愛死−LOVE DEATH

第二十三章 聖夜


 今日は、23日。

 キッチンの壁にかけてあるアドベント・カレンダーの窓を、スルヤは、開いた。取り出したそりの形のチョコレートを口に運びながら、早いものだなぁと考える。

 スティーブンが死んでも、やはり、時間は流れる。明日はイブで、その次の日はもうクリスマスだ。

(スティーブンが死んでしまって、俺も、しばらく悲しい顔ばかりしていたかもしれない。何だか元気のないカーイのためにも、クリスマスの日は、2人で楽しく過ごそう。コメディのビデオでも借りて一緒に見てもいいし、久しぶりにカーイをモデルに撮影をしてもいいな。夜は、2人だけでパーティーをしよう。それから…)

 カーイのために用意したプレゼントのことを考えた。喜んでもらえたら、いいのだけれど。

 スルヤが想像にふけっていた、その時、玄関のチャイムが鳴った。

「カーイ?」

 車で近くのスーパーまで買い物に出かけた恋人が戻ってきたのかとも思った。しかし、扉を開くと、そこにいたのはカーイでなく、切迫した面持ちのネイサン・ナイト刑事だった。

「刑事さん? ど、どうしたんですか?」

 ネイサンは、一瞬スルヤを食い入るように見、それから、吐き出すように言った。

「悪い知らせだ、スルヤ君。君の友人の恋人だったバレリー・レシアスが、殺された。今日の昼間、自宅で死体が発見されたと署に通報が入ったんだ」

「え…えぇっ?!」

 スルヤには束の間ネイサンが何を言っているのか分からなかったが、気がつけば、小さな悲鳴のような声をあげていた。

「殺されたって…バレリーが…まさか…」

「残念ながら、本当のことだよ。しかも、スティーブンの時と同じように、彼女も血を吸われて死んでいたんだ」

 スルヤは、ネイサンに殴られたかのようによろめき、後ろに下がった。その腕をとっさにネイサンが捕らえ、支えた。

「しっかりしろ、スルヤ君」

「あ…ああ…大丈夫です…」

 ぼんやりと呟くスルヤに、気遣わしげなネイサンの声が、言った。

「中に入っていいかな。実は、彼女のことで、君に少し尋ねたいことがあって、ここに来たんだ」

「尋ねたいこと…?」

 何だかもう頭の中がぐちゃぐちゃになっていたが、ネイサンに請われるがまま、スルヤは、彼を家の中に通した。リビングに案内すると、ネイサンは、早速とばかりに切り出した。

「実は、バレリーが殺されたと思われる夜、俺は彼女から電話をもらっていたんだ」

「バレリーが、あなたに電話を?」

「ああ、何やら奇妙な話を聞いた。その時は、それが事件に関わりがあることとは、俺には、あまり思えなかったんだが、彼女が殺された今、やっぱり何か関係があったんじゃないかって気がしているんだ。スルヤ君、君は、バレリーから、画像を保存したディスクのことを聞いていないか。スティーブンが、死ぬ前に、君に渡そうとしていたものらしいんだが」

 スルヤは、はっと息を呑んだ、

「知ってるんだね?」

「え…ええ…」

 スルヤは、あの日、バレリーが別れ際打ち明けた話を思い出した。スティーブンのフラットから、こっそりと持ち出したものがある。スルヤあてにとスティーブンが残した、パソコン用のディスクだと言っていた。

「その…ディスクのことは、彼女から聞きました。俺に返したいから、また近いうちに電話するって…それきり連絡がないので、どうなったんだろうとは思ってたんです」

「そのディスクの中身について、君は、何か知っているのかい? スティーブンから、予め聞いていたとか?」

「いいえ。ディスクの存在も、バレリーの話で初めて知ったんです。画像が、保存されていたんですか?」

「それも知らないのか」

 ネイサンは、困ったように、頭をかいた。

「それじゃあ、その画像のモデルになったのが誰なのかも、分からないよな」

「刑事さん、まさか…スティーブンが残したディスクのせいで、バレリーが殺されたと思ってるんですか?!」

 ネイサンの疑っていることがようやく理解できたスルヤは、仰天して、叫んだ。

「その…それじゃあ、そのディスクが、スティーブンを殺した犯人と関係あるってことなんですか? どういうことなんです? スティーブンは、犯人を知っていたとでも言うんですか、殺される前に、俺に何かを伝えようとしていたと…?」

 珍しく感情を昂ぶらせるスルヤに、ネイサンは、慌てたようだ。

「落ち着いて、スルヤ君。まだ、そうと決まったわけじゃないんだ。早合点してはいけないよ。ただ、彼女の死のタイミングがタイミングなだけに、そのディスクが非常に疑わしいことも確かなんだ。だから、俺達も、彼女の家でそれらしいものがないか探したんだが…」

「見つからなかったんですね」

「ああ、そうだ」

「バレリーは、自宅で殺されたって言ってましたけれど、それじゃあ、彼女を殺した犯人が、ディスクを持ち去ったってことなんですか?」

「その可能性は、あるな」

「そんな…」

 スルヤは、すっかり混乱していた。バレリーの死の知らせだけでもショックなのに、それが、スティーブンが自分宛に残したディスク絡みのもので、犯人の手がかりがそこにあったかもしれないなど、すべてを理解して飲み込むには、あまりにも突然すぎた。

「スティーブン…スティーブンは、それじゃあ、一体、どうして殺されたんだろう…? ただの通り魔に殺されたわけじゃないなら、どうして…?」

「スルヤ君、スルヤ…通り魔だという可能性も、まだ残っているんだ。決め付けては駄目だよ。バレリーはスティーブンと近しい関係にあった訳で、俺達もこの点に注目しないわけにはいかないんだが、最初に発見された外国人も、この間殺された3人組も、スティーブンとは全くつながりはない」

「でも…それじゃあ、一体…犯人は、何者なんです? 何故、人を殺して血を飲んで…何のために…スティーブンや…バレリーまで…」

 熱いものが喉の奥から込み上げてくるのを、次いで、両目から堰を切ったように涙が溢れ出すのを、スルヤは覚えた。

「スルヤ君、落ち着いて…泣かないでくれ…困ったな…」

 途方に暮れたようなネイサンの呼びかけに、スルヤは何とか涙を押しとどめようとするが、もともと、こんなふうに感情があふれ出すと、1人ではなかなか止められないのだ。

「ごめんなさい…俺…涙もろくて…泣き出すと、とまらなくて…う…」

 その時、玄関の鍵がカチャリと鳴って、扉を開けて誰かが入ってくる気配を感じた。

「スルヤ、スルヤ? すみません、遅くなって」

 カーイだ。

「クリスマス休みに入る前に、いつもの百合を少し買っておこうと思って、帰りに花屋にも寄ったんですよ。そうしたら、お店のご主人とつい長話をしてしまって…」

 スルヤを探し求める彼の声は、すぐに近づいてきた。

「そこにいたんですか、スルヤ?」

 リビングに入ってきたらしいカーイの声が、瞬間、固いものになった。

「あ…カーイ……」

 お帰りなさいと言おうとしたのだが、声にならなかった。百合の花束とスーパーの袋を抱えて、リビングの扉のところで立ち尽くす、カーイを振り返って、にっこりしようとしたが、代わりに目からは新たな涙が零れ落ちた。

 そんなスルヤの様子と、ソファに腰をかけたまま、呆気に取られた顔で彼を見つめるネイサンとを、カーイは困惑気味に見比べた。その細い眉が、きりきりとつりあがった。

「あなた、何者です? スルヤに一体何をしたんです?!」

 何か、誤解をしたらしい。荷物を床に無造作に落とし、すごい剣幕で、今にもネイサンにつかみかかりそうな勢いで詰め寄ろうとするカーイを、スルヤは、その体に抱きつくようにして、必死で止めた。

「ち、違うよ、カーイ…この人、刑事なんだよ」

「刑事」

 カーイは、はっとして、立ち止まった。ネイサンを、つくづくと眺めた。

「スティーブンの事件を捜査している…?」

 ほっと吐息をつくと、カーイは、ネイサンに向かって伸ばしかけていた手を、恥ずかしそうに下ろした。

「失礼なことを言って、すみませんでした」

「あ…い、いいえ、とんでもない…」

 ネイサンの声は、何かしら上擦っていた。スルヤが見やると、彼は、目を大きく見開いたまま、半ば魅せられたかのように、カーイの姿に見入っている。

「スルヤ」

 そちらを振り返ると、心配そうな表情をうかべたカーイの顔が、すぐ近くにあった。

「どうしたんですか、一体…?」

 スルヤの隣に腰を下ろすと、彼は、優しい手で涙をぬぐってくれた。

「うん…実は、ショックな知らせを聞いたものだから、それで、気持ちが昂ぶって…あのね、バレリーが…」

 言いかけて、また、ひくっと喉が鳴った。

「あ、俺から、お話します」

 ネイサンが、スルヤの後を引き継ぐようにして、バレリーの死を告げた。

「そうですか、スティーブンに続いて、スルヤの友人が、また、そんな目に…バレリーさんのことはよくは知りませんが、スティーブンの葬儀の時に、たぶん姿を垣間見ていたように思います。あまりに突然でにわかには信じられないくらいですが、不幸というのは続くものなんですね。それで、こんなにスルヤは動揺して…可哀想に…」

 カーイの手は、スルヤを抱きしめ、その背中をあやすように叩いている。スルヤは、その優しい抱擁におとなしく身を預けたまま、しかし、頭の中では、ネイサンからもたらされた知らせをじっと噛み締めていた。

(スティーブン、一体、スティーブンの残したディスクって、何だったの? 俺に、一体、何を伝えたかったの? もしかして、それって、スティーブンが巻き込まれていた、トラブルに関係があることなのだろうか…)

 カーイが呼ぶ声に、スルヤは顔を上げた。

「スルヤ、刑事さんは、まだ少しあなたと話をしたいそうだけれど、どうしますか? 明日にでも、あなたの気持ちが落ち着いてから出直してもらった方が、いいんじゃないですか?」 

 カーイの気遣わしげな言葉には、そうしようと訴えかけてくる響きがこもっていたが、スルヤは、健気らしく首を横に振った。

「ううん、大丈夫だよ、カーイ。心配しないで。それに、俺も、もっと詳しく刑事さんの話を聞きたいし」

 カーイは、あきらめたように溜め息をついた。

「それじゃ、私は、コーヒーでも淹れて来ます」

 静かに立ち上がるカーイに、ネイサンの躊躇いがちの声がかけられた。

「あの…あなたは?」

 カーイは、ふっと微笑んだ。ネイサンの若い顔が、うっすらと朱の色に染まるのを、スルヤはちょっと複雑な気持ちで見守った。

「スルヤの同居人です。カーイ・リンデブルックといいます」

「カーイ…さん…ああ、あなたが…」

 カーイがキッチンに消えた後、ネイサンは、スルヤの方を見、言わずにはおれなかったというように、こっそりと告げた。

「ごめんよ、ちょっとびっくりしてしまって…すごく綺麗な人だね。こんなことを聞くのも何だけれど、女の人? それとも、男性…?」

 女性だとしたら、一体どうするつもりだったのだろう。男性だと告げられた時のネイサンのがっかりした顔に、スルヤは、こんな時ではあったけれど、思わず小さな笑いを漏らしてしまった。



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