ある双子兄弟の異常な日常 第二部
第2章 さびしい半分
SCENE6

 金曜日。双子達の両親は、ラースの親友の葬儀に参列するため、一泊の予定でカリフォルニア州へと向かった。
 その日の朝、しっかりもののクリスターにレイフのことは任せて、意気消沈のラースと彼を励ますようにして家を出て行くヘレナを、双子達は見送った。
 レイフは、できれば彼らを引き止めたくて仕方がなかった。
「帰るのは明日の夜遅くになるけれど、大丈夫ね、クリスター?」
「うん。僕達のことは心配しないで、母さん。父さんも、気をつけて行ってきてね」
 心細いレイフとは違って、クリスターは平然としている。両親を玄関先で送り出した後は、母親の代わりは自分だと言わんばかりの態度で、ぐずぐずしているレイフを奥のキッチンに追いやった。
「ほら、そんな不安そうな顔をしていないで、僕達も早く食事をすませてしまおう。学校に遅れるよ」
 別に両親がいなくなるから、レイフは不安な訳ではない。この家で兄と二人きりで過ごさなければならないことが、気詰まりなのだ。
「そんなにオレのことを構うなよ。うるさいぞ、兄貴」
 レイフは、クリスターの腕を振り払うようにして、テーブルに着いた。黙々とチョコレートシリアルをかき込み、食べ終わると、すぐにリュックを引っつかんで、クリスターを置いて先に家を飛び出した。
 レイフは意図的にクリスターを無視したのだが、クリスターは何も気づかないふりをして、いつもどおりに振舞っている。クリスターのああいうところは、今更ながら腹が立つなとレイフは思った。
 あれだけのことがあった後で、何も変わったことはないかのようにレイフに接してくるなんて、どういう神経をしているのだろう。
「レイフ!」
 バス停でスクールバスを待っている間にすぐにクリスターはレイフに追いつき、いつもどおりの笑顔で話しかけてきた。
「いい加減すねるのはやめろよ、レイフ。僕のしたことが気に入らないから無視するなんて、子供っぽいな」
「何だとっ?」
 カッとなるレイフを、クリスターは冷たく目を細めて見つめ返した。レイフはひんやりとしたものを背筋に覚えた。
「父さんや母さんがいなくなったのは、もっけの幸いだよ。この際だから、今日は、家に帰ってから、とことん話し合おう。明日の夜まで、時間はたっぷりあるからね。おまえの言い分を僕はみんな聞いてあげるから、おまえも僕の話を聞くんだ」
 バス停に到着したスクールバスに、他の生徒たちに混じって先に乗り込んでいくクリスターを、レイフはそこに立ち尽くしたまま、呆然と見送った。
(クリスターと…話し合う…)
 兄と正面から向き合って、ずっと避けていたアイヴァースとの一件について話すことをひどく恐れている自分に、レイフはその時初めて気がついた。



 学校から帰ってきたレイフは、子供部屋に入るとすぐに窓を開けて、外の新鮮な空気を部屋に入れた。
 その時、窓辺につるしてある硝子のウインド・ベルに手が当たって、涼しげな音が鳴り響くのに、とっさに目をしばたたいた。
「あ…」
 硝子でできたイルカが2匹、互いに追いかけっこをするように揺れている。三年前の夏休み、海辺に遊びに行った時、土産物店で見つけて父親にせがんで買ってもらったのだ。双子のイルカだ、自分達と同じだと、レイフは欲しがった。
「双子かどうかなんて、分からないのにさ」
 ぼんやりと呟いて、レイフは目の前で揺れている硝子のイルカをつついて、澄んだ音が鳴るのに耳を傾けた。
「レイフ」
 クリスターが部屋に入ってきた。レイフは振り向きもせずに、揺れるウインド・ベルを眺め続けた。
 クリスターはしばらくレイフが答えるのを待った後、自分のデスクから椅子を引っ張り出して、腰を下ろした。
「恐がってないで、こちらを向いたらどうだい、レイフ」
 レイフは、瞬時に振り返り、悠然と椅子に座っている兄を睨みつけた。
「今日は学校でも一日僕を避けとおしたね、レイフ。双子が喧嘩をしているって、クラスの噂になってしまったよ」
「噂になったら、どうだって言うんだよっ。他の奴らが何と言おうが、関係ないだろっ」
「もちろん、おまえの言うとおりだよ、レイフ。僕達二人は、他の人間の干渉など受けない」
 レイフは、クリスターの言葉の意味をはかりかねて、まじまじと彼を見返した。
「クリスターって、時々、訳が分からねぇよな!」
 クリスターは問いかけるかのごとく、軽く頭を傾けた。
「僕のことが理解できないのかい、レイフ? 生まれた時からずっと一緒にいた、誰よりも近しい相棒が何を考えているのかも、おまえはもう分からなくなったのかい?」
 レイフは唇を噛み締めた。何の感情もうかべていない、自分とそっくり同じクリスターの顔を凝視した。
 顔だけでなく、レイフとクリスターは何もかも同じに作られているはずだった。小さい頃から、レイフは、そのことを当たり前のように思ってきた。
(同じ遺伝子、同じDNAのなせる技だよ)
 いつだったか、友達とその兄弟達は皆似ているといってもそっくりという訳じゃないのに、どうして自分達はこんなに似ているのだろうと不思議がるレイフに、クリスターはこう答えた。レイフがさっぱり分からない顔をすると、クリスターはもう少し分かりやすい説明をしてくれた。
(僕達はもともとは一つの卵だったんだ。それが何かの拍子で二つに分かれてしまった。僕達は、全く同じものからできているんだよ。同じものを分け合って生まれてきたんだ。だから、ほら…この手を比べてごらんよ。指や爪の形だけじゃない、手の平のしわもうっすらと浮かんだ血管のパターンも皆そっくりだろう。こんな相手、世界中探しても他にはいないよ)
 その話を聞いて、レイフには合点がいったような気がした。どうして、クリスターとくっついていると、とても安心できるのか、それが一番自然な状態のように感じられるのか。二つに引き裂かれてはいるけれど、クリスターはレイフの一部、もう一人のレイフ自身だからだ。
「昔は、こんなじゃなかった」
 今は全く本心の読めないクリスターの奇妙な態度をもどかしく思いながら、レイフは首を振った。
「クリスターのことは、オレとどこかつながっているに違いないって思うくらいに何でもよく分かったよ。でも、いつの頃からかおまえはどんどん変わっていって…今じゃ、何を考えてるのかさっぱり分からない、他人みたいになっちまった…」
 途方に暮れ、泣きそうな気分で、レイフは、クリスターに向かって切々と訴えた。
「なあ、どうしてなんだよ…どうして、いつもいつも、オレを置いておまえばかりが先に行っちまうんだよ。オレはクリスターのことが分からなくなるなんて嫌だ…置いていかれたくないよ…でも、オレが必死になってついていこうとしても、おまえは少しも立ち止まってくれないで、オレの手の届かない所に行っちまう…オレの理解できない世界を勝手に作って、オレの知らない奴らと勝手につるんで…」
「いつまで、そんな子供みたいなことを言ってるんだよ」
 いきなり、クリスターは冷ややかな声でレイフを叱り飛ばした。
「おまえもそろそろ大人になれよ、レイフ。僕がおまえを置いていく、勝手に何でもやってしまう、自分の世界を作ってしまうって…そんなの、当たり前じゃないか」
 クリスターの叱責に、レイフはびくっと身を縮めた。
「何もかも同じに生まれて、いつも一緒に生きてきた双子の僕達だって…いつまでも子供のままではいられないんだよ」
 クリスターの声は、どこか哀しげに響いた。
「おまえと僕は気性も考え方も違う。全く同じ人間になることは、そもそもできないんだ。それぞれが違う世界を持った独立した大人になっていくしかないんだ。それでも―」
 クリスターは、胸の奥から突き上げてくる激しいものを堪えかねたかのように、ふいに言葉を切った。
「僕は、この先もずっとお前と一緒に歩いていきたいと思っているよ。大人になっても、僕の傍らにいるのは、やっぱりレイフ以外には考えられないから…」
 クリスターは椅子から立ち上がると、窓の前で息を詰めて待ち受けているレイフに近づいてきた。
「父さんも母さんも、友達のことも僕は大切に思っているけれど、おまえは別格なんだ。僕はレイフが一番好きなんだと言ったら、おまえにも分かってもらえるのかな?」
「あ…」
 レイフは目を見開き、喘ぐように息をしながら、すぐ前で立ち止まったクリスターの顔を見つめた。急に早くなった胸の鼓動を意識した。
「で、でも…それじゃあ、アイヴァースのことは…そうだ、ど、どうして…あんなことをしたんだよっ」
 クリスターの衝撃的な告白を思い出し、かぁっと頭に血がのぼるがまま、レイフは怒鳴った。
「アイヴァースのことは別に好きでもなかったなら、どうして…あいつに触らせたんだよ…そんな関係続けたんだよ。興味があったからなんて、そんなこと言うクリスターが信じられないっ。大体、女の子ともまだ…したことなんかないくせにっ」
 その瞬間、クリスターの顔を過ぎった微妙な表情に、レイフは自分が間違いを口にしたことに気がついた。
 女の子とも、とっくに経験済みだったのだ、この悪党は。
「い、いつ…どこで、誰と…!」
 レイフは怒りに駆られ、クリスターにつかみかかった。
「アリスだよ」
 弟の激昂ぶりに圧倒された訳ではないだろうが、クリスターはあっさり答えた。
「アリス・ゴールドバーグ。二年前の夏休み、アッシュフィールド湖のキャンプ場で会った…彼女のことは覚えているだろう?」 
 レイフは、とっさに、クリスターの胸倉をつかんでいた手を離した。
「ア…アリスだって…?」
 レイフは愕然となっていた。
「ちょ…ちょっと待てよ…二年前のあの時って…オレ達12才にもまだなってなかったじゃないか…お、おまえ…本当にしたのか…?」
「うん」
 レイフは、まるでクリスターに殴られたかのようによろめき、後じさりした。
「できたらおまえも誘いたかったんだけれど…おまえってば、まだ全然ねんねだったから…あきらめたんだよ」
 残念そうに顔をしかめるクリスターに、レイフはぐうっと唸って、力が抜けたように、へなへなとその場に崩れ落ちた。
「クリスターって…クリスターって…」
 レイフは床に座り込んだまま、あくまで落ち着き払っている兄を呆然と見上げた。
 レイフとそっくり同じ顔だが、今は全く違って見える。『大人の男』と、そこに大きく書いてあるような気がする。
 レイフは、急に自分が乳臭い幼児であるかのように思えてきた。金髪巨乳モデルのグラビアごときで、鼻血を吹いている場合ではなかったのだ。
「ひどいや…オレの知らない間に、自分だけさっさと『筆おろし』だなんて、あんまりだよ、兄ちゃん…」
 げほっと、クリスターは軽く咳き込んだ。
「レイフ…」
 困ったように見下ろすクリスターの視線の下で、すっかり自信を喪失したレイフは、がっくりと頭をうなだれてしまった。
「レイフ、別に…そんなこと、僕がたまたま早かっただけなんだから…機会がなかったからって、おまえが落ち込むようなことじゃないんだよ…」
「慰めんなよ、馬鹿…」
 レイフは力なく頭を振るばかりで、とても、これ以上クリスターを責めたり彼の言い分を聞いたりする気力もなくなってしまった。
 第一ラウンドで完全にKO負けした気分だった。
(クリスターの奴は、オカマなだけじゃなく、スケコマシだったんだ)
 ショックのあまり、クリスターと話し合うどころではなくなってしまったレイフは、その後もずっと悩み続けた。
(ああ、オレって、クリスターのこと、実はあまり知らなかったのかもしれない。同性愛に興味があるって、アイヴァースと関係を持ってしまうことも信じられないし、アリスとのことだってさ、クリスターだけ初体験しちゃったなんて…双子の片割れがそんなことしてたのに、オレ、全然気がついてなかった。何だか、すごく情けないや…)
 初めは、またしても裏切られたという衝撃と怒りにはらわたが煮えくり返っていたレイフだったが、次第にその思いは、自分に対する情けなさに変わっていった。
(クリスターの言う通りなのかもしれないな。オレ、今までがあんまり子供すぎた。何も知らず、分かろうとせず、クリスターがオレを置いていく、何でも勝手にやってしまうって一方的に責めるのも間違っていたのかもしれない…)
 そこまでぼんやりと考えて、レイフは慌ててかぶりを振った。
(だからって、クリスターのしたことを認めた訳でも、許した訳でもないぞ。あいつがオレを裏切って、オレに嘘をついて、騙したことは確かなんだから。それに、オレをはめて、アイヴァースのところに行かせたのだって、よく考えたら、とんでもなくひどいことじゃないか。おかげでオレは、アイヴァースの野郎にクリスターに間違えられて、キ、キスまでされたんだぞ…)
 ヘレナが用意していってくれた夕食を温めて一緒に食べた後は、双子達だけの夜は何事もなく更けていった。いつも見るテレビのクイズ番組を見、順番にシャワーを浴びて、そろそろ就寝時間になると、クリスターはテレビを切って、レイフに二階に上がるよう促した。
 親がいない時くらい夜更かししてもいいじゃないかと、普段のレイフなら逆らったところだが、今の彼には、そんな気概はなかった。
 さっさと寝てしまって、この自己嫌悪と自己憐憫の気持ちを忘れたかった。
 しかし、部屋の灯りを消して寝床に入ると、またしても悶々と悩みだし、レイフは寝付くことなどできなかった。
(クリスター…やっぱり、オレには理解できないよ…おまえが考えていること、悲しいけど、オレにはもう分かることはできない。おまえはオレが一番好きだって言ってくれたけど、そんなおまえがオレにしたのは、好きだという言葉とは全然違うようなことで…分からない。だって、もしオレがおまえだったら…おまえにだけは嘘じゃなく本当のことを言いたいと思うもの。騙すなんてとんでもないし…ましてやアイヴァースのところに無防備のまま送り込むなんて、できるわけない…なあ、クリスター、おまえにとって、オレって、何?)
 レイフがいつまでも終わらない煩悶に捕らわれていると、上のベッドでクリスターが身じろぎする気配が感じられた。
「レイフ?」
 クリスターは上のベッドから滑るように降りてくると、寝床の中でじっと息を殺しているレイフを覗き込んだ。
「眠れないのかい?」
 レイフが答えずに押し黙っていると、クリスターはおもむろにレイフの布団を捲り上げて中に入ってこようとした。
「ちょっ…ちょっと…何、勝手に人の寝床の中に入って来るんだよっ」
 何故かうろたえ、レイフはクリスターを押し戻そうとした。
「眠れないのなら話の続きをしようよ、レイフ」
 クリスターはレイフの手を捕まえ、低い声でささやいた。
「僕達の話しあいは、まだ終わっていないよ」
 レイフは息を飲んだ。薄闇の中、己を覗き込むクリスターの瞳は、今にも燃え上がって噴きあがりそうな昏い炎をはらんでいるようで、何だか恐かった。
「レイフ」
 レイフの腕を捕らえるクリスターの手に力がこもる。
「痛い」
 レイフが小さく叫ぶのに、クリスターは手を緩めた。その隙に、レイフはクリスターの脇をすり抜けて、ベッドから脱け出していた。
「そんな恐い顔をする兄貴と話し合いなんかしたくないよっ。オレ、今夜は父さんのベッドで寝るからっ」
 レイフはそう叫ぶと、部屋から出て行こうとした。
「逃げ出すのかい?」
 扉に向かって歩いていくレイフの背中に、クリスターの嘲るような声が突き刺さった。
「僕と正面から対決するのが恐いから尻尾を巻いて退散するなんて―男らしくないね、レイフ」
 こんな挑発を聞くなり、素直なレイフは扉の前でくるりと回れ右をして、クリスターの所に戻ってきた。
「ば、馬鹿を言うな。オレは恐がってなんかいないぞ。怖気づいて逃げ出すような、そんな弱虫じゃないぞ!」
 顔を真っ赤にして、拳を振り上げ怒鳴るレイフを、クリスターはまじまじと見返した。全く、素直と言おうか、単純と言おうか。こんな愉快な弟を相手に吹きだしそうになるのを堪えるかのごとく、クリスターはすっと視線を逸らした。
「じゃあ、こっちにおいでよ」
 クリスターは、誘いかけるようにレイフの布団を捲り上げた。レイフは、一瞬ひるんだ。
「パジャマのままでうろうろしたら、寒いだろ」
「う、うん」
 クリスターが滑るようにレイフのベッドの奥に入っていくのを眺め、レイフも観念したように後に続いた。
「どうしたんだい、固くなって。いつもは、隙あらば、僕の寝床にもぐりこんでこようとするのはおまえの方なのにね、レイフ」
「兄貴とは、喧嘩中だから」
「何だよ、それ」
 クリスターは、ぷっと吹き出した。
「喧嘩だなんて、大体、おまえが一方的に僕に腹を立てて、いつまでもすねてるだけじゃないか」
 クリスターが脇腹をつつくのに、レイフは怒って、言い返した。
「怒って当たり前じゃないか。おまえ、自分がしたこと、分かってるのかよっ。ク、クリスターはオレにずっと嘘をついてたんだ。オレは疑ったこともなかった、兄貴のことを信じきっていたのに、あんなふうに裏切られたら、腹が立って当たり前だろうっ」
「僕がおまえを裏切った?」
「ああ…アイヴァースのことだって、そうだよ。クリスターは絶対そんなことしないって、オレは思ってた。他の誰かから聞かされたら、絶対嘘だって主張する。オレは…おまえがアイヴァースと寝たって聞いた時、すごく嫌だったよ…自分があの野郎にキスされた時よりも、もっとショックだったかもしれない…オレの一番大切なものを汚されたような気分で…我慢できなかった…」
 クリスターは黙り込んだ。
「なあ、どうして、あいつと寝ようなんて気になったんだよ? オレがどう思うか、おまえには分かっていたはずだろう? それって、やっぱり裏切りじゃないか。それに…アイヴァースのところにオレを騙すようにして送り込んだのも…オレを使ってアイヴァースを追い出そうとしたってことなのか…?おまえはオレを利用したのかよ、クリスター?」
 レイフは哀しげに頭を振った。
「おまえはオレを好きだって言ったけれど…信じてもいいのか、俺には分からない。だってさ、オレは、もう前みたいにお前のことを百パーセント無条件で信じることなんて、できないよ。おまえの言葉のどこまでが本当で、後は嘘なのか…オレには、分からない」
 クリスターは、小さく息を吸い込んだ。
「レイフ、僕は確かにおまえに色々嘘をついたけれど、一番大切なところまで嘘をついたりしないよ。おまえが…おまえだけが好きだってことは本当だよ。信じてほしいよ」
 クリスターは、切々と訴えた。
「僕が、アイヴァースを学校から追い出そうとしたのは本当だよ。僕は誰にも言えない悩みを抱えていて、アイヴァースなら助けてくれるかもしれないと、彼のカウンセリングを受け始めたんだ。でも、彼は僕の心の奥に隠された秘密に深く入り込みすぎた。僕が望んだ以上に、僕の心を暴き出してしまった。だから、切り捨てたんだ。僕には、彼の忠告をこれ以上聞くつもりもなければ、受け入れる意志もなかったから…」
「クリスターの悩みって、何?」
 クリスターは言葉を切った。
「それを言ったら、おまえに嫌われるかもしれないようなことだよ」
 耳を澄ませていないと聞き取れないような低い声で呟く兄に、レイフは不安を覚えた。
「おまえをアイヴァースのところにやったことは、今ではとてもすまないと思うよ、レイフ。そこまでおまえが動揺するなんて、考えなかった…僕が割と平気で受け入れてしまったものだから、おまえも耐えられるだろうなんて、勝手な思い込みをしていた」
「ひ、ひどい奴…」
「僕は、たぶん…おまえに気づいて欲しかったんだ…僕が何をずっと思いつめていたのか、そのためにどんな犠牲を払って、救いや逃げ道を必死になって探してきたのか…レイフには、こんな辛い思いをさせたくない、何も知らず幸せに笑っていて欲しいと願う反面…いつまでも無邪気な子供でい続けるおまえに腹が立った…僕が味わった苦い思いの切れ端でもおまえに味わわせたかった…」
 クリスターの手が肩にかかるのを、レイフは呆然となったまま意識した。
「僕は…アイヴァースとセックスしたけれど…彼のことが欲しかった訳じゃない。僕は…レイフ、おまえが欲しかったんだ」
 肩にかかったクリスターの手に力が込められ、レイフはベッドの上に押さえつけられた。問いかける間もなく、クリスターが覆い被さってきた。
 レイフの唇を塞ぐ、クリスターの唇の濡れた感触。それは、微かに震えていた。
「レイフ」
 声も出せないでいるレイフの顔を、クリスターは上から覗き込んだ。
「おまえを愛してる」
 レイフの硬直した頬を、クリスターはおずおずと伸ばした手で触れた。
「あ…ぁ…」
 レイフは愕然と目を見開いたまま、大きく胸を上下させた。
「だ…あぁっ!」 
 頓狂な奇声を発して、レイフはクリスターを押しのけ、ベッドから跳ね起きた。その拍子に、天井にしたたかに頭をぶつけ、彼は再び布団の上に沈没した。
「レ、レイフ、大丈夫…?」
 布団の上で頭を抱えてうずくまり悶絶している弟を、クリスターは彼らしくもなくおろおろして見下ろした。
「このベッド、やっぱり、僕らにはもう狭すぎるね」
 どこか寂しげにクリスターは呟いた。
「ク、クリスター…お、おまえ、オレに今、何を…?」
 すっかり動転している弟をクリスターは見下ろし、ふっと笑った。
「クリスターっ?」
 いきなりクリスターに強く抱きすくめられ、レイフは当惑して叫んだ。
「好きだよ、レイフ…おまえに…触れさせてくれ」
「ク、クリスター? な、何するんだよっ。離せ…よ…」
 びっくりして逃げようとするレイフを、クリスターは再びベッドの上に押し倒した。
「おまえだって…興味があるだろ? 僕がアリスと…アイヴァースとどんなふうにしたのか…?」
 レイフの頬が紅潮した。
「ば、馬鹿言うなっ」
 のしかかってくるクリスターの胸を、レイフは必死に押し返した。
「オレ達、兄弟じゃないかっ!」
「分かってるよ、そんなこと。だから―僕は、悩んできたんだ」
 クリスターの顔が悲痛な表情をうかべて歪むのに、レイフは一瞬抵抗を忘れた。
「僕達は小さい頃から何でも共有してきたけれど、これだけはきっと許されないことだと…おまえを欲しいと思ってしまう自分が恐くなったよ。僕はたぶん黙っているべきだったんだろう。おまえが無邪気に僕にじゃれついてくる度に抱きすくめてキスしたくなる、そんな衝動を抑え続けていればよかったんだろうね。おまえを傷つけないためには。でも、ごめんよ、レイフ…どうしても、できないんだ」
 クリスターの苦痛が、レイフの胸にひしひしと伝わってくる。レイフは、クリスターの体の下で、彼の告白に呆然と耳を傾けることしかできないでいた。
「僕はおまえを愛してるよ。でも、レイフ、おまえだって、同じように僕のことを欲しいと、もしかしたら思ってくれるかもしれない…いつだって僕達は同じものを好きになって、欲しがった…そうだろう?」
 クリスターは、レイフの額になだめるような優しいキスをした。
「う…」
 レイフは激しく身を震わせた。
「レイフ、レイフ…お願いだよ」
 クリスターは震える手でレイフの頬に触れ、首筋に滑らせた。パジャマのボタンを外そうとした。
「ク、クリスター…駄目だよ…」
 レイフはとっさにクリスターの手をつかみ、ベッドから上体を起こした。
「レイフ…」
 レイフを見つめるクリスターの顔が歪んだ。慄いたような大きく目を見開き、唇を震わせて、その顔はまるで今にも泣き出しそうに見えた。
「僕を拒まないで…嫌いにならないで…」
 今にも崩れ落ちてしまいそうな自分を、精一杯の気概を奮い起こしてかろうじて支えているような、こんなクリスターをレイフは初めて見た。
 いつものような支配的な態度でクリスターが押し通したら、レイフは反発できたかもしれない。しかし、クリスターの意外なもろさが、レイフを無力にした。
 レイフは、つかんでいたクリスターの手を離した。途方に暮れたように、兄を見返した。
「クリスター、オレ…オレだって…クリスターのことは、誰より好きだよ、でも…」
 クリスターの瞳が再び強い光を帯びた。彼はレイフのパジャマに手を伸ばして、一つずつ、ボタンを外していった。
 レイフは、なぜか、やめろとは言えなくなった。クリスターの指先から伝わる震えのせいかもしれなかった。
「こんなことなら、僕達はしたことがあっただろう、昔…」
 それは、レイフも今思い出していたことだった。幼い頃、裸になって肌を寄せ合って眠ると、彼らはとても安心できた。
「うん…」
 でも、二人はもう幼い子供ではない。
 レイフのパジャマの上着を脱がせると、クリスターは自分も上半身裸になって、レイフを抱き寄せて横になった。
「気持ちいいだろう?」
 クリスターの肌の温もり、その感触、その匂い。こんなにも近くに感じたことは、レイフにとって久しぶりだった。
 レイフがじっと押し黙っていると、クリスターは再びレイフの上に乗ってきた。
「もっとよくしてあげるよ、レイフ…乱暴なんかしないから…」
 クリスターの手がパジャマのズボンにかかるのに、レイフは動揺した。
「ちょっ、ちょっと…待て…って…」
 焦ったレイフが振り回した手が、クリスターの肩にあたり、よろめいた彼は二段ベッドの梯子に体をぶち当てた。
「あ、ごめん…」
 梯子にぶつけた腕をつかんで、顔をしかめているクリスターに向かって、レイフはつい謝ってしまった。
 気まずい沈黙が、双子達の間に流れた。
「くそ…っ…」
 レイフはどうしたらいいのか分からなくなって、うつむき、それから、再び兄を見た。
 クリスターは哀しげにレイフを見つめ返すばかりだ。
 レイフの中で、何かが弾けた。
「分かった…分かったから、もう、そんな目でオレを見るなよ、クリスター!」
 カッとなるのに任せて、レイフはクリスターに向かって叩きつけるように叫んでいた。
「クリスターがオレをどうしても欲しいっていうんなら、いいよ。おまえにやるよ」
 言ったとたん、火がついたように全身が熱くなるのをレイフは感じた。
「でも、ここじゃ、いくらなんでも、狭くて不自由だよな…よしっ…」
 はたと思いついたように手を打って、レイフはベッドから脱け出すと、クリスターが何事かと見守る中、上のベッドによじ登った。クリスターの寝床のマットレスをはずして、シーツごと床に放り投げた。
「オレのベッドのマットレスも外せよ、クリスター。床に並べて敷いたら、広くなって、俺たち二人が寝るには丁度よくなるだろ」
 一瞬呆気に取られた様子のクリスターだったが、レイフの提案に従って、彼もベッドからマットレスを外し、床に敷いて、その上からシーツもかけて、レイフと二人がかりで仮の寝床をこしらえた。
「結構いい感じじゃん」
 クリスターのベッドから下ろしてきた布団を体に巻きつけて、マットレスの上に座り込んだレイフは、傍らのクリスターに笑いかけた。
 しかし、クリスターが笑い返さず、相変わらず思いつめた顔でレイフを見つめるのに、レイフの顔からも微笑が消えた。
「ええと…」
 再びつのってきた緊張感にレイフは焦った。クリスターは、レイフがかぶっている布団を押しやって、彼をそっと抱きしめた。
「もう、いいだろ?」
「う…うん…たぶん…」
 レイフは、クリスターが自分のパジャマのズボンと下着を脱がせる間、赤い顔をして、おとなしくじっとしていた。しかし、クリスターが同じように裸になった瞬間、激しくうろたえて、顔を背けた。
「僕を見ろよ、レイフ」
「見なくたって分かるよ。どうせ同じなんだからっ」
「同じだから…余計に見たいんじゃないか」
 クリスターが小さく笑うのに、レイフは何だか恥ずかしくなって、うつむいた。
「あ…」
 クリスターがレイフの手をつかんで、彼をシーツに引き倒したかと思うと、上からのしかかってきた。
「恐がらなくていいよ…僕がおまえにひどいことをするはずないじゃないか…?」
「クリスター」
 クリスターはレイフの唇に口付けをすると、胸の上に置いた手をゆるやかに滑らせた。途端にレイフの肌が泡立つ。
 クリスターは、つい歯を食いしばったまま息をとめているレイフの緊張をほぐすように、唇をついばみ、舌先でくすぐった。ついに堪えなくなったレイフが口を開くと、深く唇を重ね、舌を口腔内に進入させ慎重に探った。
「んっ…く…ふぅ…」
 クリスターが離れた瞬間、レイフは大きく空気を吸い込んだ。むせて咳き込んだ。そんな彼の体をゆるく抱きしめ、クリスターは唇を首の方に滑らせた。
「あっ…ん…」
 クリスターに首筋を強く吸われ、レイフはつい変な声を漏らしてしまった。びっくりして、目をしばたたいた。
「双子って…感じるところまで、一緒なのかな…?」
 レイフの手を取って甲に唇を押し当てるクリスターを、レイフは呆然と見上げた。
 そんなレイフの胸から腹にかけて、クリスターは慎重に撫で下ろしていく。薄い胸の下でわなないている心臓の鼓動を確かめるかのごとく、クリスターはレイフの胸の上にそっと頭を置いた。
「クリスター…あっ…」
 レイフの体がクリスターの下で大きく震え、跳ね上がった。
「ちょっ…ちょって待て…そんなとこ、触んな…ぁっ…!」
 体の中心にある敏感な部分をクリスターの手に包み込まれて、レイフは反射的に暴れ、クリスターを押しのけようとした。
 しかし、クリスターも本気を出したらしい、レイフの抵抗にもひるまず、痙攣する彼の体を強く抱きすくめ、もう片方の手はしっかりと捉えこんだ弟のセックスを愛撫し続けた。
「クリス…ター…」
 のけぞったレイフの喉が低く鳴った。そこにも、クリスターは唇を押し当てた。
「好きだよ、レイフ」
 その囁きに、レイフの興奮はさらに掻き立てられた。目を閉じて激しく頭を振り、腕を上げて、レイフは顔を隠そうとした。その腕をクリスターは押しのけた。
「見せてくれよ、おまえの顔を…」
 レイフは、股間から突き上げてくる快感に打ち震えながら、目を見開いた。 
 自分を見下ろすクリスターの顔が、いつもと違っていることにレイフは何かしらはっとした。興奮に我を忘れ、身のうちを駆け回る飢渇に狂わんばかりになっている、切迫した若い雄の顔に、つい目が釘付けになった。
 レイフ自身も今、こんな顔をしているのだろうか。そう思った途端、かつてないほどの興奮にレイフは襲われた。
 クリスターに触れられている下腹部の力が急激に増すのを、レイフは熱くなった意識の片隅で感じた。
「クリスター…クリスター…」
 レイフは快感に身悶えし、クリスターの体を捕まえて引き寄せ、昂ぶった己自身を彼の下腹部に押し付けた。同じように熱く堅くなっている、そこに触れて、レイフはたまらなくなったように吐息を漏らした。 
「レイフ…じっとしていてくれよ」
 クリスターはレイフの汗ばんだ背中に手を回し、腰から尻の方へ撫で下ろすと、引き締まった尻の間の窪みを慎重に探り、秘所に触れた。
「あっ…あぁっ!」
 クリスターの指が、いきなり内部に押し入ってくるのに、動転したレイフは激しくもがいた。
「ば、馬鹿、何すんだよ! 早くそれ、抜けっ…気持ち悪い…」
「慣らしておかないと、おまえが辛いんだよ。じっとして…すぐに気持ちよくなるからさ」
 クリスターは暴れるレイフを押さえ込み、殴られ髪を引っ張られてもひるまずに、まだ誰にも触れられたことのない固いそこを辛抱強くほぐしていった。
「ひっ…い……」
 レイフにとっては信じられないことだが、蕾を押し広げ、微妙な刺激を与えながら内壁を探り、かき回すクリスターの指の感触が、本当に気持ちよくなってきた。これだけでは足りない、もっと刺激が欲しくなってきた。
「ほら、僕の言ったとおりだろ?」
 揶揄を含んだ声で言うなり、クリスターはもう一本指を増やした。レイフの体が弓なりに反り返る。
「う…そ……」
 レイフが初めて知る快感だった。こんなにも興奮したことは、かつてなかった。固く張り詰めたセックスは、今にも爆ぜてしまいそうだ。
 レイフの体を快感に震わせていたクリスターの指が唐突に抜かれた瞬間、レイフは不満げに唸った。
「レイフ、力をぬいて…ひどくはしないから…」
 クリスターはレイフの脚を高く持ち上げ開かせた。丁寧にほぐされて柔らかくなったレイフの蕾に、屹立した己自身を押し当て、ゆっくりと体重をかけながらねじ込んでいった。
「いっ…いた…痛いっ…クリスター、やっぱり嫌だ…やめろよっ…」
 貫かれた瞬間、レイフは悲鳴をあげた。ひどくしないと言ったくせに、全然嘘だと思った。クリスターが体を進めるたび、破られたレイフの秘所はぎちぎちと悲鳴をあげ、激痛が脳天まで突き上げてくる。
「や、やだ…兄ちゃん、やめてくれ…よぉ…」
 レイフは拳でクリスターの肩を叩き、脚をばたつかせ、何とか逃げようするが、ずり上がった体はクリスターによって再び引き戻される。
「クリスター!」
 レイフは泣き喚いた。
「レイフ…レイフ…目を開けて…」
 苦痛に顔をゆがめ、固く目を閉ざして泣いていたレイフは、クリスターがあがった息の合間に呼びかけるのに、うっすらと目を開けた。
「僕を見て…」と、クリスターは甘く掠れた声でささやいた。
 己を食い入るように見つめるクリスターの上気した顔に、レイフは大きく息を吸い込んだ。交接の痛みも、抵抗することも忘れ、呪縛されたように、レイフはクリスターの顔から目を離せなくなった。いつもとは違うクリスターの顔を、いつまでもこうして眺めていたいような気がした。
「感じて…僕を…」
 束の間動きを止めていたクリスターが、腰を動かした。途端に、レイフの口から、自分のものとは思えないような嬌声が漏れた。
 クリスターの顔に、会心の笑みがうかんだ。
「ほら、やっぱり…いいじゃないか」
 レイフは、己の中にともった火が全身に燃え広がるのを覚えた。抑制が弾け飛んだ。引き裂かれる痛みを凌駕する興奮が込み上げてくるのに震え、クリスターが突き上げるのに合わせて、レイフは悦びの叫びをあげた。
「クリスター…はあっ…あぁ…っ…」
 レイフが快感に我を忘れ、乱れていくのに、クリスターもますます昂ぶっていった。低い唸り声をあげて弟の上にのしかかり、さらに大きく脚を開かせて彼を責め立てた。
「レイフ…レイ…フ…僕の…可愛い弟…」
 快感の波に襲われ、押し上げられ、揉みくちゃになりながらも、レイフは目だけはしっかりと見開いて、己の上でやはり乱れ狂う、もう一人の姿を見つめていた。
「クリスター…兄…ちゃん…」
 もっと欲しい。これでも、まだ足りない。
 高揚したレイフはやにわに腕を伸ばしてクリスターの腰を捕まえると、己に密着させるように引き寄せた。熱い楔に深々と突き刺され、突かれて、レイフは激しく頭を振りたて叫んだ。
「あぁ…はぁ…ああぁっ!」
 レイフもクリスターも汗みずくになって、ふいごのように胸を激しく動かして息をし、そっくり同じ体を絡ませあってうごめきながら、快感のあまり狂わんばかりの形相をしている。
 レイフは、よく知っているものなのに初めて見たような気がする、この顔が、誰のものなのか次第に分からなくなってくるという、妖しい惑乱に圧倒されていた。
 それはレイフと同じ顔。空気を求めて大きく開かれて口から漏れる喘ぎも、嬌声も、同じに響く。一体と化した生き物のように絡まりあう、その体もレイフとそっくり同じものなのだ。
 抱いているのは誰なのか? 抱かれているのは誰? レイフか? それともクリスターか?
 熱に浮かされた目をして、クリスターもレイフをむさぼるように見続けている。レイフの尻に打ち付けてくるクリスターの腰の動きは早く激しく、自分でも制御もできぬかのようだ。
 二人は共に高めあい、頂目指して一気に登りつめていった。 
「あぁ…ああーっ」
 ふいに、クリスターの体がぐんと反りかえり、大きく打ち震えた。
「うう…あぁ…あっ」
 レイフも、ほとんど同時に最後の絶叫をあげて、体を硬直させた。
 クリスターの汗ばんだ頬がぴくぴくと痙攣し、ついで、ふっとあらゆる緊張が解かれた。
 クリスターはレイフの頭の傍に手をついて、水から上がったばかりの人のようにしばし苦しげに喘いでいたが、その顔から先程までの切迫した表情は消えうせ、満ち足りた穏やかさが漂ってきた。
「レイフ」
 クリスターはレイフを見下ろし、優しく微笑んだ。レイフは、瞬きも忘れて、兄の表情、その仕草の全てに魅せられたかのように見入っていた。
 クリスターは身を屈めて、レイフの唇にキスをした。レイフは、不思議なほどの幸福感にひたりながら、それを素直に受け入れた。
「愛しているよ」
 レイフは、こくんと頷いた。
 クリスターが名残惜しげにレイフの体の中から退いた時には、レイフも残念に思ったくらいだ。
 それでも、クリスターが己の隣に身を落ち着けて、熱のこもった肌をすり寄せレイフを抱きしめてくれるのにほっとした。
 こんなにも完璧な体験をしたことは、レイフにはかつてなかった。こんな悦びを知ってしまった後でも、これまで接していた世界は以前と同じに見えるだろうか。
「クリスター、好きだよ」
 レイフは傍らの熱い体に自分も腕を回して、うっとりと目を閉じた。
 かけがえのない人と、他には見つからない特別な体験を共有したのだという満足感しか、今のレイフには感じられなかった。
 何もかもが自然なことのように思えた。レイフとクリスターはそうなるべくなったのだと、理屈ではなく、直感的にレイフは確信していた。
 この二人きりの子供部屋、急ごしらえの寝床の中で互いの体に回した腕の中に存在する、暗く温かい小宇宙の中に漂いながら―。
(クリスターはオレのもので、オレはクリスターのものだ。それだけでいい、他には、何もいらない)
 彼ら2人の幸福な楽園には、まだ罪の慄きも後ろめたさも入り込んでくる余地はない。
 実際レイフは、自分たち以外の所にある他の世界の存在を忘れ果てていた。
(クリスターと一緒に…こうして、ずっと…)
 少なくとも、兄と2人で過ごす、この完成された一時においては―。

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