愛死−LOVE DEATH− 

第四章 最後の子供



ヴァンパイア同士のカップルは長続きしないことが多いとレギオンは言ったけれど、カーイは、そんなことは嘘だと思っていた。自分たちの命と同じく、その愛にも終わりはないのだと、ひたむきに信じていた。束の間の時を重ねるだけの、しょせん捕食の対象に過ぎない人間の愛人達に、心を預けることはもう諦めた。しかし、同じ宿業を背負う永遠の狩人の仲間ならば、喜びも哀しみも分かち合い、孤独を慰め合い、死によっても引き離されることのない永遠の伴侶として、共に永生を重ねることができるはずだ。人間のふりをして嘘をつく必要もない、あるがままの自分として振舞える理想の恋人は、自分と同じヴァンパイアしかあり得ない。人間相手の狩りを通じてカーイが得た結論だ。

「レギオン、この頃のあなたって、何か変」

一度相手を信頼すると胸に抱いた感情を洗いざらいぶちまけてしまわずにはいられないカーイは、この所、しきりにそんな説明しがたい不安と不満を恋人にぶつけることが多くなっていた。

「変って、何が?」

自室のソファに寝転がっていたレギオンは、読んでいた本から目を上げ、ペタンと床に膝をついて自分を覗き込んでいるカーイの拗ねたような顔を見ると、心外そうに言った。カーイの深刻な様子に眉をひそめ、本を傍らに置くと、姿勢を正して真面目に向き直って話を聞こうとする姿勢は誠実そのものだが、それもカーイを安心させることはできなかった。

「何って聞かれるとよく分からないけれど…でも、何だか、この頃のあなたはどこか変わってしまった気がするんです。少し前までは、例え言葉や態度にも出さなくったって、あなたの心は僕の向かって開かれていて、一緒にいる時はとても満足してくつろいでいるあなたを感じられたけれど、この頃はそれがなくなってしまった。あなたの心が見えてこない…時にはまるで見知らぬ他人のようによそよそしく冷たくなってしまった…。ねえ、レギオン、どうして…?」

「私は君に対して、冷たくよそよそしいかい、カーイ?」

カーイの腕を捕まえ、引っ張りあげるようにして、レギオンは彼を抱きしめた。

「どうしてそんな馬鹿なことを考える、カーイ?私が君を愛していることは知っているだろうに…何なら、私の血を飲んでみるかい?共に狩りをし、ヴァンパイアの友人同士でしかできないことを語り合い、恋人として抱き合う、私達の関係は、何一つ変わっていないはずだよ。錯覚だよ、カーイ。私達の恋に水を差す、そんな馬鹿な考えは忘れてしまうんだ」

レギオンの言うとおり、目に付くような変化は何一つ生じていない。彼らは相変わらず一緒に街に出かけて遊び歩き、時に人間の若造のようなはめを外した馬鹿騒ぎに興じ、恋と狩りのゲームも相変わらず続けていた。愛し合う回数が減ったわけでもないし、それに対する情熱が薄れた様子もない。にもかかわらず目に見えない所で大切な何かが変わりつつある。レギオンだって気づいているはずなのに、こんなふうにまたしらを切るなんて、許せない。

「馬鹿にしないでください」

かっとなってカーイはレギオンの腕から身を振りほどいた。

「僕が、そんなふうな白々しい態度で接せられるのが大嫌いだって事を知ってるくせに…!」

するとレギオンの方も、いきなり感情的になって、苛立ちもあらわにはね付けるように言いはなった。

「私にどうしろと言うんだい、カーイ。君にはもう飽きた、もう愛していないとでも言えというのか」

カーイは蒼白になった。次いで、瞬く間に血の色が頬に昇って来て、唇がわなわなと震え出す。カーイが激昂し、わめき散らしながら打ちかかってくるのを覚悟して、レギオンは頭を庇うかのように軽く腕を上げた。が、怒りを爆発させると思いきや、カーイは両手で顔を覆って、わっと泣き出してしまった。怒りが激しい分、悲しみもまた深く抑えがきかないのだといわんばかりの歔欷の声をあげて、発作めいた昂ぶりに華奢な体を震わせるカーイは、このところのヴァンパイアとしての目覚しい成長ぶりはごく表面的なものに過ぎなかったのだというかのように、ひどく幼く頼りなげだった。

「カーイ…馬鹿、泣くんじゃない」

レギオンは、幾分慌てて、カーイの体を再びかき抱き、優しい声で慰めた。本気で後悔しているようだった。子供相手にむきになってしまった、自分自身を恥じているようにも。

「僕を嫌いにならないで…」

小さな子供のようにしゃくりあげながら、しがみついてくるカーイの背中を、レギオンはなだめるように軽く叩いてやっている。困ってはいるようだが、同時にこんなふうな無防備な、あふれ出る感情のままに細い肩を揺らして泣いている恋人の姿に、実に久しぶりに心を動かされ、魅せられている様子だった。

「嘘だよ、嫌いになどなるものか。カーイ、愛しているよ…愛してるから…」

レギオンの声の響きが変わり、カーイが望んでやまなかった懐かしく慕わしい、深い愛情がこもった。カーイは、涙でぐしょぐしょになった顔をあげ、どうしても止められない様に喉をひくひくいわせながら、大きく見開いた目でレギオンの顔をひたと見つめた。

「カーイ…」

レギオンは何か言いかけたようだが、声を詰まらせ、代わりにカーイの頭を引き寄せて、不安げにわなないている唇に己の唇を重ねた。レギオンの腕の中でカーイは従順そのものになっていた。レギオンに嫌われるなど、考えただけで心臓が潰れてしまいそうだ。やっと取り戻した、以前と同じ親密な情が通じあう、恋人とのこの一時を壊したくなくて、カーイはじっとおとなしく、与えられるくちづけの一つ一つに胸を震わせていた。

「ずっと…僕の傍にいて…」

互いを分かりあえる数少ない仲間でもある恋人を失ったら、カーイは一体誰を愛せばいいのか。人間ばかりがはびこるこの世界で、嘘の偽りのない真実の想いをどこに向けたらいいのか。それを思い、ぞっとして、離すまいというようにレギオンの体に回した腕に力を込めた。

カーイの心からの懇願に、レギオンは答えなかったが、今にも窒息しそうなくらいに強く抱きしめる腕が、あたかも彼自身も同じ想いに身を焼いているのだと訴えかけてくるかのようだった。



「ブリジット」

レギオンの部屋から、一人とぼとぼと肩を落として出てきたカーイは、どうするか迷うようにしばらくその部屋の前をうろうろした挙句、ついに思いきったように扉を叩いたが、そこにいると思った母の姿はなく、いないとなると余計に話がしたくなって、彼は階段を下り屋敷中を探しまわった。

「ブリジット、どこです?」

どうやら家の中にはいないと知ったカーイは、手入れの行き届いた中庭に出ていって、母親を探し求めた。程なくして、カーイの声に応えるかのように、胸の前で両手を軽くあわせたブリジットが、大きく枝をはり伸ばした楡の木の陰から歩いてきた。

息子の姿を見ると、ブリジットの黙っていると近づきがたい超然とした気品の漂う顔に、親しみのある微笑が広がり、真っ白なクリームのような頬に羽で撫でつけたようなかわいらしいえくぼができた。

「何を…持っているんです?」

ブリジットが胸の前で軽く合わせた手の間に大事そうに何かを隠していることに気づいて、カーイは、一瞬胸を満たしている悲嘆も忘れて、問いかけた。

すると、ブリジットは好奇心に満たされてひょいと覗き込む息子の目の前で、閉じていた手をそうっと開いた。

「小鳥…?死んでるの?」

ブリジットのほっそりとした手の中に隠されていたのは、悪戯な猫にでもやられたのか、傷ついて今にも死にそうになっている小鳥だった。小さな体が流した血が、ブリジットの真っ白な手を汚しているのが、何となくカーイを嫌な気分にさせた。

「どうして、そんなものを拾ったの?こんなになったらもう手当をしたって、助からないよ」

するとブリジットは、軽く眉をあげてたしなめるようにカーイを見、その眼差しはカーイを少し恥じ入らせた。

「この子の助けてという声が聞こえてしまったからよ。どうせ助からないなんて、そう決めつけるものではないわ、カーイ」

そう穏やかな声で囁いて、ブリジットは手の中の小鳥を指先でいたわるように撫で始めた。初めは母の意図が分からなかったカーイだったが、同じ動作を繰り返す母の指先から、強い気の流れを感じ、やがて手の中でじっとうずくまるだけだった小鳥が動き始めるのを目の当たりにして、思わず驚嘆の息をもらした。

「どんなに小さくても、か弱くても、命は生きようとするもの」

傷がいえ、もとの生命力を取り戻した小鳥が、己の手から力強く蒼穹に向けて飛び立つのを見送って、ブリジットは満足そうに笑った。

「命は生きようとするもの…」

母の呟きを繰り返し、ふいにカーイは、言い様のない後ろめたさを覚えて、慈愛の女神とでもいうかのような神々しいその姿から目を逸らした。この所、必ずしも血の必要からではなく、楽しみのために虫けらのように人を殺す、殺人ゲームに興じていた、それに何の罪悪感も抵抗も覚えてこなかった自分自身にいきなり強烈な怖気を覚えて。

「私に何か話があるのではなかったの、カーイ?」

そんな、いたたまれない思いにかられて立ち尽しているカーイを、ブリジットは、あるいは気づいていたのかもしれないが、気づいていない素振りで、ごく当たり前の母親のような親しみのこもった口調で言った。

とたんに自分がなぜ母を探していたのか、当初の目的を思い出し、同時に束の間忘れていた心掻き乱される思いがよみがえってきて、カーイは目を見開いて狂おしくブリジットを見据えた。 

カーイの目はまだ泣き腫らしていたし、鼻だってきっと真っ赤になっていただろう、何よりもその悄然とした様子を一目見たら、これはただ事ではないとすぐに分ってしまうはずだった。これが普段ならば、せめてここに来る前に顔を洗うとか、もう少し取り繕うことにも頭が回っただろが、今のカーイにはそれさえ思い至らなかった。レギオンとの関係は、母には伏せておいたものだったので、激しい抱擁のおかげで乱れたままの髪に、服にもしわが入った状態で会いに行くのもどうかというものだが、それすら気づいていなかった。

しかし、かくも取り乱した息子の姿を目の当たりにしても、果たせるかな、ブリジットは落ちついていた。

「部屋に戻りましょう。熱いお茶を運ばせて、久しぶりにあなたと二人でゆっくり話がしたいわ、カーイ」

先に立って優雅な足取りで屋敷へと向かう母の背中を、カーイは、ほっと気が緩んできたのか、またしてもこみ上げて来る涙にかすんだ目でしばし立ち尽くしたまま追っていたが、手の甲で目をこすると、慌ててその後を追いかけた。



「…レギオンの話だと、あなたはもうすっかり狩りにも慣れて、一人でもちゃんと獲物をしとめられるようになったそうね」

当たり前のことのように狩りの話をするブリジットは、先程の慈しみに満ちた微笑みで救った小鳥を見送った彼女とは一見矛盾しそうだが、どちらの顔も真実だった。残酷な狩人としての本能と、生きようとする命に対する愛情とにどうやったら折り合いをつけられるのか、カーイにも不思議でならなかった。か弱くもろい人間達に同情など覚えては、狩りはできなくなる。狩人として熟練すればするほど、残酷になるのは仕方のないことだった。

「ええ、初めは恐ろしかったし、どうしたらいい分からなくて失敗ばかりしていたけれど、この頃はそれが当たり前のようにできるようにはなりました。と言っても、レギオンほどあざやかにできるわけではないけれど」

「あなた達は、いつも一緒に狩りをするのね」

カーイは、少し頬を赤らめた。レギオンの名前を聞いただけで心臓がどきどきしたが、ブリジットには悟られまいと気を配って、冷静なふりをしていた。

「僕の先生ですから」

うつむいて、とってつけたようなことを口の中でもごもご言ってる息子に、ブリジットはそっと目を細めた。

「隠さなくてもいいのよ、カーイ。レギオンが好きなのでしょう?」

弾かれたようになって顔を上げ、カーイは、ぽかんと口を開いて凝然と母を見つめた。 

「ごめんなさい、あなたがレギオンとの恋を私には知られまいとしていることは気づいていたけれど、私にとっては分身のように感じられるあなたの思いは分ってしまうの」

その通りだ。母に秘密を持つことなど、初めから不可能だったのだ。それにレギオンも言っていたではないか。人を馬鹿にしているのではないかと思えるくらいに自分の心を隠すのが下手な息子が、懸命にその恋を内緒にしようと取り繕っている姿は、彼女にとってはおかしいと同時に、どう話しかけるべきか迷うようなものだったに違いない。カーイは、恥ずかしさに見る間に真っ赤になって、しおしおとしょげ返ってしまった。

「あなたは私に気を使っているつもりだったのでしょうけれどね。そんな気遣いは必要なかったのよ。私は、あなたが幸せでいてくれたら、それでいいの。だから、あなたにちょっと恥ずかしい思いをさせても聞こうと思ったのだけれど…レギオンとは、うまくいっているの?」

気遣いに満ちたその問いかけに、カーイの中で何かが弾け飛んだ。とたんに堰を切ったように、大粒の涙がその目からこぼれ出し、カーイは、激しくしゃくりあげだした。かまうものか。どうせ母はみんな知っているのだ。

「レギオンは…この頃妙に他人行儀で、よそよそしいんです。別に僕に腹を立てたり、不満を訴えたりするわけでもない…いっそそうしてくれたら、どんなにかすっきりすると思うくらいに、彼は自分の本心を隠すことには長けていて、いつもと変わらず優しく僕を愛してくれるふうだけれど…でも、もう最初の時のような本気が感じられない。ううん、そうじゃなくって、僕とまともに向き合うのが嫌だという感じ…どうして…?僕の何がレギオンを倦ませるんだろう…僕はずっとレギオンに認めてもらえるように、彼の横に並んでふさわしい相手になれるように、努力してきたのに、この頃やっと追いついてこれたと自分では喜んでいたのに…でも、肝心のレギオンが…もう、前のようには僕を見てくれない。こんなふうにかんぐるのも嫌だけれど、何だか僕を抱いてくれるのさえ、もしかして彼がそうしたいからじゃなくって、義務感からじゃないかとさえ思えて来て…どうしよう、レギオンは僕のことなんかもう飽きちゃったんだ。僕が、どうしようもなく子供で、我が侭で自分勝手なくせに、彼を満足させるような気のきいた話の一つもできない、恋の駆け引きも何も分からない、いつまでたっても不器用なつまらない相手だから…?」

感情が高ぶるにまかせて、一気にそんなことをぶちまけると、カーイは、ソファの上に身を投げ出すようにして泣き伏した。いくら何でもこれは、思春期の男の子が母親相手に打ち明ける類の話ではなかったが、母親の古い友人である男性との赤裸々な恋愛体験を洗いざらい話してしまうカーイも、顔色一つ変えずに時折頷きながら耳を傾けているブリジットも、その点普通の母子ではなかった。

「カーイ…そんなふうに泣くのはおよしなさい。ただの思いこみで自分を卑下するようなまねをしては駄目。私には、レギオンが少なくともあなたを嫌いになったとかそんなふうには見えないわ」

「でも…」

「あの人には、昔から、何というのか天邪鬼の所があったから…愛しているのに、興味などなくしたかのように拒絶したり、自分から離れていこうとするの。何でも気に入ったものは手に入れるために必死になるけれど、一度手に入れるとそれをなくす事ばかり考えて落ちつかない。とても不安なくせに、それを悟られるのが嫌なものだから、平気な顔をして、取り繕って、そうして心を閉ざしてしまう。恋人としては、随分もどかしくも腹立たしくもなるでしょうね。けれど、そんな動揺ぶりが大きければ大きいほど、それはレギオンの執着の裏返しとも言えるのよ」

「ブリジット…」

カーイは、泣くのをやめ、顔を上げると、母親のあくまで穏やかな顔を探るように眺めた。

「あなたはレギオンのことは本当によく知っているみたいだけれど…それは昔、彼と親しかったからなんですか。その…ただの友人以上に…つまり、レギオンとあなたは…?」

それは、ずっとカーイが胸の奥にしまっていた重大な疑問だった。秘密にしていたレギオンとの恋をぶちまけてしまった勢いにまかせ、気持ちの昂ぶりに後押しさるれがままに、口篭もりながらも、ようやく面と向かって、投げかけかけることができた問いかけだった。それから、言ってしまったことに、たちまち火のような羞恥の思いにかられて、真っ赤になってうつむいてしまった。

「そうね…」

ブリジットは、少しもたじろぎもせず、勇気を振り絞ったカーイの問いには、回顧の気持ちをかきたてられたかのように懐かしげな遠い目をして、あまやかな微笑みをもらした。

「もう、300年近く昔になるのかしら…?まだ、本当にひよっこの若いヴァンパイアだったレギオンと私は一緒に暮らしていたことがあったの。恋人同士と言ってもいいでしょうけれど…それよりもむしろ今のあなたとレギオンのような関係だった。私が言いたいことは、分かる?」

「ええ…今の僕のように、レギオンはあなたに負けっぱなしだったんですね。あなたは、彼の先生だったんだ。自分とはあまりにかけ離れた高みにある恋人に早く追いつこうと、彼も必死になっていた…?」

カーイは、まだ、先程の盛大な号泣の名残がぬけきらないかのように、時折喉をひくひくいわせていたけれど、母親との打ち解けた会話の中で少しずつ落ちつきを取り戻してきて、涙で汚れたその顔にも少しずつ明るさがよみがえりつつあった。

「私とレギオンの、こんな話を本当に聞きたいの?嫌なら、よしましょう、カーイ」

「ううん、嫌じゃない。聞かせて、ブリジット」

ブリジットは、優しく微笑んで、カーイの涙でぬれた頬にそっと手を押し当てた。

「何から言えばいいのかしら…それは今とは比べものにならないくらいの大勢のヴァンパイアがまだいたころで、当時、ローマがヨーロッパのヴァンパイア世界の中心だったの。最長老の数人のヴァンパイアを中心にした、ある豪壮な邸宅がその宮廷となっていたわ。そして、私は、その長老達の一人だった。ヨーロッパ中から、少なくとも一度はその宮廷を訪れるのが当時の慣わしのようになっていたわ。特に若いヴァンパイアたちは、そこでヴァンパイアとして生きる極意や守らねばならない掟のようなものを年長者から伝授されるというわけ」

「血を吸う者たちの、そんなに大きな組織があったんですか」

思わずカーイは胸に手を置いて、溜め息をついた。ヴァンパイアの宮廷。夜毎開かれる華やかな舞踏会、その出席者が全てヴァンパイアであるということを想像して、何て素晴らしいのだろうと、うっとりしてしまった。その中心に君臨する、ブリジットは女王だったのだと思い、カーイは誇らしくなった。

「レギオンは、そんな若者達の一人だった。ベネツィアの親のたっての願いで送りこまれてきたのだけれど、本人は、いかにも不本意そうな顔をして、紹介された師について真面目に学ぶことすらしようとしなかったわ。それどころか、初めから、宮廷で暮らす仲間達のことを馬鹿にして、そのやり方を公然と批判したの。ヴァンパイアが人間の真似事をして、宮廷など作って、勝手に定めた掟を皆に強制するのは、私達の自然に反すると言ったのよ。今になってみれば、その通りだったのかもしれないわ。私が去り、他の長老も結局孤独を求めてそれぞれにどこかに消えていくと、吸引力をなくした私達の宮廷は瞬く間に解体してしまったのだから。ただ、あれはあれで、一時の美しい栄華の記憶としてとどめておくだけの価値はあったと思うわ。話をレギオンに戻すと、一番の新米のくせに一番遠慮会釈もなく言いたいことを言う、それに外見も物腰も華やかで、控えめな所など少しもないあの人は、良くも悪くも、とても目立つ存在だった。彼と同じか少し上の先輩の仲間には、ひどく嫌われて、何かにつけ攻撃の的になっていたわ。それでも、へこたれずに、あの人はやられたら倍以上にしてやり返して、しかも相手が誰でも手加減をしないのよ。例え少しくらいあの人より力が強い相手でも、ヴァンパイア同士で全力の喧嘩などするだけの気概は大抵持てないものだから、激したあの人を前にするとひるんで、背中を向けて立ち去るの。そうするうちに、誰もあの人に手出しなどしなくなったわ。そうして、あの人は、ますます増長していったのね」

「何て、とんでもない男だろう」

カーイは、呆れかえったふうを装って、そうもらすが、その胸は言葉とは裏腹に心地よい興奮に高鳴っていた。

「若いヴァンパイア仲間には敵意で迎えられたレギオンだけれど、年長者たちには、むしろ好ましく思われていたわ。彼の物怖じしない態度、旧態依然とした組織に対する若々しい非難も、私達にとっては、暗くよどんでいた空気のこもる場所にふいに吹きこんできた新鮮な風の様で、すがすがしかったのよ」

「やんちゃな子供のように、思われたんですね」

「そういうことね」と、ブリジットは、悪戯っぽく微笑んだ。それから、小首を傾げて、どう話そうかと、考えをまとめるかのようにしばし黙した後、再び口を開いた。

「レギオンが…私に言い寄ったのは、あの人の目には、最長老の私が、そういった古い体制の象徴のように映ったからだと思うわ。同時に、どうあがいても駆けだしの青二才としてしか扱われない、最年少の彼の主張になど耳をかそうとはしない、周囲に対する挑戦でもあったのね。並み居る強力なヴァンパイアたちを出しぬいて、私を手に入れたら、それは素晴らしい勲章になると思ったのよ。それとも、見栄っ張りで自己顕示欲の塊のようなあの人には、自分に近い年の娘達は平凡過ぎて、最も高位にいたという理由で私こそが自分にふさわしい最高の女だとでも考えたのかしらね」

「ひどい奴」と、今度は本気で憤慨して、カーイは吐き捨てた。

「でもね、そんなふうに堂々と振舞って、プライドも高かったけれど、それは、レギオンにとってはほとんどぎりぎりのところで保てる虚勢だったのよ。何といっても、彼はまだ若い、世間知らずの未熟なヴァンパイアだったのですもの。それを周りに知られまいと、懸命に戦っていたのね。彼は、確かに早熟で体も大きかったし、物腰も態度も洗練されて申し分がなかったし、狩りに対しても勇敢でためらわなかったけれど、実際、あの人がそう見せかけようとするほど場数を踏んでいるわけではなかったのよ。だから、あの夜、厳しい警戒の目をくぐって、どうにか私の寝所に忍び込んだレギオンだけれど、私を前にするとたじろいでしまって、とても口説くどころじゃなかったのよ。侵入者に気づいた者たちが私の部屋の扉を叩いて様子を尋ねた時、あの人は、追いつめられた顔で私を見つめることしかできないでいたわ。その目が、どうかここから自分を追い出さないでと懇願しているようで、何だか本当に今にも泣き出しそうなやんちゃな子供の様に見えたものだから…可愛そうで、つい愛しく思えてしまったのよ」

ブリジットは、つと手を伸ばし、息を詰めて彼女の話に聞き入っていたカーイの胸の上に置いた。

「彼は、何でもない素振りをしていたけれど、とても緊張しているのが分かったわ。その心臓の上にこうして手を置いてみると、すごくどきどきしているのよ。私はおかしくなって、こう言ったわ。あなたの心臓は、まるで今にも爆発しそうねって、言ってやったわ。それから、真っ赤になってしまった彼にキスをしたの。そして、こう言ったわ。大人になれば、ずうずうしくなって、こんなこともなくなってしまうのよ。年を重ねるというのは、随分つまらないことねって」

「信じられない!」

心底驚いて、カーイは、口走っていた。

「あの厚かましい男に、そんなかわいい頃があったなんて。なんだ、レギオンってば、いつも大人ぶった顔で、僕のことを坊や扱いして、散々からかっているくせに、ずるい。そう言う自分だって、昔はつまらない駆けだしのヴァンパイアだった頃があったくせに」

「今度、機会があったら、彼にこの話をしておやりなさい。ブリジットとの最初のキスのことを聞いてご覧なさい。そうして、その胸に手を置いたら、さしものあの人の鉄の心臓も、胸の内で盛大に飛びあがっているのが分かるでしょうよ」

カーイは、声をあげて、笑い転げた。すっかり気分を回復した様子の息子に目を細め、ブリジットは続けた。

「そうして、私達は恋人同士となった。私のものである宮殿の一角で共に暮らす様になったの。そして、私の愛人、生徒となったレギオンには、もう誰も手出しをしなくなったわ。異端のヴァンパイアである彼の突出した態度に手を焼いていた周囲も、「最も古き血のブリジットの愛人」として認識することで、その掟破りな言動にもある種の免責を与えて目をつぶることができたのよ。行動の自由が与えられて、レギオンも、素直に喜んでいたわ。ええ、初めの頃わね。私と共に暮らすようになって、レギオン自身の態度も、以前の様に攻撃的ではなくなって、落ちついたものになっていったわ。理想の恋人と周囲の賞賛、望んでいたものが手に入って、満足していたからでしょうね。ええ、ローマでの数年は、彼の人生の中で最も華麗で光り輝いていた時期だったと、その後もレギオンは語っていたものよ。私も、あの人のことを愛していたわ。ローマで、私は自分を籠の鳥のように感じていたのだけれど、結局レギオンと別れて間もなく、自分からあの地を離れてしまったのだけれど…あの人の瑞々しい感性や素直な感情表現は、堅く冷たい石のようになりかけていた私の心を解きほぐしてくれたのね。ローマに見切りをつけて、自由を求めて旅立つだけの気概を取り戻せたのも、ひょっとしたら彼の影響だったのかもしれないわ。私の太陽、あの人の金髪を撫でながら、よくそう呼びかけたものよ」

「レギオンが太陽なら、あなたはさながら月の女神というところですね。何てお似合いの、完璧な恋人同士だったんだろう」

嫉妬の小さな炎がふいにわきおこって、カーイの胸をちりちり焼いたが、それは、ブリジットに愛していると言わせたレギオンに対するものなのか、カーイの知らない場所でレギオンとの親密な時間を過ごしたブリジットに対するものなのか、彼にもよく分からなかった。

「それも、遠い昔のこと、全てすんでしまった話なのよ、カーイ」

動揺の欠片もない穏やかな声にさとされて、カーイは、少し恥じ入った。

「その…あなた方は愛し合っていて、お互い幸せな時を過ごした。その後は、どうなったんです?どうして、別れてしまったの?あなた方も…そう、ヴァンパイアのカップルは、長続きしないことが多いと、レギオンは言っていたけれど、それは本当?どうして?」

ブリジットは、白鳥のような首をわずかに傾げて、再び思いつめたものになったカーイの顔を見返した。何も知らない無邪気な子供、ブリジットだけの天使とは既に言えなかった。恋の喜びも、その痛みも知りつつあるカーイは、急速に大人になりつつある。ブリジットにそっくりなその顔も、以前はまだ自分というものが確立されてはいなかったためか、見る者にはこの母の子という印象を与えるだけだったけれど、今ではなまじ造作がうりふたつであるだけに内面からにじみ出てくる違いが際立つようになってきていた。カーイの方が、ブリジットよりも冷淡で自己中心的、めったに人に心を開かないが、一度情をかけるとそれは深く、のめりこむ傾向があるようだ。今は、他のことなど考えられないくらいに、母の昔の恋人に夢中になっている。

「私達がヴァンパイア同士だから長続きしなかったのかどうかは、分からないわ。人間のカップルだって、この相手と思って暮らし始めたものの案外うまくいかずに終わってしまうことだって、あるでしょう。レギオンと私が一緒に過ごしたのは、3年くらいだったかしら。私達が生きる永遠の時間を思えば、確かにごく短い間の話となるのでしょうけれど。私達の仲に軋みが生じてきたのは、きっとレギオンの心情的な変化が一因ではなかったのかしら。まだ若いあの人は、最初は私のような年経た力のある恋人を持つことを、それこそ自慢の種の様に誇らしく思っていたし、学び取ることにも熱心で私の教えならば素直に受け入れていたわ。あなたの言うように、私に早く追いつこうと、レギオンも必死になっていたのかしら。彼の努力、真剣さ、果敢さは、教師である私をとても満足させるものだったのは、確かよ。私にとってのレギオンは、危なげなほどに幼い、導き、庇護しなければならない対象だった。レギオンは、急速に成長して、ヴァンパイアとしての自尊心と独立心を培っていったけれど、私は強固な岩の様に変わらなかったのよ。岩どころか、目の前に聳え立つ頂の見えない高い岩山のようにレギオンには思われたことでしょう、この私、1500年の齢を既に重ねていた古き血のブリジットは。彼の誇りは、私をいつかしのぎ征服することを求めていたけれど、彼の力も経験も、どんなに切磋琢磨しても私のそれには及ばないものだったわ。第一、力でひれ伏させることを恋人に求めずにいられないとしたら、初めのうちは楽しくても、ついには疲れ果ててしまうでしょう。私も、レギオンのそんなふうな支配欲の対象にはなりたくなかった。力によるのでなければ、いくらでも私を支配し征服することもできたでしょうに。私はそれでもあの人を愛していたのだから。真摯な眼差しと、心からの言葉が一つあれば、私はあの人のために、私の持てる力の全てを使ってどんな願いでもかなえてあげたでしょう。私の愛がそういうものだということも、私のような女を愛するのがどんなことなのかも、あの人は、初めから考えてはいなかったし、ついに理解もしなかったのよ」

ここで、ブリジットは言葉を切り、ふっと微かな溜め息をもらした。

「それに…宮廷での自分の立場についても、あの人は次第に不満を募らせていったの。気づかない間は、誰もが自分に一目おいて、尊重する様になったと単純に喜んでいられたけれど、あの人も、決して馬鹿じゃないから、そのうち気づく様になったのよ。あの人を取り巻いて、口では誉めそやし、その言うことををもっともらしく聞いている連中が、頭の中では、彼のことを最長老の一人を美貌でたぶらかした、ただの色事士として軽侮していることも、彼らが慇懃なのは私の威光の畏れているからだということも。そして、そのことは、あの人をとても傷つけたわ。もう、ここにはいたくないと、しきりにもらすようになったの。ここから出ていくから、私にもついてきて欲しいとね」

「いっしょに…あなたは、彼についていかなかったの?」と、それまで、おとなしくじっと耳を傾けていたカーイが、口をはさんだ。

「もしも、レギオンが、本当に私についてきてもらいたがっていたなら、私は、そうすることにためらわなかったと思うわ」と、ブリジットは、答えた。

「でも、実際は、そうじゃなかったの。レギオン自身も気づいていなかったようだけれど、彼は、もう私から離れたがっていたのよ」

「あなたからそれほど愛されていたのに、自分から離れようとするなんて、信じられない」

「私がレギオンに及ぼしていた影響力は、とても大きかったの。それが、結局彼は我慢できなかったのね。私の前では、彼は子供のように圧倒されて、本来の彼らしい奔放さも影をひそめてしまっていた。目に見えない力で、私に支配されているかのようで、息が詰まって、自由になりたがっていた。日に日に苛立ちを募らせていくレギオンとの最後の日々は、空しい口論と、騙しあいのような懇願と拒否の応酬だったわ。レギオンは、私が彼と共に行こうとしないのは心がわりしたからだといって私をなじり、私は、彼がどんなに言葉を尽くして訴えても、残ると言い張ったの。一緒に行った所で、レギオンが私を重荷に感じるだろうことは分かっていたからよ。違う世界に移った所で、私達の関係は何ら変わることがないなら、結果は同じでしょう。ある日、レギオンが私のところにやってきて…彼は旅支度をしていたわ。これが最後だから、どうか来てくれと言ったの。私は、それはできないと、断ったわ。彼は、とても傷ついて途方にくれた目で私を見たけれど、でも、ほんの少し、ほっとしたような表情をしたの。レギオン自身は、私が彼を拒否したから別れたのだと今でも思っているかもしれないわ。でも、それは、本当は彼が私から離れるために口実に過ぎなかったの。私という恋人は失ったけれど、レギオンは、自由を手に入れて、自分の求める新しい世界に旅だっていった…それきり、百年もの間、私はレギオンに会うことはなかったわ。再び巡り合っても、以前と同じ間柄には戻らなかった。今でも、古い友人として、あの人のことは好きよ。でも、あの人との恋は、もうたくさん」

「でも…」と、カーイは、口篭もった。

「レギオンは…どう、思っているんだろう、あなたとの恋…は、一度終わったとしても…今なら、あなたの傍にいてもそれ程自分を見失わないでいられるくらいにレギオンは年経たヴァンパイアになっているかも…」

「馬鹿ね、カーイ。レギオンの今の恋人はあなたじゃないの」

ブリジットは、少女のような笑い声をたてた。その屈託のなさに、カーイは、自分の疑念と不安を思いきって打ち明けることができなくなってしまった。

「私を見る彼の眼差しに、ある種の憧憬がこもることがあったとしても、それは、古い懐かしい肖像を眺めるようなものに過ぎないのよ」

カーイは、うつむいてしばしじっと考えをめぐらせていたが、やがて、意を決して顔を上げ、これだけはどうしても確かめずにはいられないのだというように、母に向かって問いかけた。

「レギオンは、本当に僕を愛してくれている…?嫌いになったわけじゃない?」

「ええ、そう思うわ。たぶん、あなたが…あまりにも急速に変わりつつあるから、彼も戸惑って、どう接したらいいのか、分からなくなっているのではないかしら」

「変わった?僕が?」

カーイは、びっくりして、目をぱちぱちさせた。

「人間の血の味もヴァンパイアの自然の性も何も知らなかった、私だけの子供ではもうないわ。狩りを通じて、あなたはヴァンパイアとして多くのことを学び、どんどん大人になっていく、独り立ちできる日もきっと間近ね。もちろんあなたの体も今だ成長を続けているけれど、ここ数ヶ月の内面の変化はより鮮烈なもので、それがあなたの外見の印象や物腰を変えてきているわ。あなたを私の子と呼んで抱きしめられる時期は、もう過ぎてしまったと、母親としての私は少し寂しく思うくらいよ。レギオンだって、あなたが変わるように導いたのは彼自身だとしても、その変化が予想以上だったものだから、当惑しているのでしょう。あなたのことは、まだまだ自分の手の内でどうにでもできる、あれこれ教え守ってやらなければならない、ほんのひよっ子だと思っていたわけだから」

誰よりも近しい母親に変わったといわれて、カーイも、何だか寂しいような、心もとないような気がしたが、そう言われてみると、この頃物事に対する感じ方が以前とは変わってきたような気は確かにする。人間を狩ることによって学んだのは、いかに生きるかというヴァンパイアとしての宿命のようなものだ。カーイは、もはやそれを残酷とは感じなくなっていた。それが、大人になるということなのだろうか。ならば、カーイが変わるのは、避けられないことだったが、それはレギオンの望みとは違っていたのだろうか。母の言うようにただ戸惑っているだけで、じきに受け入れられるようになって、また以前のような親密な打ち解けた間柄に戻れるのだろうか。

「レギオンは、僕から離れていったりしませんよね?」

まだ納得しきれていないように、そんな不安をもらすカーイに、ブリジットはこう答えた。

「もし、レギオンがあなたから逃げようなどとしたら、その時は、地の果てまでも追いかければいいのよ。そうすれば、あなたを拒むことなど、結局彼にはできやしないわ。だって、逃げるということは、実はレギオンは捕まえてもらいたがっているということなのだから」

カーイは驚き、戸惑いながら母を見た。

「レギオンを追いかけてって…だって、そんなことをしたら、あなたを…」

「私のことは気にしないで。あなたがそうしたいと思うなら、私から離れても構わないのよ」

カーイは、息を飲んだ。それから、

「冗談でしょう?」と、笑った。ブリジットから離れてどこかに行くことなど、カーイには、全く考えられない話だった。例えレギオンと共に過ごす数日を求めて、パリを離れることがあったとしても、帰る場所はずっとブリジットのいるこの屋敷で、自分の帰りを待っていてくれる絶対的な母の存在があると思えばこそ、どこにいても安心できた。母のいない世界など、カーイには想像もできなかった。独立心が芽生えかけていたとはいえ、まだまだカーイには自分はブリジットの分身なのだという意識がぬけきれず、彼女なしで生きられるとも思えなかったのだ。

「だから、もし、いつかあなたがそうしたくなったらの話よ」

ブリジットは、思いも寄らぬ提案に戸惑うばかりの息子に、優しい口調で付け加えた。

「そうしたくなんてならない…。僕は、あなたを愛しているんですよ、ブリジット」

「それから、レギオンもね」

カーイは、頬を赤らめ、母からそっと視線を逸らした。少し前なら、レギオンとブリジッとどちらを取るかと問われれば、迷わず母を選んでいた。今は、そんなことは思うだけで苦しく、心を掻き乱されてしまう。結局、選べないということだろう。例え、レギオンのカーイに対する愛情に、かつての恋人の面影を見ている部分を感じとって、切なく哀しい気分になることがあったとしても、一緒にいる彼らを見る度に抑えようもなくこみ上げて来る嫉妬と疑心暗鬼に悩まされたとしても、それでも、どちらかを失うよりは幸福だと思えた。 

「私とレギオンと、二人ともが欲しいというのなら、別にそれでも構わないのよ」と、ブリジットは、穏やかに続けた。

「私だって、あなたを愛しているわ。ただ、私は常に傍にいることだけが愛だとも思わないから、もし、その方があなたのためになるとなれば私は姿を消すでしょう。そしてまた、いつか、運命の導きで、私とあなたが共にいられなくなったとしても、私はあなたを愛しつづけるわ。永遠よ、カーイ。目に見えたり、手に触れられたりするものだけが全てではないの。今は分からなくても、あなたもいつか理解できるようになるでしょう」

「ブリジット…ブリジット、やめてください。そんな不吉な話…」

カーイは、青ざめ、途方にくれて、母の話など全く分からないとでもいうかのようにかぶりを振った。分からないというよりも、実際に、分かりたくないといった方が正しかったかもしれない。永遠と約束されるなら、共にいることこそ誓って欲しい。目に見えない、手で触ることのできないものなど、存在しないも同然ではないか。

カーイが、心底困り果ててしまったのを見て、ブリジットもそれ以上は言わなかったが、我が子に向ける眼差しは、どうすれば自分の気持ちを理解させられるのか考えあぐねているような、気遣わしげな、憂いのこもったものだった。

「三人で、いたいんです…」

しばしの沈黙の後、消え入りそうな細い声で、そうとだけ呟くカーイに、ブリジットはそっと頷き返して、その力なくうなだれた銀色の頭に優しい手を滑らせるのだった。


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