愛死−LOVE DEATH

第十八章 GAME OVER


カーイが、飛びこんだこの部屋で見つけたのは、呆気にとられた顔で立ち尽しているスティーブンだった。その傍らに、もう一人、見知らぬ壮年の男が凍りついたような表情をうかべて、カーイを見つめている。

カーイは、用心深く、床から立ちあがった。

「一体、何故あなたがここに…?」

この若者を前にして、とっさにどんな態度に出ればいいのか、何を言えばいいのか分からず、カーイは、ぎこちない、こんな当たり前の問いしかできなかった。

それは、スティーブンも同じだった。

「あんたこそ…何故…?」

強張った顔をして、カーイとこんなに間近で向き合っている状況に当惑したように、瞳を揺らせるスティーブンに、カーイは、急に苛立ちを覚えて、つけつけとした口調で言った。

「クリスター・オルソンとメアリー・E・コックスを殺すためにですよ。私は、ここにメアリーがいると聞いたんです…なのに、なぜあなたがいるんですか?彼女は、一体どこなんす?」

スティーブンは、何かしら愕然ととなって、傍らのロバートを振りかえり、互いにうなずきあった。

その様子に不審を覚えて、カーイは、ますます険のこもった調子でスティーブンを問い詰めた。

「スティーブン、あなたは何か知っているんですか?クリスターは、この近くにいるんですか?」

「カーイ、ちょっと落ちついてくれ…俺達もずっと屋敷の中の別の場所に監禁されてて…それを、少し前にここに有無を言わさずに連れてこられたんだ。外の連中がどう動いてるかも、クリスターの居場所も知るものか。メアリーだって…」

スティーブンは、カーイの顔にうかんだ根深い疑いの表情に、ふいに口をつぐむと、途方に暮れたように頭を左右に振った。

「ちょっとこっちに来いよ、カーイ」と、敵意を隠そうともしない彼に、部屋の奥にある大きな樫材の扉を指し示した。その手が、包帯とギプスで固められていることにカーイは気がついた。彼が、夜の教会でスティーブンと争った時に傷つけたのだ。何かスティーブンを責めるようなことを言いかけていた口をつぐみ、カーイは、憮然となって、先に立って歩いていく彼の後を追った。

「ここは、間違いなくメアリーの寝室だったさ。俺達も一度ここに案内されて、彼女と話したことがある」と、神妙な面持ちでスティーブンは鍵のかかっていない扉を開け、暗い室内にカーイを通した。

「彼女は、自力ではもう動くことも困難で、ベッドの上で寝たきりの状態だったんだ。体中に点滴のチューブや、心電図や血圧他の様々な機器とつなぐコードをつけられて…実際、あの状態の彼女を別の場所に搬送するのも難しいだろうに、この通りさ、今夜俺達がここに放り込まれた時には、ここはもぬけの殻だった。どこに運ばれたかなんて、俺に聞くなよ、外を動きまわれるあんたの方が、まだしも調べようがあるんじゃないか」

スティーブンの言い方にむっとして、カーイは眉根を僅かに寄せるが、これ以上彼と言い合っても意味がないと思ったので、巨大な寝台とその脇の医療機器以外はがらんどうの部屋の中に入り、辺りをゆっくりと見渡した。その中に残る、ここの主の気配を、彼女が残した記憶を読み取ろうと神経を集中し、心の目を凝らした。すると、会ったこともないメアリーの姿が脳裏にあざやかにうかびあがり、その声が、耳元でなされる囁きのように、確かに聞こえた。

巨大な寝台に埋もれた痩せた女が、頭を横に傾けて、サイドテーブルの上に飾られた数枚の写真に見入っている。抑え切れぬ思慕の思いと喪失感、そして孤独。 

(あなた達のために、私ができること…死に打ち勝つ方法を見つける、そのために私の人生を捧げてきた…)

何時の間にか、カーイは、寝台の中に横たわるメアリーに前に立ちつくし、彼女と向き合っているのだった。その青い目は、体は病み衰えても、尚も炯々たる輝きを失ってはおらず、魂の奥底からの切望をこめて、カーイを見つめていた。

(あなたのその命…永生を私達に分けてちょうだい…)

その枯れ木のような腕が伸ばされ、呆然とその場に凍り付いているカーイの腕に触れ、つかんだ。瞬間、電流が走ったかのような衝撃にカーイの体は震えた。

「カーイ!」

スティーブンの呼びかけに、カーイは現実に引き戻された。夢から覚めたように瞬きをし、青い顔で、スティーブンを振りかえった。

「一体、どうしたんだ?何だか、急に魂をどこかに飛ばしたみたいに、ぼうっと立ちつくして…」

カーイは、頭をはっきりさせようと、軽く左右に振った。そうしないと、また先程見た幻影に引きずりこまれそうな気がした。あれは、この部屋に残る、メアリーの思念の欠片のようなものだ。あまりにも彼女の意思の力が強かった為、カーイは危うく引きずりこまれるところだった。

「何でもありません。とにかく、ここに彼女の気配は感じられるけれど、今はもういない以上、私にとっては用のない場所です」

興味なげにそう言いながらも、カーイの目は、寝台の傍にある小卓の上に注がれた。そこに飾られていたあの写真は残ってはいなかった。彼女が一緒に運ばせたのだろう。大切なものだから、残しては行けなかったのだ。

「スティーブン!」

その時、隣の部屋から、ロバートの切迫した声がした。

「ロバート?」

スティーブンは、すぐにもとの部屋の飛んでいった。カーイも、これ以上メアリーの寝室にいても仕方がなかったので、そのままスティーブンの後を追った。

「何があったんだ、ロバート?」

控え室に戻ると、ロバートは、廊下に面した扉の前にいて、呆然と立ち尽くしていた。その扉の隙間から、煙が入ってくることに、スティーブンはすぐ気がついた。そして、分厚い木の扉の向こうから聞こえる、紛れもない、火が壁や床をなめまわして、次第に火勢を増して、ここにも迫ってくる音を。

「このまま火が回ったら、私達はここに閉じ込められたまま、焼け死ぬぞ。何とかして、今すぐここから脱出しなければ」

そう呟いて、やにわに扉に手をかけ、開けようと試みるが、鍵の下ろされた扉は、相変わらずびくともしない。後ろにはメアリーの寝室があるだけで行き止まりになっており、窓はあるものの、ここの高さを考えると飛び降りて逃げることは不可能だった。

「無理ですよ、その扉から脱出しようとしても、階段まで行きつくことはできないでしょう。爆発の起こった場所は今頃火の海です。人間であるあなた方に、通りぬけられるはずがない」

背後でなされた、淡々とした呼びかけに、スティーブンとロバートは弾かれたように、そちらを向いた。

「全く、人間というのは、不自由な生き物ですね。火に近づくことも、それしきの扉を通りぬけることも、窓から飛んで逃げることもできずに、右往左往するだけなんですから」

軽蔑したように、冷やかに言い捨てるカーイに、スティーブンは、かっとなった。

「そんなことができるあんたの方が、おかしいんだ!逃げたいんなら、さっさと自分だけ逃げたらいいだろっ?!追いつめられて困っている人間をいたぶる悪趣味はよせよな」

すると、カーイは、形のいい唇を引き歪めて、スティーブンを睨みつけた。全く、その通りだ。ここにメアリーがいないことが分かった以上、いつまでぐずぐずしていても始まらない。早くここを出て、彼女の行方を探し、その息の根を止めなければならないのだ。どこに潜んでいるのかようとして知れないクリスターに対する不安もある。ここで、こうして足止めされるわけにはいかなかった。

全く、こんな連中は見捨てて、早くここを立ち去るべきなのだ。しかし、

「スティーブン」

なぜか、そうすることに抵抗を覚えて、カーイは、必死になって扉を探っている二人を、しばし眺めた後、低く押し殺した声で、言った。

「本当なんですか、あなたが…昨夜、私を…氷づけにされて、危うくクリスターの手に落ちるところだった私を助けたというのは…?」

スティーブンの体がびくりと震え、振り向いた、その顔が、触れられたくない箇所を強くつかまれたように引きつり、強張っているのを、カーイは見て取った。二つの感情の間で揺らぎ、引き裂かれようとしている、震える魂を。

「スティーブン…」

じりじりと沸きあがってくる苛立ちと怒りを込めて、カーイは、スティーブンの胸に指をつきつけるようにしながら、言った。

「私の味方になるのか、それとも、あくまで敵でありつづけるのか、決断なさい。そんなあなたの煮えきらない態度にまで振りまわされるのは、ごめんですよ」

ぴゃしりとそう告げた後、カーイは、スティーブンを差していた手を下ろし、どう考えればいいのか分からないとでもいうかのように混乱する頭を左右に揺らして、視線を横に逸らした。腹立たしげに唇を引き結び、その手は、かたく握り締められている。

それでも、彼は、スティーブン達を見捨てて、すぐにここを出ていこうとはしなかったのだ。

カーイが敵に助けられたことは事実であり、憎むべき相手から、そのような同情だか哀れみを受けたままでは、いられなかった。

「カーイ、俺は…」

スティーブンの方も、まさに混乱の極みにいた。自分でさえ、どうすることもできない、この二つの感情、心許せる大切な友人を守りたいという真摯な思いと、長い間恐怖とそれを上回る崇拝の対象だったカーイに対する屈折した思いが、激しくせめぎあい、他ならぬカーイ自身から、その究極の問いかけ、どちらを選ぶのか、がなされたことで、ぎりぎりまで追いつめられていた。

スルヤを見捨てることはできない。殺させることはできない。

だが、カーイの敵として戦うことも、こんな気持ちのままでは、できない。

なぜなら、どれほどこの呪縛を呪い、逃げようとあがいても、まだ捕らわれている、カーイというこの世に二つとない存在を憎みながらも、同時に魅せられている。そう、他の全てを捨てても、大切な者を裏切っても、自らを傷つけても、失うことなどできないと思いつめるほどに。

「俺は、カーイ…あんたを…ずっと…」

カーイの後ろにある窓の外で、風に混じって、微かな物音がした。

途端に、カーイの顔色が変わった。慄いたように、そこにあるものを確かめることが恐いかのように肩越しに背後を見やった。

スティーブンも、それにつられるようにその窓に視線を移した。うっすらと凍り付いているガラスの向こうで、確かに、何かが揺れるを見たと思った、瞬間―

窓が、外から、すごい力で打ち破られた。

はでな音をたてて、ガラスの破片を撒き散らしながら、窓枠ごと蹴破るように中に飛びこんできた者がある。ロープを使った反動で、凄まじい勢いで突入してきたにも関わらず、ほとんどバランスを崩すことなく、猫科の猛獣のように身軽に床に着地し、ゆっくりと顔を上げると、呆然となって声もなく己を見返すのみ三人の中で、カーイのみを、その暗い燠火の燃える瞳で捉えた。破壊された窓からたちまち吹き込んできた、雪混じりの強い風が、その真紅の髪を激しく掻き乱した。

「あ…あぁっ…!」

カーイの後ろで、スティーブンが、動転した叫びを漏らした。彼は、自分では立っておられなくなったかのようによろめき、倒れこみそうになったところを危うくロバートの腕に支えられた。その双眸は、愕然と見開かれたまま、窓の前に立つ男を狂おしく見つめている。

「レイフ…」

スティーブンの目の前で胸から血を流して死んだ。彼の裏切りがなかったら、今でも生きていたかもしれない。立場の違いから対立することになってしまったけれど、スティーブンは、レイフのことが好きだった。その姿を見た瞬間に、ずっと葬ろうとしていた、そんな哀惜や後悔や負い目がまざまざと思い出され、スティーブンを打ちのめした。

真っ青になって、がたがたと震え出し、今にも気を失ってしまいそうなスティーブンを、ロバートの必死の声が呼び戻した。

「違う、スティーブン、あれはレイフじゃない!」

スティーブンは、瞬きをした。そうして、改めて、この緊張感漂う空間の中、泰然と彼らを見下ろすかのようにそこに立つ、その大柄な男をつくづくと眺めた。何もかもがいまやレイフそのものだったが、それでも、彼ではなかった。

「クリスター・オルソン」

カーイの感情を押し殺した声が、男の名を呼んだ。 

それに応えるかのごとく、クリスターは、薄く微笑んだ。

長年夢に見つづけた最高の相手、この唯一無二の敵と、最後のゲームの舞台と定めたこの場所でようやく出会えた喜びをじっくりと味わいながら、クリスターは、右手に握ったM-79の銃口をカーイに向けた。

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