愛死−LOVE DEATH

第二十四章 銀の月と夜の影


 冴え返った月と流れる雲とが交互に作り出す、ほの明るさと影の中、2人のヴァンパイアの姿はうかびあがったかと思えば、すぐに沈む。

 長い月光色の髪を風に吹きなぶらせて、古びた大きな建物の屋根の端にたたずみながら、カーイは、もう一方の端に立つサンティーノの、夜そのもののように漆黒の姿を睨みつけていた。

 今カーイの目に映るサンティーノは、記憶にあるままの、物悲しげで憂鬱な面持ちの青年だった。ここに降り立って、初めてその顔を見た時には、何やら別の顔を見たような気がしたのだが、気のせいだったのだろう。カーイが出会い、別れた、19世紀初めの頃と一秒たりとも時を経ていない。

 当然のことだ。不老不死は、彼らヴァンパイア一族の特権なのだから。

「お久しぶりですね、サンティーノ」

 慇懃な態度の下に、抑えてもむくむくと沸きあがってくる敵愾心と反発を押し隠しながら、カーイは挨拶をした。

 全く、長い孤独な時間を経てやっと会えた同族を前にして、もっと親密な雰囲気になれないものだろうか。やはり、これも狩人の本能、決して群れては行動できないヴァンパイアの性質なのか。それとも、相手が、このサンティーノだからか。

 『死にたがりのサンティーノ』と呼ばれた彼は、カーイと出会った当時、既に強い自殺願望に取り付かれていた。あまりに長い時間を生き続けると、時にそんな夢想を抱くことも、ヴァンパイアならば誰しもある。だが、サンティーノの夢想は幾分常軌を逸していた。また、若かったカーイにそれを理解しろと言っても無理な話だった。

 気分が高揚して活動的になると、なかなか面白い話をし、白い噴煙を時々上げるヴェスヴィオ火山に見下ろされた、19世紀のナポリの街を一緒に徘徊して狩りをするのも楽しい相手だったが、一端うつ状態に入ると、手がつけられなかった。日がな一日じめじめと落ち込み、暗い顔で、死にたい、永生を終わらせる手段はないだろうかと、意味のない繰り言を続ける。全く、これが、あの陽気な、輝く太陽のようなレギオンの親友だとは信じられないくらいだった。

 大体、どんな悩みを抱えていても、泣き言は言わないのがヴァンパイアのプライドというものだ。言っても、誇り高い仲間からは、同情よりむしろ軽蔑を誘う。

 そして、あまり他人に共感を寄せることもなく、苦手と思った相手はとことん毛嫌いする傾向のあったカーイは、長い気鬱の病に取り付かれたサンティーノを見離すのも早かった。

 今思えばひどい話だが、『頭がおかしい』とののしり、『そんなに死にたければ、勝手に自殺でも何でもすればいい。どうせ、死ねないのだから』と言い捨て、ついには、必死で引き止めようとする彼を憤然と振り切って、ナポリを逃げ出してしまったのだ。

 それでも、さすがに気がとがめたカーイは、1年もたたないうちに、様子を確かめにナポリに舞いもどってみた。しかし、カーイが、サンティーノが可愛がっていた従者の少年から知らされたのは、思いもよらなかった彼の『死』の知らせだった。サンティーノは、カーイが出て行った、その日のうちに、燃えている火の山に向かい、少年がとめるのも聞かずに、灰の臭いの立ち込める、岩だらけのごつごつした斜面を1人登っていき、火柱を上げる火口の方へと消えていったという。

 ヴェスヴィオ山の溶岩流の中にでも飛び込めば、さしも不死の肉体も燃え尽きるだろうかと呟いていたことはあったが、まさか、本当にするなんて!

 これには、カーイもかなりの衝撃を受けた。仲間を自殺に追い込むなどと我ながらひどすぎると、しばらくの間、落ち込み、激しく後悔した。同時に、本当に彼は死ねたのだろうかと疑った。死に切れずに生き延びている可能性の方が、高いのではないか。だが、不死の肉体に、そこまでの試練を与えた者は他に知らなかったので、カーイにも、確信は持てなかった。

 いずれにせよ、サンティーノの消息はそれきり聞かなくなった。あるいは、本当に滅びてしまったのかもしれないという気がしだしたが、やがて、彼のことを思い出すこと自体まれになっていった。いつしか、200年近くの時間が流れさっていた。

 そして、今、よみがえった過去の亡霊が、ここに立っている。

「あなたの行方については、私も悩んだことがなかったわけではありませんが、やはり生き延びていたんですね」

 相手の顔にうかぶ微妙な表情からその真意を探ろうとしながら、カーイは、慇懃とも傲慢とも取れる口調で続けた。

「それは、あなたの本意ですか? それとも、今でもまだ死にたいと思っているんですか?」

 サンティーノは、答えない。物思わしげな面持ちで、カーイをただ見つめるばかりだ。カーイは、少しいらいらしてきた。

「黙ってないで、答えなさい、サンティーノ。それとも、あなたの頭の病気は、まだ治ってないんですか?」

 ついに、堪えきれなくなったかのように、サンティーノは、低い笑い声を漏らした。

「君も、そんなところは、相変わらずだね、カーイ。ブリジットそっくりの綺麗な優しい顔をして、信じられないくらいきついことを平気で言う」

 更に、一体何を思い出したのか、サンティーノは、細身の体を2つに折るようにして笑い続けた。

 カーイは、少し肩の力を抜いた。別に欝でも躁でもなさそうだ。少なくとも今のサンティーノのうちに、多くの同族たちが捕らえられた狂気の気配は感じられない。これは、カーイにとっても、ほっとできることだった。

「どうして」

 サンティーノの笑いの発作がおさまるのを待って、カーイは、ちらりと建物の下の方に視線を投げかけながら、尋ねた。

「どうして、あの刑事を殺したんです? バレリーも、あなたがやったんですね?」

 こちらに向けられたサンティーノの大きな目が、瞬きをした。少しもじっとしていないで明るさを変えつづける、月明かりの悪戯か、その目が、一瞬違う光を放った。

 カーイが知るサンティーノよりずっと凶暴で、冷ややかな顔。錯覚だろうか。

「ナイト刑事もバレリーも、見てはならないもの、知ってはならない真実を垣間見てしまった。だからだよ、カーイ」

 サンティーノは気だるげに目を閉じ、半ば独り言のような、低いささやき声で告げた。

「君がやった殺しだということに気がつきかけていた。だから、僕が、口封じに殺したんだ。本来ならば、君自身が始末をつけなければならないことを、僕が代わりにやったまでさ。君は、むしろ感謝するべきで、そんなふうに怒ることでははないと思うけれど」

「感謝?」

 カーイは、眉を吊り上げた。

 サンティーノの言うことは、確かに、その通りであったかもしれないが、認めることは腹立たしい。

「私は、頼んだ覚えなどありませんよ?」

 ヴァンパイアは、とかく同族相手に弱みを見せることを嫌う。己の非を認めることを避けたいがために、如何なる努力も払う。それは、誇り高い神の末裔としては、死ぬほど情けなく恥ずかしいことなのだ。全く、馬鹿馬鹿しい限りだと我ながら思うが、サンティーノと話しながら、やはり己は骨の髄までヴァンパイアなのだということを、カーイは実感していた。

「大体、あなたが、ただの親切心で私を助けようなどとするとは思えません」

「そんなふうに考えるだけの、心当たりがある訳だ」

 カーイは、不愉快そうに顔をしかめた。

「少なくとも私なら、他人の殺しに、そんな余計な手出しはしないでしょうから。ヴァンパイアなら、自分の犯した殺しの後始末くらい、自分でつけるべきなんです」

 サンティーノは、苦笑したようだ。

「狩人の流儀にのっとった、綺麗な後始末が出来るような状態には見えないけれどね、カーイ。それどころか、どんどん、蟻地獄の深みに落ちていっているようだよ」

 カーイは牙を剥き出した。屋根の上を、サンティーノの方に、一歩進み出た。

 すると、サンティーノは、降参したように両手を上げて、一歩退いた。

「待ってくれ、カーイ」

 サンティーノの顔にうかんだ真剣な表情が、カーイの足を止めさせた。

「僕は、君と争うためにここに来たわけじゃないんだ。侮辱するつもりもない。久しぶりに君の顔を見て、過ぎ去った昔のあれやこれやを思い出し、つい嫌味の1つでも言いたくなったことは否定しないけれどね」

 立ち止まったものの、その気になればいつでも飛びかかれるよう身構えたままのカーイを、サンティーノは、つくづくと見つめた。

「僕達は、ずっと仲間探しを続けてきたんだ、カーイ。この人間達が支配する現代に、どれだけのヴァンパイアが残っているのか、どうしても確かめずにはいられない、そんな使命感みたいなものに駆られてね」

 カーイは、大きく息を吸い込んだ。

 同じ試みを、カーイも、かつては続けていたのだ。さすがに、あまりにも実りの少ない探索に疲労を覚え、ついには投げ出してしまったのだが。

「それは、砂漠の砂の中に隠された宝石を捜すに等しいものだけれど、それでも、幾人かが見つかったよ。結束している者達は、そのうちの更に一握りにすぎないけれどね。分かるだろう、居場所は確認できても、中には既に廃人のようになっている不幸な仲間もいるし、ヴァンパイアの孤高を保って、誰とも関わりを持ちたがらない者だっているからね」

 カーイは己の中で好奇心と興奮が湧き上がり、唇からあふれだしそうになるのを、かろうじて抑えていた。

 まだ仲間が生き残っていた。カーイは、この広い世界で本当の1人きりという訳ではなかったのだ。

「どうやって…他のヴァンパイアを探し当てることが出来たんですか? それこそ、大変な仕事だったでしょう?」

「そうだね、例えば、君を見つけたのは僕だけれど…それはネット上で拾い集めた各国のニュースからだったよ。ヴァンパイアの殺しには、特徴があるからね。配信された無数の事件を分析処理して、ああ、ロンドンに1人いるなと分かったんだ。ただ、そうして見つけた仲間の場合、大抵は殺しをしてすぐに移動してしまうから、すぐに駆けつけたところで、捕まえられるとは限らないんだけれど。だが、君は違った」

 サンティーノの声にこもった微かな嘲りに、カーイは、身を強張らせた。

「本来なら、君は、ロンドンでした最初の殺しの直後にここを去るはずだったんだ。それなのに、ずっと居座って、別の殺しをした。スティーブンのことだよ。その前に人間達と派手な戦いを演じたことは別にしても、君は、血のために更に無差別な殺しを重ね続けた。一体、君の上に何が起こったのかと思ったよ。殺しのやり方も、頻度も、全く普通の状態ではなかったからね。さては、君までも正気を失ってしまったのか。僕達が見つけた、不幸な仲間達と同じ穴に君も落ち込んでしまったのか。けれど、事情はどうやら違ったようだね」

 カーイの頬が、さっと紅潮した。

「ある意味、それも、狂気には違いないのかもしれないけれど」

 サンティーノは、また沈黙した。

 艶やかな黒髪の頭が、哀しげに振られるのを見て、カーイは、居たたまれない気分になってきた。

「一体、いつまで、そんな馬鹿なまねを続けるつもりなんだい、カーイ? そんなに、あの人間の男の子が大事? 無意味だよ。分かっているんだろう? 逃げ回って、先延ばしにしても、いつかは殺さなくてはならないんだよ? それを、他の死ななくてもいい命を奪ってまで、守ろうとするなんて―」

「あなたには関係のないことでしょう!」

 サンティーノの言葉を遮るように、カーイは荒々しく叫んだ。

「スルヤと私のことに口出しする権利など、あなたにはない。見つかっても、あなたとの交流を望まない仲間だっていたんでしょう。その仲間達のように、私のことも放っておいてくれればいいんです。私は、あなたの助けも忠告も同情も必要とはしていない」

 己の孤独や苦悩を理解してくれる仲間がいてくれればと、願ったこともあったはずだが、実際には、こんなものだ。仲間の口から出る非難は、カーイの胸を刺しつらぬいた。それは、同じ悩みを経験し、通りすぎていっただろう者の言葉だからだ。

 それでも、カーイは懸命に己を奮い立たせて抵抗し続けた。サンティーノが突きつけた、逃れようのない現実に立ち向かおうとしていたのだ。

「サンティーノ、このロンドンから、どうか早く立ち去ってください。私のことは、不幸な愚か者と見捨て、忘れ去ってくれればいい。私は…確かに、あなたの言うとおり、ある意味、正気を失っているのかもしれない。過ちを犯し続けていると分かっていても、どうすれば止められるのか、その方法がまだ見つからない。けれど…このことに、他人を介入させたくないんです。だって、いつだって、私は、自分がどうするか、自分で決めてきたし、これからもそうするつもりだから…どんな運命でも、例え最悪の末路しかなくても、私の意志で選んだものなら受け入れられる…」

「カーイ…」

 サンティーノは絶句した。何かしら、初めて出会ったものであるかのごとく、カーイの青白く張り詰めた顔を凝視した。

「ああ、そうか。君にしても、全く変わらずにいられるわけじゃなかったんだね、カーイ。僕がそうであるように、君もまた以前と同じではないということか。不死者の驕りに凝り固まった、あの高慢な、自分勝手で冷淡な君が、随分人間的になったものじゃないか。200年の時にもまれて、角が取れたのかな。それとも、人間との恋のせい? その変化が、いいものか、悪いものか、僕には分からないけれど。でもね、カーイ」

 サンティーノの憂いのこもった顔に、初めて、明瞭な悪意の影が浮かび上がった。

「獲物である人間に本気で溺れるなんて、掟破りだと、仲間からの軽蔑だけでなく怒りも買うかもしれないよ。君を本心に立ち返らせるために、あの男の子をどうにかしてしまおうなんて、考えるかも?」

 嘲笑をうかべたサンティーノの顔めがけて、カーイは、鋭い爪を振りかざし、襲い掛かった。だが、彼が引き裂いたのは、サンティーノの黒いコートの僅かに袖だけだった。

「サンティーノ!」

 大きな鳥のようなものが背後に降り立つ気配に、カーイは、怒りを込めて、振り返った。

「ああ、驚いたな。軽い冗談のつもりで言っただけなのに、そこまで怒るなんて、カーイ…本当に…本気なんだ」

 破れたコートの袖をちらりと見やり、肩をすくめて見せるサンティーノに、カーイは、ぎりっと歯軋りした。

「冗談にでも、あの人に何かしたら、ただではすみませんよ、サンティーノ。燃えさかる火山の火口にもう一度叩き込んでやる…そのくらいの苦痛を味わわせてやりますからね」

 カーイは、再びサンティーノに向かって跳躍しようとした。

 しかし、その時、サンティーノの顔に見出した奇妙な違和感、言い知れぬ危険な気配に、はっとなって足を止めた。

「カーイ」

 軽い頭痛でも覚えたかのように、サンティーノは、己の半顔を手で覆った。

「僕を挑発するのは、そのくらいにしておくんだ。さもないと、ただではすまなくなるのは、君の方だよ」

 サンティーノは朦朧としているように見えた。まるで何かの発作を起こしたかのように、小刻みに身を震わせながら、弱々しい、必死の響きを帯びた声で、忠告した。

「何を―」

 カーイは、一瞬かっとなりかけたが、何故か、これ以上の攻撃を続けられなかった。本能が、これ以上サンティーノを刺激してはならないと、警告を発していた。

 立ち尽くしたまま、探るような口調で話しかける、カーイの肌は泡立っていた。

「サンティーノ、あなた…何か、隠していますね…別れた時と全く変わっていないように初めは見えたあなただけれど、何かが…違う…?」 

 何がおかしかったのか、低い、くつくつという笑い声が、苦しげに俯いたサンティーノの唇から、唐突に飛び出した。

 カーイは、ぎくりとした。記憶にあるサンティーノの控えめな笑い方ではないような気がしたのだ。

「火に焼かれても、僕は結局死ねなかった…生き延びた時に、何かを失い、代わりに何かを得たのかもしれないよ…君に罵られたように、不死者としてはあまり心の強くない僕が、永遠の時間に耐え抜くために必要なものを…」

 すっかり戦意を喪失したカーイが、警戒しつつ見守るうちに、サンティーノの身に起こりかけた異変は収まったようだ。やがて、彼は、身を起こし、麻痺しかけた意識をはっきりさせようとするかのように、頭を左右に振った。

「ああ」

 魂の奥底から込み上げてくるかのような深い嘆息を、サンティーノは漏らした。

「生き続けることは、本当に楽じゃない。ねえ、今なら、君も分かるだろう、カーイ?」

 カーイには、答えられなかった。サンティーノの青ざめた顔にうかぶ悲壮さから、目をそらせた。

 重苦しい沈黙が2人の間に下りた。

 カーイは、屋根の上を吹き抜けていく風の音に耳を傾けながら、サンティーノに向かってかけるべき言葉を探していた。

「カーイ」 

 サンティーノが会話を再開してくれたことに、カーイは、むしろほっとした。

「君は、自分のことなど放っておいてくれと言ったけれど、それは出来ないよ。カーイ、君には、僕達の仲間にぜひとも加わってもらいたいんだ。それは、君の為にもなることだよ。世界中を1人でさ迷って、自分の居場所を探し続けて…孤独だったんだろう? 分かるよ。さっきは君を馬鹿にしたようなことを言ったけれど、それは僕の本意ではないんだ。僕と行こう、カーイ。君が安心して暮らせる家のような場所、嘘を付き合う必要もない仲間達との暮らしは、永生に疲れきって自分を見失っている君を癒してくれるはずだよ」

 カーイは、はからずも己の気持ちが揺らぐのを覚えた。サンティーノの誘いには、確かに、長い孤独な時間に飽いたカーイを惹きつけるだけの魅力があった。しかし。

「あなたと一緒に行くことなど出来るはずがありません。私には、あの人がいますから。スルヤのいる場所が、私の家です。他のどこにも行くつもりはありません」

 そんなふうにきっぱりと言える自分が、カーイは不思議だったが、快くもあった。

 カーイの孤独に共感できるというサンティーノにも、ここまでは理解できないだろう。分かってもらおうとも、思わないが。

 やはり、サンティーノは、困惑しているようだった。

「君は、頭がおかしくなったんだ、カーイ」

 自分がかつて言ったそのままの言葉を、当惑しきりのサンティーノがぶつけてくることに、カーイは、一瞬噴出しそうになった。

「これで、おあいこですね、サンティーノ」

 サンティーノは、それでもカーイを説得するための思案に暮れているようだったが、彼の策など尽きているとカーイは思っていた。

「私に対して言いたいことがそれだけなら、私は、もう行きますよ、サンティーノ。けれど、私の警告はお忘れなく。すぐにでもロンドンから立ち去って、私とスルヤの前には決して姿を見せないことです。もしも、スルヤに手をかけるようなことがあれば、あなたとあなたの仲間達は、永遠の友ではなく、永遠の敵を作ることになるでしょう。復讐に狂った私の爪と牙は、あなた方が築いたちっぽけな楽園など、粉々に打ち砕いてみせますよ」

 カーイが、静かな声音のうちに凄みをきかせて、そう啖呵を切ってみせると、サンティーノの顔に不安と躊躇いが過ぎった。それを見て、カーイは満足し、立ち去ろうと、踵を返しかけた。

 大丈夫だと、カーイは、確信を覚えていた。サンティーノと自分では、本気さが違う。

 己と同じ能力と不滅性を持つ同族の敵を作るなど、かなりの覚悟がないとできないことだ。生半可な気持ちで、今のカーイに近づけば、手ひどいしっぺ返しをくらうことになると、サンティーノも気がついただろう。

「カーイ」

 だから、サンティーノの溜め息交じりの声が、背中に向かってかけられた時も、それ程、不安は覚えなかった。

「まだ、何か?」

 カーイは、肩越しに振り返っただけだった。

「分かったよ。僕には、とても君の説得など出来ない。昔から、そうだったしね。僕の言葉になど、素直に耳を傾けてくれる君じゃないんだ」

 サンティーノは僅かに首を傾けるようにして、半ば閉じた目でカーイをじっと見つめていた。毒々しいまでに赤い唇には、意味ありげな微笑がうかんでいる。

「だから、君の説得はしばらく保留にしておくよ。君の恋人にも、もちろん手出しはしない。その代わりといっては何だけれど、もう1人、僕の仲間に会ってくれないか」

 さては、何か隠し玉を持っていたなと、カーイの胸に再び警戒心が湧き上がった。

「ロンドンで君が見つかったという知らせを、昨日、彼にメールで送ったら、すぐに返信が来たよ。全く、いつもは平気で何ヶ月も音信不通のなしのつぶてのくせに、君の話となると別なんだから、驚くよ。仕事の予定も何もかもをうっちゃって、今すぐ、ロンドンに向かうつもりだって」

 カーイの眉間に深い皺がよった。

「誰の話をしているんです?」

 サンティーノの口から尖った舌が一瞬覗いて、赤い唇をちろりと舐めた。

「君にとっては、とても懐かしい相手だよ、カーイ。彼に会って、昔話でもすれば、君もかつての自分に立ち戻れるかもしれないよ?」

 カーイは、いつしか、サンティーノに向き直っていた。

「誰?」

 サンティーノの憂いを帯びた瞳に、一瞬赤い小さな火花が散った。彼は、両手をカーイに向かって差し伸べるようにして、微かに険のこもった声音で囁いた。

「僕達の共通の友人だよ。まさか、本当に彼が滅んでしまったなんて思っていたのかい? 僕達は、そう簡単に死ぬことも滅ぶこともできないんだよ。僕がここにいることを考えても、分かるだろう?」

 カーイは、凍りついたように、その場に立ち尽くした。しばし、息をすることも忘れた。

 そんなカーイを、サンティーノは、意地の悪い猫のように細めた目で、じっと観察している。

 やっと、呼吸をすることを思い出したかのように、胸にためていた息をはっと押し出したカーイは、呆然となっていた。

 信じられないと言いたげに、しばし、言葉もなくしたまま、カーイは、狂おしくサンティーノを見つめた。

「まさか―」

 ようやく動いた唇から漏れた、自分の声が、不安とも期待とも、喜びとも怯えともつかぬ震えを帯びていることを、カーイは、意識していた。

「彼は…生きて…生きていたんですか…?」



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