愛死−LOVE DEATH− 

第三章 血まみれの初恋

四 


(シャルロット…僕は君を殺した。君の血を飲んだ。飲み干した君の魂が、僕に取りついて離れない)

レギオンにしっかりと抱えられたまま、飛ぶ鷲のように吹き荒れる嵐の中を移動しながら、カーイは、自分が今どんな状態でいるのか、誰に抱かれ、どこに向かっているのか、全く意識もせず、茫然自失の状態で、飛行の凄まじい速度に振り落とされまいとするように、それだけが確かな手がかりであるかのように、ひたすらにレギオンの体に腕を巻きつけてしがみついていた。 

体の脇をごうごういいながら吹きぬけていく風の音、薄いシャツ一枚をかろうじてまとっただけのほとんど剥き出しの肌に叩きつけてくる雨の冷たさ、時折大気を引き裂く怪物の絶叫じみた雷鳴、それらをぼんやりと意識することはあったが、カーイの心のほとんどは、死んだ娘が彼の中に残した心とその歌にしめられていた。

後悔でも哀惜でも同情でもない。ただ、恐ろしかった。こんなふうな殺した獲物との交感など、嫌悪を招くだけのものだ。生前の娘に対して抱いていたはずの愛情も慕わしさも、この恐怖の前に消えうせていた。

(嫌だ、こんなのは…!飲みこんだ血を吐き戻してしまいたい、このおぞましい幻影から逃げられるのなら…)

そうして、どれだけの距離を移動したのか、気がつけば、体の回りで吹き荒れていた風も雨もやんだ。その音はまだ聞こえるが、先程のように身近なものではない。

(あ…)

意識して、顔を上げ、あたりを確かめようとするよりも先に、カーイは何か柔らかいものの上に投げ出された。体の下にあるのは、新しい清潔な布団とふかふかの枕で、恐る恐る顔を横に向けてあたりをうかがうと、それは見覚えのない、決して広く豪華すぎるものではないが、趣味のいい、落ちついた中にも贅を尽くした調度で飾られた部屋の中だった。壁には何枚か、見知らぬ外国の風景や美しい女性を描いた、なかなかいい絵がかけられている。

更に視線を動かすと、雨の叩きつける窓にカーテンを引く男の後ろ姿が見えた。レギオン。

カーイは歯をむいてうめき、まだ力のは入らない体を起きあがらせた。

「ああ、坊や、大丈夫なのかい?気分が悪いなら、まだ休んでいていいんだよ」

「平気です。そんなふうに子供扱いしないでください」

それは嘘だった。平気なはずがなかった。まだ、歌は脳の奥深い所で響き、少しでもカーイが気を抜いたら、暗い水底から浮びあがる水死体のように戻ってきて、彼を圧倒し、飲みこむだろう。そんなカーイを、レギオンは、肩越しにちらりと振りかえり、その惑乱ぶりを素早く見て取った。

「ここは…?」

「パリを数マイル離れた所に私がしつらえた、アトリエ兼隠れ家だよ。パリを訪れる時は、いつもはもっぱらここを住処にしていることが多いのだが、今回は君の家にお邪魔しているからね。よほど一人になりたい時か、気に入った獲物を連れ込む以外には使っていないが」

ゆったりとした動作でカーイのいるベッドまで戻ってくると、近くにあった椅子を引き寄せてその上に長い脚を組んで座り、腕を組み顎のあたりを指で触れるようにしながら、じっとカーイ見つめた。

「何です?」 

その視線に、何だか息苦しさと強烈な反発心をあおられて、カーイは冷たい鉄の声で言った。

「ワインを飲むかい、坊や?地下の貯蔵庫から、よく冷えた白ワインを持ってこようか?」

「そんなもの欲しくない」

そっけないカーイの返事に唇を笑みの形にほころばせたが、いつになく真剣でからみつくように執拗なその目は、全く笑っていなかった。

それから、ふいにカーイは、自分の今の格好に気がついた。濡れた薄いシャツ一枚という何とも心もとない姿でレギオンの視線にさらされていることに居心地の悪さを感じて、ベッドの上をごそごそと移動すると、布団を胸元まで引き上げて、それを盾にするかのように相手をにらみつけた。

「他の飲み物は?何か暖かいものを、作ってあげようか?」

「いりません」

「あの娘の血を飲んだばかりだから、喉は乾いていない?」

カーイの頬にかっと朱の色が上った。

「私は乾いているよ、カーイ。飲みたくて仕方がない気分だ」

カーイは、吠えるように笑った。本当はもっと勝ち誇ったようにしてやりたかっのだが、とてもそんな気分からは程遠くて、慣れない芝居をすることは彼には難しかった。

「レギオン、あの娘を僕が勝手にもらったことで腹をたてているんですか?残念でしたね、大事にしていた「花嫁」を僕みたいな駆けだしのヴァンパイアにまんまと掠め取られて」

「ああ、そうだね。やはり、少し惜しかったかもしれないね」

「あなたがそんな悠長なことをしているから、いけないんですよ。葡萄畑だなんて言って、あんな年端もいかない頃から人間の子供たちをてなづけて、何年もかけて育てるなんて、気が長すぎる。自分の好みに合うように、自分の指示どおりに望ましい点は伸ばしそうでない部分は早いうちに刈り取って、そんなふうに理想の「恋人」を作ることが面白いなんて、僕には少しも思えないな。そんなふうに、飲む前からある程度味の想像のできてしまうような相手なんか。あの娘だって、まだもう少し熟成させた方がいいなんて思わないで、さっさと奪ってしまえばよかったんだ。何年も寝かせるよりも、若飲みのほうがいいガメイみたいな葡萄だってあるでしょう?」

レギオンは、僅かに感銘を受けたかのように、ゆっくりと頷いた。その仕草も、カーイの癇に障った。

「精神も体も疲れきってぼろぼろなのに、口だけは元気で達者なんだな、カーイ。よくもそんな心にも思っていないことを、べらべらしゃべれるものだ」

「心にも思ってないなんて、どうしてあなたに分かるんです?僕の何が、あなたに分かるって言うんです?」

「分かるさ、カーイ。時々人を馬鹿にしているんではないかと思うくらいに、君は自分の感情を隠すのが下手だよ。その点は、何とか改めないと。獲物を狩るものとしては致命的な欠点だからね。私個人としては、君のそういう所は大好きだが」

カーイは、ぎりっと歯軋りした。悔しさに顔が紅くなるのを隠すようにうつむいたまま、ベッドから飛び降り、片隅にあるソファの上に無造作におかれたままの自分の服の山を見つけると、そこに向かって歩いていこうとした。

「帰ります」と、固い声で言って、レギオンの脇を通りすぎようとした。しかし、

「カーイ」

その手を、レギオンの手が捕らえた。

「ここにいてくれないかな。私と一緒に、今夜はここにいて欲しい」

虚をつかれ、当惑の表情をうかべて、カーイはレギオンを見下ろした。思いもよらない真摯な瞳に見つめ返されて、一瞬ひるんだ。

「君の大好きなお母さんのいない所で、やっと君と二人きりになれたんだからね」

カーイは、怒りの声をあげて、レギオンの手を振りほどこうとした。しかし、逆に強く引かれ、よろめいた所を腰をすくいとられて、気がつけばレギオンの膝の上に座らされていた。

「レギオン…!」

慌てて飛び起きようとするのを肩をつかむようにして押さえつけられて、恥ずかしいのと困惑で真っ赤になって非難の声をあげるが、相手は全く意に介した様子もなく、腕の中にしっかりと捕らえこんだカーイに顔を近づけ、その匂いをかぎ、じっくりと味わうような仕草をした。

「君の体はいつもいい匂いがすると、前にも言ったね。花のようだと。今はべっとりと血の匂いがこびりついている。シャルロットの血の匂いだね」

カーイの体は、びくりと強張った。シャルロット。その名は、二度と聞きたくない。まだ、彼女の気配はカーイから消え去ってはいなかった。彼女の声を借りて歌うことだってできそうだ。アヴェ・マリア。ああ、その歌も早く忘れてしまいたい。

そんなカーイを、赤ん坊を抱くように優しくその頭を引き寄せ、頬をすりよせながら、極めて優しい、爪を隠した猫の前足めいた柔らかい声音でレギオンは囁いた。

「獲物の血の匂いをぷんぷんさせている君は魅力的だよ、カーイ。本当に、喉が乾いて死にそうなくらいだ」

耳を掠める唇の感触に、そこからもれる吐息の熱さに、体がすくみ動けなくなる。

「レギオン…やめてください、苦しい…あっ…」

ようよう言えたカーイの弱々しい非難の声を無視するように、その耳朶を軽く噛んだ。とたんに、あまやかだがどこか辛いようなしびれがそこから体中に伝わって、カーイは小さな悲鳴をあげた。

「血の匂いのする天使、けれど、それが君自身の血であったら、もっと、どんなにか素晴らしいだろうと思うよ。ああ、己の流した血に濡れ染まった君は、どんな夢も敵わぬほどに美しいだろうね」

カーイは、レギオンの胸を固めた拳で叩くようにして、その唇の愛撫から逃れた。息を弾ませ、相手の真意を怪しみ疑うように瞠目し、つくづくとその顔に見入った。レギオンの疵一つない完璧な仮面めいた美貌に、微かな変化が生じかけていた。本能的に避けたくなるような、ぞっとするもの。あの恐ろしい闇の中、唐突で無謀な一度だけの交わりの中、無力なウサギのように食べられてしまった、おびきえったシャルロットが恋人と思った相手の中に目にしたものと同じではあるまいか。今度はカーイが食べられる番だった。逃げなければと本能が訴えるのに、体が金縛りにあったようにいうことをきいてくれない。

「カーイ…」

愛しげに髪をすきだす手の感触に、カーイは震えた。一杯に見開いた目は、今にも触れそうなほど間近に迫ったレギオンの顔から離れられないでいる。見下ろす緑の瞳が放つ光の凄まじさに射ぬかれて、動きを封じられていた。

「シャルロットのことは、私は別にそれほど怒っているわけじゃない。君が、私への腹いせに彼女に近づこうとしていることは初めからお見通しだったし、それがこんな結果になるだろうことも、何となく分かっていたよ。しかしね、カーイ、それでも君が私の所有物を私に断りもなく盗んだことをこのまま許すつもりもないんだよ。さあ、盗んだものは、ちゃんと返してもらうよ」

金色の炎と見まがう髪に縁どられた、神のように美しい顔にうかびあがってくる陶然とした表情、大理石のような肌にのぼってくるなまめいた血の色、そして、ゆっくりとまくりあがる薄い唇から覗く、真っ白なきらめく牙…。

瞬間、我が身を守れとの本能が全ての呪縛に打ち勝ったのか、カーイは、弾かれたようになって暴れ出すが、もはや遅すぎた。死のように容赦のない抱擁から逃れようとする彼を引き戻し、肌にまとわりついていた薄い布を引き裂いて細い体をあらわにすると、レギオンは有無を言わさずに抱き寄せ、髪をひいてのけぞらせた喉に濡れた唇をはわせた。

「あっ」

熱く乱れた息を吹きかけられて、カーイの体は崩れ落ちそうになった。

「ああ、カーイ、どれほどこの時を夢見たことか」 

荒くなった息の間から押し出される、抑制を離れかけたような声。カーイの体を戒めているのとは別の手が、背から腰にかけてなだらかな稜線とそのなめらかな肌の感触を味わうようにむさぼりながら撫で下ろし、その下の柔らかな可憐な双丘の片方をつかみしめた。

「ひっ」と、息を飲むカーイ。こんなふうに誰かから触れられたことのない彼の肌は総毛だっていた。どくどくと激しく打ち震える心臓の鼓動を意識した。やめてと、それは悲鳴をあげていた。

「愛しているよ」

次の瞬間、カーイの唇から恐ろしい絶叫が迸った。

「あっ…あぁぁ―っ!!」

首筋に打ちこまれたのは灼熱する火の一撃。人間であったならひとたまりもなかっただろう、ヴァンパイアの死の接吻。噛み裂かれ、食い破られた傷口から吹き出した血の奔流にカーイの視界は真っ赤になった。

「あ…あ…ぁ……」

心臓の拍動にあわせるようにどくどくとあふれる鮮血に、カーイの新雪のように白い体は瞬く間に紅く染まっていく。レギオンは、それを恍惚と見下ろし、流れる血に手を浸してすくいあげ、この衝撃に半ば自失してしまったようにカーイの震える頬から顎を愛撫するようにして、その血をなすりつけた。

「思ったとおり…いや、それ以上に綺麗だよ、カーイ。とてもこの世のものとは思えない」

そうして、ざっくりと裂けたカーイの傷口に再び牙を沈ませた。カーイの口から、またしても悲痛な叫びと、それから、哀願するようなすすり泣きがもれる。

(レギオン…ああ、レギオン…)

血と共にカーイの体から瞬く間に全ての力が抜けていく。もはや自分では立ってもいられない体をレギオンの鋼のような抱擁にまかせ、己の血が別のヴァンパイアに吸われる背筋の凍るような音になす術もなく聞き入っていた。もはや目を開けてもいられない。全身を捕らえる鈍い痺れの中、首筋に穿たれたレギオンの牙の感触だけが鮮明だった。

だが、それは、ただ恐ろしいだけではなかった。雷の一撃を受けたかのような最初の接吻に、貫かれた体は内側から弾け飛ぶかと思われた。痛みと共に体の芯に走ったのは、恐怖を上回るあまやかさ。情け容赦なくカーイの不滅の肉体に食いこみ、引き裂き、侵す、この別の肉体に出会ったことで、体中の細胞がざわめいているかのようだ。食い破ってもすぐに再生してふさがろうとする傷口を執拗に開く、熱い牙に噛まれることは刑罰に等しかったが、苦しいのと同時に法悦にも近かった。血と共にカーイの中身がレギオンに流れこみ、それと同時にレギオンからも流れこんでくる熱くたぎるような情熱は、カーイを思いもよらぬ悦びにわななかせた。

(愛しているよ、カーイ…出会った最初の瞬間、ブリジットにそっくりな顔をした無邪気でかわいい君を一目見た時から、ずっと欲しかった)

無意識のうちに、カーイの腕は持ちあがり、レギオンの首に血まみれの蛇さながら巻きついた。残っている力の全てを振り絞って、からみつき、もどかしげに引き寄せ様とあがいていた。 

(レギオン…レギオン…いつも僕に意地悪なことばかりして、子供扱いしてからかって、だましてひどい目に合わせて、あなたなんか…)

熱にうかされたかのように恍惚と半ば開かれたカーイの唇から、溜め息混じりに押し出されたのは、

「好き…」という、切ない喘ぎだった。

体がふわふわとして雲の中にでも立っているかようだ。そう思った時には、カーイの足は床から離れ、レギオンに軽々と抱えあげられて寝台に運ばれようとしていた。

「やっ…」

背中に柔らかいクッションを感じたとたん、喉にぴったりと押しあてられていた貪欲な唇が唐突に離れ、カーイは、不満気に眉を寄せて、いやいやをする様にかぶりを振った。

「レギオン…!」

涙に潤んだ目を見開き、必死に探し求める様に手を伸ばして、鉛のように重く自由のきかない体を起こそうするカーイの体をそっと押し戻し、レギオンは笑った。

「この邪魔な服を脱ぐ、少しの間くらい、待てないのかい?」

その声に素直におとなしくなったカーイは、柔らかな枕に頭を預け、かなりの血が吸い取られ凍えて当然なのに火が巡っているかのように熱く火照った体を無防備に投げ出して、瞬きもせずに、レギオンが、緩やかに波打つ豊かな髪をまとめていた紐を解いて解き放つのを、そうするとライオンのたてがみめいて広がり黄金に輝く様をうっとりと眺めていた。それから、はやる心を抑えかねるようにもどかしげにシャツの胸を開いて、荒々しく脱ぎ捨てる。なんて綺麗なんだろうと、カーイは溜め息をついた。どちらかと言えば細身ですっきりして、無駄な肉は全くついていないが、鞭のように引き締まって、はりつめたその肌の下の引き締まった筋肉はいかにも強靭そうだ。次いでズボンに手をかけたレギオンは、猛りに猛った己自身を露出させた。カーイの目は真ん丸く見開かれた。

頬を染め、当惑したように視線を逸らす少年の可憐な仕草に欲情をあおられて、レギオンは、思わずしりごみして後じさりするカーイの細い足首をつかんで引きずり戻すと、己の体の下に抱きこんだ。

「カーイ…どこからどこまで、なんて綺麗でかわいいんだろう…私のものだ…。あのつれない美しい女神の子、血まみれの天使…」

「レギオン…あっ…あっ…ぁ…」

かぼそい呻き声をあげるカーイの腕が救いを求めるように肩にまき付くのを払いのけ、レギオンは、その柔らかな喉のくぼみに、今度ばかりは吸血の欲求を退けて唇を滑らせ、この強引な愛撫にもちゃんと反応を示して固くなった小さな乳首をそっと含んで舌で転がすように味わい、優しい線を描く脇腹からこれもむしろ童女のように滑らかな、さすがに脚の付け根のあたりには僅かな白い羽毛のような淡い茂みが見て取れたが、それでも成人した男性の目からはあまりにも可憐な下腹部にかけて、ゆっくりと楽しみながら、這い降りた。

「あああぁっ!」

熱くそそりたった欲望を口に含まれて、カーイは体をのけぞらせ、悲鳴をあげた。己をむさぼり、あおるように上下するレギオンの燃えるような口腔、残酷な指にしごきたてられた乳首の芯には甘美な痛みが走り、背中に回されたもう一方の手がカーイの柔らかな丸みをおびた双丘をいとおしむように撫でさすり、その間に滑りこんだ指がくすぐるように秘所を探り出すのに、昂ぶりの極地に達しようとしていた。

「カーイ、君を私のものにしてしまうよ。もう、がまんできない…ほら…」

口の中でなぶっていたカーイの敏感な部分を解放すると、すっかり理性を手放したように、レギオンの腕の中で頭を揺らせて忘我の縁を漂っているその顔を見下ろし、身を屈め、抱きしめるようしてそのピンク色に染まった耳に囁きかけた。そうして、カーイの手をつかみ、固く屹立した己のものに触れさせた。

「こんなに君を欲しがっている」

「レギオン…あっ…」

カーイはびっくりして手を引っ込めようとするが、レギオンは許さず、困惑しながらも見詰め合っているうちに相手の望みが分かってきて、カーイは、細い指をレギオンのたくましいセックスにからみつけるようにしてためらいがちにしごき始めた。何て、熱いんだろうと、驚嘆の思いで胸のうちで呟いた。どくどくと脈打つ血に溢れ返って、こんなに堅く大きくなるまで膨らんで、そそりたっている。あなたのもう一つの牙のようだ。

「いい子だね、カーイ…」

そう囁く声もこみ上げてくる飢渇に上擦り、かすれ、ついにこらえきれなくなったレギオンは、カーイの上にのしかかり、細い両足を肩に抱え上げて、受け入れる体勢を取らせると、一思いにくし刺しにした。

「うっ…あ…あああっ!」

まだ充分ほぐされてはいなかった固い蕾は一気に裂けた。脳天までつきぬける痛みに泣き叫んでずり上がって逃げようとするが、ここまで来て逃げることは許さないとばかりに引き戻され、更に深々と貫かれる。

「レ、レギオン…!やっ…あ…あっ…あっ…」

カーイの体の奥の血みどろの暗がりを激しく抜き刺ししながら、レギオンは、その肌をがっきとつかみ、爪をたてて更に新しい血を流させ、その匂いに陶酔し、吹き出す汗に湿った長い髪を獣のたてがみのように振り乱した。 

「カーイ…すごい…ああ、こんなに小さくて、狭くて、だのにすっぽりと私を飲みこみ吸いついてくる…ああ…溺れてしまいそうだよ…」

苦痛にうめき哀願し、もがく度に突き上げてくる捕らえどころのない愉悦に取り乱すカーイの、透ける血の色に染まった顔を、ほとんど憎しみに近い凄まじい妄執のこもった目で睨みつけ、欲情のほとばしりが迫ってくるのを感じると、とうに砕けてしまったような腰をしっかりと抱えなおし、壊れてしまえというように、肉の凶器で相手を突き殺そうとするかのように残酷に突き上げつづけた。またしても、その顔に、別の欲望が、より残酷で根源的な衝動がのぼってきたのか、荒い息を吐く唇が再び牙をあらわにした。

「ひっ…い…あぁっ!」

息も絶え絶えにあえいでいるか弱い獲物の上に覆い被さり、そのやっとふさがって綺麗なもとの皮膚を取り戻しかけていた喉に、レギオンは噛み付いた。カーイは、たまらず声を張り上げて、叫び、レギオンの背中を叩きつけた。

「レギオン、やめて…これ以上やったら、もう僕は壊れてしまう…そんなに吸ったら、もう空っぽになってしまうよ…!」

「壊れるものか。私が何をしたって…君は…壊れなどしない…」

またしても押し寄せてくる快感の波と、レギオンと自分のごうごういう血のたてる大音響に全て忘れた。抵抗も空しい悲鳴をあげるのもやめ、必死にレギオンの体にしがみついて、広げられた脚の中心に叩きつけるように打ちこまれる肉の棒と、引き裂かれた首筋に埋め込まれた灼熱する楔を無我夢中になって受け入れ、それがもたらすえもいわれぬ興奮に身を震わせている、自分の体がただの共鳴版になってしまった気がしていた。

「あっ…ああ、カーイ…!」

絶頂の瞬間にレギオンは、カーイの体を荒々しくつかんで、揺さぶり、ひときわ大きく体を震わせて己を解きはなつと、カーイの中にほとばしらせ、最後の一滴までも絞り出した。感極まり、この上もない満足感が全身に広がりいくのに目を閉じたまま、陶然とした唇が呟いた。

「……ブリジット…」

はっと我に返って、唇を噛み締める。体の下に組み敷いた少年を見下ろし、半ば気を失ったように忘我の海をさまよっているのに安堵し、その頼りなげに上下している胸を愛しくてたまらないというように撫で下ろした。私のものだ。たった今達したばかりだというのに、少年の体の中におさめたままの彼のものは、それをしめつける熱い血に濡れ潤った感触にすぐに息を吹き返しつつある。こんなに興奮したのは、久しぶりだった。今のカーイと同じか少し上くらいの、血気盛んな、恋にも性のことにももっと素直に夢中になっていた若造に戻ったかのようだ。ずっと欲していて念願かなってやっと思いを遂げた今、それで満足して飽きるどころか、こうして、その暖かい肌をじかに感じ、無防備な白い体を目の当たりにしていると、興奮は果てもなくこみ上げてきて、何度でも逐情できそうだった。本当に、抱き殺してしまうかもしれない。しかし、カーイのほとんど血を失い生気をなくした顔、からからに乾いた唇が苦しげに開き潤すものを求めて空しく牙を覗かせては閉じる様に、さすがに少し可愛そうになった。カーイが盗んだものを取り返すどころか、それ以上にさんざんむさぼり、飲み尽くしてしまった。明らかにレギオンはやりすぎたのだ。後悔の念にかられて己自身をそっと抜き取ると、ぐったりとなったカーイの横に身を横たえ、頭を抱えるようにして、その汗ばんだ額に唇を押し付けた。

「カーイ」

青ざめた瞼がそうすることも辛いのだというように気だるげに持ちあがり、きらめく青い瞳が現れるのを、それが何のためらいもなくまっすぐに自分を見つめるのを、目の前で奇跡が起こるのを見守る人のように息をつめて見つめ、レギオンは、己の左の手首をカーイの口元にそっと押しつけた。

「飲みなさい」

カーイは、夢うつつの表情でレギオンを見るともなく見ていたが、鼻先に押しつけられた手首に、ひくひくと鼻をならして匂いをかぐような仕草をした。喉が乾いて仕方がないのか乾いてひび割れた唇を舌で何度も舐め、両手でつかまえたレギオンの手を唇でつつき、頬を摺り寄せるようにして匂いを味わった。

「カーイ…」

小さな濡れた舌で広げた掌をその下の手首を舐め、とくとくいっている拍動を感じ取ったのか、血管の通る上辺りに唇を押し当てて、赤ん坊のように無心に吸っているカーイの姿に、レギオンは、己の下腹部にまたしても力がよみがえってくるのを感じながら、痺れたような溜め息をついた。抱き殺してしまいたい。

「レギオン…」

うっとりとそう囁いて、カーイは口を開き、唾液に塗れた、まだ新しい使いこまれていない真っ白な牙をあらわにした。いきなり、まだこんな力が残っていたのかとレギオンが驚愕するほどの力を発揮して、差し出された腕を爪をたてるようつかみしめ、自分の方に向けた手首の上に体ごと覆い被さるようにして、深々と突き刺した。

「つっ」

瞬間、レギオンの頬が僅かに引きつったが、彼が苦痛を表したのはそれきりで、後は、己の腕に必死にすがりつき、華奢な体を悦びに大きく震わせながら夢中で血を飲んでいるカーイを背中から抱きしめるようにして、愛しげにその髪に唇を押し当てて柔らかなキスを与えながら、じっと静止していた。

(血…レギオンの血…ブリジットや僕と同じ、ヴァンパイアの不滅の血…おいしい…あなたの血はとてもおいしいよ、レギオン。本当に、こんなに僕のことを愛していてくれてたんだ。少しも気がつかなかった…ああ、レギオン、嬉しい…!)

血を取りこみまた吸血の行為による興奮に熱くほてってきたカーイの肌をぴったりと寄せた体に感じ、レギオンは、たまりかねたような熱い吐息をもらした。

「駄目だ。やはり、我慢できない」

うめきつつ、後ろざまにカーイの腰を片腕で抱え上げた。もう片方の腕はカーイに捕まったままだったので使えなかったが、シーツの上を滑って崩れそうになる膝を立たせて受け入れる態勢を取らせると、双丘の間に荒ぶる己自身を押し当て、探り当てた小さな口に、傷自体は驚異的な回復力によってふさがりかけていたがまだ先ほどの行為のねっとりとした残滓と血のこびりつく秘蕾に、今度は最前のように無理を強いて苦しませることのないよう幾分気を使って、ゆっくりとねじり込んだ。

「カーイ、愛しているよ、私の小さな不滅の恋人…」

押しこまれた一瞬だけ、カーイは血に塗れた唇を離して、微かな鳴き声を上げたが、すぐに腕の中の獲物にまた噛みつき無我夢中で飲みつづけた。口の中を一杯にして、更に胃の腑に注ぎこまれていくのはレギオンの血、今にも破れそうなもう一つの口を侵し、しゃにむに突き上げてくるのもまたレギオン、体中一杯に彼を取りこんで、その血と命が隅々に至るまで行き渡っていく、一つになっていく悦びにカーイは我を忘れ、溺れた。

レギオンの血と共にその心がどっとカーイの内に押し入り、奔流となって脳に注ぎこまれてくる。頭が内側から張り裂けるとのではないかと思い、カーイは気が遠くなった。シャルロットのものとは比べ物にならない、すさまじい、その三百年に及ぶという生の生々しい記憶がものすごい速さで一気にカーイの中を駆けぬけていく。その壮大さにくらみ、圧倒されて、呆然とそれらがすりぬけていくのを見守るだけのカーイには、とても読み解けるような代物ではなかった。それら全てを正面か受け止め、同化し、理解していこうとすれば、カーイのやわな自我は持ちこたえられずに弾け飛んでいただろう。それでも、彼にできるだけの力でその衝撃に耐え、この他の全てを圧する色彩に目を凝らし、遠く近く高らかに鳴り響く音楽に耳を傾けて追いすがろうとした。

(レギオン…あなたが僕の中に入りこんでくる…ああ、もっと…深く容赦なく押し入って来てよ。そうして、全部見せて、僕に教えて、あなたのこと…いつもみたいに隠したりしない、あなたの本当の心を、僕に…)

カーイの中で溢れ返ったレギオンの煮えたぎるような血は、数え切れないほどの愛人達とかわした恋の遍歴の唄を歌っていた。彼自身、もう顔も名前も覚えきれていないような、束の間の退屈凌ぎの軽い気持ちのものもあれば、真実めいた胸の高鳴りを覚え、真摯に求めたこともあった。けれど、いつも悲恋だった。恋を重ね殺しを重ねるごとに、心が冷め、より残酷な怪物になっていく自分を意識し、やがて恋自体に倦んでいった。それは、いつしか獲物を偽り引きつけるためのただの手段となった。

(血を吸う者は、人間を愛してはならない)と、疲れたような声が呟く。

大勢の人のざわめきを、囁き、笑い声や哀しみにくれて泣く声の重なり合ったものすごさに気持ちが悪くなりかけた、その時、カーイは、一つの鮮明な声の響きを聞き取った。びっくりして、そちらに意識を振り向ける。どこかで聞き覚えのある美しい声が、呼びかけていた。

(レギオン)

心の目を凝らして探し求めるうちに、渦巻く記憶の海の中から一人の女の形がゆるやかに立ちあがった。どろどろに溶けてまじりあった他の記憶のかげろうたちとは違って、それだけはまるで生きた人間にそこで出くわしたかのように生々しく、内側から聖なる光を発してほのかに輝いて見えた。身につけた古風な緑色のドレス、レギオンがカーイに見せてくれたイタリア絵画の中の人物が着ているような形のビロードのドレスの裾を引き優雅に歩く、その人がふと気づいたように足を止め、振りかえる。僅かに目を細め、小首を傾げるようにして微笑む、その顔にカーイは息を飲んだ。それは、カーイの顔、いや酷似しているが彼ではない、ブリジットだった。

(愛してるなんて、本当の愛も知らない子供のくせに、そんなに軽々しく言うものではなくてよ、あなた。そんな口先だけで人の心が手に入るなんて、生意気な、思いあがった、とんでもない駄々っ子ね)

軽やかな、からかうような、しかし、どこか甘い慕わしさをこめた笑い声。カーイは、びっくりしてレギオンの腕から牙を離した。

(ブリジット…?何、今の…?)

思わぬ遭遇に心乱され、親密な交合の最中にあってさまよい出かけた心を引きずり戻したのは、背後から力強く抱き寄せるレギオンの熱い腕、カーイの戒めから解放されたことで余計に勢いづいて、その体をまさぐり、喉元から胸、更に下腹部へと掌を滑らせるようにして下りると、カーイのやはり息づいてかわいらしい頭をもたげ始めていた、敏感な部分を柔らかく包みこみ、やにわにきつくつかみ込んだ。

「ひっ…」

痛みに息を飲んで、己をしごきあげる手の動きを止めようと試みるが、伸ばされたカーイの手など意に介さぬようなレギオンの指技は執拗な上に巧みで、思いもよらぬ興奮をかきたてられて、そこは見る間に堅く張り詰めていく。それに、後ろから攻められる腰の動きも、どんどん激しさを増してきて、さらなる快感に体を燃え立たせて、カーイの意識はあっけなく吹き飛んだ。

「あぁ…レギオン…レギ…」

なんだかもうレギオンの名前しか呼べないようになってしまったみたいだった。白熱した頭の中で、唯一考えていたのも彼のことだけ。打ちこまれる衝撃に耐えるように手近にあった枕を引っつかんで抱きしめながら、ぐらぐら揺れる腰をしっかり支えるようにまわされた強い腕と何よりも抉りこまれてはまた抜かれるその熱い塊が欲しくて、恋しくて、堪えきれずに啜り泣いた。

「カーイ…カーイ…」

後ろから呼びかけるレギオンの声も苦鳴にも似て高まっている。ああ、一体どんな顔をして、こんな甘い痺れたような声を出しているのだろう。と、思ったら、いきなり引きぬかれ、体を仰向けに裏返された。

「レギ…あっ……」

再びのしかかられ、一杯に押し広げられた脚の間に、カーイの血に濡れそぼった、雄大なものを呑み込まされる。カーイの喉は一瞬出かかった悲鳴にひくっと鳴り、それから、あえかな喘ぎに溶けた。震える唇を覆い被さってきたレギオンに吸われ、差し入れられた貪欲な舌に息が詰まる。ようやく解放されたとみるや、すごい勢いで突き上げられ始めた。侵されながら相手の顔を見た。形相が変わっている。情欲に燃え立つ目はカーイを見てはいたが、決して優しい恋人のものとは言えず、むしろ憎悪さえ感じさせて何かしら恐ろしかった。怖くはあったが、カーイの体も相手の興奮にあわせて、高みにむけて駆けりぼり、喉から凄まじい声がこみ上げるのを覚えたかと思うと、達して頭の中がちぎれ飛んだ。

「あっ…ああっ…!」

いつまでもやむことがないかに思える、己の絶叫が長く尾を引くのを聞きながら、カーイの意識は、闇の中にゆっくりと落ちていった。



唇をついばむ暖かな感触、蝶の戯れを思わせる触れては離れる、その感じにカーイの意識は束の間の死にも似た深い眠りの淵からゆるやかに浮上した。

「ああ…」

あまやかな喉にからんだような吐息がもれた、その唇に今度は覆い被さり、押し広げ、濡れた熱い舌を挿しこんで味わう、とろけるように濃厚なくちづけを、カーイはそのまま素直に受け入れ、おずおずと差し出した舌をからめながら応えた。

「レギオン」

瞼を上げると、そこには傍らに肘をつくようにしてカーイを見下ろすレギオンの親しみのこもった笑いをうかべた顔、濡れた唇を舌でぬぐっている満足そうな口元、少しでも目を離すことが惜しいというかのような熱っぽさをおびた、緑色に光る双眸。解き放たれた癖のある髪は奔放にはねて、見事なたてがみとなって、その美しい顔の周りで輝いている。すっかり満腹してくつろいでいる金獅子といったところか。

「君の寝顔があんまり汚れなく可愛かったから、つい悪戯したくなるのを我慢するのは結構つらいものがあったよ、カーイ」

さっきのキスは悪戯のうちには入らないのだろうかと首を傾げたくなったが、言い返す代わりに、カーイは、喉の奥で小鳥のような音をたてて、屈託なく笑った。

「何、どうした、そんなまたたまらなくなるような可愛い目で見たりして」

カーイは、レギオンの腕の中に体を滑りこませ、その分厚い堅い胸に擦り寄って、その下の心臓の鼓動に聞き入った。

「あなたの血と交じり合った、僕の血の声…」

「ああ、それから君の中にもね」

レギオンの唇が、カーイの今はすっかりもとに戻った喉もとをくすぐり、血の飲み口に柔らかなキスを与えるのに、彼はクスクスと心地よさげな笑い声をたてた。

何時の間にか夜は明けたようだ。窓に引かれたカーテンをすかして、明るい光が差し込めている。嵐も去ったらしく、外は穏やかで、早起きの小鳥たちの鳴くすがすがしい歌が耳に心地よい。こんなに心を浮き立たせる音楽はこれまで聞いたことがないような気がした。

「ねえ、レギオン」と、恋人の分厚い胸に甘えるようにもたれかかり、その滑らかな肌に指を走らせながら、カーイは囁いた。

「あなたは僕のことなんか鼻にも引っかけてないとずっと思っていました。あなたときたら、僕のことをいつも坊や坊やって、まともに相手をすることも馬鹿馬鹿しいちっぽけなつまらない子供扱いばかりしていて、僕が何か意見したら一番嫌なからかうようなやり方でそれを一蹴して、嫌がらせじゃないかと疑うくらい、僕がして欲しくないことばかりして、僕を怒らせて…やっぱり聞いてしまおう、僕のこと、本当に愛してくれているの?」

はからずも声が高く上擦ってしまい、不安げに見開かれた目の表情と共に、それがカーイにとっては重大問題であることを相手に手に取るように明らかにしてしまっていた。

「ああ」と、気づいていてもさすがにそれをからかうことはせず、腕の中の小さな顔を両手で愛しげに挟みこんで、レギオンは囁いた。

「私はずっと愛していたよ。何度も、そう言っていたとは思うがね。気がつかない君が馬鹿だったんだよ」

「あんなに意地悪したくせに」

「君のような甘やかされた、うぬぼれやの、なんでも自分の思いどおりにならないと気がすまない我が侭な坊やは、私が初めから君に夢中なことを知らせてしまったら、それだけで簡単にあしらえるつまらない相手と見下して、私のことなど好きにはなってくれなかったろう。その世間知らずの甘いプライドを手加減なく傷つけ、太刀打ちできない力の差を見せつけて、逆上させ、しゃにむに突っかかってはその度にへこまされて泣きながらお母さんの所に飛んでいくくらいの羽目に陥らせないことには、君の心は私になびいてはくれなかっだろう」

カーイは少し嫌そうな顔をして唇を引き結んだが、レギオンの手が頭を撫でる感触とその声の優しい響きにすぐに怒りを和らげて、彼が続けるのにおとなしく聞き入っていた。

「カーイ、君の怒った顔、敵わないと思い知らされてしょげ返った顔、悪巧みをしている時の小悪魔めいた、人の溢れる街中を探検しながら初めて見るものにうっとりとしていた無邪気な顔、それらあまりにも豊かな感情のままにくるくる変わる君を見る度に、無防備なその体を抱き寄せて唇を奪いたくなる衝動をおさえるのは、本当に辛かった。君が、どうやって私を打ち負かすかで頭を一杯にしている時、私は何とか君の気を引いて、君の心を私で一杯にしてやろうと躍起になっていたんだよ」

「レギオン…」

この男からずっと引き出したいと思っていた愛しさに満ちた甘い言葉でかきくどかれて、カーイは、たちまち天にも昇るような心地になった。ずっと、こんなふうに彼からこの世でたった一つの宝物のように大事に扱われ、優しくされたかったのだ。カーイは満ち足りていた。

「大好き」

「お母さんよりも?」

カーイが、とっさに応えられずに困惑の眼差しを向けるのにレギオンは笑った。

「いいんだよ、答えなくても。君は、私よりブリジットを愛している。いいさ、初めから多くは望みはしないよ。取りあえず、君をこの腕に抱いて、その血を飲み、そうして、その口から愛していると言わせただけで満足するさ」

レギオンの方も、カーイとは別の意味で安心して気が緩んできたのだろう、段々いつも人を食ったふざけた調子に戻りつつある。

「君のためなら、待つことくらいなんともないさ。何しろ、私は、非常に人間のできた忍耐強くて控えめな男だからね。まずは友達として仲良くやろうじゃないか、カーイ」

何を馬鹿馬鹿しいことを言っているんだろうと、カーイの目が少し冷たくなった。せっかく甘美な夢の世界に浸っていたというのに、もう少しこの完璧な蜜月めいたときめきに溺れていたいというのに、この無神経な馬鹿男はいつものくだらない悪ふざけでぶち壊す気か。レギオンのこんな所には、やはりとてもいらいらさせられる。嘘の仮面をかぶった道化師めいていて、そんな軽い態度で接せられると無性に腹が立ってくる。

「あなたのような人は友達にはできないと僕は言いましたよ?」

高慢ちきで我が侭な少年の顔に少し戻って、つんとしてカーイは言った。 

「茫然自失の僕をわざわざこんな所までさらってきたうえで、あんな悪さをするような人、友達なんて呼べるはずがないでしょう」

「それはないだろう、カーイ、さらうだなんて…それじゃあまるで計画的犯行みたいじゃないか」と、にやにやしながら、レギオンは言った。まさしくそのとおりだと言っているも同然だった。

「確かに、君の家であんなふうに君にせまるのは気が引けただろうがね。しかし、いくらなんでも、君のお母さんがいる同じ屋根の下で君の体をあんなふうに好き勝手し放題にするなんて破廉恥な真似は、私のような礼儀正しい紳士にはとてもじゃないが…あいたっ…」

手をカーイに軽く噛みつかれて、レギオンは顔をしかめた。

「あなたという人には、つくづく我慢ならない」

カーイは、癇癪を起こしかけていた。レギオンが、初めからカーイを自分のものにするつもりでここに連れて来るチャンスをうかがっていたとしても、シャルロットに近づくことさえあえて黙認していたとしても、今ならカーイは許せるが、こんなふうにそのことについてふざけられるのは我慢ならない。

「そんな馬鹿みたいなふざけ方はしないで」と、レギオンの顔を睨みあげて、叩きつけるように言った。それから、顔をうつむけてちょっと考えこんだ後、また、レギオンを見上げ、びっくりしたように見開いているその瞳を覗き込みながら、今度は真摯に訴えかけた。

「レギオン、僕を愛しているなら、ちゃんと僕と向き合って、あなたの本気の言葉でだけ話しかけて。あなたみたいな悪い人は友達にはできないけれど、それでも、僕は好き…恋人として愛してる」

虚をつかれて黙りこんでいるレギオンの首に抱きついて、カーイは、その口に噛みつくようにキスをした。レギオンの腕が応えようとするかのようにカーイに触れかけるが、それを拒否して唐突に腕を離すと、ベッドの上に体を戻し、すねたようにそっぽを向いた。

「カーイ…」

レギオンは、しばし、唇を舌で湿しながら、返す言葉を頭の中で練り上げているふうだった。またしても冗談めかして、カーイを余計に怒らせることであやふやにしてしまうこともできたが、結局それはせずに、カーイの上にそっと身を屈めて頑なに顔をそむけている彼の髪に指を滑らせながら、先程とは違って気持ちの通った低い声音で話しかけた。

「私は、君のように本音をそのまま人にぶつけることには慣れていないんだよ。人間相手の芝居ぶった生活が長いせいだろうね。そうする必要のない時にまで、余計な言葉とほのめかしを使いすぎて、伝えるべき肝心な点を伝え損ねてしまうようだ。我ながら何をやっているのかと苦笑したしくもなるし、君にかかっては全く恥じ入る思いだよ。同じヴァンパイアの恋人を持つのは久しぶりだから…それもこんなに幼い相手となると、勝手が狂うのかな。…こちらにおいで」

カーイの肩に手を置き、そっと自分の方を振り向かせた。抗わないその体をすくうようにして起きあがらせて、抱き寄せ、腕の中にすっぽりと包み込んだ。

「愛しているよ、カーイ。最初は恋人とするにはまだ若すぎるかとも思ったが、それなら本気で待つつもりでいた。じきに君が血の欲望に目覚めて、獲物の血の味を知り、性のことも受け入れられるようになるまでと…それがこんなに早く、その時がくるなんて…早すぎはしなかったろうか、私のものにしてしまってよかったろうか。最後の子供…君のような者に今になって出会えるとは思わなかったよ。私の大切な…永遠の恋人…」

耳もとでなされるその静かな囁きかけには、最前のような揶揄するような響きも悪ふざけもなくただ真実ないとおしさだけがこもっていて、少なくともカーイの胸に真実めいてじんと伝わってくるものであったので、彼はこみ上げて来る素直な喜びに身を震わせた。

「ああ、レギオン…」

溜め息混じりにその名を呼び、カーイは、我慢できなくなったように、レギオンの金髪の頭に手をかけ、伸び上がるようにしてその唇に己の唇を押し当てた。夢中になって、その口を吸い、彫像のように均整のとれた体を覆う滑らかな筋肉の感触を確かめながら、はりつめた肩を腕を撫でさすり、強靭な胸と平らな引き締まった腹に触れ、更に大胆な手つきで下まで伸ばし、既に目覚めかけていた下腹にうずくまる雄に触れ指をからめると、喉にからんだ甘えた声でねだった。

「して…」

血の欲望にも似た抑えのきかない衝動が身のうちを駆け巡り、カーイの体をぶるっと震わせる。

「レギオン、これを僕の中に入れて、もう一度あなたで一杯にして…」

とたんにレギオンの力強い手がカーイの体を勢いよく取りひしぎ、寝台の上に押し倒した。激しくのしかかられ、そのたくましい重みに押しつぶされ、もみくちゃにされながら、カーイは陶然と微笑んでいた。レギオン。体の上に、そして中に感じる、この燃えるような抱擁。

熱をはらみ、次第に溶けて行く頭の片隅で、ふいにそのことに気がついた。夕べ殺した獲物のこと。確かシャルロットという名前の娘だった。今では、何の意味もない記号に変じていた。カーイに取り付いて離さないかに思えていた、その声さえ何時の間にか霧散していた。かりそめにも恋を語った相手を騙すように奪った挙句残酷に殺したことに、昨夜のカーイは激しく取り乱し恐怖していたが、今ではそんなことは嘘のようだった。あれはカーイにとっての最初の狩り、血を吸うものとして当然の儀式だったのだとすんなりと受け入れられていた。

娘の残した歌の代わりに、今のカーイの五感を満たしているのは、この新しい恋、夜に属する者でありながら太陽のように光り輝く金色のレギオン、彼と同じ古い残酷な血を持つ不滅の恋人。レギオンの腕に抱かれ、その血と交じり合うことで、熟練した殺人者のその冷酷さがいくらかカーイの中にも流れこみ定着したのかもしれない。

無残な最初の殺人がもたらした惑乱と恐怖に始まった嵐のようなカーイの初夜は、燦然と輝く陽の灼熱する炎に洗われ押印されることによって明けたのだった。


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