愛死−LOVE DEATH− 

第四章 最後の子供

三 


「ゲームをしないか、カーイ?」

どことなく含みのある、からかうような、誘うような、カーイの興味と好奇心をかきたてる、いつもの調子で耳に吹き込むように囁きかける恋人を、カーイは、無邪気な親愛のこもった眼差しで迷うことなく見上げ、問いかけるように小首を傾げる。

「ゲームって、どんな?それは、楽しいこと?」

「ああ」と、レギオンは、太陽のように輝かしい美貌のカーイの恋人は、悪戯っ子のように笑って、請合った。

「恋と狩りのゲームさ。これと決めた獲物の心をどちらが先に射止めるかを、私と競うのさ。前に約束したように、ヴァンパイアの狩りの仕方を、それを楽しむ方法も教えてあげるよ。君の最初の狩りは…こう言ったら君は怒るかもしれないが、あまりにもお粗末で、とても狩りとは言えないような代物だった。最初だし、楽しむ余裕も何もあったものではなかったのは仕方ないがね。しかし、あんな不細工な殺しを、これからも繰り返されては、君の教師としても許せないものではあるし、私に君のことを任せてくれたブリジットにも顔向けができない。それに何より、私は君と一緒に楽しみたいんだよ、カーイ。人間相手のお決まりの芝居を演じることに、さすがに三百年も続けているせいか、この頃私は倦んでいたのだが、君を得た今、そう、君に教えるために狩りをする、やっと血の味を覚えたばかりでまだ狩りの素晴らしさも怖さも何も知らない君といっしょにそれをすることを思うと、久しぶりに心が浮き立ってくるんだよ」

「あなたと一緒に狩りをする」

レギオンの今は自分だけをひたと見つめる熱っぽい眼差しに、その期待感のこもった楽しげな声に響きに、すっかり幻惑されているカーイはおうむ返しにそう呟いた。

「素敵」

すっかりおとなしくなった猫の子のように従順なカーイの体を抱き寄せ、さらさらの長い銀髪をゆっくりと味わうように愛撫しながら、レギオンは言った。

「けれど、いいかい、私相手でも本気でやるんだよ。私は少しくらい手加減するかもしれないけれどね。よし、その気になるように賭けをしよう。同じ獲物を私達は争い、先にその心を見事捕らえ、血を飲むことに成功した者が勝者。そして、敗者は、勝者が望むものを何であれ与えなければならない」

「望むものはなんでも?でも、僕にあげられるようなものでないと…」

「無茶な要求はしないさ。そうだな、私が勝ったら、まず最初は…」

レギオンは、抗わないカーイの右の手を取り、その甲にそっと唇を押し当てた。

「君のこの右手をもらおう。その次私が勝ったら左手を。次は、たぶんその綺麗な宝石みたいな目、それから、唇…ゲームの最後には、君の全ては私のものになっているという次第さ」

カーイは、ちょっと不思議そうに首を傾げ、レギオンの優しく目を細めている顔に、少し恥ずかしそうに頬を染めて、笑いかけながら言った。

「僕はもうあなたのものなのに」

レギオンはと言えば、にやにや笑って、

「ただのゲームだよ、カーイ」と、答えるだけだった。確かにその通りなのだが、ずっと後になって思い返してみれば、そこにはレギオンの、完璧な仮面の下に隠した、掛け値なしの本気が込められていたのかもしれないと、カーイには感じられるようになるのだ。



レギオンがカーイに提案したゲームは、彼らが恋人同士として過ごしたパリでの僅か二年足らずの生活において、大きな位置を占めていた。それを考え付いたレギオンはむろん、初めはおずおずと不安げに、レギオンに引っ張られる形で始めめたカーイも、すぐに夢中になって、のめりこんでいった。

夜毎の夜会や観劇に決まって二人で出かけては、共通の獲物とするにふさわしい人間を物色し、これと思う若く美しい相手を見つけると、巧妙な手段を用いて接近し、瞬く間に親しくなって、その心をどちらが先に奪うかをお互いの手管と魅力を駆使して、競争しあう。

闘争心をあおられるとすぐにその気になる傾向のある、その点も実に素直なカーイは、レギオンに勝つことで自分を見なおさせたいばかりに、ゲームとはいえかなり真剣に取り組んでいたが、この競争はどう見ても彼に部が悪かった。妙齢の人間の美女達は、少女のような顔立ちの中性的な美しさを持つカーイのような子供よりは、やはり圧倒的な大人の男性の魅力を誇るレギオンの方に惹かれていって、賭けは9割方レギオンの勝ちとなった。

「さて、カーイ、今度も私の勝ちだね」

カーイを出し抜いてしとめた犠牲者の血を飲んだばかりの、その血の匂いをぷんぷんさせたレギオンが勝ち誇ったような笑みをうかべ、両腕を広げて近づいてくる時、カーイは、悔しくて歯噛みする思いで顔を背けるのだが、その腕に抱き寄せられ、犠牲者の血を取り込んで熱くほてった体に押し付けられると、自分もその血を飲んだかのような奇妙な興奮と陶酔を覚えた。それにカーイがねだれば、大抵レギオンは、カーイがその滑らかな彫像のような肌に牙を立てることを許し、奪った血を分け合ってくれるのだ。

「君の両手、二の腕、肩、君の髪、その瞳…今度は、ではこの唇をもらうよ」

甘くかすれた声で、そううっとりと囁いて、レギオンは、カーイの尖った頤に指を添えて仰向かせ、あきらめと期待感のこもった嘆息を漏らす小さな唇に、深く口を重ねた。

カーイの手、腕、肩、髪、瞳、そして、唇。賭けに勝つたび、レギオンは、パーツごとに分けて少しずつカーイを自分のものにしていく。それは、ただの遊びなのだが、こんなふうにそう宣言されて、優しい強引なやり方で刻印のようにキスされる度に、身の内をぞくぞくするような甘美な痺れが走りぬけていく。カーイこそがレギオンの愛人なのだ。日頃持てない自信をこの時ばかりは回復して、素直な喜びに胸を震わせながら、カーイは、果たしてレギオンがこのまま順調にゲームに勝ちつづけて、カーイの全てを奪ってしまった暁には、どうするのだろうかと、漠然とした期待感を込めて、考えていた。もちろん、これはただのゲーム、勝ち負けの象徴に過ぎないのだが、この時のカーイは、怖いもの知らずの子供らしくこの恋の夢中になっていて、体ごと恋人に引き寄せられていくような気分でいたものだから、レギオンになら全部あげてもいいくらいに思っていた。それで、愛してもらえるならと。

恋の駆け引きも何も知らない、自分の気持ちを正面からぶつけることしかできないカーイと、百戦錬磨のレギオンでは、とても対等な恋人同士とはなり得ないことは、初めから分かりきっていた。カーイにできることは、早くレギオンに追いつくよう努力すること、レギオンに手を引かれて導かれるがままに獲物を見つけ、罠を張り巡らせ、それを追ってついにはしとめる、血なまぐさい狩りに早く慣れ、上達し、対等に肩を並べて共にそれを楽しめる一人前のヴァンパイアになることだった。レギオンは、カーイに急がなくてもいいと言ったが、カーイには待てなかった。レギオンに認められたいばかりに、カーイは必死に背伸びをし、早く実力がそれに伴うよう切磋琢磨しつづけた。

カーイのたゆまぬ努力の賜物か、それとも、やはりライオンの子は幼くともライオン、母の血がそうさせたのか、カーイの成長ぶりは目覚しいものとなった。初めのうちは、どんな相手を獲物に選べばいいのかさえ分からなかったカーイだったが、むやみやたらと選んで罠をかけてみては失敗する効率の悪いやり方よりは、自分の魅力と使える手管を分析してそれが通用する相手に的を絞った方が勝算が高いことにやがて気づいた。それから、今までのゲームの中でレギオンが大抵選んできた獲物について、彼に文句を言った。

「あなたが選んできた相手は、皆あなたを好きになるようなタイプばかりだったんだ。それで公平なゲームをしているふりをするなんて、ずるい」

レギオンは、別に悪びれもせずに、今ごろ気がついたのかというような揶揄するような笑みを浮かべるばかりだった。

「君と私とでは、持てる魅力が違うのだから、誘惑するに適した相手も違ってくるのは当然だろう。もう少し、その可愛い頭を働かせるんだな。君のその白い陶器のような肌、しなやかな細い手足、薔薇の蕾のような唇…例えば私のような、美しいと思えば相手の性別になどこだわらない芸術家肌の男には、ありきたりの美女よりもずっと魅惑的に感じられるものだよ」

この男、そもそもカーイに真面目に何かを教えようという気があるのだろうか。ベッドの中での実践を通じた覚えた性の技巧は確かに役に立ったが、いかに人間を惹きつける天性の才能と魅惑を持つヴァンパイアといえども、ただ突っ立っているだけで寄って来てくれる都合のいい獲物はめったにない訳で、寄り好みをしたいなら尚更、自分からうまく働きかける技術が必要だった。その点に関しては、自分からはこつの一つも教えようとはしないレギオンのやり方を見よう見真似で試したり、カーイなりに考えたやり方で実践してみるより他になかった。苦労はしたが、それは、やがて目に見える結果となって報われるものであったので、辛くはなく、嗜好錯誤の繰り返しも日々楽しくなっていった。 

そして、カーイがおぼつかないながらもそれなりに自分の力で狩りができるようになった、ある日、レギオンがこんな提案をした。 

「人間の女というのは、時には同時に二人の男性を愛することができるらしいのだが、その点が本当なのか実験をしてみないか、カーイ?」

丁度二人の新しいゲームのための標的を探していた頃だった。レギオンが圧勝する、いつものやり方に少し飽きてきたのだろう、新たな刺激をそこに付け加えるために、どちらが先に奪うかを競うのではなく、共闘して、獲物の心を二人ともが手に入れるという趣向にしたのだ。

以前のカーイならば、鼻をしわめて、嫌悪に身を震わせ、はねつけていただろう。そんな風に人間の心を玩ぶなど、悪辣で傲慢で冷酷だと。しかし、もうあの時と同じカーイではなかった。

「実験?」

ぱちぱちと瞬きして、ほんの僅かの間考えむふうだったが、次いでレギオンにむけた笑顔には何のためらいも抵抗もなかった。

「ふふっ、あなたってば、どうしてそんなにいつも次から次へと面白いことを考えつくのだろう」

冷たい青い瞳を妖しく輝かせ、背伸びをしてレギオンの首に腕を巻きつけると、カーイは心から楽しげな笑い声をたてた。レギオンの犠牲となるために育てられていた子供達に同情を覚えた、一時とはいえ人間と友達になれることを夢見た、自らの血の欲望に恐れおののいていた、何も知らない幼い子供は一体どこに行ったのだろう。

レギオンは、もう少し違った反応を期待していたらしい。何かしら打たれたようになって、カーイの細い体を抱き止めたまま、耳元でクスクスいう笑い声に耳を傾けていた。自分の恋人が何であったのかに、今更ながら思い当たったかのようだった。

「…楽しいかい、カーイ?」

かき抱いたカーイの髪を愛しげなすきながら、レギオンは囁いた。

「ええ、とても」

うっとりと唄うようにカーイは答える。

カーイの高揚とは裏腹に、レギオンの顔にはふと暗い影が下りた。蜜月の甘い夢からいきなり自分だけ先に目が覚めてしまった男のようだった。 

「私が好きかい?」

カーイと同じ高揚を装った声音は完璧で、不安の片鱗もうかがえなかったが、そう確認せずにはいられなかった、彼の胸中を占めていたのはまさしく暗澹たる不安そのものだった。

「大好き」 

ためらいのない返事に密かに嘆息をつく。苦い笑いをかみ殺し、カーイの肩を抱いて離した時、その顔を覗き込んだレギオンの顔は、しかし、どんな気分でいても一端舞台に立てば別人となる役者のように、いつもと変わらぬ晴れやかなものに戻っていた。

「私もだよ、カーイ。私と同じ、ヴァンパイアの恋人」

二人のこの新しいゲームのためにレギオンが見繕ってきた獲物は、貴族や裕福なブルジョワを相手にする美しい高級娼婦だった。大抵の男は簡単にあしらってしまう海千山千の彼女も、レギオンの魅力には大いに心引かれたらしく、その辺りの馬鹿な貴族の娘よりはよほど教養のある彼女主宰の上品なサロンに時折出席するようなった金髪の外国人とそのかわいらしい連れには、初めから親切にあれやこれやと世話を焼き、親しみのこもった笑顔の影に貪欲な好奇心を燃やして自分から近づいてきた。

女はカーイにも優しかった。その点は、レギオンだけが目当てで、カーイのことは全く眼中にも入っていないか、下手をすれば憎い恋敵のように睨みつける、他の女達とは異なっていた。知的である同時に享楽的、官能的なくせに母性的でもある女のことを、カーイも結構気に入っていた。彼女の深いハスキーな声は、どこかブリジットに似ていたし、カーイが夜遅くまでのパーティーに疲れてソファの上で居眠りをしかけていた時に、そっと上着をかけてくれたいい匂いのする手は、とても優しかった。しかし、よしんばカーイが彼女に惹かれていたとしても、人間の少女におぼつかなげな恋をしかけた時のような初心さは全く影をひそめており、その眼差しは、なかなかあり付けないような豪勢な獲物を狙う貪欲な捕食者以外の何ものでもなかったのだ。

そう言えば、この女もカーイのことを「天使」と呼んだ。私の天使と囁きかけて、彼女のパトロンや恋人達に対するのは違う、慈愛の眼差し、時折少し寂しげ笑顔を向け、やがては自分の身の上話までもふとした折りに漏らすまでにカーイに心を許すようになった。彼女がカーイを可愛がったのは、若い時に生んだ子供をなくしていたからだろうか。カーイが、子供っぽい我が侭を言ったり甘えたりするのを、彼女はことの他喜んだ。だが、そんな女のことを、カーイはことがなった後は割合すぐに忘れてしまって、顔はうかんでくるのに、名前だけはどうしても思い出せないのだ。

どんなふうに女を仕留めたかについても、カーイの記憶はあやふやだ。だが、とにかく仕掛けたのはレギオンで、彼の合図で女を部屋を誘いこみ、何らかの手段を講じて使用人も遠ざけた上でせまったのだ。しめしあわせたような二人の求愛に、最初女は目を丸くしたが、天使のような少年と神のような男性に同時に愛されるという趣向に食指が動いたのか、大胆にも二人を受け入れ、応え出した。

レギオンと二人がかりで女を征服するのは、全く素晴らしい体験だった。女はその道に長けていて、相手の欲情をあおりつつ、のぼりつめる過程と頂をよく心得ていた。だが、まさか迎えた絶頂の最中に、のけぞった首を愛人達に噛み裂かれることまでは、想像していなかったろう。女が、その瞬間血の凍るような絶叫あげたのか、それとも、その暇もなく、致死的な一撃を食らった衝撃で意識をなくしたのか、カーイには分からなかった。気がつけば、ぐったりとなった女の体にレギオンと共に食らいつき、かき切った手首に口をつけて、溢れる血をむさぼり飲んでいた。それは、女の見事な体と同じくらい満足のいくもので、あまり夢中になっていたものだから、彼女の心臓がいつ止まったのかさえ気がつかなかった。

実の所、この顛末でカーイの印象により残ったのは、吸血行為そのものよりも、その後に起こった小さなできごとの方だったのだ。

「ひ…あ…」

恐るべき音をさせて獲物の血をすすっていた二人が、同時にその行為を止めた。直後に、部屋の片隅にある大きな樫材の衣装ダンスの戸がばたんと開いて、そこから転がり出てきたものがすごい勢いで部屋の扉へと突進した。

カーイは、ものも言わずに跳躍し、扉の前に立ちふさがって、逃げ出そうとする者の胸倉を捕まえた。カーイの、細い腕に似合わない怪力に締め上げられて、捕らえられた相手は怯えきった悲鳴をあげた。

「ふうん」と、呟いたのは、寝台に腰をかけたままでカーイの方を眺めているレギオンだ。

「二人どころか三人でも、女は一度に愛せるものらしいな」

その感想に、カーイも納得がいった。彼が捕まえたのは、死んだ女の若い崇拝者の一人だったのだから。思わせぶりな女の言葉に惑わされ、思いつめた挙句ついに行動に出ようとしたのだろうか。しかし、男が部屋に隠れ潜んで女を待つうちに、肝心の女がよりにもよって他の男を連れこんで、ことにおよび始めたものだから、出るに出られず、結果予想外の恐ろしい殺人を目撃するに至った。全く、ついていない男だ。

「あ…あっ…あ…」

恐怖でろくに口も聞けないらしい男を、カーイは首を傾げるようにしばし見ていたが、その言葉にもならない呻き声が耳障りだと感じたのか、一言、

「うるさいよ」と言って、その男の首を花の茎でも折るかのように簡単にへし折ってしまった。

寝台でそれを見守っていたレギオンは、息を飲んだ。彼はカーイに、その不運な目撃者を殺してしまえと命じようとしたのだが、そうする間も、必要もなかった。瞠目し、信じ難いものを見るかのような眼差しで、くずおれる男の傍に無感動に立つカーイをしばし見つめた後、さりげなくそこから顔を背けた。限りなく優雅で可憐な仕草で男の首を折った、天使の顔をした恐るべき怪物を見なくてすむように。

カーイの方は、自分の行為が恋人をどれほど動揺させているかなど思いもよらずに、予定外の犠牲者からすぐに関心をそちらに戻すと、レギオンの方に羽のような軽やかな足取りで歩み寄った。

「レギオン?」

その傍に来て初めて、さすがにカーイもレギオンの態度がどこかおかしいことに気がついた。血の海の中に横たわる女の遺体を見下ろす素振りで、強情に顔を背け、カーイを振り向こうとしない。

「どうかしたの…?」

恋人のよそよそしさに、カーイは瞬く間に不安になって、声を震わせた。そうすると、怪物でもなんでもないただのいたいけな子供のようになった。その気弱げな声の響きにレギオンは微笑し、手を伸ばして女の血に浸すと、ふいにカーイに向き直って、その血を彼の頬に塗りつけた。その眼差しの近寄りがたい冷たさにカーイはひるんだ。

「いまだ子供ではあるが」

語る声も、鉄のように堅かった。

「骨の髄までヴァンパイアよ」


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