愛死−LOVE DEATH−
第二十二章 堕ちる天使
六
バレリーは、ネイサンが電話口に出るまでの間、受話器のコードを指に巻きつけながら、何をどう話すべきか、考えを巡らせていた。これは、本当に妥当な行動なのだろうか。このことに、わざわざ警察に知らせるほどの価値があるのだろうか。
『もしもし、バレリーさん?』
単調な音楽が途絶えたかと思ったら、ネイサンの声が、呼びかけてきた。バレリーは、深く息を吸い込んだ。
「こ、今晩は、刑事さん。ごめんなさい、忙しいでしょうに、電話なんか、かけて」
『いいんだよ。それよりも、電話をかけてくれたってことは、何か、俺の耳にいれたいことがあるんだよね?』
『ええ…』
ふと後ろを振り返り、壁にかけられた時計を眺めやる。約束の時間まで、もう少しある。必要なことを伝えるくらい、大丈夫だろう。
「全然的外れかもしれないけれど、ちょっと気になることがあったものだから」
『気になることって?』
「あの…私、スティーブンの死のほんの数日前、彼の部屋から黙って持ち出したものがあるの。彼がスルヤに送ろうとしていたものよ。スルヤ宛の封筒に入っていたから、何なんだろうって、つい好奇心に駆られて」
こんな泥棒行為をネイサンにとがめられたらと、バレリーは、ヒヤッとしたが、彼は何も言わなかった。
「私、後で後悔して、スティーブンに返さなきゃと思ったんだけれど、そうする前に、彼は殺されてしまったの。そのせいだろうけれど、何だか、あれは、スルヤに残した、彼の形見というか、遺言のような気がするのね。そんな深い意味は、本当はないのかもしれないけれど」
「それは、何だったんだい、バレリー?」
一瞬、バレリーは、躊躇った。
「画像の入ったディスクよ。彼は、写真をコンピューターで加工した作品を、よく作っていたの。それから、これは、前から噂されてたんだけれど、スティーブンには、誰にも内緒で作っている作品があったの。今まで付き合った色んな子達をモデルにして、それらの画像を組みあせて、ある作品を作ろうとしていたみたいなの。でも、その画像は、モデルになった恋人達にも、友達の誰にも見せてくれなかった。彼の秘密だったのね。スティーブンの家から持ち出した、あの画像を見た時、これが、そうなんじゃないかという気がしたの。スルヤには彼も心を開いていたから、もしかして自分の死を予感して、大事な作品を彼に預けようとしていたのかも…そう思ったの」
「画像…か」
考え込むような、ネイサンの呟きが聞こえた。
「その画像について、君は何か気になることがあるのかな? 何か、引っ掛かりがあるから、俺に連絡をくれたんだろう?」
「ええ…」
バレリーの声は、知らず、低くなっていた。
「実は、私、あの画像にとてもよく似ている人を知っているの。よく見れば、違うところもたくさんあるのだけれど、一瞬、その人がモデルだと思うくらい、似ていたわ。けれど、その人は、まだロンドンに来て間もなくて、スティーブンと面識はあったけれど、そんなに前からの知り合いというわけじゃない。それじゃあ、あの画像は何なのだろう。単なる私の勘違いで、あの画像は、スティーブンの秘密の作品とは別のものなのか。あの人をモデルにして作った作品をスルヤにあげようとしていたというだけなのか、それとも、私達の知らない所で、以前、スティーブンは、あの人の姿を見たことがあったのか…」
『バレリー…』
幾分当惑の響きのこもったネイサンの呼びかけに、バレリーは、顔を赤くした。
「ごめんなさい。何だか、言ってて、自分でも変だと思ったわ。ミステリーの読みすぎと思われても仕方ないわね」
『いや、そんなことはないよ。確かに、ちょっと意外な話ではあったけれどね。ううん、スティーブンは、一見普通の子みたいだけれど、失踪の件もだが、すっきりしない部分があるな。事件に関係あるのかどうか、俺には、何とも言えないけれど…ブレイク警部なら、何と言うだろうか』
ネイサンは、少しの間、黙り込んだ。
『バレリー、君が、その画像に似ていると思った人って、誰のことなのかな?』
何故か、バレリーは、心臓の鼓動が早まるのを意識した。画像の中にいた、あの人物の底光りのする青い瞳が、彼女を威嚇していた。
「それは…」
自分の声が震えていることに、バレリーは、呆然とした。言葉を切った。
『どうしたんだい、バレリー?』
ネイサンのいぶかしげな声を聞きながら、バレリーは、寒いわけでもないのに、強烈な悪寒を覚えたかのごとく、そっと身を縮めた。
(あんなにぞっとする、禍々しいほどに青い瞳を見たことはなかったわ。とても美しいけれど、恐さが勝って…とても現実に存在する人間をモデルにしたものとは思えなかった。ううん、人間には思えなかった。スティーブン、あなたは、どんなつもりで、あんな画像を作ったの?そして、あれが、本当にあの人をモデルにしたものだとしたら、あなたの目には、あの美しい人が、あんなにも恐ろしい姿に見えていたということなのかしら? 私は、あのカーイという人のことは何も知らない。一目姿を垣間見ただけに過ぎないけれど、あの画像のような恐ろしげなところは、どこにもなかったわ。綺麗だけれど、普通の人間のように見えた。ううん、普通、ではないのかもしれない…あんなふうな人は、他にはいない…)
バレリーは、ふいに、何かに思い至ったかのように、目をしばたたいた。
(そうだわ、やっぱり、あの人は、サンティーノに似ているのよ。2人とも、ちゃんと存在しているのに、実在感がなくって、生身の人間というより、別の世界から迷い出てきた、不思議な生き物みたいで…。そうだわ、それに、いつもは穏やかで優しいサンティーノだけれど、あの夜の彼は、とても恐かった。それこそ、カーイさんに似た、あの画像のような、危険で、人間離れした雰囲気だったわ。だからなのかしら…私が、あの画像に、こんなにこだわってしまうのは。スティーブンの形見だからというだけじゃない。あれの意味を知りたいと思うのは、謎めいたあの人…サンティーノのことをよく知りたい気持ちの裏返しなのかも…)
またしても、ネイサンの声が響いた。今度は、少し苛立たしげだった。
バレリーは、我に返った。
「あ…ごめんなさい、刑事さん。ちょっと考え込んでしまって…あの…」
バレリーは、乾いた唇を舌で湿した。
「あのね、実は……」
その瞬間だった。
来客を告げるチャイムが鳴り響くのに、バレリーは、思わず飛び上がりそうになった。
「あ…」
当惑し、壁にかかった時計を確認する。
「やだ、約束の時間にはまだあるのに、もう、来ちゃったの?」
バレリーは、戸惑いつつ。玄関の方を見やった。
「ナイト刑事、ごめんなさい、今、ちょっと来客があって…。後で、もう一度かけなおすわ。できれば今夜中に、警察署か、あなたの携帯にでも電話をいれるようにするから。本当に、勝手で、ごめんなさいね」
ネイサンは、いきなり話を中断されて、幾分不満げだったが、バレリーの連絡を待つと言ってくれた。
バレリーは、もう一度謝罪の言葉を述べて、受話器を置いた。
再び、チャイムが鳴る。
「待って、今、行くわ!」
慌てて、そう叫んだ。バレリーは、髪を手でちょっと直しながらと、玄関へと早足で向かった。
「随分、早かったのね。あらっ」
扉を開くと、真っ赤な薔薇の花が差し出されたので、バレリーは、目を丸くした。
「知らない場所だから迷うかもしれないと思って、早めにホテルを出たんだ。そうしたら、こんなに早く着いてしまったよ。迷惑でなければ、いいんだけれど」
「迷惑なんかじゃないわ」
高級生花店でもめったに見つからないほど見事な大輪の薔薇の花を受け取って、うっとりと見つめた後、バレリーは、扉を大きく開いて、男を迎え入れた。
滑るような身のこなしで、彼は、入ってきた。バレリーが抱いている薔薇の花もかすむような美貌が、赤い唇を、蠱惑的な笑みに形に吊り上げた。その微笑には、どこか食虫花めいた毒々しいものも含まれていたかもしれないが、引き寄せられた蝶に、気づく術はない。
「待っていたのよ、サンティーノ!」
こぼれるように笑って、バレリーは、サンティーノの胸に飛びこんでいった。
通話の切れた受話器を眺めながら、ネイサンは、小さな溜息をついた。中途半端に話を打ち切られてしまったため、消化不良を起こしたような、気持ち悪さが残っている。
バレリーの話は、つかみ所がなくて、事件の手がかりになるかどうかは怪しかったが、何かしら、気にかかった。
「スティーブンが死の数日前に残した画像か…」
確かに興味はある。その画像が誰をモデルにしたものか気になるし、できれば、この目で見てみたい。
(何もあんなところで、話を切らなくてもいいのにな。せめて、誰に似ているかだけでも、教えてくれたらよかったのに)
だが、こうなっては、バレリーからの電話が再びかかってくるのを待つしかない。ネイサンは、握りしめていた受話器を戻し、同僚達は皆出払っているため、がらんとしたオフィスを見渡した。気分転換にコーヒーでも入れようと、書類のうず高く積まれたデスクから、立ち上がりかけた。
その時、オフィスのドアが開いた。先輩刑事の1人、ピートが、近くのサンドイッチ屋の紙袋を手に、せかせかした足取りで入って来た。
「よお、ネイサン、戻っていたのか」
ネイサンを見つけると、にやりと意味ありげに笑って、近づいてくる。
「どうだい、そっちの調査は?」
ネイサンは、あいまいな表情をうかべ、首を少し傾けた。
「それが、思ったよりも、梃子摺っているんです」
「梃子摺るだって? 俺達としては、殺された男の子の身の回りを突付きまわるのはさっさと切り上げて、早くこっちを手伝って欲しいんだがな」
ネイサンの隣のデスクにどっかと腰を下ろし、ピートは、さも自分は忙殺されて疲れきっているんだというかのように、椅子の背にぐったりともたれかかった。
「俺だって、まさか、こんな引っ掛かりが出てくるなんて、思ってもみませんでしたよ」
ネイサンは、むっとした。
「引っかかりねぇ。けれど、それは犯人と結びつくようなものなのか?」
ピートにたしなめるように言われて、ネイサンは、言葉に詰まった。
スティーブンには、死の前の行動に、幾つか奇妙な点が見られるが、別にそれらが事件につながると推測する根拠はない。彼の失踪について何かを知っていそうな、叔父のロバート・ブランチャードを訪ねようとも思ったが、現在意識不明だということを、スティーブンの父親から聞かされた。彼が巻き込まれた『事故』が何なのか、いま1つ明らかではないということも奇妙だったが、スティーブンがああなってしまった以上、確かめることは、それこそ不可能だ。ここで、ネイサンは、行き詰ってしまった。
そして、たった今電話で聞いたバレリーの話にも、ネイサンは混乱させられている。
ピートに話すべきか、一瞬迷ったが、こんな取りとめもない話をしても、せっかちなピートは、時間の無駄だと一蹴するに決まっている。キースになら、どう対応したらいいのか、アドバイスを求めたい気はするのだが。
「ブレイク警部は、今、どこに?」
ピートは、紙袋からサンドイッチを取り出して、かぶりついた。ちらりとネイサンを見やる、その目は、やれやれ、また警部に頼る気か、といった表情をうかべていた。
「Aホテルの従業員の何人かと会った後、ニューイントン署に立ち寄ると、聞いてるがな」
「宿泊名簿、駄目だったんですよね?」
「ああ、全く妙な話なんだが、ホテルでの例の殺しがあった直前の数日間に渡る名簿が、紛失していたんだ。誰に聞いても、確かに名簿は存在していたはずだ、しかし、どこにやったか分からないと言うんだ。まるで、その部分だけを、誰かが後で抜き取ったかのようだが、そんなことをホテルの従業員以外の者がするのも困難だろう。ニューイントン署の初動捜査のミスで、紛失したのかとも思ったが、向こうはそんなことはないと言い張るし。そんな訳で、肝心の被害者は無論、その連れの身元も今のところ分からないって、訳だ。犯人がそこにいたことは確かなんだが、痕跡が綺麗に拭い去られている。案外、頭がよくて、厄介な相手かも知れんな。でも…」
ピートは、紙コップのコーヒーをすすった後、付け加えた。
「ブレイク警部は、何かをつかんだようだがな。事件のあったホテルの部屋で、何かを見つけたみたいなんだ。フランス語がどうのって、言ってたな。まあ、あの人の閃きっていうのも、俺らには、ちょっと突飛過ぎて、理解できないことが多いんだが」
「警部が…」
ネイサンは、何だか、じっとしていられない気分になった。ピートに揶揄されるまでもなく、雲をつかむようなスティーブンの調査など早く切り上げてしまって、キースの傍で働きたい。
「ふうん、ネイサン君は、ブレイク警部の指揮下に早く戻りたいって顔をしてるな。だったら、そっちは、もう適当にまとめてしまえよ。俺達は、とにかく人手が足りないんだからな。この際、猫でも、新人のおまえの手でも借りたいんだよ」
この言い草にさすがにちょっと腹を立てたネイサンは、椅子を引いて、立ち上がった。
「コーヒーを入れて来ます」
その瞬間、何と言われても、この調査は納得できるまで続けようと、ネイサンは、思った。
別にピートにからかわれてむきになった訳ではない。これは、そもそも敬愛するキースが任せてくれた仕事なのだから、いい加減にはしたくない。それに、キースも度々言っていたように、捜査に近道というものはなくて、目の前にあるものを1つずつ地道に調べ上げていくのが、刑事の仕事の基本だ。
それと同時に、時には直感というものも大事なんだろうと、ネイサンは自分に言い聞かせた。キースには及ばなくても、こんなにネイサンがスティーブンに引っかかりを覚えるのは、彼なりの刑事の勘が働いているからではないか。
(とにかく、スティーブンの身辺調査はきっちり完成させよう。一刻も早く他の皆と一緒に犯人の足取りを追いたい気はするけれど、まずは、こっちを片付けないと。そうして、犯人の手がかりになる何かを見つけて、ブレイク警部に胸を張って報告するんだ)
目標とする上司に認められる仕事をしようと、若いネイサンは、改めて奮起していた。
バレリーは、リビングのソファにサンティーノと一緒に座って、膝の上に最近のアルバムを広げ、友人達も大勢写っている写真を彼に見せていた。
「これは、去年の夏に皆でコッツウォルズに旅行に行った時の写真よ。田舎の写真を撮りたいってアニーが言い出してね…」
アルバムを見たいと言ったのはサンティーノだった。彼が自分の友人や生活に興味を示してくれたことが嬉しかったので、バレリーは、写真を見せながら、それら友人達の話や学校での出来事などを詳しく語って聞かせていた。サンティーノは自分からあまり話すタイプではなかったが、穏やかに頷いたり、時折聞き返して、彼女に話の続きを促したりするのが上手で、こんな一方的な会話にも飽きることはなかった。
「これが、スティーブンだね」
サンティーノの指が、アルバムの中にいまだに残っていた彼の姿を探し当てるのに、バレリーは、一瞬答えるのを躊躇った。
「すぐに分かったよ。君の話を聞いて想像していたからね」
バレリーは、吐息をついた。
「うん。今から思えば、付き合った期間は半年になるならずの短いものだったから、彼との写真も、そんなに撮ってなかったんだわ。それを、別れた後も捨てる気がしなくて、ずっとここに残してた…これって未練があったからよね。我ながら、馬鹿馬鹿しいと思うわ」
「馬鹿馬鹿しくなんかないよ。一時でも君が本気で好きになった人じゃないか。失って二度ともとには返らなくても、彼との思い出は思い出として残して置くといい。いつか、辛いことも含めて、その時のことを、懐かしく思い出せるようになるだろうからね」
バレリーは、首を傾げ、しばらくの間、サンティーノの言葉を噛み締めるように、沈黙した。
「スティーブンとのことを懐かしく思い出す、か」
写真の中でバレリーの肩を優しく抱いて、カメラに向かって笑いかけている、彼の顔をじっと見つめ、バレリーは、ふと込み上げて来るものを振り払うかのごとく頭を振った。アルバムを閉じた。
「やだ、彼のことは思い切ろうと決心したはずなのに…」
ティッシュペーパーの箱を手元に引き寄せ、サンティーノから顔を背けるようにして、涙の溢れてくる目元をぬぐい、鼻をかんだ。
「焦ることはないよ、バレリー。君に必要なのは、時間さ」
バレリーは、顔を俯けたまま、小さく呟いた。
「時間だけじゃないわ…」
サンティーノには聞こえなかったのか、彼は何も言わなかった。
「ああ、あなたにも前に話した、あのディスクのことね、おとついスルヤに話したの。彼、別に怒ってなかった。どうしようってずっと悩んでいたんだけれど、打ち明けたおかげで、気持ちがすっきりしたわ」
「僕が言ったとおりだろう?」
「ええ」
バレリーは、頬を少し赤らめた。
「スルヤに対して素直に打ち明けて、謝ることが出来たのは、あなたのおかげだと思うわ。あのディスクは、私のスティーブンに対する悪いこだわりだったの。でも、私がずっと持っているべきものではないのよね。ちゃんと渡すべき人に渡さないと、死んだスティーブンに悪いし、私もずっと嫌な女のままだし…」
「スティーブンに対する気持ちを、整理できてきたようだね」
「ええ。でも、あのディスクが気になっていたのは、それだけじゃなかったのよ」
秘密を打ち明けるような調子で、バレリーは囁いた。
「あの中の画像、たぶんカーイさんをモデルにして作られたものだとは思うのだけれど、それにしては、何だか人間離れしているの。その雰囲気がね、こう言ったらなんだけれど、あなたに似ているように思うのよ。私にとって、あなたは、とても不思議で捕らえどころのない…えたいが知れなくて、時々恐いと思うけれど、惹かれてしまう、そんな人だから…」
「だから?」
「あの画像も手放しがたく思ったの…あなたに似ていたから…」
いきなり肩を抱かれて、バレリーは、身を堅くした。しかし、その腕を振り解こうとはしなかった。
「バレリー、その画像、僕に見せてくれないかな」
あまやかな囁きがバレリーの耳朶をそっとくすぐった。
「ディスクはスルヤ君に返してしまうんだろう? その前に、僕にそれ程似ているという画像を見てみたいよ」
平和な楽園に忍び込んだ蛇の、誘惑者の囁きが、頭の中にそっと這いこんでくる。バレリーの中で、本能が警告音を発したとしても、蠱惑的な毒がそれを麻痺させた。
「ええ」
肩を抱く手が緩むのに、バレリーは、ソファからふらふらと立ち上がった。ぼうっと霞んだ頭の中に、スティーブンの顔が一瞬うかんで、消えた。
「パソコンは隣の部屋に置いてあるの。ディスクもそこよ。来て」
夢見心地のまま、隣の部屋に向かうバレリーの後ろ姿を、サンティーノは、しばらくソファに腰掛けたまま、複雑な眼差しで追っていた。
ため息をつき、膝の上で広げた、己の手のひらを見下ろし、沈んだ口調で呟いた。
「彼女はいい子だけれど…やっぱり、仕方がない…ね」
祈るかのようにしばし頭をうなだれたかと思うと、ふいに、すっくと立ち上がった。
「サンティーノ! 画像のファイルを開いたわよ、見に来ないの?」
彼のことを信じて疑わない、バレリーの弾んだ声が隣の部屋から聞こえてくる。
サンティーノは、ゆっくりとそちらの方に歩いていった。
部屋の入り口に立つと、パソコンのデスクに座っているバレリーの頭越しに、スクリーンに映っている画像が見えた。彼の目は、瞬時に、その細部まで捕らえることができた。
誇り高く残酷な神の眷属の眼差しが、サンティーノを見つめ、彼もまた、同じ眼差しで、それを見つめ返した。
満足げな笑みが、美しい口元にうかぶ。
「確かに、《俺》によく似たところは、あるようだ」
小刻みに震えるバレリーの肩に、次の瞬間、彼は触れていた。振り向く間もなく、力強く容赦のない手が、彼女の問いかけるかのように開きかけた口を塞いだ。
そして―
「全く、『仕方のないこと』、さ」
皮肉な声が、バレリーか、他に誰かに向かって答えるかのように、冷たく呟いた。