遮断してしまいかったが、僕の反応をつぶさに見て取ろうとしているジェームズを意識して、動揺など微塵も覚えてはいないようなポーカーフェイスを装っていた。

 こんな吐き気を催すような乱痴気騒ぎの中に、つい数時間前までレイフがいたかと思うと、それだけで僕は、この呪わしい屋敷に火をつけて燃やしたくなるような衝動に駆られた。

 レイフは、『恋人』のハニー・ヘンダーソンに乞われるがまま、このパーティーに嫌々参加させられていたのだ。幸いレイフはドラッグには手を出していなかったし、他の参加者達からの猥褻な誘いにも乗らなかったようだが、あの今時珍しいくらいうぶで奥手なレイフにとって、ここは性に合わないどころかまさしく地獄だったろう。

 しかし、どうしてレイフがそこまで追いこまれるに至ったのか―その経緯を、多少は拳にものを言わせて洗いざらい彼に白状させてみると、僕はこみ上げてくる深い憤りに歯噛みしたくなった。

(ジェームズ…僕が相手にしなかったからといって、何の関係もないレイフによくも手出しをして―)

 体の脇に垂らした手を固く握り締めた僕を見守る、ジェームズ・ブラックの秀麗な顔に面白がるような笑みが過ぎった。

「そんなに不機嫌そうな顔をしないで欲しいな。僕は今夜君がこのパーティーに顔を出してくれて本当に嬉しい。正直に言うよ、こんなふうに君と2人でゆっくり語り合う機会を再び持てたなんて夢のようだよ」

「僕は、別にここに来たくて来たわけじゃない」

「そうだろうね。でも、君にはそうするしかなかった」

 ジェームズの揶揄に、僕は胸中に火の滾るのを覚えたが、かろうじて感情を抑え込んだ。

「ああ、レイフがこんなろくでもない連中の仲間にされていると知っては、兄としては黙っていられないからね」

「兄としては、ね」

 含みを持たせたその言い方が引っかかって、僕が足を止めて振り返ると、ジェームズの謎めいた目と目が合った。

 こんなふうに真っ向からジェームズ睨み合うのは、昨年ディベートのクラスで彼と一緒になった時以来ではなかったろうか。

 あのクラスの終了後、僕はなるべく彼と関わりを持たないように気をつけていた。

 生きた人間を駒として使ったゲームをしようなどと正気とは思えない提案で僕を誘ったジェームズ。彼は、人として根本的な何かが狂っている。

 しかし、学校でジェームズの姿を見かけることも少なくなり、彼の方から僕に新たな接触をしようとする動きもなかったことから、僕も安堵しかけていたのだ。

 あれは一時の気まぐれで、僕のことなどジェームズは忘れてしまったに違いない―そう思いたかった。 

 だが、実際には、ジェームズは用意周到に罠を張り巡らせ、まずレイフを手中に捕らえることで、こうして再び僕を手元に引き寄せることに成功した。

 この点は、彼に軍配があがったと言われても仕方がない。

 苦い思いを無理矢理飲み下している僕相手に、ジェームズは憎らしいほど平然として語り続けた。

「別に、僕はレイフ自身にはそれほど惹かれるものはないよ。ううん、初めは、君の双子の弟と思えば、少しは期待していたんだけれどね。でも、あれこれつつきまわしてはみたものの、残念ながら、君ほどの知性も思考力も複雑な人格も彼は持ち合わせてはいなかった。そんな弟でも、君にとっては馬鹿なところも含めて無条件に可愛くてならないんだろうな…片割れというのはそういう存在だものね」

「君に僕達の何が分かると言うんだ?」

「それがね、分かるんだよ、クリスター」

 ジェームズは僕の訝しげな眼差しを軽く受け流して、再び歩き出した。その手は先程取り出した金色の懐中時計を手慰みに弄んでいる。

 ジェームズの後ろに続いて、玄関ホールから2階へと続く大理石の階段に近づいていくと、アルコールとドラッグ漬けになった男女がくすくすと笑いあいながらそこに座り込んで、互いの体をまさぐりあっていた。

 しかし、階段の前で立ち止まったジェームズに彼らが気づいて振り返った途端、どろりと濁った目がはっと見開かれ、だらしなくゆるんだ顔に緊張感がみなぎった。

「どけ」

 ジェームズが短く命じるのに、彼らは一言の反論もなく立ち上がると、乱れた服を整えながらそそくさと階段から離れていった。

 ちらりと顔が見えただけなので定かではないが、女の方は、同じ学校の生徒ではなかったろうか。全米でも屈指の名門校の生徒がこんないかがわしいパーティーに参加しているなんて、嘆かわしい限りだ。

「どうしてなんだ?」

 こんな問いかけはジェームズを喜ばせるだけだとは承知していたが、あえて僕は、前を行く彼のピンと伸びた背中に向かって言葉を投じてみた。

「さっきの部屋の中にいた怪しげな男達は、麻薬の売人か何かだろう? 使われていたドラッグもマリワナだけじゃない、もっときついものもあった…参加者達の中には、軽い好奇心と遊びのつもりで手を出したのが、いずれ高い代償を払う羽目に陥る奴も出てくるはずだ。何の恨みもない他人を罠にかけ道を踏み外させて…一体何が楽しいんだ、ジェームズ?」

「彼らは自分の意思でここに来て、ああすることを楽しんでいるんだよ。別に誰かに強制されたわけでもない、嫌ならすぐに出て行けばいい。僕らが、あのぞっとする部屋から脱出してきたようにね」

「詭弁だな」

 少しも悪びれる所のないジェームズの言い草を聞いて、僕は忌々しげに吐き捨てた。

「それに、君はまだ僕の問いに答えていないぞ。君自身は、別に彼らに混じってドラッグやアルコールやセックスに溺れて我を忘れることには興味はないのに、なぜわざわざ場所を提供し、人を集め、違法なドラッグをばらまくような真似をするかということだ」

「うん、なかなかいい質問だね、クリスター」

 一瞬、僕はジェームズの肩を掴んで振り向かせ、その顔面に強烈な一発を食らわせてやりたくなった。

「ね、こちらに来て見てごらんよ」

 中国の大きな壷が飾られた踊り場で立ち止まり、階段の手すり越しに下のホールを見下ろすジェームズに、僕は無言で倣った。

 サロンの熱気と空気の悪さで気分が悪くなったのか、ふらふらした足取りでホールに出てきた数人が、そこでもまた乱痴気騒ぎの続きを始めている。

 別の部屋からは、半裸の男達が激しく言い争いながら飛び出してきて、ホールの真ん中で殴り合いを始め、それを見物にきた野次馬達がはやしたてていた。

「普段はどんなに取り澄ました顔をしていても、一皮剥けば、人間の本性なんてあんなものだ。だが、それでも退屈な外面よりは、よほど見ていて興味深いよ。そうだね、僕は、彼らのように異物の力を借りて自分を解放したいとは思わないけれど…人が我とも分からぬ衝動のままに自らの赤裸々な姿をさらけ出す様は、こうして眺める分には、なかなか愉快なものがある」

「つまり、抑制を解かれた人間の演じる痴態こそ、君を惹きつけてならないんだ? ちょっと悪趣味すぎやしないか?」

「まあ、そう非難めいたことばかり言うなよ。君だって、本当は興味がないわけじゃないだろう? 人の心の深淵に潜むものについて―」

 僕は眉をひそめ、改めて眼下の光景を眺め渡した。

 一体、これのどこが面白いというのだ。他人のこんな醜悪な姿を観察しても、不愉快な気分になるだけではないか。

 この中には僕の顔見知りがもしかしたら混じっていたかもしれないが、彼らがどこの誰で、どんな気持ちでここに集まったかなど、僕にはもうどうでもよく思われ、ドラッグに味をしめた彼らの行く末を案じる気持ちも一切失われた。

 僕は彼らを心底軽蔑していた。僕とは違う、存在しても無意味な連中だと切り捨てて、冷ややかに見下ろしていた僕の顔には、果たしてどんな表情がうかんでいたのか―。

 ふいに、何とも楽しげなジェームズの呟きが僕の耳を打った。 

「でもね、クリスター、僕が本当に興味をかきたてられるのは、あんな浅はかな連中ではなくて、一部の隙もなく作りこまれた君の中に抑圧され封じ込まれたものの正体なんだけれどね」

 その声にこもった親しげな響きは、僕を芯から震え上がらせた。

「完璧なものほど壊しがいがある」

 弾かれたように振り返る僕に、ジェームズは滑るような動きで近づいてきて、僕の顔に手を添え、唇に唇を触れさせた。

 ジェームズも背は高い方だったが僕の方がまだ上背があったため、僕にキスするため、彼は少し伸び上がらなければならなかった。

(この…!)

 この不意打ちに僕は一瞬またかっとなりかけたが、目の前にあるジェームズの目が薄く開いていて、それがひどく冷静に貪欲に、ショックを受けた僕の反応を窺っていることに気づいて、すぐに我に返った。

(僕を動揺させ感情をさらけ出させることで、自分が優位に立とうという魂胆か。だが、こんなことくらいで、僕はうろたえたりなどするものか)

 ジェームズに決して弱みなど見せるまいと、僕はほとんど意地になっていた。

 僕の唇を優しく挟むようにして触れているジェームズの唇は滑らかで冷たく、性的な興奮がそこから伝わってくることはなかった。

 僕はあえて逃げようとはせず、ジェームズに触れさせたまま、じっと彼の瞳の深淵を覗き込み続け、そこに潜む謎を探り出そうとしていた。

(何だか、魚類か爬虫類とでもキスしているような気分だな)

 僕がそろそろ疲れてきた頃、ジェームズはやっと身を引き、軽く首を傾げるようにしながら問いかけるように僕を見た。

「ジェームズ…」

 僕は手の甲で唇をぬぐい、溜息をついた。

「君の相手には、そろそろ本気でうんざりしてきた。いい加減、話の核心に入らせてもらうよ。なぜ君は僕に固執するんだ? どうして、そこまでして…君の忌々しいゲームにこの僕を引き込もうとする…? 僕は嫌だと断っただろう…君の考えには全く共感できない。そんな僕を無理矢理引き込んだところで、君にとって面白くもなんともない結果終わるだろう。どうしてもやりたいというなら、他をあたれ」

「君以外の誰が、僕と互角にやりあえるというんだい。それにね、君は僕と共感など出来ないと言ったけれど、その気になって正面から向き合えば、君と僕はちゃんと分かり合えると思うよ」

「まさか」

 確信を持って答えるジェームズと対峙しながら、僕の胸には言いようのない不安が広がっていった。

「僕には、君と響きあう所など全くない」

「それは君が僕から逃げていたからだよ、クリスター。僕を嫌悪するあまり、僕を遠ざけ、存在ごと頭から抹消しようとしてきた。本当は、僕を深く知ることが恐かったんだろう…僕に共鳴してしまうことがね。でもね、僕の方は、君が入学した直後から君に惹かれるものを感じて、君の事を色々調べ、観察し、深く考察してきた。敵を攻略するにはまず敵のことをよく知らなければならない。君がさぼっていた間に、その点について、僕は君より優位に立ってしまったよ。君の最大の弱みが何であるかも突き止めて、君が油断している隙に簡単に押さえてしまった。こうまでされて、僕から目を背け続けることなどできるのかな。さて、どうする、クリスター?」

 僕は眉間に皺を寄せてジェームズを激しく睨みつけた。

「…分かっていたつもりだけれど、やっぱり君はまともじゃない。人を人とも思わず、自分の目的のためには手段を選ばない。どうするだって? よくも、そんな問いかけができるな。ああ、確かに君の狙いは的確だったよ。よくもレイフをあんな目に合わせてくれたな…おかげで、僕はもう君のやることに目をつぶることなど出来なくなった。そう、僕は必ず君の手からレイフを守り通す…そのために闘う。これで満足か、ジェームズ? 僕という、君の退屈を紛らわせるための格好の玩具が手に入ったわけだからな!」

 僕が火を噴くように怒鳴りつけると、ジェームズは少し傷ついたような心外そうな顔をした。

「君のことをただの玩具だなんて…思ったことはないよ、クリスター。君は僕と対等な人間だ…僕がそうだと認める唯一のね。頼むから誤解をしないでくれ、僕は君を大切に思っているんだ。そう、ずっと探してきた人を、もしかしたら僕はやっと見つけることが出来たんじゃないかと…まだ確信はないけれど、すごく君に期待しているんだよ」

 ジェームズはどんなふうに言えば僕に分かってもらえるのかというように、もどかしげに唇を噛んだ。これが演技だとしたら天才だというような真実味が、その仕草や表情に込められていた。

「そうだね、分かりやすく言うと、僕は君と友達になりたいんだ。学校を卒業してしまえばそのうち疎遠になって友情も終わってしまう、そんな上辺だけの付き合いじゃないよ。唯一無二の親友、人生の相棒…僕の片割れとして、君が傍にいてくれたらいいなと思っている」

 僕は我知らず、ジェームズから一歩後ろに下がっていた。強烈な悪寒が足元からじわじわと這い上がってくる。

「僕を敵だと呼んだ舌の根も乾かないうちに、今度は友達扱いか…どういう了見で、そんな台詞が言えるんだ? 生憎だが、僕は君に一片の友情も感じない。第一、僕には―」

「自分の相棒はレイフだけだと言いたげだね。気持ちは分かるよ、僕も、昔はそうだったから」

 ジェームズの声にふと寂しげな響きが混じったのに、僕はふと気を引かれた。しかし、これもまた僕を引っ掛けようとする彼の罠かもしれない。

 警戒しながら僕が見守る前で、ジェームズは掌に乗せた懐中時計をしばし眺めた。

「そう、人は、失われた自らの半身を求めて、世界を彷徨う…」

 詠うように呟かれたジェームズの言葉に僕はぎくりとした。それは、僕が昔、まるで自分とレイフのことが書かれているようだとの感想を抱いた、プラトンの『饗宴』を引用したものだと分かったからだ。

 単にジェームズもあの本を読んでいたというだけのことか。それとも、僕にとって、あの記述が特別な意味を持っているということを知っていたのか。だが、どうやって?

 ジェームズを問いただしたい気持ちに駆られたが、下手にそうすると彼に自分の心の秘密をさらけ出してしまうことになりそうで、僕には一言も発するとは出来なかった。

 ゆっくりと目を上げ、階段の後ろの壁の上を漂い始めたジェームズの視線の先を僕は追いかけた。

 旧家の例に漏れず、この古い屋敷の歴史に登場したかつての主達を描いた肖像画や写真が、そこには数多く飾られている。やがて、その中の1枚にジェームズの眼差しはとまった。

 比較的新しい写真だ。この屋敷の正面玄関を背景に、1人の若い婦人とその左右に並んで立つ幼い2人の子供達が写っている―その子達の顔を見て、僕ははっと息を吸い込んだ。

「僕達は、互いに分かり合うことが出来る」

 目を瞬き、今見たものをもう一度確認しようとした僕の前に、ジェームズが立ち塞がった。

「これで君も、僕が真実を語っていると少しは分かってくれたかな?」

 僕が呆然となりながら顔を向けると、ジェームズはやはり、あの光の差さない藍色の双眸で僕を見返していた。

 僕の相棒? 片割れ? 違う。そんなことはありえない。

 ほとんど本能的な、凄まじい反発を覚えながら、僕は底知れぬ井戸を思わせるジェームズの瞳を覗き込んだ。

 瞬間、体中の血が凍りついた。

 僕がそこに見出したのは、黒々とした暗い深淵の中からこちらを見返す、他でもない自分自身の顔だったのだ。




 車でハイウェイを下り、少し進んだ辺りで前方に林を取り囲む高いフェンスに取り付けられたゲートが見えてくるのに、クリスターは長い悪夢から目覚めた気分で瞬きをした。

 ゲート脇の門衛小屋は無人だったので、クリスターはひとまず車から下り、鉄製の巨大なゲートに取り付けられたインターフォンのスイッチを押した。

 応答があるまで、クリスターはしばし待たなくてはならなかった。

 やがて、耳障りな雑音と共に通話状態になったインターフォンから人の声が流れてきた。

「ジェームズの友人のクリスター・オルソンだ。彼に取り次いでもらいたい」

 淡々とした声でクリスターが告げると応対に出た人物―年配の使用人らしい―は、アポイントメントは取っているのか、どういう用件かと追求してくる。

「…特別アポは取っていないが、ジェームズには僕が近いうちにここを訪ねてくるだろうと分かっていたはずだ。彼に確認してくれればいい」

 傲慢とも取れるクリスターの落ち着き払った声音に相手は一瞬沈黙し、それから確認のため屋敷の奥にしばし引っ込んだ。

 数分後、クリスターは開け放たれたゲートを通ってブラック家の屋敷に続く私道に車を走らせていた。

 手入れの行き届いた道の両側に広がる、こんもりと木々の茂った林の中を進むのは、なかなか気持ちのいいものだった。

 この先にある屋敷で待ち受けている人物のことを思い出さなければ、美しい景色に素直に感嘆できるだろう。

 程なくして林を抜けると、低い丘陵の懐に抱かれるようにたたずむ風格のある大邸宅が姿を現した。

 夏の眩しい日差しを受けて白く輝いて見える屋敷は鮮やかな丘陵の緑色とコントラストをなして、実には清々しく、美しい。

 しかし、そこにまつわる忌まわしい思い出からか、クリスターの目に、その屋敷は何やら得体の知れない瘴気を発している伏魔殿のように映るのだ。

(君とレイフの秘密を…僕は知っているよ、クリスター)

 またしても、あの優しいのに妙にぞっとする響きを帯びた声が蘇り、ねっとりとクリスターに絡み付いてきた。




「君達は、本当は恋人同士なんだってね」

 束の間ジェームズの瞳の呪縛に捕らわれていた僕は、その言葉を聞いた途端、頭から冷水を浴びせられたような心地で我に返った。

「…何の話だ?」

 さっぱり意味が分からないというような顔をして、用心深く問い返しながら、僕はジェームズの意図を読み解こうとした。

 ジェームズはこれまで、僕の知らない所で、僕に関してあれこれ調べていたらしい。一体、何を、どこまで正確に詳しく知っているというのか。

 意味ありげに僕にほのめかした後のジェームズは、異様に貪欲な瞳で僕の反応を観察していた。

 僕とレイフの2人だけの秘密について彼がどこまで確信しているのか分からないうちは、こちらからうかつなことは言わない方がいい。

 僕が押し黙っているので、ジェームズは更に追及を重ねた。

「君達2人は、兄弟で愛し合っている。双子だから仲がいいとか、一緒にいて当然とか、互いに意識しあっているとかいうように、周りの人間を欺いて、互いに許されない恋をしている。分かたれた双つ身への度を越した執着は、やがてはひとつになろうとする行為そのものに行き着くのかな。君達の間には何かありそうだと疑ってはいたけれど…さすがの僕もそこまで予想していなかったので、知った時はかなり驚いたんだけれどね」

 僕はぷっと吹き出し、ジェームズが最高の冗談を言ったというように笑い出した。

「なかなか想像力が豊かなんだな、ジェームズ。確かに僕とレイフは、昔から仲がよくていつも一緒にいたけれど、それをそんなふうに受け取る奴がいるなんて、全く信じられないな。あいつのことは可愛いけれど、恋人だなんて…確かに僕は同性愛にはそれほど偏見はないけれど、双子の近親相姦なんて、ちょっとどうかと思うよ」

 僕の笑いの発作が収まるまで涼しげに見守ると、ジェームズは感心したように頷いた。

「さすがに君はなかなか尻尾をつかませないね。君の半分でもレイフにしゃあしゃあと嘘を言ってのける厚顔さがあれば、こんな興味深い秘密を僕に知られることもなかったろうにね」

 僕は、背中に冷たい汗が流れるのを覚えた。

「レイフは話し相手としては退屈だったけれど、君との関係について僕に追及されているうちに、うっかりぼろを出してくれた。それだけでも、僕は彼を抱きしめて感謝のキスの1つでもしてやりたい気分だったよ。もちろんレイフも言葉では否定しつづけたけれど、彼は、君と違ってまっすぐで正直だからね」

「それは君の言いがかりだよ、ジェームズ。大方君がレイフを誘導しておかしなことを言わせたんだろう」

 内心動揺していたが顔色には出さずに答える僕に、ジェームズは肩をすくめた。

「そこまでしらを切るなら、取り合えず、そういうことにしておこうか」

 ジェームズはひとまず引き下がったが、僕の抗弁など信じていないことは明らかだった。

(少しばかりまずいことになったな…よりにもよって、こいつに僕達の秘密を知られるなんて―だが、それをねたに僕達をゆすろうにも別に証拠などあるわけでもない。ここは、頑として、ジェームズの思い違いだと押し通すしかないな。それにしても、ジェームズの態度は何から何まで気に入らない…僕とレイフの関係をあんなに嬉々として追及してくるなんて―)

 僕は、先程見つけた壁の写真に再び視線を向けた。ジェームズが懐かしげに眺めていたものだ。

「…それは、君の家族かい?」

 ジェームズの個人的なことなど本当は一切知りたくはなかったが、話題を変えるためにも、僕はあえて尋ねた。

「ああ」

 ジェームズは嬉しそうに唇をほころばせた。僕が彼のプライベートに関心を見せたことが嬉しいのか、それとも共通の話題ができたことを喜んでいるのか。

「そうだよ。僕の母と…小さい頃の僕と双子の妹のメアリ」

 確かに双子というだけあって、写真の中の幼い兄妹は驚くほどによく似ている。まだ7、8くらいだろうか。その年頃では性差ゆえの肉体的な違いもまだ表われてはいない。

「妹が…いたんだ」

 真綿でゆっくりと締め付けられるような胸苦しさを覚え、僕は喉もとに手をやった。訳もなく、実に嫌な気分がこみ上げてきた。

「11歳の時に、事故で死んでしまったんだけれどね」

 ふいに、ジェームズの顔がうつろになり、涼しげだった声も暗く沈んだ。

 11歳かと、僕は胸のうちで呟いた。その年頃の自分とレイフは一体何をしていたのかなと2人の子供時代に思いを馳せていた。

 僕が懐かしい思い出をひそかに蘇らせている一方で、ジェームズもまた過去の追憶に浸っているようだった。

「僕達兄妹はとても仲がよかった。当然のようにいつも一緒にいたし、片割れの姿が傍に見えないと不安になって見つかるまで屋敷中を探し回ったものさ。そんなふうだったから、僕達があまり固くついていることを好まなかった母も、僕達がひとつの子供部屋を共有することをしばらくは大目に見てくれていた。それでも、やがて10才を迎える頃になると、兄妹が同じ部屋で眠るのは適切ではないとの理由で僕らは引き離されることになった」

 何やら聞き覚えがあるような話に、僕は眉をひそめた。これはまるで思春期を迎えた頃の僕とレイフの物語にそっくりではないか。

 いや、これもきっと僕を動揺させるためのジェームズの作り話に違いない。そう自分に言い聞かせ、僕は冷静さを保とうとしたが、目の前にあるそっくりな顔をした幼い子供達の写真を見ていると確信が持てなくなってきた。

 こうなると、完全に心を遮断することなどもう出来なかった。ジェームズの愛惜の念のこもった声によって紡がれる物語は、用心深く構えていたはずの僕の胸に蛇のようにするりと入り込んでくる。

「当然ではあったんだけれどね…その辺りから、僕は男に、妹は女の体に変わっていったし、物事の感じ方や考えにも差が出てきた…以前は簡単に通じ合った心がいつの間にかお互い分からなくなっていった。次第に遠ざかり、自分を映し出す鏡でなくなっていく相棒を見るのはなかなか苦痛なことだったよ」

 僕は、ゆっくりとジェームズの方を振り向いた。

 迷い混乱している僕の顔をジェームズは正面から見つめ、満足そうに頷いた。

「ほら、君も今、僕に深く共感しただろう、クリスター? 実際、僕達には似ている点がたくさんあるんだよ。もしかしたら、見た目は君にそっくりだけれど中身は似ても似つかない、あの弟君よりも。ねえ、クリスター、君の気持ちなど分かりもしない、鈍い相手に君はこれまで散々失望させられてきたんじゃないのかな?」

 たちまち僕の顔に浮かび上がった険悪な表情に、ジェームズはまずいことを言ったかなというように口をすぼめた。

 僕は頭を振りたてて、束の間手離しかけた平常心を再び取り戻した。

「ジェームズ…僕が君の話を鵜呑みにして信じると思うのか? もしかしたら君はいくらかの真実を語っているのかもしれないが、僕にはそんなことは確かめようもない。子供部屋の話だって、君がレイフから引き出したものを使っただけかもしれない。第一、君が子供の頃に妹を喪って、その悲しみを今でも引きずっているとしても、僕には全く関係のないことだ。君は、自分の都合よく脚色した話を聞かせて僕の共感を引きずり出し、それによって僕をうまく操ろうという魂胆ではないのか」

「君は、本当に素直じゃないね」

 ジェームズは呆れ返ったように溜息をついた。

「君が信じようが信じまいが、僕は君に一応伝えた方がいいかなと思ったから、話したまでだ。聞きたくなかったなら、聞かなかったこととして忘れてしまえばいい。だけどね、クリスター、僕のことを分かりもせずに僕に勝てるなんて、思い上がらないことだよ」

 ジェームズは端正な薄い唇を歪めて、僕の頑なさを冷たく嘲笑った。

「君は、僕の仕掛けたゲームにのると言った。しかし、君が僕を本気で葬り去りたいなら、僕に近づき、僕の心の深淵を覗き込んで、そこにあるものをまず理解しなければならない。そうする勇気さえあれば、君には、それほど難しいことには思わないけれどね」

 すっと細くなったジェームズの藍色の瞳の奥に小さな赤い火花が散るのを、僕は煮えたぎる闘争心をもう隠しもせずに睨み返した。

(こんな奴が、僕に似ているはずがない。僕の相棒はレイフだけだ)

 そんな思いはジェームズにも伝わったのだろう、彼は妖しく、更に明瞭に笑った。

「いずれ、君は認めるしかなくなるよ」

 そうぽつりと呟くと、ジェームズは放心したような表情になり、手の内の時計を確かめるように握り締めた。

「…その時計は?」

 ジェームズのことなど知りたくもなかったはずが、純然たる好奇心から、うっかり僕は尋ねてしまったのだが、すぐ後でそのことを後悔した。

「ああ」

 僕の言葉にジェームズは夢から覚めたように瞬きをして、掌の懐中時計を見下ろしながらしばし考え込んだ。

「そうだな、せっかくだから、君にだけは見せてあげようか…僕の秘密の宝物なんだ」

 ジェームズが手招きするのにためらいつつも僕が近づくと、彼は古風な時計の蓋を開けた。

「これは僕の曽祖父がボストンの有名な時計屋に作らせたものなんだけれど、蓋の部分が二重になっていて、ちょっとしたものを隠せるようになっているんだ」

 ジェームズが蓋の縁を軽く指先で押さえると内蓋が外れ、中から奇妙なものが出てきた。

 1センチくらいの長さの白茶けた細い枯れ枝かと初めは思ったが、よく観察してみると、何かの骨であることが分かった。

「妹なんだ」

 僕の耳元で囁くジェームズの声は、とっておきの秘密を心許せる親友に打ちあける時のような無邪気な喜びに満ちていた。

「メアリが死んだ時、僕はどうしても彼女と離れがたくて…埋められてしまう前に、彼女の小指の先をこっそり切り落として形見としてもらったんだよ」

 全身を凍りつかせた僕が声もなく見守る前で、ジェームズは再び骨を蓋の内側に封じ込め、その時計を耳に押し当ててうっとりと目を閉じた。

「彼女がこの世界からいなくなってしばらくの間、僕は悲嘆に沈んだけれど、こうしていると不思議と心が静まった。時計の規則正しい音って、心臓の鼓動にどこか似ているんだよ。規則正しく針が刻む音は、あの子の小さな骨を震わせている…骨の啼く音を僕は聞いている。音というのは共鳴によって鼓膜にまで届き、その内側にある小さな小さな骨を震わせて内耳に伝えられ、そこで初めて音として認識されるんだ。魂の不滅など僕は信じていないし、子供じみた感傷もとうに過ぎ去ったけれど、今でもこうしてメアリのたてる音を聞けるなんて素敵だよ。それに、生身の彼女が僕の傍にいないことは今でもやっぱり寂しいけれど、同時に安心もできるんだ。死んでしまったおかげで、僕は彼女が変わっていくのをあれ以上見ずにすんだわけだし、それに、メアリはもう僕以外の誰のものにも永遠にならないわけだからね」

 ジェームズの瞼がまるでかちりと音でもたてそうな素早さで開き、黒々とした瞳が動いてこちらを見たのに、僕は思わず後ずさりしそうになった。

「そうだ、許されない恋に身を焼くくらいなら、いっそ君も僕に倣ってみたらどうだい、クリスター? きっと、楽に、なれるよ」

 ぞっとする示唆を含んだ言葉に身の毛がよだったが、その恐怖さえ凌駕するほどの怒りに僕は瞬く間に満たされていった。

 まるで捕まえた獲物を弄ぶ猫のように、自分の優位を確信したジェームズは、僕をからかい、動揺させ、急所を突きまわして遊んでいた。どこまで本当か知らないが、わざわざ自分に関する情報を僕に与える余裕さえ見せて。

 ジェームズが他の誰でもない僕を選んだ動機には、彼がほのめかしたように、何かおぞましい裏があるのかもしれないが、それについて考えてみてもジェームズの思う壺にはまるだけで、僕にとって利点はあまりなさそうだ。ならば余計なことに気持ちを取られまい―そう自分に言い聞かせ、僕は改めて、ジェームズに向き直った。

「ジェームズ」

「うん?」

「君が本当は僕に何を求めているかなど、知るものか。要は、どんな手段を用いても、君を僕とレイフの前から永遠に消し去ってしまえればそれでいい。遊び半分で僕をこれだけ怒らせ、闘いなど挑んだことを必ず後悔させてやる」

 敵意と反感と憎しみ以外の感情を覚えることを一切拒否して決然と宣言する僕を、ジェームズはしげしげと眺めたかと思うと、収まりの悪い金髪に手をやりながら捉えどころのない微苦笑をうかべた。

「ああ。それは楽しみなことだね、クリスター」

 そうして、その夜、僕はおとなしく彼の屋敷を後にした。

 後から振り返れば、ジェームズに対する僕の嫌悪感と反発ぶりは度を越していたと思う。だが、彼と接していると、僕は魂の奥底から込み上げ迸る否定的な感情をどうしても抑えられなかったのだ。

 親しげに僕を相棒と呼び、僕達は似たもの同士で、その気になればちゃんと分かり合えるなどとジェームズは言った。(受け入れられるはずがない)

 それにもまして、ジェームズが双子の妹について語る姿は、歪んだ鏡に映る僕自身を見るようで、とても正視できなかった。(僕は彼とは違う)

 ジェームズがどうあっても僕を捕まえて離そうとしないなら、自分の歪んだ鏡像など見たくない僕は、彼をこの手で叩き壊すしかない。

 僕が父の銃を持って、改めてジェームズのもとに乗り込んだのは、それから1週間後のことだった。




(あの夜を境に、僕はジェームズとの闘いを…ゲームを始めた。あいつの挑発に乗ったことが結果的によかったのか、まずかったのか、今では迷うところだが―僕は結局歯止めがきかずやりすぎて…それどころかゲームそのものに夢中になっていった…結局僕は彼の見込んだとおりの人間だった訳だ。そうして、僕のそんな暴走ぶりが余計にジェームズを煽ってその狂気に火をつけたような気もするし…いや、あいつはもともと狂っていたのだから、僕が少しくらい手加減したところで結果は同じだったとも思える。どんな形であれ僕が勝てばあいつの僕への執着は増しただろう…だが、もし僕があいつの望むように負けていたとしたら―あいつは結局僕をどうするつもりだったのか)

 クリスターが車を母屋の前廊の前に車を止めると、彼の到着を待ち受けていたらしいきちんとした身なりの年配の使用人が近づいてきた。

「ご案内いたします、クリスター・オルソン様。ジェームズ様がサロンにてお待ちです」

 屋敷のロビーに足を踏み入れた途端、過去にここを訪れた時の強烈な印象が打ち寄せてきて、一瞬圧倒されたクリスターは思わず立ち止まった。

「オルソン様?」

「いや、何でもない」

 うろんそうに振り返る使用人に鷹揚に頷き返すと、クリスターは気を取り直して、再び歩き出した。

 大理石の階段の下を通り過ぎながら踊り場の方を見上げると、あの時と変わらず、壁には大小さまざまな肖像画や写真が飾られている。

 幼いジェームズと失われた彼の半身の姿もそこにまだ残っているのだろうか。

 扉を大きく開かれたサロンの中からは複数の人間達のたてる話し声や物音が聞こえてきた。

「ジェームズ様、お客様をお連れしました」

 天井の高いサロンにクリスターが入った瞬間、そこにいた者達の視線が一斉に彼に集中し、同時に、それまで部屋に満たされていた談笑がぱたりとやんだ。

 はりつめた空気の只中で、クリスターは顔色も変えずに泰然と佇んで、さり気なく素早く周囲に視線を走らせた。

 革張りのソファや肘掛け椅子がそこかしこに置かれた広大なサロンには、十代の若者ばかりが集まっていた。

 暖炉の前のソファの周りにいる者達には、クリスターが見覚えのある顔も幾つか混じっている。ジェームズに感化されたアーバン高校の生徒や、彼の逮捕に伴って退学処分を受けたもと生徒だろう。

 サロンの奥にはまた別のグループがいて、こちらにはクリスターの知った人間はいなかった。初めの連中よりももっと若い、中にはどう見てもローティーンの少年も混じっているが、目つきは鋭く、どことなく物騒な尖った雰囲気を漂わせている。

 どちらも、ジェームズの現在の取り巻き、あるいは配下だろうが、出自や育ちが違うことが一目で分かる彼らはそれぞれ派閥を作っている様子だ。

「クリスター?」

 喜びに弾んだ声が響き渡るのにクリスターが先程の暖炉の前の辺りに視線を戻すと、こちらに背中を向けてソファに坐っていた1人の青年が立ち上がって、信じられないといった表情で振り返った。

「本当に、ここまで来てくれたんだ」

 ジェームズ・ブラックは軽く首を傾げるようにしてクリスターに微笑みかけた。

 その顔を見た瞬間、みしりと、クリスターの胸の深い場所で何か凄まじいものが目覚め、身じろぎする気配がした。

「空々しいことを言うなよ。僕がこうすることは君には分かっていたはずだ」

 クリスターが唇の端を僅かに吊り上げて冷めた口調で答えると、ジェームズの顔にうかぶ微笑はますます深くなった。

 ジェームズはクリスターをひたと見据えたまま、滑るような足取りでゆっくりと近づいてきた。彼が片割れとも呼んだ仇敵に近づく一歩一歩を味わうかのごとく。

 すると、ジェームズの近くに控えていた見事な体躯の男が、慌てて、その後を追ってきた。かつてはクリスターと同じフットボール・チームで活躍した選手だった。ジェームズに付き従ったがために停学処分を受けたものの、最近になって復学したフレイだ。

 今でもジェームズに忠実なのは変わらないようだ。彼はジェームズを後ろに庇うようにしながら、威嚇を込めてクリスターを睨みつけた。身長は2メートルを超え、鎧のような筋肉に覆われた逞しい体と比較すると、クリスターですら華奢に見えるほどだ。

「相も変わらずいい度胸だな、クリスター」

 低い声ですごむフレイの瞳には敵意と警戒心がみなぎっている。かつてここで行われた伝説的な一騎打ちを目の当たりにした1人として、クリスターがジェームズにあの時と同じような常軌を逸した勝負を強いるのではないかと疑っているのだろう。

「フレイ、退いてくれ」

 しかし、主であるジェームズがやんわりとたしなめたので、フレイは不承不承ながらも後ろに下がるしかなかった。

 サロンにいる他の連中は、何が起こるかと固唾を呑んで見守っている。

 そうして、クリスターとジェームズ・ブラック―J・Bはおよそ1年半ぶりに対峙した。

 大きく見開かれたジェームズの目は今、クリスターの全身をとらえている。

 クリスターは顔色ひとつ変えず冷静沈着を装っていたが、ジェームズには彼の肌から立ち上る熱や昂揚のあまり早くなった心臓の鼓動、今にも獲物に襲い掛かる肉食獣めいて体中の筋肉にぐっと力が込められていることが分かっただろう。

 実際、仇敵を目の当たりにしたことで刺激されたのか、ここしばらく静まっていたはずの内なる破壊衝動が一気に目覚め、それを抑えるのにクリスターは密かに苦労していた。

「…大人っぽくなったね、クリスター

 ジェームズは目を細めるようにしながらしみじみと言ったかと思うと、ゆるやかに腕を伸ばし、親愛の情のこもった仕方でクリスターを抱擁した。

「会いたかった」

 万感胸に迫るような囁き。クリスターの背中に回されたジェームズの腕に力がこもる。

「僕もだよ、ジェームズ」

 ジェームズにあわせるようにクリスターもまた彼の肩をぐっと引き寄せ、金色の柔らかな髪に頬を押し付けながら、その耳に低い声で囁いた。

 この光景を見守る一同がはっと息を飲み、当惑の視線を交わしあい、信じがたいものを見たかのように凍りつく。

 それも無理のないことだ。クリスターとJ・Bの過去の経緯を知る人間ならば、この虚虚実実の言葉や態度の応酬に背筋がぞっと冷えたことだろう。

(僕を待っていたのか、僕に会えてそんなにも嬉しいか、ジェームズ…そうだな、ある意味では僕も…君との再会を喜んでいるようだ。君の全てを嫌悪し、激しく反発しながらも、もう一度君と闘える日を僕の一部は待ち望んでいた…だが、こんな歪んだ関わりあいは、いつまでも続けられるものじゃない。だから、これでもう最後にしよう)

 煮えたぎっているくせに妙に芯の冷たく冴えた心で、クリスターは誓った。

(今度こそ僕は…二度と戻ってこられない場所に君を葬り去ってやる)

 それぞれの思惑を胸に秘めながら、クリスターとジェームズは、唯一無二の親友との再会を演じるかのごとく固く抱きあっている。

 腕の中の宿敵が喉の奥で不吉な笑い声をたてるのを聞きながら、クリスターは激しい輝きを秘めた琥珀色のすっと目を細めるのだった。


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