愛死−LOVE DEATH

第十八章 GAME OVER


「う…うぅっ…」

スティーブンが低くくぐもった声を漏らして、意識を取り戻した時、まだ周囲では火の残骸が燃えているようだった。火薬と何かが焦げたようなにおいが、煙と共に立ちこめている。

「あっ…つぅっ…」

体を動かそうとして、右足に覚えた痛みに、小さな苦鳴をあげた。足をひねったか、どうかして傷めたらしい。他にも、体中のあちこちに痛みを覚えていたし、顔の片側にぬるぬるした感じがあって、どうやら出血もしているようだったが、命に関わる怪我はどうやら負っていないようだ。

一体、自分がどこに、どういう状態でいるのか確かめようと頭をねじって、辺りをうかがうと、どうやら、ここはメアリーの寝室であるらしかったが、隣室で起こった爆発によって、壁は吹き飛び、中にあった家具や調度も目茶目茶になっていて、スティーブン自身も、裏むきにひっくり返って壁に支えられている、巨大な寝台の陰に挟まっているという始末だった。

(く…そっ…)

このまま、ここにじっとしていたら、いつ落ちてきてもおかしくない、その重い寝台の下敷きになりそうだったので、スティーブンは、必死になって、残った力を振り絞って、その狭い空間から這い出した。

「ロ、ロバート?」

そうして、まず最初に、ここに一緒に逃げこんだはずの伯父の姿を探した。爆発の起こった瞬間、その体が、スティーブンを庇うように被さってきたことを覚えている。

「ど、どこだ、ロバート?」

もうもうと立ちこめていた煙も、崩れ落ちた壁や天井にあいた穴から吹き込んでくる風によって次第に薄れていく。

程なくして、スティーブンは、それほど遠くない床に、メアリーのものだった医療機器の残骸の、半ば下敷きになって倒れ伏しているロバートを見つけた。

「ロ、ロバート!」

力なく倒れ、ピクリとも動かない、その様子に、スティーブンは、顔色を変え、痛む体を引きずり起こして、よろめき近づいた。

「ロ、ロバート、しっかりしろ!」

がくりと膝から崩れるように、スティーブンはロバートのすぐ傍にひざまずいた。頭から出血しているロバートは、スティーブンが大声でその名を呼んでも、震える手で方を揺さぶっても、目を覚まさない。死んでしまったのかもと思い、慄然としたが、よく確かめると、浅い呼吸をしていた。だが、それも、弱々しく、早くここから助け出さないと、本当に止まってしまいそうだった。

「ロバート、しっかりしてくれっ」

スティーブンは、立ちあがって、ロバートの脚の上に倒れている大型の医療機器を持ち上げようと試みたが、彼の力ではそれはピクリとも動かなかった。スティーブンは、絶望的に青ざめ、唇を震わせた。ロバートが死んでしまう。彼がこんな目にあったのも、スティーブンのせいだった。

助けを求めに外に出ていくべきかと思って、崩れ落ちた部屋の中、逃げ道を求めて視線を巡らせ、そこで、スティーブンは、倒壊した壁の向こう、最後にカーイ達の姿を見た、あの部屋があった場所を見つけた。

スティーブンの喉がゴクリと鳴った。

(カーイ…クリスター…)

一部がまだかろうじて、衝立のように残っている壁の向こうは、まだ火がくすぶっている様子だ。黒煙が、スティーブンがいるこの部屋にまで流れ込んでくる。

スティーブンは、何かに引き寄せられるように、ふらふらと、そちらに向かって歩いて行った。

その部屋の内部が見えるところまで来て、スティーブンは、何かにぶつかったように、いきなり足を止めた。その目は、食いいるように、壁の向こうに覗く床一面に残る、赤黒い染みを睨みつけていた。漂ってきた煙と共に、別の、何かぞっとするような異臭を嗅ぎ取り、それが焼け焦げた血や肉の臭いなのだと悟った瞬間、強烈な吐き気が込み上げて来て、スティーブンは震える手で己の口許を押さえた。

しかし、恐怖よりも、そこにあるものを確かめなければという思いが勝って、スティーブンは、その部屋の中に足を踏み入れた。

その瞬間、ある程度覚悟していたスティーブンも、さすがに気が遠くなりかけた。それはスティーブンが生まれて初めて見る、凄惨な地獄絵図だった。初めは、自分が見ているものが何なのか理解することもできず、思考停止状態に陥ったが、徐々に、それが人間の爆死した現場なのだということを、床といわず壁といわず、べっとりとこびりついたのが、おびただしいほどの血であり、そこいら中に飛び散った焼け焦げた肉片が、かつては生きた人間の体だったのだということを理解するにつれ、がたがたと全身が震え出した。それが、少し前までは一体誰だったのかなどと考えたくもなかった。

完膚なきまでの死―。そんな強烈な印象を受けた、その現場の片隅に、その時、スティーブンは、何かがかすかに動いたことに気がついた。

まさかという思いで、振り返った彼の視線の先にいた者は―

「カーイ…?」

信じがたいものを目の当たりにし、喫驚して、スティーブンは呟いた。 

これだけの破壊力に巻きこまれながら、生き残れるはずがない。血に汚れ、着ているものもずたずたに裂けて、まるで壊れた人形のように、力ない体を床に投げ出して横たわっていたけれど、それでも、必死で手がかりを求めるように弱々しくもがいている。生きていた。

カーイが、これまで経験したことがない程の相当なダメージを受けたことは明らかだったが、その神秘的な力が信じがたい程のスピードで傷を修復していくのを、スティーブンはみとめた。不自然に曲がって見えた腕が、瞬く間にまっすぐな花の茎のように伸び、ちぎれた服の隙間から覗く、胸や腹のぱっくりと裂けた傷も塞がり、つるりとした陶器の滑らかさを取り戻していく。それはそれで何やらぞっとする眺めであったが、血の膜に覆われた体が、その汚れを通しても、淡く発光していることには、同時に魅せられていた。そして、やがて、そのほっそりとした手が上がり、恐れ慄くように、己の顔に触れて確かめ、次いで、かたく閉ざされていた瞼がゆるゆると上がり、真っ青な瞳が現れた瞬間、スティーブンの胸を不思議な歓喜が包んだ。そう、カーイは生きていた。

「カーイ…」

スティーブンは、よろよろと、カーイの方に近づいていった。





覚醒と同時に凄まじい痛みがカーイに襲いかかってきた。

(あっ…ああぁ…っ)

悲鳴をあげてのたうちまわろうとしたが、どういう訳か、手足が動かない。しびれたように、腕や脚の感覚が失われていた。それ以外には、取り敢えず感覚は戻ってきていたが、今のカーイが感じるものといえば痛みだけ、これでは、麻痺したままの方がよかったかもしれない。

だが、おかげで、自分がどうやら本当に生きているということは分かった。先程の奇妙な体験は、では、やはり夢だったのか。それにしては、生々しかったけれど、どちらにせよ、それ以上何も考えたくはなかった。

それから、自分の体が今どういう状態になっているのかについて思いを巡らせ、カーイは、恐慌状態に陥りそうになった。もしかしたら、腕や脚の一本くらい失ったかもしれない。確かめることが恐いので、しばらく、頑なに瞼を閉じていたのだが、堪えきれなくなって、一瞬開けて、チラリと見やった己の体が血で真っ赤に染まっていることに、ふっと気が遠くなって、また目を閉じてしまった。そうして、ようやく動くようになった右手を上げて、不安げな仕草で己の顔に触ってみた。母親にそっくりなことが自慢の顔が傷ついて二目と見られぬようなことになっていたらと、恐がっていたのだが、そのすべらかな肌にも完璧な造作にも何一つ変わりはないことを確認し、ほっとなって、目を開いた。

すると、己を上から心配そうに覗き込むスティーブンと目があった。虚をつかれ、息を飲んで、この仇敵と呼ぶべき若者の、当惑をうかべた若々しい顔に見入った。それから、こんな無防備な状態にある自分をさらけ出すことに抵抗を覚えて、視線をそらし、まだ痛む体を、ありったけの力を振り絞って、床から引きずり上げた。またしても強烈な痛みに襲われ、思わず小さな悲鳴を漏らしそうになったが、スティーブンに聞かれることは嫌だったので、ぐっと歯を食い縛って堪えた。

改めて己の全身を、どこにも損なわれた部分はないか確かめるべく、調べた。血まみれになってはいたが、全てがカーイの流した血だというわけではなく、大半はおそらく爆死したクリスターのものなのだろう。まだ癒しきれていない傷を体中に負っているのか、あまねく全身を覆う痛みと痺れ、傷ついた組織が修復されていく得体の知れないむずむずした感じなどを覚えていたけれど、別に脚が飛んだり、指が欠けていたりということはなかった。爆発の瞬間に受けたダメージは、普通の生き物ならば死に相当するひどいものだったのだろうが、気を失っている間に、活動可能なレベルにまで癒されたようだ。

クリスターは、これが、カーイが本当に不死であるのかどうか知る機会になると言ったが、結局死ななかった。喜ぶべきなのだろうが、むしろ、自らの不滅性を現実としてつきつけられて、戦慄さえ覚えていた。

まるで心中のように、あの爆発を共に受けた敵の姿を求めて、視線を巡らせた。クリスターと認識できる形のものは、ほとんど残されていなかった。カーイは、ほとんど魂を飛ばしたようになって、己が力なくうずくまる場所一体に散らばった、血にまみれ焼け焦げた肉塊を眺め、それから、己の体にもごく小さな肉片がこびりついていることに気がついて、震えあがった。

「嫌…あぁ…っ」

一瞬パニックに陥ったカーイは、肌にべっとりとついた汚れを爪でこそげ落とそうとし、ぼろぼろになった服の残骸を引き裂き、破り捨てた。

「カ、カーイ、落ちつけ…!」

溜まりかねたスティーブンが、着ていたセーターを脱いで、タオルがわりにカーイの顔をごしごしとこすってやった。カーイは、一瞬身を強張らせたが、逆らわずにじっとして、スティーブンが、体の汚れをざっと拭き取るのに任せていた。

「よく生きていられたな、あんた…いくら不死だといっても、今度ばかりは駄目だと思ったよ」

沈黙することが恐いかのように、スティーブンは、カーイに向かってぎこちなく話しかけた。

「けれど、やっぱりダメージは酷かったみたいだな。おい、動けるか、見た所、体はどこにも異常はないようだけれど」

カーイは、スティーブンの囁きにも無反応で、彼が目に付く汚れを綺麗にするまで目を伏せたまま言葉一つ発さなかったが、その作業が終わるや、スティーブンの顔をつくづくと見つめ、すっと立ちあがった。

「カ、カーイ?」

一瞬前まで身動きすることもおぼつかない様子だったのに、カーイは、ほとんど前と変わらない滑らかな動きを取り戻していた。呆気に取られて、言葉もなく見上げるスティーブンを無視し、隣のメアリーの寝室に向かって、すたすたと歩いて行った。

それを見て、スティーブンも慌てて飛び起き、カーイの後を追った。

「ロバート…!」

伯父が死にかけていることを忘れていたわけではなかったのだが、あまりに衝撃的な場面を目の当たりにして、ここから早く脱出しなければならないという現実を後回しにしていた。カーイの脇を走りすぎて、ロバートのもとに駈け寄り、まだ息があることを確認してほっとはしたものの、どうすればよいのか分からなくて、途方にくれた顔を上げた。

カーイは、冷たい無表情で、死にかけているロバートとその傍でなす術もなく坐りこんでいるスティーブンを見下ろしていた。スティーブンとロバートの陥った危機など関係ないといわんばかりの冷やかさだったが、その彼が、意外なことをした。

「どきなさい」と、その薄い唇が動いて、いらだたしげで高慢な声が命じた。

「邪魔です」

スティーブンは瞬きをした。その彼を押しのけるようにして、カーイは、ロバートの下半身を押しつぶしている機械に手をかけると、軽々と持ち上げ、脇に押しやった。

「ロ、ロバート…ロバート…!」

ようやく下敷きになっていたものから解放されたロバートに、スティーブンは、歓喜の声を上げて、再びその体を揺さぶるが、相変わらず彼の意識は戻らない。

「どうしよう…早く病院につれていかないと、このままじゃ、死んでしまう…」

低くうめくスティーブンの肩を、後ろから、軽く叩く者があった。振り向くと、やはりカーイの、友好的とは言えないまでも、少なくとも以前のような敵意は抱いていない、冴えかえった美しい顔があった。

「私に捕まりなさい。ここに残っていると、その怪我人だけじゃなく、じきにあなたも火に巻かれて、死ぬことになりますよ」

その言葉に耳を澄ますと、確かに、壁の向こうではじわじわと炎が燃え広がっている音がしていた。スティーブンは、自分に向かって伸ばされたカーイの手を、信じがたいものを見るかのごとく呆然と凝視した。

「助けてくれるのか…?」

疑わしげに、用心深く聞いた。

「あなたのためというよりも、これは私自身の為なんです。不本意ながらも私が、あなたに色々と借りを作ってしまったのは事実で、それを返さないままにあなたを見捨てたら、後味が悪いと思うからです。だから、別に感謝などしてもらわなくてもいいんですよ」

半ば吐き捨てるようにそう言って、何も迷うスティーブンの腕をカーイは鷲掴みにした。力の加減がまだうまくいかず、スティーブンは痛そうに顔をしかめたが、カーイはおかまいなしに、気を失ったままのロバートの体も肩にひょいと担ぎ上げた。

次の瞬間、スティーブンの口から、驚愕の叫びが迸った。

「うわぁっ、カーイ?!」

ここから連れ出してくれるというからには、てっきり、落ちた天井から外に向かって空中飛行でもするのかと思っていたら、カーイは、床を通りぬけていったのだ。カーイの力は、自分の肉体のみならず他の物体をも共に壁抜けをさせることができるのだが、そう言えば一度スルヤを奪還したカーイが密室から忽然と消えうせた場面をスティーブンは目撃したはずだったが、まさか、自分が壁を抜けられるなどとは思えず、反射的に逃れようとするのをカーイの怪力で引き戻され、床に落ちかかった瞬間には、ぶつかると思わず目をつむってしまった。だが、実際に衝突の衝撃はなく、何かをつきぬけたような、実際には奇妙な違和感や圧迫感が体を次々に通りすぎていくような、気味の悪い感覚を覚え、目が舞い、吐き気を催しながらも、凄まじいスピードで移動し続け、もう駄目だ耐えられないと思った所で、いきなり、体を束縛しているカーイの手が離れ、スティーブンは固い床に無造作に落とされた。 

「う…うぅっ…」

ぐるぐると周囲が回るような感覚に、とても起きあがることなどできず、倒れ伏したまま、しばし喘いだ後、目を上げると、すぐ傍で、カーイが、やはり激しい目眩に襲われたかのように両手で顔を覆って、坐りこんでいた。

「カーイ…」

スティーブンにこれ以上弱い部分など見せたくなくて、強がってはいたけれど、実際には、カーイの体は受けたダメージから完全に回復したわけでなく、精神的な痛手については、それよりはるかに酷かった。自分以外に二人の人間を連れて、屋敷の中を、火から離れた安全と思しき場所まで移動できたまではよかったが、ただでさえ消耗した体にこの突然の移動はこたえ、停止した途端にたちまち襲ってきた目眩と吐き気に立っていられなくなったのだ。

自分の体からぷんぷん臭う血の香りに、忘れようと必死になっている恐怖が、潮が打ち寄せてくるように瞬く間に追い付き、カーイを捕らえこもうとする。

(死ねない身で、限りなく死に近づいた感想は、どうだね、カーイ?)

死んだはずのクリスターの声がカーイの耳元で低く囁き、その力強い腕に包みこまれるような錯覚に、カーイは身を強張らせた。

(あなたは死んだ…死んだんです。私に付きまとうのは、もうやめてください)

頭の中で外で鳴り響く、高らかな嘲笑。カーイは、耳を両手で押さえ、聞くまいと必死になってかぶりを振った。カーイ自身の血とまじりあった、クリスターの血の匂いが、カーイを圧倒し、呑みこもうとしていた。

「カーイ!」と、クリスターのものとは別の声が名を呼び、ずっと実在感のある腕が、おこりにかかったように震える体を静めようと抱きしめるのに、カーイは、やっと我に返った。

「しっかりしろよ、あんた、一体どうしちまったんだ?」

スティーブン自身もまだ青い顔をしていたが、カーイの惑乱ぶりに、とっさに床から飛び起きて、駆けよったのだった。

「スティーブン…」

真摯で誠実そうに見えるスティーブンの顔に、カーイの心はぐらぐらと揺れ動いた。心身ともに傷つき、疲れきって、何でもいいからとにかく寄りかかれるものが欲しかったのだが、さすがにスティーブンの腕の中に身を預けるのは躊躇われた。どうして今、こんな時に、愛するスルヤではなくて、敵なのか味方なのかも知れない、信用ならないスティーブンなどがいるのだろう。理不尽な怒りにかられて、カーイは、心配そうに己の体を支えるスティーブンの手を振り払って、そっぽを向いた。

スティーブンは、そんな彼を当惑しつつ見守っている。

(ここは…屋敷の中のどの辺りなのだろう…闇雲に移動したものだから、自分達がいる位置も何も分からない…)

ようやっと平常心を取り戻したカーイは、用心深く探るような視線で辺りを見渡した。真っ暗な、しんと静まり返った、かなり大きなパーティーでも開けそうな広間の真ん中で、彼らは、坐りこんでいた。つい確かめずにはいられなくなって天井を見上げ、目をすがめるようにして探してみると、ここにも、セキュリティの為の小さな監視カメラがあった。クリスター自身は死んでしまったけれど、他の警備員達が、これを通じてカーイの出現を知り、駆けつけてくる可能性もある。それを考えると、再び何とも言えない疲れを覚えた。

と、その時、カーイは、何者かがこの広間に向かって、まっすぐに近づいてくることに気がついた。警備員かとも初めは思ったが、相手はどうやら一人で、それに、戦闘的な気配も特には感じられず、いぶかっているうちに扉が開いて、廊下の明かりがすっと差し込んだ。

「カーイ・リンデブルック様?」と、拍子抜けするくらいに礼儀正しい、まるで、パーティーの招待客を探しにきたのだとでもいうかのような丁重な物腰で、現れたその男は、呼ばわった。

「我が主人メアリー様のご命令により、お迎えに上がりました」

カーイは、口から大きく息を吐き出し、そろそろと床から身を起こした。

「私を迎えにですって?どういう意味です?」

警戒心を顕わに問いかけるカーイに、メアリーの秘書アダムは、内心はどうであろうと表面上はあくまで穏かで丁寧な態度を崩さずに、明確に答えた。

「メアリー様は、あなたと直接会って話がしたいとおっしゃっているのです。これは、クリスター様との戦いであなたが生き残られた場合の、メアリー様の選択でした。そちらの方々のことならば、ご心配なさらずに、これも、メアリー様の命令で、私どもが全ていいようにさせて頂きます。主人は、これ以上の無駄な犠牲は払いたくないとお考えなのです」

カーイは、この申し出に戸惑い、迷うかのように瞳を揺らせた。また新手の罠ではないのだろうか。しかし、どのみちメアリーの居場所は探し出さねばならないのだ。向こうから会いたいと言ってくれるのならば、願ったり叶ったりではないか。しかし、カーイが命を狙うことは承知の上で自ら会おうなどと、一体メアリーはどういうつもりなのだろう。

「カーイ、どうするつもりだ?」と、何時の間にか傍らに立っていたスティーブンが尋ねた。カーイは、そちらには答えず、辛抱強くカーイの返事を待っているアダムの方に向かって、言った。

「分かりました、メアリーに会いましょう」

スティーブンが、はっと息を呑む音が聞こえたが、カーイは、聞こえないふりをした。

「では、その前に、汚れた体を洗い流されますか?慌てる必要はございません。いずれにせよ、ひどく弱られた主人をこの屋敷から移動させることは無理なのです。さあ、着替えも準備させて頂きますので、どうぞこちらに」


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