愛死−LOVE DEATH− 

第三章 血まみれの初恋

 


レギオンの大切な「花嫁」を掠め取って、そのプライドを傷つけることで、これまで散々子供扱いされてからからわれてきたことに対する仕返しにしてやる。その動機自体がいかにも子供じみたものであることを、カーイはあまり意識していなかった。

あの鼻持ちならない年長のヴァンパイア、レギオンを出しぬくという考えにあまりにも夢中になっていたし、それに自分の思いついた計画を自分だけの意思と力で実行に移すというのは、これまで母親のスカートの陰に隠れて守られ甘やかされながら育ってきたカーイにとっては初めての挑戦だったので、我ながら勇気のあるすごい冒険をしているようで心が浮き立ったのだ。

それにシャルロット、こんなきっかけがなければきっと言葉を交わすこともなかったに違いない同じ年頃の少女に対する興味も手伝っていた。15才のその時まで、カーイには、友達と呼べる存在は一人もなかった。それには、カーイ自身の人間に対する偏見と無関心も影響していたが、実際に日頃接するのは身の回りの世話をする人間達も含めて皆大人ばかりであったので、彼と同じくらいの子供達がどんな風に話したり、皆でどんな遊びをしたり体験する機会はほとんど全くなく、近づくことすらまれであったので、興味をかきたてられることもなかったのだ。だから、思いもよらず自分の世界に飛びこんできたかわいらしい人間の少女に、カーイが好奇心を抱き、引きつけられるのも自然な話ではあった。

「こんにちは」と、あの最初の訪問以来レギオンに伴われることもなく一人で訪れるようになったカーイに、娘の養母は初めのうちは少し訝しそうにしていたが、

「本当は今日はレギオンが来るはずだったんですが、別の予定が入ってしまったので、代わりに僕が頼まれたんです」

そんな根も葉もない嘘を罪のない顔でペロンとついて、「レギオンからシャルロットに渡して欲しいと頼まれた」街で見つけた新しい楽譜を携えてきたり、「勉強になるからとレギオンがくれた」オペラのチケットが二枚、そうなると当然カーイがエスコート役をつとめることになったりとしているうちに、この一家もカーイの訪問を自然に受け入れるようになっていった。

実際、シャルロットを引っ張り出して、両親の目の届かない所で二人きりで過ごすため、カーイは考えつく限りのあの手この手を駆使して、経験不足の箱入り育ちの彼にしては涙ぐましいまでの努力を払った。

一家が通っている教会をつきとめるため、これまでしたこともない早起きをして、日曜の朝早く眠い目をこすりながら一家の家の前ではりこみ、敬虔な家族が連れ立ってミサに出かけるその後を尾行し、ミサが終わって家路に着く彼らの前に白々しくも偶然道で出くわしたふりをして声をかけてみたこともあった。人のいい家族は、まさかカーイがこんな不審な行動を取っているとはゆめゆめ疑うこともなかったが。  

「ね、君がいつか言っていた僕に似ている天使の絵って、一度見てみたいな」

その「偶然」を利用してのそんな頼みごとにシャルロットが快く頷いて、彼のために教会に引き返してくれた時、カーイが、そこにこぎつけるための苦労が報われてどれほどほっとしたことか。同時に、娘が自分の願いに迷いもせずにこたえてくれたことに、天までまいあがるような得意な気持ちになった。やればできるじゃないか、カーイと、自分をほめてやりたい気分だった。

「この絵よ、ね、似ているでしょう?」

シャルロットについて入った既に人気のない教会の中、その細い指が示す、人間ならよく目を凝らして見ないと細部まで分からないような高い所にかけられた絵の中の、翼のついた中性的な人物をヴァンパイアの優れた視力でつくづくと眺めて、

「こんなに綺麗じゃないよ」と謙遜して答えながら、しかし、頭の中では、何だ自分のほうがずっと綺麗じゃないかと少しがっかりしながらカーイはつぶやいた。

そんなカーイの顔をしみじみと見つめ、シャルロットは、

「そうね、以前は似ていると思ったのだけれど…こうして比べてみると、あなたの方がこの天使よりも何倍も美しいわ」と、恐れ気もなく言って、カーイのうぬぼれを刺激し、いい気分にさせた。

「でも、こういう絵の天使って、みんな少年とも少女ともつかない現実味のない美しさだよね」

「だって、神様に使える御使いですもの。人間とは違って、たぶん、そういう性別も超越した不思議な存在なのよ」

教会という静謐な祈りの場にいるという意識が働くのか、声を低めて、シャルロットは少しカーイの方に身を傾けるようにして囁きかける。少女の柔らかで暖かい体をいつもより間近に感じて、カーイは陶然となった。

「僕も、そんなふうに君には見えるの?天使みたいに、ふわふわ捕らえどころがなくて、男の子か女の子か分からない?」

「あら…そんなふうなつもりで言ったわけじゃないわ」

少し意地悪な口調で尋ねるカーイに、シャルロットはすぐに頬を染めて、口篭もった。全く、なんてかわいらしいのだろう、彼女は。

「ただ…あなたのような男の子は見たことがなかったから…小さい頃隣の家に住んでた兄弟がすごく意地悪で、その友達も一緒に私を見る度にからかって嫌な悪戯ばかりして…だものだから、普通の男の子というのはあんなふうにうるさくて乱暴な生き物だとばかり思っていて…それとはあなたがあまりにかけ離れていたものだから、びっくりしたの…」

「僕は、君に意地悪なんかしないよ」

カーイは、少し考え込むように首を傾げた。

「思うに、その子達は君が好きで、君の気を引きたかっただけじゃないかな」

「まさか!そんなふうには思えないわ。だって、本当にひどい子達だったのよ。私、何度泣かされたか…」

「君が、見たこともない花のように綺麗で柔らかそうでかわいかったから、たぶん、どんなふうに声をかけたらいいのか分からなくて、そんな君に結局嫌われてしまうような馬鹿な振る舞いしかできなかったんじゃないかな」

「そういう…ものなの…?」

信者たちは皆とうに帰ってしまっている。薄暗い静まりかえった堂内で目当ての娘と二人きりでいることに、カーイは何だかどきどきしていた。 

「僕は、そんな馬鹿な真似はしないよ。だって、君に嫌われたくはないもの…」

「カーイ様…」

「ね、シャルロット、僕の友達になってくれる?時々こんなふうに会って、話したり、一緒に街や公園を散歩したり…駄目かな?」

シャルロットの顔にうかんだ当惑の表情に、カーイは、心底がっかりしたような哀しそうな声で言った。

「君のご両親は喜ばないかもね。君のようないいお嬢さんが、知り合ったばかりでよく素性の分からない男の子と一緒にふらふら遊びに出かけたりするのは」 

「そ、そんなこと、とんでもない…カーイ様はレギオン様の甥ですもの。私達にとっては、家族のような近しい存在だわ。本当は家族なんて言うのはおこがましいくらいですけれど、そのくらい特別な人達なんです、あなた方は…。だから、私の養父母が嫌な顔をするとか、そんなふうには思わないで下さい」

レギオンの甥だからという点は、はっきり言って非常に不満だったが、そんなことはおくびにも出さずに、嬉しそうに笑って、カーイはシャルロットのほっそりとたおやかな手を取った。

「よかった。断られたらどうしようと思ってた。ね、シャルロット、それじゃあ、明日天気がよかったら、いっしょに散歩に行こうよ。あ、それから、僕のことは、「様」なんてつけないで、ただカーイと呼んでね」

女の子一人をデートに誘うのが、こんなに気力と緊張を要するものだとは知らなかった。これまでの所計画どおりに運んでいるようで、それは満足していたが、もう少し楽しく楽にできないものなのだろうか。いや、これまでにないときめきを感じて楽しいことは楽しいのだが、思ったよりも結構疲れる。慣れれば、レギオンのようにもっとうまくできるようになるのだろうか。レギオンは、本当にそういう恋愛とか色事には長けているらしく、本人も好きなのだろう、こうと決めた獲物に対してはかなりまめで熱心な恋人のようだった。この間も新しい絵ができたからと見せてもらったのが、綺麗な女の人の裸像を描いた絵で、度々どこかに出かけては朝まで帰ってこないと思っていたら、新しい恋人にモデルを頼むという形でどこかに連れこんでいちゃついていたらしい。ああ、やめよう、レギオンのことを考えるのなんか。せっかくいい気分でいたのが、台無しになってしまう。早起きしたおかげで何やら眠いし、シャルロットを両親の待つ家までちゃんと送り届けた後、ちょっと昼寝でもしようと思いながら、家に帰ったカーイを、当のレギオンが待ちうけていた。

「おや、坊や、今お帰りかい。全く、日曜の朝早くから姿を消して、一体どこで何をしているんだろうと、お母さんと一緒に首を傾げていたんだよ」

足音を消して、誰にも気づかれないようにこっそり自室に引き込むつもりが、敏感にその気配を感じ取ったのか、カーイが自分の部屋の前を横切る時に扉を開いて、レギオンが顔を出した。

「レ、レギオン…」

何しろ、レギオンに対してはとてつもなく大それた秘密を抱えているものだから、はっきり言ってあまり顔を合わせたくはなかった。できれば、たとえ恋人といちゃつくためであっても、どこかに外出していてほしいと願っていたのだが、こんなふうに出迎えられるなんて。

「僕だって、たまには一人で散歩くらいしたくなりますよ。こんなにいい天気なんだし、早起きをして、朝の新鮮な空気を吸いながら、公園を歩いてぼうっとするのはとても気持ちよかった。あなたこそ、家になんて閉じこもってないで、外出するべきだと思いますけれどね」

かろうじてそんな後ろめたさの入り混じった動揺を押し隠し、カーイは言い返した。

「ふうん」

レギオンは、腕を組んで、カーイをじろじろと眺め回した。その視線に、カーイは何だか居たたまれないような緊張感と居心地の悪さを感じた。

「で、あなたの方は何をしていたんです?」

レギオンは、開けっぱなしの扉にもたれかかって、カーイを上から覗き込むようにしながら、ふふんと笑った。

「恋文をね、書いていたんだよ」

「こ、恋文?」

カーイは、目をぐるぐる回した。

「だ、誰に…?」

「おや、坊や、興味があるのかい?それは手紙の内容にか、それとも私の相手にか?いや、たぶん両方なんだろうな。けれど、そういう大人の世界に下手に首を突っ込んだりしたら、またこの間のような恥ずかしくて夜も眠れないような目に合うかもしれないよ」

カーイは、瞬く間に耳まで真っ赤になった。

「思いあがらないで下さい。あなたが人間の女相手にすることになんか、興味あるものか」

かっと気持ちが昂ぶるままに叩きつけるようにそう言って、レギオンから足早に立ち去ろうとしたカーイの手首を、レギオンが捕らえた。

「カーイ」

捕まえたカーイの手を引き寄せたレギオンは、その掌を開くようにして、そこに顔を寄せ、匂いを嗅ぐ仕草をした。

「君の体は、いつも花のようないい匂いがするが、今日はそこにまた別の花の香りが加わったような、一層あでやかな香りがするよ。さて、どこかで味わったような気がするが、どこでだったのか…」

瞬間、冷たい氷の手で心臓をわしづかみにされたような気がして、カーイは、レギオンから身をもぎ離した。その様子に、レギオンは薄く笑った。

「早起きして、疲れているんだろう?少し休むといい。今夜の夕食は、私は約束があって、君達とは御一緒できないから、久しぶりにブリジットと二人きりの時間を楽しんで、思いきり甘えるんだな、坊や」

レギオンが片目をつぶって、含みのあるからかうような笑みを投げかけ、そうして、扉を閉じるのを、カーイは青ざめた顔でじっと睨みつけていた。

(気づかれてる…)

自室にかけ戻り、外套を床に投げ捨てると、カーイは、天蓋つきの寝台に身をどさりと投げ出した。激しい衝撃はすぐに言い様のない脱力感にかわられた。  

(レギオンは、僕のすることなんか、もうとっくにお見通しなんだ)

しかし、それで打ちのめされ、意気消沈するかといえば、そういう訳ではなかった。逆に火をあおられたかのように、カーイの胸は不敵で挑戦的な闘争心で一杯になっていた。ばれてしまったなら、それはそれで別にいいではないか。もう、こそこそと隠れまわってすることに気を使う必要がなくなった分、いっそ楽だ。

(あんなふうに脅かしたら、僕が怯えて、あっさり手を引くとでも思ったんだろうか。誰が手を引いたりなどするものか。レギオンの思いどおりになど、絶対なってやるものか)

それから、思い出したように自分の両手を開き、おずおずと顔を近づけて、そこに本当にシャルロットの残り香か何かがあるのか確かめるように匂いをかいでみたが、結局分からなかった。馬鹿馬鹿しい。苦々しく吐き捨てて、ベッドの中で仰向きに寝そべり、目をつぶった。

(やっぱり、シャルロットは僕がもらおう。あんなろくでなしに間違った恋をして、挙句あんなひどいことをされて血を飲まれるなんて、あんまりだ)

改めて自分の決意を確認すると、ほっと気が緩んで、眠気が襲ってきた。

(シャルロット…かわいい小鳥みたいな女の子、ね、僕を好きになってよ。僕は、君にレギオンみたいなひどいことをしたりしないから…)

その気持ちは本当だった。カーイが考えていたのは、シャルロットがレギオンにやがて本気で恋するようになる前に、その気持ちを代わりに自分に向けさせてしまい、レギオンが彼女の血を飲めないようにすることだけで、それ以上の深い思惑を抱いていたわけではなかったのだ。シャルロットの血にも興味はなかった。彼女にはそれまで人間に抱いたことのない親しみと好感を抱いていたが、それは血の欲望に結びつくものでは、全くなかった。それが、別のものに変貌することがあるなどとは、決して考えたこともなかった。少なくとも、彼自身がしかけたその恋の初めの段階では、確かにそうだったのだ。



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