愛死−LOVE DEATH−
第二十章 血と罪と
四
「うん、分かったよ。それじゃあ、2、3日中にロンドン市内の病院に移せそうなんだな。よかったよ、取りあえず動かすことができるくらいにはロバートが回復してくれて。明日は、俺がそっちに行ってロバートをみるから、親父は休めよ。ああ…じゃあ、そういうことで…」
スティーブンは、ロバートの入院している病院にいる父からの電話を静かに切った。ロバートは、相変わらず意識不明だが、容態は安定してきていた。近々ロンドンに帰ってくることもできると聞いて、スティーブンは、少しだけほっとしていた。こっちのもっと設備の整った大きな病院に入って治療を受ければ、もしかしたら、ロバートは意識を取り戻すかもしれない、体の障害だって案外早く治るかもしれない。
(あんたが目を覚ましたら、俺、いっぱいあんたに謝って、それから、俺を守ってくれたことにありがとうって言いたいよ、ロバート。そういや、俺は、あんたに面と向かって礼なんか言ったことはなかったかもしれない。いつも、あんたが俺のことを気にかけて大切にしてくれているってことは知っていたんだけれど…当たり前みたいに思っていたのかな…? あんたがこんな状態になって、今そのことをすごく後悔している。大切なものの存在っていうのは、普段は気がつかない、失うかもしれない状態になって初めて気がつくものかもしれない…)
柄にもなくしんみりと考えこんでしまったスティーブンは、ふっと微笑んで、かぶりを振った。我ながら、どうしたのだろう、今まであまり顧みなかったような人とのつながりや人の思いが、とても恋しく感じられる。他人に対する自分の気持ちも、以前よりも優しくなったような気がする。
(バレリーに対してさえも…何だか、俺みたいな奴を心配してくれて素直に感謝したい気分だった…ありがとうな、好きになってくれて…変だよな、あいつも、他の連中のことも皆、もしかしたらもう二度と会えなくなるかもしれない、そんなこともありうるのだと思えてきて、だから、せめて今だけでも大事にしたい誠実でありたいと感じられて…レイフ達の死に様を目撃したことがショックだったからか…ああ、人の死っていうのは、あんなふうに前触れもなく突然にくるんだ、俺は、これまで何も知らなかったから、他人に対してああも無頓着で無神経でいられたのかな…?)
電話の前にぼんやりと突っ立ったまま己の想念を追っていた、その時、再び電話が鳴った。スティーブンは、はっとなって、とっさに受話器を取り上げた。
「はい、ジャクソンです」
すると、クラスメートのアニーの声が耳に飛びこんできた。
「スティーブン、私よ。ねえ、例のスルヤの同居人の彼のことなんだけれど…」
「カーイのことで、何か分かったのか?!」
スティーブンは、受話器を両手で掴みしめるようにして、激しく問い返した。スルヤと電話でカーイの捜索について相談した後、スティーブンは、カーイと僅かなりとも面識のある友人達に連絡をして、彼らしい者を見かけたという情報があったらすぐに知らせてくれるよう頼んでいたのだ。スルヤから、カーイが彼のモデルをした時の写真を何枚か拝借して、それをばらまいたりもした。幸い、カーイは嫌でも人目を引くくらいに目立つ。うまくいけば、彼の行方の手がかりが見つかるかもしれない。
「え…ええ、そうなのよ」と、アニーは、スティーブンが大声をあげたことに一瞬たじろぎながらも、話し出した。
「昨日の夕方のことよ、私がアルバイトをしている本屋で、彼を見かけたのよ。で、慌てて声をかけようとしたんだけれど、もう店から出ようとしている所で、私もお客の応対をしていたし…それでもすぐに後を追いかけて、店を飛び出したんだけれど、彼の姿はもうなかったの…でも、あれは、間違いなくカーイさんだと思うわ。何だか少しやつれて元気がなかったように思ったけれど」
スティーブンは、興奮を鎮めるために、大きく深呼吸をした。
「昨日か…アニー、そのことはスルヤには連絡したのか?」
「ううん、まだよ。夕べは、ちょっと私も帰るのが遅かったし、それで、ついうっかり忘れてしまって連絡しなかったの。今日になって思い出して、スルヤの所に電話をしたんだけれど、通じなくて、それで、先にあなたに知らせようと思ったのよ」
「そうか」
スティーブンは、唇を舌で湿しながら、考えを巡らせた。カーイが、見つかった。いや、まだどこにいるのかは分かっていないが、少なくとも、スティーブン達の予想通りまだロンドンにいるのだ。
「アニー、俺、今から、おまえがカーイを見つけたって本屋に出向いてみるよ。その付近を、ちょっと歩き回って、調べようと思うんだ」
そうして、スティーブンは、アニーから本屋の場所を聞き出すと、取るものも取りあえず、家を飛び出した。スルヤの家に電話を入れてみたが出ないところを見ると、彼も、カーイを探すために出かけているのだろう。夜になったら、また連絡をしてみよう。
(カーイ、あんたは、やっぱりロンドンにいたんだな。そうだと思っていたよ。そう簡単にあんたがスルヤから離れられるとは思えなかった。けれど、それなら、どうして戻ってこない…? 一体、あの後、何があったんだ?)
走り出したい衝動を必死で抑えながら、スティーブンは、冷たい風が吹く歩き慣れた道を地下鉄の駅へと向かった。彼の胸の鼓動は、自然と早くなっていた。
カーイが見つかるかもしれない。そのことにひどく気持ちが昂ぶって、じっとしてなどいられない自分に、スティーブンは、微かな戸惑いを覚えていた。