愛死−LOVE DEATH− 

第四章 最後の子供


 

「最後の子供…」

また少しうとうとしていたらしい。カーイが、甘い幸福感に満ちた眠りからゆっくりと目覚めた時、低い密やかな声がそう呼びかけていた。優しい指先が額にかかる前髪を愛撫する感触の気持ちよさに、一瞬開きかけたまた瞼を閉じ、手探りで探し当てたレギオンの顔に手のひらをあて、滑らかな頬を撫で、笑みを刻んでいる唇を指でなぞりながら、喉の奥で満ち足りたように笑った。

レギオンがカーイをさらってきた隠れ家でのことである。パリから数マイル離れた、人家から離れた森の中の古い塔をレギオンはその内装を快適に整えて、時々気にいった獲物をここまで連れこんだり、あるいは一人で思索にふけるために使っていたのだ。

「ラスト・チャイルド…あなたは、前にも何度か僕をそう呼んだ。ねえ、どうして?」

まだ少し眠たげにあくびをかみ殺しながら、カーイはレギオンの分厚い胸に子猫のように擦り寄って、何とはなしにそう問い掛けた。

「それは…私にはそんな気がするからだよ」

カーイに追及されて、一瞬、レギオンはらしくもなく口篭もった。

「私達古い種族のひょっとしたら君が最後の子供になるのではないかと、少なくとも私が出会える最後の子供になるのではないかと、ね。それを考えると、君のことがとても大切に感じられて、守るべき貴重な存在に思えてきて、叶うならずっとここに閉じ込めて、私だけのものにしてしまいたいと、君の寝顔を見ながら、そんなしようのない思いを巡らせていたんだよ」

レギオンは両腕をカーイの体にしっかりと回して引き寄せ、自分の体の下に抱きこむようにした。私のものだとでもいうかのような、それは明らかに所有し支配する者の体勢だ。カーイの本来の性情は、こんな所有物のような扱いには激しい反発を覚えるところなのだが、彼の我が侭も自尊心も今は影を潜め、すっかりおとなしく従順になっていた。愛されているという幸福と安心感がそう変えたのか。それに、実際レギオンの強い力にがんじがらめに縛られることは、それ程嫌ではなかった。何だか守ってもらえるようで快かった。最初の狩りの衝撃から、まだ完全には立ち直ってはいないカーイにとって、年経た強力なヴァンパイアの庇護はありがたかったのだ。

「最後の…でも、それはおかしいと思うな。だって、それ程数が多くなくても、まだ世界にはヴァンパイアの仲間は残っているのでしょう?彼らに子供ができたって、不思議でもなんでもないじゃないですか」

カーイの素朴な疑問に、レギオンは辛抱強く答えた。

「私達は、元々自分たちの子孫を作ることに長けた生き物ではないんだよ。その必要があまりなかったと言った方がいいかもしれないな。私達は、基本的に不老不死なのだから、躍起になって自分の種を残す理由などないわけだ。考えてもみたまえ、もしも、私達が人間のように次々子供を作っていったら、この世はヴァンパイアで溢れかえってしまう。そんなにたくさんの狩人と獲物を取り合うのは、きっと大変だろうと思うよ。ひょっとしたら獲物である人間を狩り尽くしてしまうかもしれない。それは、非常に困るだろうね」

カーイは、眉根を寄せ、難しい顔で考えこんでしまった。大勢の同族に囲まれて暮らしたことなどないカーイには、想像しがたい話だったし、それが都合のいいことなのか悪いことなのかもよく分からなかった。ただ、この世が同族で溢れ返ったら、きっともうわざわざ人間のふりをしなくてもよくなって楽だろうにと感じたくらいだ。

「それにね」と、レギオンは付け加えた。

「どういうわけか、ヴァンパイア同士のカップルというのは長続きしないことが多いんだ。人間相手なら理想の恋人をその恋が終わるまで演じきれる我々だが、相手が自分と同じヴァンパイアとなると、とたんに恋愛下手になる。恋に落ちたばかりの熱くなっているうちはまだいいが、じきに最初の興奮が冷めて傍らにいる者の顔をしけしげと眺める時、そこに自分と同じ怪物の顔を見出すことに我慢できなくなるのさ、たぶんね」

カーイは、うろたえ戸惑いながら顔を上げ、大きく見開いた目をレギオンに向けた。

「そ、それじゃあ、あなたは僕のこともいつか嫌いになってしまうの?」

レギオンは、虚を突かれたようになって、カーイの今にも泣き出しそうな顔を見下ろし、それから、

「まさか」と、胸に溜めていた息を押し出すようにしながら、言った。

「私が君を嫌うなんて、あり得ないよ、カーイ。君は私の大切な宝物だからね…。愛してるよ、これから先もずっと…私が私でいるかぎり永遠に。むしろ、私には、君のほうこそ…」

言いさして、レギオンは、唇を噛み締めた。それから、いきなりカーイに回していた腕を離すと、寝台から降り立った。

「もう午後も遅い時間だというのに、いつまでもベッドでごろごろ寝ているばかりというのはよくないな。気分転換に、少し散歩でもしないか、カーイ」

カーイは、つまらなそうに頬を膨らませた。散歩になど出かけたくない。どこにも行きたくないし、パリの街にも今は帰りたくない。レギオンの体温を感じながら、眠ったり、親密に話しこんだり、抱き合ったりしている方がずっといいのに。

精神状態が不安定な時、カーイが甘えて慰めてもらうのは、これまでは母ブリジットでしかなかったが、今は片時もレギオンから離れたくない気分だった。大きくて強い大人の男性に対する漠然とした思慕を、父親というものを知らずに育ったカーイは覚えていたのかもしれない。相手は、父性など薬にしたくとも見あたらないようなレギオンではあったけれど。

生まれて初めてブリジットと離れての数日を、ここでレギオンと二人きりで過ごすことになったが、その間、カーイは帰りたいとも思わなかった。帰りたくなどなかった。殺しをした街に戻ることが、何だか怖かったからだが、ブリジットがいなくても寂しさを覚えなかったのは、不思議でならなかった。それは、レギオンが絶えず傍にいて、カーイの心に母恋しさが忍び込んでくる隙も与えないほどに、その様子に目を配り、あれこれ構って気を紛らせていたからだ。

「カーイ、ちょっと面白いものを見せてあげよう」

二人連れ立っての森の中の散策や百年はたっているだろう古い塔を上から下まで探検することにも飽きて、少し退屈し始めたカーイに、レギオンがそう声をかけたのは、2日目のことだった。

「何?」

レギオンの声の調子が、そんなふうに悪戯っぽく笑いを含んだものになるのは、何かカーイを驚かせたり、わくわくさせる素敵な企みを思いついた時なのだ。カーイは、ぼんやりと塔の最上階の広い寝室の窓から外を眺めていたのだが、一つ下の階からそう呼びかけるレギオンの声に、すぐに窓枠から飛び離れると、塔という建物の構造上、狭くて上り下りしにくい螺旋階段を滑るように駆け下りて行った。

「何、レギオン、何を見せてくれるって?」

目を輝かせて飛びこんできたカーイに向けて、部屋の中央に腕を組んで立って待ちうけていたレギオンは、意味ありげな目配せをして、彼の前を大またでわざと横切るようにしながら壁の方に向かった。そうして、分厚いタペストリーのかかった壁の前に立つと、両手をそこに押し当て、肩越しにちらりとカーイを振りかえる。

「レギオン、一体、何を…え…えぇっ?!」

じらされることに我慢ならないカーイが言いかけた、その言葉は途中で仰天したような叫びに変わった。

観客を意識したのか、少し芝居がかった、やっとでもいうような小さな気合と共に、レギオンは手を壁の中に貫き通した。穴をあけたとかではなく、彼の腕はまるで実体をなくした幽霊のように壁を通り抜けたのだ。

「あ…あぁ……」

ぽかんと口を開けたまま呆然と立ち付くすカーイに向けて、レギオンは茶目っ気たっぷりのウインクを投げてよこして、腕だけでなくその体も壁に飲みこませていった。まるで水にでも飛びこむかのように何の抵抗もなく、その体は壁に吸いこまれていき、やがては完全に壁の向こうに消え、最後ににゅっとそこから突き出た手がカーイに向けてひらひらとして、また消えるのに、カーイはようやく我に返って、壁に向かって突進した。嘘だ。何か仕掛けがあるはずだ。興奮して、むきになって壁を叩いたり、そこを覆っているタペストリーを捲り上げて、ごつごつした石壁をあらわにして、手を滑らせてみたりしていると、こつこつと窓を叩く音がする。振りかえると、窓の向こうにいるのは、やはりレギオンで、チェシャー猫のような笑いに緑の目を光らせ、カーイが驚きのあまり声も出せずにいるうちに、ふわふわと塔の外壁に沿って上昇していった。

カーイは、今度も壁から飛びのき、駆け下りてきた螺旋階段を慌てふためいて駆け昇った。

「レギオン!」 

叫びざまに部屋に飛びこむと、丁度レギオンがまた壁をぬけて、床に降り立つ所だった。

「びっくりした?」

両腕を広げて、そう尋ねるレギオンに、カーイは胸の前でぎゅっと両手を握り締め、興奮に頬を染めて、何度も大きくうなずいた。

「すごい…あなたって色んな芸ができるんですね、レギオン」

「せめて技と言ってくれないかな。私は道化師じゃないんだから」

指先をちっちっと振ってレギオンはたしなめるが、そのふざけた仕草はどう見ても役者のようだった。

「ねえ、どうやってするの?僕にもできる?」

カーイの質問を待ちうけていたのか、レギオンは、つと彼に歩み寄って、その肩を抱き寄せた。

「もちろんさ、カーイ。私は、これからそれを君に教えるつもりなんだよ」

「でも…これまで一度だって、ものを通りぬけるなんてできたことはないのに…」

「それは君が人間の常識に縛られて、できないと思いこんでいたからさ。私達には、できるんだ。いいかい、空中を飛行することもそうだが、その能力はあっても使わないと忘れてしまうんだよ。今だから言えるが、君をさらってここまで運ぶ時、あれほどの距離を移動したのは久しぶりだったから、勘が狂って、いつバランスを失って墜落するんじゃないかと冷や冷やだったんだ。人間のふりをすることは重要だが、時にはヴァンパイアとしての自分の力を解放してやらないと、どんどん退化するばかりで、いけない」

「退化…」

聞きなれない言葉をレギオンが使ったので、カーイは目をぐるっと回した。

「よくは分からないけれど…それが僕にもできるというのなら、教えて、レギオン。僕は本当に、何も知らない子供だったんだ。教えて…僕達種族の力がどれ程のものなのか」

レギオンが教師らしいことをカーイに対してしたのは、この時も含めて数えるほどだった。性格的に、誰かに何かを教えるという地道な仕事はレギオンには合わないのだろう。その彼が少しでも真剣に教授しようという姿勢を見せただけでも、レギオンにとっていかにカーイが特別な存在であることの現れだった。それでも、その教え方はあまり巧みであるとは言いがたかった。もとからそれができて当然な彼にとって、できなくて当たり前と思いこんでいる子供に分かりやすい説明など、できるはずもなかった。

「…ようは、頭の中でものを通りぬけるイメージするんだ。私達にはものの性質を変える力がある。壁の構成する粒子の隙間に自分の体の粒子を通りぬけさせるんだ。自分の体だけでなく、慣れてきたら、着ている服だっていっしょに通り抜けができるようになるし、例えば人間だって…嫌な奴の頭をつかんで壁にめり込ませて、そこから抜けられないようにしてやるようなことだってできるんだよ」

そう言われてもピンとこないカーイは、壁に手を滑らせながら、困惑したようにレギオンを見るばかりだった。結局、業を煮やしたレギオンは、嫌がるカーイを地下室に引きずっていって、そこに監禁するという荒っぽい手段に出た。暗闇に閉じ込められることなど大嫌いなカーイが、怒り、泣き喚いて一時間も壁を叩いているうちに、どういう訳かいきなり体ごと前にのめるような目眩に似た感覚を覚え、気持ち悪いと思った次の瞬間、彼の体は地下室の分厚い鉄の扉をよろけながら通りぬけていたのだった。

「う…気持ち悪い…吐きそう…」

ぐらぐら回る頭にとても立ってはおらずにその場にしゃがみこんで、カーイがあえいでいると、何時の間にかレギオンがやってきた。

「おや、驚いた」と、少しも驚いてなどいない声で言い、恨めしそうに青ざめた顔を上げるカーイに手を貸して、起きあがらせた。

「やればできるだろう、カーイ?完璧とは言いがたいが、初めてにしては上出来だよ」

そこで初めてカーイは、自分が全裸で立ち尽していることに気がついた。どうやら、服は地下室の扉の向こうに置き忘れてきたらしい。ばつの悪そうな顔をするカーイを、レギオンは、笑いながら抱き上げて、そのまま地の重力を振り切るようにうかびあがると、はるか上方の最上階の寝室目指して、二人ながら実体のない亡霊と変じ、幾つもの層となる天井と床を煙のように通りぬけながら、上昇していった。



こつをつかむと、後はずっと簡単に通り抜けができるようになった。すると、真新しい遊びに夢中になる子供のように、カーイは壁抜けに熱中して、その日一日、暇さえあれば、そこらじゅうの壁や床を相手に遊んでいた。まだ慣れていないうちは、少しでも気を抜くと、飛びこんでいった勢いそのまま壁に激突して目から火花が散るような思いをしたり、服もよく忘れてしまったが、段々うまくなっていって、三日目の朝が明け、レギオンが、甲高い笑い声に寝台の中で目を覚ますと、騒がしい幽霊のように、枕を抱きしめたカーイが、キャッキャッと笑いながら、最上階の寝室から一番下の地下室まで一気にダイビングをする遊びにはまっているという始末だった。レギオンは、呆れたようにその様子をしばらく凝視していたが、これだから子供はというようなことをぶつぶつ言って、再び布団を引き上げて、無視する構えで両手で耳をふさいだ。

「…ブリジットは、僕にこんなおもしろいことは教えてくれなかった」

ようやくレギオンがうつらうつらし始めた頃、やっと遊びに飽きたカーイが、ベッドに飛びこむように戻ってきて、彼は叩き起こされた。勘弁してくれと思ったに違いないが、声に出してはあくまで穏やかに答えた。

「ああ、そうなのかい?それは奇妙だな。彼女の力は、私なぞとは比べ物にならないくらい強力なはずなのに」 

「あなたでも、彼女には敵わない?」

「ああ、何といってももと女神様だからね。彼女のようなあまりにも古い血を持つ存在は、私達ともまた違う別の生き物のようにさえ感じられる。彼女と同じくらいに年経たヴァンパイアで現存しているのは、私の知る中ではマハぐらいのものだが、その彼女もどうやら本当に隠者になってしまったようだしね。我らが一族の古い物語を語ってくれる者は、もう君のお母さんしかいない。ブリジットは、その最盛期には天候を操ることさえできたと伝え聞くよ。今でこそ、君のいいお母さんになっているが、本当の彼女はとてもそんな小さく枠にはおさまらない偉大な存在なんだよ」

「本当のって、まるであなたの方が僕よりブリジットのことをよく知っているような口ぶりですね」

少し拗ねたような口調でカーイは言った。母親のことを誰か他の人間が自分よりよく知っていることに、子供じみたやきもちを焼いているのだと、レギオンは思ったろう。だが、それだけではなかった。レギオンが、ブリジットの名を呼び、彼女のことを語る時、彼の声には僅かに陶然とした響きがこもり、その瞳には密やかな熱情が灯ることに、カーイは気づくようになっていた。そのことがカーイの胸を、息苦しくなるほどにしめつけるのだ。

「いや、もちろん今のブリジットの姿も、母親としての彼女も真実には違いないんだろうがね」

カーイの複雑な胸中など預かり知らないレギオンは、続けた。

「ただ、私にとっては、驚天動地の出来事だった。そんな噂を聞いた時点で嘘だと笑い飛ばし、この目で見るまでは全く信じてはいなかった。…カーイ、君は、父親のことをブリジットから何か聞いているのかい?」

「えっ?」

思いもよらぬ質問に、カーイは当惑した。

「父親…僕の…?」

カーイは、どう答えればいいか分からないような困惑した目つきで、レギオンを見返した。

「その…それじゃあ、やっぱり…僕にも父親がいたんですね。何というのか、子供の頃はずっと…僕は母が一人で作った子供だと思っていたんです。人間の子には父親と母親がいることは知っていたけれど…僕は彼らとは別の生き物だから、多分生まれ方も違うのだろうって。何より、ブリジットの夫という存在が想像がつかなくって…。彼女が女神なら、それくらいの離れ業かできるかもって、ギリシャ神話の夜の女神のように」

「…おお、これは参ったな、カーイ」と、さすがのレギオンも、束の間絶句した後、心底呆れたように言った。

「ブリジットが一人で作った子供か。では、君は処女受胎で生まれてきた、神の子キリストというわけだ。…だが、君だってもう性のことは分かるようになっただろう?」

揶揄するかのように、伸びてきた悪戯な手がカーイのしかじかの場所に触れようとするのを、彼は慌てて押しとどめた。

「レギオン…もしかして、あなたは知っているんですか?僕の…その…父親だという男を?」

レギオンは、眉を僅かにひそめた。何だか少し怒ったような顔に見えた。

「さあね。私は知らないな。彼女と最後に会ったのは…30年も昔のことだからね。私がいない所で、彼女が誰と恋に落ち、そうして、ヴァンパイアとしては実にまれな懐胎をするに至ったかなんて、知り様がない。私の友人達も誰も知らなかった」

「では、あなたの知らないヴァンパイアの誰かということ?」

「そうだね、たぶん…」

レギオンは、ごろりと仰向けになって、ベットの天蓋をじっとにらみつけた。それから、ぼそりとこう言った。

「もしかして、カーイ、当てが外れたのかな?私が父親だという可能性を今考えただろう」

「レギオン」

カーイは顔を赤くして、枕をつかむと、笑い転げているレギオンの胸を叩きまくった。

「そうじゃなくって、心からよかったと思っているんですよ。あなたみたいなろくでなしの血なんか引いてなくって、心底安堵しているんですっ」

レギオンがいきなりおかしなことを言うものだから、自分の父親についての謎解きをすることも忘れてしまった。それに、カーイにとって、それはこれまで大きな問題になったことなどなかったのだ。レギオンに尋ねられなければ、あえて深く考えることもなかったはずだ。カーイの肉親は、ブリジットのみ。彼はブリジットだけの子供だった。これまでもそうだったし、これから先もずっと変わらないだろう。

「もう、ここに来て三日になるか。カーイ、そろそろ、パリにかえることにしよう」

カーイの動揺ぶりを散々笑ったレギオンが、ようやく落ちつくと、いきなりこんなことを切り出した。

「パリに…帰る」

とたんにカーイの顔が、暗く閉ざされる。

「いつまでも、ここに閉じこもっているわけはにいかないよ。それにね、カーイ、君は殺しの後始末をしなくてはならない。シャルロットの葬儀は、もう終わってしまったかもしれないが、彼女の友達として花の一つも手向けに行って、哀しみに暮れている両親に慰めに言葉の一つもかけてやらなくてはならない。それが、罠にかけた獲物をしとめた狩人のけじめというものだ」

カーイは、蒼白になった。

「そ、そんなことできません。一体、どんな顔をして、あの娘の親になど会いに行けるというんです?それに、僕の顔を見たら、あの人たちだって、僕が犯人だと気づくかもしれない…」

「姿を現さなかったら、余計に疑われるだけだよ。君も、まだパリでの生活の全てを手放したくはないだろう?」

「でも…」

「私も一緒に行ってあげるから。二人で数日間パリを離れていたので、彼女の悲劇を知るのが遅れたのだと言い訳をしよう。そして、花を手向ければ、今度こそ完全にお別れができるというものだ」

頭ではレギオンの言うとおりにすべきなのだと分かっていたが、そこまで冷酷にも鉄面皮にもなれないカーイには、それは辛い試練だった。

だが、ここでずっと隠れ暮らすわけにはいかないのも事実で、それにパリでは母ブリジットも彼の帰りを待っている。

レギオンとの二人きりの蜜月に別れを告げるのは惜しかったが、仕方がなった。不承不承恋人に従って、カーイは、やっとパリに戻ることにしたのだった。 


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