ある双子兄弟の異常な日常 第二部
第2章 さびしい半分
SCENE1


 レイフは、はしごに足をかけて、二段ベッドの上をひょいと覗き込んだ。
「クリスター? 眠れないのかよ?」
 こちら側に背中を向けてじっとしているクリスターに、レイフは気遣わしげな声でそう尋ねる。
 今日のクリスターは何だか様子が変だった。カウンセリングの後はクラブにも出ずに先に帰ってしまったし、夕食の時も、その後皆と一緒にテレビを見る時も、子供部屋で二人きりになってからも、ずっと何かしら沈んだ様子で物思いにふけっていた。
 母ヘレナはさすがに怪訝に思って何かあったのかと尋ねていたが、クリスターは大したことじゃないと答えるだけだった。
 大したことじゃない筈がない。クリスターの中で渦巻く不安や混乱や悲しみが伝わってきて、レイフまで憂鬱な気分になってしまった。絶対、何かあったのだ。
「寝たふりなんかするなよ。分かるんだぞっ」
 この間叩かれたことを思い出して、レイフははしごによじ登ったものの、クリスターに直接触ることはためらっていた。
「なあ、嫌なことがあったんだろ?」
 レイフがそこでいつまでも粘っていると、クリスターは溜め息をついて、やっとレイフを振り返ってくれた。
「レイフ」
 レイフは、一瞬クリスターが何でもないと言い張るのではないかと思った。頑なに心を閉ざしたまま、レイフを追い返すのではないかと不安になった。
「いいよ、入っておいで」
 クリスターは、レイフが入ってきやすいようにベッドの奥の方に移動した。
「わぁっ」
 レイフは嬉々として、クリスターのベッドに飛び込むと、布団を捲り上げて兄に擦り寄っていった。
「一緒に寝るのって久しぶりだよな、クリスター」
 クリスターがたじろいだように奥に逃げようとするのを、レイフは腕を伸ばして捕まえ、抱きついた。
 クリスターは微かに震えた。
「やっぱり窮屈だよ」
 クリスターの言うとおりだった。もう子供だとは言い切れないほど大きくなった双子が一緒に寝るには、このベッドは小さすぎた。
「少しくらい構わないだろ。後で、ちゃんと自分のベッドに戻るからさ」
 レイフは、クリスターが己を瞬きも忘れたようにひた見つめていることに気がついた。暗がりの中でも、その瞳が明るい星のようにきらきらと輝いているのが分かる。
 レイフは、妙に落ち着かない気分になった。
「こら、何をするんだっ」
 レイフは、奇妙な緊張をほぐそうと、クリスターの脇腹に手を伸ばしてくすぐった。クリスターは笑い声をあげ、身をよじって逃げようとするが、レイフは余計にその気になって、追いかけた。 
「ば、馬鹿…こんなの子供じみてる…よ…っ」
 レイフは笑いながらクリスターの上に馬乗りになって、彼をくすぐった。その体を今度はクリスターが捕まえ、ベッドに引き倒し、上から覆いかぶさった。
「あははっ…兄ちゃん、重い…」
 レイフは、上に乗ったクリスターを抱きしめながら、くすくす笑った。
「クリスター?」
 クリスターが答えないのを不思議に思って問いかけると、彼はいきなりレイフを強く抱きすくめた。
「レイフ」
「うん?」
 レイフはクリスターと抱き合ったまま、兄のいうことに耳を傾け、大人しくじっとしていた。
「僕のこと、好き?」
「大好きだよ」
 レイフは首をかしげた。
「何で、そんなこと聞くんだよ?」
 クリスターはレイフの肩に頭を押し当てたまま、しばらく黙っていた。
「僕と一緒にいて、幸せ?」
 クリスターは、自信なさげな小さな声で、おずおずと尋ねた。ひどく恐がっているようだった。
「クリスターってば、やっぱり変だ」
 レイフはびっくりして叫ぶと、クリスターの肩をつかんで体をずらし、その顔を覗き込んだ。息を飲んだ。
「兄ちゃん…」
 クリスターがあんまり深刻な思いつめた表情をうかべていたので、レイフは一瞬言葉を失った。
「ごめん、レイフ」
 クリスターが身を引こうとするのを、レイフはとっさに手を伸ばして引き止めた。
「幸せだよっ。オレ、クリスターが傍にいない生活なんて考えられない」
 言葉にしなくても、そんなことは分かりきっているはずなのに、あえて尋ねるクリスターの想いがレイフにはよく分からなかった。
「あいつに…アイヴァースの奴に何か言われたのか…?」
 それ以外に考えられなくて、レイフは、クリスターの体をひしと抱きしめながら囁いた。
「なあ、あんな奴の言うことなんか信じるなよ。人の言葉を鵜呑みにして悩むなんて、兄貴らしくないぜ。オレ達のことを赤の他人のあいつになんか分かるはずがないじゃないか」
 慰めるようにクリスターの背中をさすりながら、レイフは優しい口調でかき口説いた。
「オレは、他の奴らが何と言おうと、クリスターと一緒にいたいよ」
 クリスターがレイフの上で身動きした。彼は体をずらして、レイフの顔を真上から覗き込んだ。
 レイフはクリスターの唇が何か言いたげに震え、その瞳が飢えたような切迫した光をたたえて自分を見つめていることに、また少し落ち着かなくなってきた。
 クリスターが覆いかぶさってきて、レイフの頬に唇を押し当てた。
「クリスター」
 レイフは、カッと頬が熱くなるのを覚えた。
「オ、オレさ、やっぱり一度アイヴァースに会ってみるよ。そうして、きっちり話をつけてやる。変なことを言って、クリスターを悩ませるのはやめろって」
 ドキドキいっている胸の鼓動が兄に聞こえることを恐れるように、レイフは言った。
「いいだろ?」 
 クリスターは、しばし黙って、考えをめぐらせているようだった。
「いいよ」
 やがて返ってきた答えに、レイフは少し意外な気がした。レイフがアイヴァースに会おうとすることに、クリスターは頑強に反対していたのだ。
「あさっての放課後、僕はアイヴァース先生のカウンセリングを予約しているから、僕の代わりにおまえが行ってきたらいいよ」
 クリスターはレイフの傍らに横たわった。
「そうだ、こうしたらいい。おまえは僕になりすまして、アイヴァース先生を騙してやるんだ。途中まで僕の代わりに話を聞いて、いきなり正体を明かしてやれ。先生は、さぞかしびっくりすると思うよ」
 この悪戯の提案に、レイフは目を輝かせた。
「いいな、それ。よし、あの取り澄ましたインテリ野郎の肝をつぶしてやるぞ。クリスターを苛めた仕返しにうんと驚かせて、それから、双子の区別もつかないくせにカウンセリングなんかするなって笑ってやる」
 すっかりその気になって打倒アイヴァースの闘志を燃やしているレイフは、クリスターが謎めいた微笑を漏らして己の思索の中に沈みこんでいくのには気づかなかった。
 やがて、レイフはそのまま眠り込んでしまった。朝起きると、傍にクリスターの姿はなく、下の自分のベッドに移動しているのを見つけた。
(ちぇっ)
 レイフは不満げに唇を尖らせたが、あのまま一緒に寝てしまったら、狭いベッドの中で寝返りもろく打てなくて、さぞかし不自由だったろうということは認めない訳にはいかなかった。


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