ある双子兄弟の異常な日常 第二部
第1章 危険なゲーム
SCENE6
探偵には、やはり助手がつきものだ。探偵をするにあたって、クリスターの頭には、そんなことがうかんだ。
レイフが一緒だったら面白いだろうなどと想像してみた。しかし―。
「兄ちゃん、待てよ!」
金曜の夜、恨めしげで不満たらたらな顔をしたレイフが詰め寄ってくるのに、すぐさま彼は頭の中でその考えを否定した。
(却下)
レイフにそんな隠密活動などできるはずがない。騒がしくて、落ち着きがなくて、秘密を黙っていられない弟に話したら、すぐに他の人間にも双子が何かやっていると分かってしまうだろう。それに、この件については、クリスターはレイフを関わらせたくないと思っていた。
「明日のサイクリング、どうして急に行かないなんて言い出すんだよっ。約束だったじゃないか。クリスターの嘘つきっ」
明日の休みは、双子達は友達と一緒にサイクリングと釣りに行く予定にしていた。しかし、クリスターはこの土日を探偵活動にあてることにしたので、弟との約束は反故にしなければならない。
「悪いけど、他にしたいことができたんだよ。おまえは、マイケル達と約束どおり出かけたらいい。双子だからって、いつも一緒に行動しなければならないわけじゃないんだから、たまには僕なしで遊んでおいで」
「何だよ、それ」
レイフは不満そうに頬を膨らませた。
「一体、一人でどこに行って、何をするつもりなんだよ。こそこそと何を企んでいるのさ」
案外鋭いところをついてくる弟に、クリスターは一瞬困った。
「…探したいものがあるから、ボストンの公共図書館まで行こうと思うんだよ。一緒に行きたいならおまえもついてきていいけれど、退屈なだけだよ、たぶん」
図書館と聞いて、レイフはたじろいだ。本当に本の虫であるクリスターは、図書館を訪れるとほとんど一日中動こうとしないし、それに一旦活字の世界の没頭し始めるとレイフの相手などしてくれない。レイフにとっては、できれば避けたい場所なのだ。
「ちぇっ、それならいいよ」
レイフはやっとあきらめたようだ。
「お土産を何か買ってくるよ」
がっくりと肩を落とす弟に、クリスターは少し罪悪感を覚えたが、自分だけの秘密の計画を今更中止にする気はなかった。
明日の探偵活動のために、クリスターは既にそれなりに下調べも行っていたのだ。
親しくしている事務員の所に遊びにきたふりをして、学校の事務室に保管されていた職員リストを盗み見し、アイヴァースの自宅の住所と電話番号を調べた。更には、電話帳で彼のクリニックの所在地も割り出した。明日はまず、ボストン市内にある、休業中の彼のクリニックを訪ねてみるつもりだった。
(アイヴァース先生が熱心に取り組んでいた仕事を放棄しなければならなかったのには、それなりの理由やきっかけがあったはずだ。あの写真に先生と一緒に写っていた若い男の人にも、何か関係があるのかも知れない。自分のことを失敗例だと書いていたあの人は、先生の何なのだろう。アイヴァース先生の仕事場に行って、その辺りのことを調査してみたら、先生の秘密が分かってくるだろうか)
いっぱしの探偵気取りのクリスターは、一夜明けて、よく晴れた土曜の朝、予定通り出発した。レイフとお揃いの愛用のリュックサックには、ノートと筆記用具、資料用のファイル。住所を書いたメモと例の写真はポケットに入れて、ボストン市行きのバスに乗った。
そうしてボストンの中心部まで出ると、今度は地下鉄に乗って、予めあたりをつけておいた駅で降りた。後は、住所を頼りに、道行く人に尋ねたりして、クリスターはアイヴァースが営んでいたクリニックを探した。近くにビジネス街がある、なかなか小奇麗な場所だ。それらしい通りを半時間ほどうろつきまわって、やっとクリスターは目的のビルを探し当てた。
「間違いない、このビルの三階だ」
ビルの入り口にあまり目立たずにあったメンタル・クリニックの案内には、ドクター・アイヴァースの名前が記されている。
クリスターは、彼に診察を希望する患者を装ってビルに入ると、一階の管理人室からこちらをじっと見ている男ににこりと笑って、エレベーターに乗り込んだ。
(堂々としろ。後ろめたそうな態度を取ると、それこそ怪しまれるぞ)
さすがに少し不安がつのってきたクリスターは、エレベーターの中、両手で頬を軽く叩いて、気合を入れた。やがて三階に着いたエレベーターから、意を決して、降りる。
アイヴァースのクリニックは、エレベーターのすぐ正面にあったが、彼が以前語ったように、本日休診の小さな看板が出ていて、中に人のいる気配もない。ドアの前に立ったクリスターは、そこに緊急連絡先の電話番号を記した張り紙があることに気がついた。アイヴァースの自宅の電話番号とは違う。ここで働いていた事務員のものであったら、幸いだ。クリスターはノートにその電話番号を書き込むと、再びエレベーターで一階に下りていった。
「あの…すみません…」
クリスターは、先程自分をじろじろと眺めていた管理人のところに行くと、いかにも無害な学生といった顔をして、声をかけた。
「三階にあるクリニックなんですが、もう随分長いんですか、休診って…?」
「坊やは、ドクター・アイヴァースの患者さんかい?」
「昔、お世話になったことがあるんです。先生のおかげで、すごくよくなって…別に診察希望ではないんですが、今度この街から引っ越すので、その前にドクターにも一度挨拶をしたいなって思いついて、ここに」
「それは、残念だね。ドクターはこの所ここには姿を見せないよ。少し前までは事務員さんがいて急な患者さんの応対をしていた様子だけれど、診療はほとんどおこなっていなかったんじゃないかな」
「閉院になったということなんでしょうか」
「さあね、でも、このままだと近いうちにそうなるだろうね」
初めは疑い深げだった黒人の管理人も、育ちのよさそうなクリスターの態度に心を和らげ、打ち解けて話すようになってきた。
「以前はすごくはやっていたクリニックなんだがね。いい先生だとの評判を聞きつけて、遠くからも患者がやってきた。いや、本当にアイヴァース先生はいい人だったよ。わしも、自分の子に何かあったら、あの先生を頼ろうと考えてたくらいさ。それが、もうかれこれ1年くらい前だね、ドクターが大変な災難に見舞われて、それ以来、すっかり調子を崩しちまって、仕事どころじゃなくなったのさ」
「災難?」
「新聞にも確か載ってたと思うけれどね。ドクターは、このクリニックで危うく殺されかけたんだよ、銃で」
「う、撃たれたんですかっ?」
この時ばかりは本当に驚いて、クリスターは思わず叫んだ。ほとんど一日中一人きりの仕事で退屈していたらしい管理人は、クリスターが事件について何も知らないことに興をそそられたらしい。深刻そうな顔つきをして、クリスターの方に顔を寄せると、声をひそめて囁いた。
「ああ、しかも、大きな声では言えないが、ドクターを殺そうとした犯人なんだが、何でも彼のもと患者らしいっていうんだよ。今の坊やみたいに、昔お世話になった先生のもとをある日思い出したように訪ねてきて、それから、ちょくちょく遊びに来ていたらしいな。近くの大学に通っている大学生ということだった。わしも、ちらっと見たことはあるよ。とても、あんな大それたことをするような子には見えなかったが…なかなか綺麗な顔をした、大人しくて、頭のよさそうな少年だったよ」
「先生を撃ち殺そうとしたなんて、どうして…?」
クリスターは半ば呆然となって、呟いた。
「そのあたりの事情は、よく分からんよ。理解できないと言った方がいいかな。あんな人格者の先生を殺そうとするなんて、あの若者は、頭をちょっとやられていたに違いないとわしは思うんだがね。タブロイド紙などでも、犯人は精神科の通院治療中だったと書かれてた。嘘か本当かは知らんがね。昔治療を受けたことのある先生を逆恨みでもしておったのかな」
クリスターはポケットの写真を取り出して、この男に見せたい衝動に駆られたが、怪しまれるのはまずいので思いとどまった。
「その犯人は、どうなったんです?」
すると、管理人は傷ましげな顔になった。
「死んだよ。ドクターに重傷を負わせて、犯人はすぐに頭を撃って自殺したんだ。まだ若いのに、気の毒な話さ」
「死んだ…」
写真の中でアイヴァースに寄り添うようにして笑っていた若者の姿が、クリスターの脳裏にうかびあがった。その笑顔を傍らのアイヴァースの笑顔と比べて、クリスターは少し違和感を覚えていた。何だか、心から楽しんで笑っているようには見えなかったのだ。
クリスターはそのビルを後にして、管理人に教えてもらった近くのカフェに立ち寄った。おいしいコーヒーを出す、くつろげる店で、アイヴァースもよく通っていたという。
クリスターは、そこでも、カフェの店員相手に聞き取り調査をした。
「ドクターのことはよく覚えているわよ」
コーヒーを運んできた若いウエイトレスは、アイヴァースのことを尋ねる見慣れぬ客、クリスターの顔やスタイルにさっとチェックを入れるような視線を走らせた後、愛想良く笑って答えた。
「もう、随分顔を見ていないけれどね。すごく、お気の毒だと思うわ。いい先生だったのに、あんな事件に巻き込まれて…怪我が治って仕事には復帰したものの、立ち直ることはできなかったみたいね…事件後しばらくぶりにうちに立ち寄ってくれた時も、別人みたいな憔悴した顔つきだったわ…ねえ、噂なんだけれど、先生が殺されかけた犯人とはすごく親しく付き合っていて…もしかしたら恋人だったんじゃないかって話もあるのよ。本当にそうだとすると、先生のあの落胆振りの理由も分かるわ。あんまりショックだったから、ついには先生まで心のバランスを崩して、別の医者にかからざるを得なくなって、ついにはクリニックも閉めてしまったんだっていうのよ。本当に、可哀想なドクター…」
女の人が噂好きだというのは、本当らしい。一回話を振っただけで、聞かれたこと以上に詳しくアイヴァースについて話してくれたウエイトレスに感謝しながら、クリスターはカフェを後にした。
次にクリスターが訪れたのは、ボストンの公共図書館だ。そこで、アイヴァースが殺されかけたという事件の新聞記事を探そうと思ったのだ。
程なくして、クリスターは、ある地方紙に、その事件について書かれた記事を見つけた。小さくはあるが、犯人の顔写真も載っていた。
クリスターはポケットから取り出した写真と新聞の顔写真を見比べた。
(やっぱり、この人だ…アイヴァース先生を殺そうとして、その直後に自殺した犯人)
クリスターは、若者の顔についにたどり着いた時、急にひどい疲労感を覚えて、図書館の机に突っ伏してしばらくぐったりした。そうしながらも、彼の頭の中には、初めて知ったアイヴァースの過去の秘密がぐるぐると渦巻いていた。
アイヴァースは昔の患者に殺されかけた。アイヴァースに重傷を負わせた後自殺した、そのもと患者とは、彼は個人的にとても親しい間柄だった。だから、アイヴァースはショックを受けて、仕事に対する情熱もなくして、クリニックが閉院寸前になるまで追い詰められたのだ。
この日クリスターが知ったのは、あまりにも悲惨で、根の深いものを感じさせる秘密だった。知ってしまったことに、今更ながら、クリスターは幾分怖気づいている。反面、うかびあがった別の疑問について、更なる好奇心を覚えている。
どうして、あの若者はアイヴァースを殺そうとしたのか。パトリック・バークスという名前だということも、今のクリスターは知っている。アイヴァースは、パトリックととても親しかったそうだけれど、恋人だったという話は単なる噂にすぎないのか。
(先生自身も医者にかからなくてはならないくらいに精神的に参っていたらしいけれど、今はもう大丈夫なんだろうか。学校での仕事は普通にできているみたいだけれど、セラピストに戻って患者を診るのは、やっぱり辛いのかな)
クリスターは、いつの間にかアイヴァースの心配などをしている自分に気がついた。会えば腹が立つばかりの相手ではあるが、他の大人とは違って、手強い、一癖あるアイヴァースには、クリスターは興味を引かれていた。好奇心に駆られるがまま、こんな探偵まがいのことをして、彼の過去をほじくり出して、そのことに少し罪悪感も覚えているかもしれない。行き着いた真実のあまりの暗さに、さすがに同情的になっているのかもしれない。
(いい先生だったとは、昔の彼を知っている人たちは口を揃えて言っていた。あの事件の裏にどんな深い事情があったのか知らないけれど、早く立ち直って、現場に復帰して、昔のような素晴らしい仕事を続けて欲しい…)
帰りのバスに揺られている最中も、クリスターはずっとそんなことを考えていた。
「クリスター、遅かったじゃないかっ!」
夕食の時間ぎりぎりにクリスターが家につくと、今か今かと待っていたらしいレイフがリビングから飛び出してきた。
「もう、オレにはいつも門限までに帰らなきゃってうるさいくせにずるいや、兄ちゃん」
「ごめん。図書館で、つい本を読むにのめりこんじゃって」
奥のリビングから、テレビを見ていたらしいラースが玄関の方に顔を覗かせた。
「クリスター、早く着がえてこい。もう夕飯にするぞ。おまえが帰ってくるのを皆待っていたんだ」
ラースも少し渋い顔をしていた。
「ごめんなさい。アイヴァース先生に教えてもらった心理学の本を、どうしても読みたくって…」
アイヴァースの名前を聞いて、レイフは不機嫌そうに顔をしかめた。
「また、アイヴァース先生かよ。クリスターってば、すっかり影響受けてさ。そんなにいい先生なら、オレも、どんなふうなのか、いっぺんカウンセリングを受けにいってみようかな」
「駄目だよ」
強い声で言うクリスターを、レイフはびっくりしたように見つめた。
「必要ないのに、ただの冷やかしで行ったりしたら、先生に迷惑だよ」
「ク、クリスターだって冷やかしみたいなものなんだろっ」
逃げるように2階の部屋まで駆け上がるクリスターを、レイフは追いかけてきた。
「気に入らないぞ、クリスターのアイヴァースに対する態度っ」
部屋の中にまでついてくるレイフに、クリスターは溜め息混じり、リュックサックから取り出した箱を差し出した。
「はい、約束のお土産」
途端に、レイフの目が輝いた。
「あ、あ、NFLのトレーディングカードじゃないかっ」
街で見つけた大きなカードショップで買ったカードのセットを渡すなり、たちまち機嫌を直すレイフに、クリスターは脱力しそうになった。
(ほんとに素直というか単純というか…)
それでも、床に座り込んで早速箱を開け、中のアルミパックを嬉々として破って中身を確かめだすレイフに、気の張った一日を送ったクリスターは心が和むのを覚えた。
「カードをチェックするのは後にしようよ、レイフ。先に下に行って、食事にしよ」
レイフは顔を上げ、にこっと笑った。
「クリスター、ありがとうっ」
興奮に頬を紅潮させた弟は本当に可愛くて、思わず抱きしめたくなる衝動をクリスターはぐっと堪えた。
その翌日、クリスターは、アイヴァースのクリニックで控えて帰った緊急連絡先の番号に、家の近くの公衆電話から電話をした。
念のため、確かめておきたいことがあったからだ。
事務員らしい女性に、クリスターは、低い大人の男の声を演じて、あるタブロイド氏の記者を名乗った。
「…実は例の事件の加害者である大学生のことで、アイヴァース先生にちょっと尋ねたいことがあるんですが…ええ、実は先生と加害者が恋人同士ではなかったかという噂がありましてね…」
クリスターは、カフェで聞いた『噂』の真偽をどうしても確かめたかったのだ。アイヴァースと一緒に写真に写っていた大学生パトリック、アイヴァースを殺しかけたもと患者は彼の『恋人』であったのか。
新聞記者を装ってアイヴァースの連絡先を尋ねてみせるクリスターに、事務員の女性は、何か嫌なことを思い出したらしく、いきなり怒り出した。
「もう取材なんか真っ平! 一年以上も前の事件のことを今更蒸し返してどうしようっていうんですっ。ドクターがパトリックと同性愛関係にあったかなんて、私に聞いたって知るものですかっ。そんな話は、もうたくさんよっ」
クリスターは幾分焦って言葉をつごうとしたが、彼女はすぐさま電話を切ってしまった。
嘘の電話までして、知らない相手をあんなに怒らせてまで、どうして、そんなことを確かめずにいられなかったのか。
クリスターは、通話の切れた電話の受話器を見つめたまま、しばし考え込んだ。
(つまりは、それが事実ということ、か)
アイヴァースはパトリックと恋愛関係にあった。事務員は直接言葉で噂を肯定した訳ではないけれど、受け答えの雰囲気から、クリスターは、何がしかの真実があの噂には含まれているということを確信していた。