ある双子兄弟の異常な日常 第三部

第1章 終わりの始まり

SCENE1


「SET…HUT!」
 ビリビリと全身を走る心地よい緊張感。
 溜め込んだエネルギーは、攻撃開始の合図と共に一気に爆発した。
 待ちに待ったフットボールの開幕戦、敵は強固な重量級ディフェンス陣で知られ、州大会決勝まで行ったこともある強豪ヒル高校。ここ二年で実力をつけてきたうちのチームとは何かと因縁のある、嫌な奴らだ。
「レイフ!」
 この作戦での相棒トムを守る格好で、オレは、敵チームのディフェンス・ラインの間に僅かにあいた『穴』に突っ込んだ。
 いきなり真ん中から抜いてくるとは思ってなかったのか、浮き足立った連中が2人ばかり吹っ飛んだが、それでもオレは止まらずに猛烈なランをかける。
 観客席からわっと歓声が上がる。
(このオレをとめられるものなら、とめてみやがれっ)
 オレが陸上競技の百メートル、二百メートル走で州チャンピオンに輝いたのは二年前の話で、体がでかくなった分タイムは落ちたが、充分超高校生クラスのスピードに今では生半可なディフェンスでは当たり負けしないパワーが備わっている。
 ボール・キャリアーのトムをつぶそうと突進してくる連中をなぎ倒しながら、ついにぶつかったのが、ヒル校フットボールチームのエース、大型ラインバッカーのニック、通称マウンテンゴリラ。
(こいつには負けたくない)
 いつ見ても大型類人猿を思い出させる、そいつの口が嫌な笑いに歪んだのに、オレの頭の中で何かが切れた。
 スピードでこいつを翻弄することは、オレにとっては難しくない。だが、そうしたくはなかった。
 こいつには今でも忘れられない恨みがある。高校一年目ですぐにレギュラー入りしたオレ達兄弟の初試合、反則スレスレのプレーでわざとクリスターに怪我をさせやがった。
 ゲームに怪我は付き物だとクリスターはクールに笑っていたけれど、オレには納得できなかった。
(今度はお前もつぶしてやるよ、兄貴のように)
 結局オレ達は初戦敗退し、悄然と肩を落とすオレにニックはこんな捨て台詞を残しやがったのだ。
 その後も、練習試合などで対戦する度に、ゲーム以外の所でもオレの神経を逆なでしやがる。
 挑発に乗ればそれこそ相手の思う壺だとあくまで冷静なクリスターと違って、確かにオレは頭に血が上りやすい。逆上したまま突っかかっていって奴に潰されたことも一年ボーズの時は何度もある。
 しかし、去年、一年目の苦い経験から少しは学んだ次のシーズンでは、オレは持ち前のスピードと磨きをかけたテクニックを駆使して、タックルをしかけるニックに触らせもしなかった。オレ達アーバン校は強豪ヒル高校を破り、州大会準決勝まで行った。
 だが、まだ、このゴリラに完全に勝ったわけじゃない。一度はぎゃふんと言わせてやらないと気がすまない。だから―。
(今度は、力でおまえを撃砕してやるよ) 
 もともと大柄だったオレだが、高校に上がってもしつこく背は伸び続け、今じゃ百九十センチをゆうに越えている。スピードが命のランニングバックとしては立派過ぎるくらいだ。このゴリラのニックだって、普通に立って見下ろせるし、パワーも互角のはずだ。
 今は別にオレがボールを持ってるわけじゃないし、それに詰まる所、これも作戦の一部だ。
(勝負!)
 オレは体をぐっとたわめると全力でニックに向かって突っ込んでいった。
「うおぉぉっ」
 上体を傾け、ニックの懐深くに肩から飛び込む。さすがに壁のような圧力が返ってきたが、構わず力でねじ込み、一気に押し上げた。
「どけぇぇっ」
 ゴリラの巨体が足元から揺らいだと思った、次の瞬間には横ざまに転倒した。
「ざまぁみやがれっ…おわっ?」
 快哉を叫ぶまもなく、オレはニックに足を払われ、奴の上に転倒した。もしかしたら、これもわざとだろうか。
(痛っ)
 ドサクサ紛れに、ニックの奴、オレに肘鉄を食らわせやがった。胸に鋭い衝撃を覚え、オレは一瞬息が止まるかと思った。 
「ボール・キャリヤーをとめろっ」
 ニックがオレをフィールドにねじ伏せるようにして起き上がりながら、叫ぶ。
(トム?)
 一瞬、オレはひやっとした。あいつは、足は速いがそれほどパワーはない。もし、ヒル校のパワーディフェンスにはつかまったら―。
 だが、そんな不安は杞憂に過ぎないということは、すぐに分かった。
 小柄なトムはしっかりボールをキープしながら敵味方が押し合う只中を駆けていく。そして、その後ろにいつの間にかぴたりとついていた、アーバン校『ブラック・ナイツ』の黒いユニフォーム、背番号一。
「クリスター!」



 そう、全ては予め立てていた作戦通り―。
 なだれこんでくる敵ディフェンスの波が届く前に、トムは、ぴたりと横に追いついた僕にボールを渡した。
 トムに気を取られていたディフェンスは瞬時に対応できなかった。
 そして、僕は一気にディフェス陣を振り切り、広々としたフィールドをまっすぐにエンドゾーン目指して駆け出す。
「追いかけろっ」
 もう遅い。
 この状況では、僕のスピードに、彼らの足では追いつけない。
 フットボールの勝敗の大勢は、試合の前に既に決まっていると言う者もいる。相手チームの能力を分析して綿密な戦略を立て、また状況に応じて戦術を組み直す。『フィールドのチェス』とも称されるほど、これは高度に知的なゲームなのだ。
 頭脳プレイという観点からも、僕は、初めから彼らに負ける気などしなかった。
 第四クォーター。残り試合時間はもうほとんどない。三十四対十四と点差がこれだけある今、このままボールをキープするだけで、勝利は確実だが、僕は、ゲームをする以上最後まで手は抜かない主義だ。
 ゴールまで約三十ヤード、僕は一気に駆けぬけた。
「タッチ・ダウン!」 
 試合を見守る観客達が一斉に立ち上がり、歓声が怒涛のようにフィールドに響き渡る。
 そして、試合終了を告げるホイッスルが鳴った。
(フィリップス・アーバン高校、ブラック・ナイツ、エースQBクリスター・オルソンが最後の追加点をあげ、四十対十四の大差勝ち!)
 途端に、ふっと張り詰めた神経が緩んだ。
 ボールを手にしたまま、僕はしばしエンド・ゾーンに佇み、周囲を茫洋と眺めた。
 割れんばかりの拍手も低い潮騒のようなざわめきも、どこか他人事のように現実感がない。
「今年のブラック・ナイツは強いぞ」
「この分だと州大会優勝も夢じゃないかもな」
 そんな声の聞こえた観客席を、僕は肩越しに冷たく振り返った。
 夢なものか。
「やったぁぁっ。か・ん・ぺ・きな勝利っ。完勝じゃんっ」
 遥か後ろの方で聞きなれた、妙にハイ・テンションの大声が上がるのに、僕は軽い眩暈を覚えた。
「どうだ、見たか、オレ達の実力を! 何が優勝候補だ。もう、これからはお前らなんかに大きな顔はさせないからなっ。おまえらなんか、ただ重いだけのマグロだ。マグロは潔く海に帰りやがれっ」
 それは一体どういう意味なのかと、素直に疑問を覚える。
 先程までニックと一緒に沈没していたはずのレイフは、まだ暴れたりないといった様子で、ヒル校の連中の周囲を飛び跳ねながら相手を盛んにからかっている。
 体の小さな小中学生が同じことをやったら、可愛くも、微笑みを誘いもしたかもしれないが、あの体格でやられると―かなり痛い。
 しかも、僕とそっくり同じ姿をしているときては、まさに悪夢だ。
 責任上、『あれ』をとめなければと感じた僕は、フィールド上で見事なバック転まで決めて観客達をどよめかせ、テンションが上がる一方の弟の方へ歩きだそうとした。
 僕の怒りにも気づかず、レイフはまだ敗者を挑発するのをやめない。ついには、すごすごとサイドラインの向こうへ去っていこうとするヒル校連中を見送りながら、腰に手をつき大笑いまでした。
「正義は勝つ。ざまぁみろっ、わはははっ!」
 調子に乗りすぎだ。馬鹿。
 もう限界だと感じた僕は、ボールを右手に持ちかえるや素早く狙いを定め、投げた。
 僕の投じたボールは、背中をのけぞらせて大笑いしていたレイフの頭に見事にあたって、はねかえった。
「すげっ、この距離からよく当てたな。てか、大丈夫か、レイフの奴」
 僕の傍まで駆け寄ってきたチームメイトがびっくりして言った。
「手加減はしているよ。軽い球だ」
 レイフはふらふらとよろめいたかと思うと、数瞬の間意識が遠のいたのかぼうっと立ち尽くした。
「いてーっ、何すんだよっ」
 転瞬、レイフはきっとなって体を反転させると、ゆったりと歩いていく僕に向かって中指を突き立てる仕草をした。
「このクソ兄貴っ。投手が人の頭狙って球投げんなよっ。馬鹿になったら、どうしてくれるんだっ」
 昂ぶる気持ちの矛先を僕に向けながら、レイフは頭をガードしていたヘルメットを外し、それを僕に投げつけたいかのように振り回した。だが、その顔は明るく笑っている。
 大きななりをして、はしゃぎまくる子供のようだとまたしても溜息をつきたくなったが、そんな弟が今度はなぜか可愛く見えた。
「それ以上馬鹿にはならん。安心しろ」
 僕は今シーズンの初戦に勝利をおさめて沸き立っているチームメイト達の間をまっすぐ弟に向かって歩いていった。
「ひっでぇな」
 不貞腐れたように唇を尖らせるレイフの前で足を止め、僕は思い出したようにヘルメットを取り、汗に濡れた頭を振った。
 熱を持った頬に吹き付ける風が心地いい。フィールドのざわめきも、さっきよりも、ずっと身近に聞こえる。
 全てが現実らしくなってきた。
「何、ぼんやりしてんだよっ、クリスター」
 いきなり顔を覗き込む弟に僕ははっと息を吸い込んだ。
「レイフ」
「ん?」
「試合中に闘争心を燃やすのは構わないが、ゲームが終わったらつまらないわだかまりは全て忘れろ」
「んん、だってさぁ。諸々の因縁を別にしても、いちいち、腹が立つ奴なんだから仕方ないじゃん。ほんとは、タコ殴りにしてやりたいくらいだけど、兄貴に叱られるといけないしー、あれだけで許してやったんだぜ。別にいいじゃん、勝ったんだから」
「僕が言いたいのは、彼らに限らず、敵の挑発にいちいち乗るなということだ。いつも言ってるだろう? もっと自分をコントロールしろ」
「ああ、もうっ、今だけはお説教は勘弁してくれよっ」
 レイフは面倒くさそうに頭をかきむしると、一転じゃれかかるように僕の首に腕を巻きつけてきた。
 レイフの汗のにおい。まだ燃焼したりないかのような体から伝わる、熱―。
 じわじわと、勝利というリアルが僕の胸にも広がっていった。
「なあなあ、クリスターだって、ほんとは嬉しいくせに。待ちに待ったシーズン到来だぜ。クールぶってないで、素直に笑えよ」
 ぐいぐい首をしめつける馬鹿力に僕はちょっと顔をしかめ、レイフをたしなめる言葉を更に言いかけた。だが、目の前で屈託なく笑っている彼の顔を眺めていると、何だか気をそがれて、結局別なことを言った。
「僕だって、もちろん嬉しいよ」
 こんなにも晴れ晴れとしたレイフの顔を見るのは久しぶりのような気がした。それほどにフットボールのシーズンを待ち焦がれていたのだろう。
 無邪気で素直で闊達な本来の弟(レイフ)が戻ってきたようで、嬉しくて、気がつくと僕も微笑んでいた。
「ああ、やっぱり、オレ、好きだなぁ。陸上も柔道も好きだけど、やっぱ、フットボールが一番いいや。それで勝てたりなんかしたら、もう最高。こんなに気持ちのいいことってない」
 レイフは汗を手でぬぐいながら、ふと空を振り仰いだ。
 雲ひとつない秋の空は眩しいほどにどこまでも晴れ渡っている。
「…今年は、どこまで行けるかなぁ」
 目を凝らして、遠い何かを追いかけるかのように無心に見つめる、レイフの瞳に空の青が映っている。
「おまえは、どこまで行きたいんだ?」
「もちろん」
 何の衒いもなく、レイフは応えた。
「どうせなら、一番てっぺんに立ってみたいよ。きっと、すごく気持ちいいから」
 僕は頷いた。
「そうだね」
 レイフをまねて、僕も涼やかな秋の空を見上げる。
「頂上まで勝ち登ってやろう。僕と一緒に」
 レイフの瞳に映るのと同じ空の青に目を凝らしながら、僕は込み上げてくる喜びに身震いしそうな体を抑えるのに密かに苦労していた。
 僕達が17才の秋―。
 今年もレイフと同じ目標を追えるという喜びを味わいながらも、一方で僕は、いつまでこうしていられるはずがないという予感をひしひしと感じ取ってていた。


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