愛死−LOVE DEATH

第二十一章 家


 カーイは、自らの悲鳴によって、目を覚ました。

(あ…)

 横になっていたベッドから身を起こし、自分の居場所を確かめるかのように、頭を巡らせた。

 スルヤと共に暮らす家の屋根裏部屋だった。いつの間にか陽は傾きかけているようで、部屋の中も大分薄暗くなっている。スルヤを学校に送り出し、気を紛らわせるために久しぶりに家事などをして時間をつぶした後、眠気を覚えたカーイは、少しの間昼寝をするつもりで横になったのだが、ぐっすり眠り込んでしまったらしい。壁の時計を見ると4時半を過ぎたところで、もう少しすればスルヤが帰ってくる時間だった。カーイは、ふっと微笑んだ。

 仲間達の亡霊など、どこにもいない。

 カーイは、手首の辺りを不安げにさすりながら、見下ろした。

(何だか、とても生々しかった…あの女に腕を掴まれた感触がまだ残っている)

 目を閉じると、鮮やかな血の色の瞳がそこに瞬いて、カーイは、ぞっと寒気を覚えて、夢の残像から逃げようとするかのごとく頭を振った。

(私は、とっさに、あの女のことをマハと呼んだけれど…今となっては、あれが誰だったのか、分からない。だって、私は一度もマハに会ったことなどないのだから…ブリジットの傍に並んで座っていたから、そうだと思ってしまったのだろうか…)

 カーイは、しばらく思案にくれたが、夢のことを真剣に考えても仕方がないと思い直し、それ以上追求するのはやめることにした。

 夢は、所詮夢に過ぎない。懐かしい顔ぶれに会えただけ、得をしたのだと思っておこう。 

 カーイは、一階のキッチンに下りていき、もうじき帰ってくるスルヤのために、下ごしらえをしていたリンゴのお菓子をオーブンの中に入れて、火をつけた。スルヤがおいしいと言ってくれたアップル・クランブルだ。ほんのりジンジャーのきいたキャロットケーキも、チョコレートのクッキーも、スルヤが好きなものは、何でも作ってあげよう。今度の週末には、無理にでも引っ張って、スルヤの好きな映画を見に行こう。スティーブンの死以来、元気がなく、ふさぎがちのスルヤを喜ばせるために、何でもしてあげたい。

 お菓子が焼けた頃、見計らったようなタイミングで、玄関の方で物音がした。カーイは、リビングで雑誌をめくっていた手を止め、スルヤを迎えるために、すぐに飛んでいった。

「スルヤ」

 どうして、自分の声はこんなに嬉しそうに響くのか。カーイはちょっと恥ずかしくなったが、スルヤの姿を見ると、込み上げてくる微笑を抑えることはできなかった。

「おかえりなさい、外は寒かったでしょう?」

「うん」

 スルヤは、カーイの姿を見た瞬間こぼれるような嬉しげな笑みをうかべたが、すぐに暗い顔になって、黙り込んでしまった。

「どうかしたんですか?」

 スルヤは、哀しげに俯いたまま、脱いだコートを腕に引っ掛けて、カーイの傍らをすり抜け、リビングに入っていった。その後をカーイは追った。

「ごめんね、カーイ、せっかくあなたが帰ってきてくれたのに、俺、この所暗い顔ばかりしているね」

 スルヤは、ソファに腰を下ろし、小さなため息をつくと、目の前に立つカーイに、無理に微笑みかけた。

「いいんですよ、そんなこと…」

 カーイは、スルヤの隣に腰を下ろし、膝の上に組まれ彼の手をそっと握りしめた。

「今日ね、学校に刑事が来たんだ。クラスが終わった後に声をかけられて、カフェテリアで少し話したんだよ」

「刑事…」

 カーイの胸に不安が差したが、それよりも、今はスルヤの方が心配だった。

「ね、スティーブンが発見されたのは、ここからそう遠くないクランレイ・パークの傍だったんだって…スティーブンが殺された夜、どうして彼があそこにいたのか刑事さんは調査していて…どうやらスティーブンは俺の家に来ようとしていたみたいなんだ。その途中で、通り魔に会って、殺されてしまった。ねえ、カーイが戻ってきてくれた、あの日のことだよ。俺、何も知らなかった。スティーブンがこの家の近くにまで来ていたなんて。知らずに、あなたと2人、幸せに過ごしていた。そう言えば、あの夜、一緒にいた時、電話が鳴ったよね? せっかくの2人だけの時間を邪魔されたくないからって、悪いと思いながら、俺、放っておいたんだけれど、もしかしたら、あれ、スティーブンからだったのかもしれない。あなたが行方不明になっている間、スティーブンは本当に親身になって、あなたを探すことにも協力してくれてたんだ。もしかしたら、俺に何か話したいことがあって、電話をくれたのかも知れない。なのに、俺が出ないから、ここまでわざわざ来るつもりになったのかも…もし、あの時、俺がちゃんと電話に出ていたら、スティーブンはここに来る必要もなかったわけで…あんなふうに殺されることもなかったのかもしれない…ね」

「スルヤ…!」

 カーイは、スルヤの手を握る手に力を込めた。

「そんな…馬鹿なことを考えないでください! スティーブンが…あんなことになったのは、あなたのせいじゃないんです。そうじゃなくて、むしろ…」

 カーイは唇を噛み締めた。自分のせいなのだ、とは言えなかった。

「もちろん、こんなことになると、俺に予め分かっていたわけじゃないよ。分かっていたら、俺、スティーブンをここに来させなかった。どうしようもなかったことだけれど、ただ…友達を救えなかったことが、悔しいんだ」

 カーイは、何か気のきいたことを言おうと唇を開きかけたが、実際、何も出てこなかった。たまらなくなって、スルヤの体を引き寄せ、腕にかき抱いた。スルヤは、カーイにおとなしく抱かれ、彼の肩に頭を預けてくる。

「カーイにすっかり甘やかされているね、俺」

 何も知らないスルヤの、そんな無邪気な言葉が、カーイの罪悪感をかきたてた。

「スルヤ、スルヤ…」

 恋人と一緒にいられて幸福でも、カーイの胸をさいなむ痛みは消えなかった。




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