愛死−LOVE DEATH

第十八章 GAME OVER


黒いボルボは、屋敷の傍にある林の中に隠すように停車させた。

腕時計を見ると、もう11時近い。この嵐のおかげで、随分時間がかかってしまったが、道路が封鎖されていなかっただけ、まだましかもしれない。

カーイが、車から降りると、とたんに雪が吹きつけてきた。家を出た時は、まだ雨だったのだが、夜になって急激に気温が下がった今は、細かな雪となり、それが強い風によって吹きつけてき、顔にあたるのにカーイは、わずらわしげに目を細めた。

カーイは、真新しい雪が薄く積もった道を屋敷に向かって歩き出した。そうして、傾斜する乗馬道の向こうにぼんやりとうかびあがってそびえる屋敷が見えてきた位置で、足を止めた。

(クリスター・オルソン、あなたの望み通り、ここまでやってきましたよ。けれど、それは、あなたにむざむざと倒される為ではない…あなたを、そして、メアリー・E・コックスを殺し、そうして、この無益な戦いに終止符を打つ為です)

カーイは、手を上げて己の胸をそっと押さえた。その中では、実に様々な感情が去来していた。家に一人残してきたスルヤのことを思いだし、こんな切迫した時であればこそ、彼の優しさや暖かさがたまらなく恋しくもなれば、これから飛びこんでいくあの場所で待ちうけているだろう死闘を考えてためらい、それでも行かなければならないのだと己を奮い立たせた。

昨日の戦いで血にも殺しにもうんざりしていたカーイは、どうしても命を奪わなければならない二人以外、誰の命も取りたくはなかったので、屋敷の連中に気づかれぬように忍び込んで、素早く二人の居場所を探し出し、そして、目的を達成すれば、すぐに立ち去るつもりでいた。しかし、あのクリスターが、そう簡単に、カーイの思い通りにさせてくれるとも思えなかった。

(あの時、あなたの弟を殺してしまったことは、もしかしたら、大きな過ちだったのかもしれませんね。おかげで、あなたのような最悪の敵を作り出してしまった)

けれど、それこそ今更意味のない繰り言だった。カーイは、放っておけば、そのままずっと思案に沈みこんでしまいそうな頭を左右に振って、気分を切りかえると、眼下の屋敷を睨みつけた。

彼に向かって激しい風が吹き寄せてきた、次の瞬間、カーイの姿は、その風に紛れたかのように、掻き消えていた。

そう、自ら風となって、戦いの場へとカーイは向かった。





メアリーが住まう屋敷の左翼にあたる棟の一階ホール。

そこに待機する傭兵達の一組に混じって、ジェレミーは、緊張した面持ちで、壁際に据えつけられた大時計を見やった。時計の針は、11時を丁度回ったところだ。

それから、ふと気になったように上着のポケットの中をまさぐった。そこには、クリスターから預けかった、彼の母あての手紙が入っている。こんな所にまで持って来てしまったのは、本当は、クリスターにこの手紙を返した方がいいのではないかという気がしたからだった。

(この戦いが終わったら、どうか自分の手で投函してください…そう言いたかったんだけれどな…)

結局、返しそびれてしまった。

(クリスターさん、大丈夫ですよね?あなたは、レイフさんのようになったりしない、だって、あなたにはまだ待ってくれている家族だっているんだから)

傭兵になりたいというジェレミーに対して、母親のもとに帰れ、親を哀しませるようなことをしてはいけないと語ったクリスター。思えばあれは、彼自身が、一人故郷にいて息子達のことを案じているだろう母親に対して、深い愛情と負い目を覚えているからではなかったろうか。だから、ジェレミーが決意を変えて、母親のもとに帰ると言った時、ほっと安堵し、喜んでくれたのだ。

(あなたは生き残って、お母さんの所に帰らなければならない…そうして、レイフさんの分まで生きて…)

ジェレミーは、そうクリスターに伝えたかったのだ。しかし、今、ここに彼の姿はない。

仲間達を二手に分けて、メアリーの警護をさせる形で待機させ、自身はどこかに姿を隠してしまった。今度こそ、あのターゲットをしとめる為のトラップをしかけるのだと言っていたが、その詳しい内容は彼ら仲間達の誰も伝えられてはいない。彼らの仕事は、ここにいて、メアリーを狙ったターゲットがもし現れれば、迎撃し、可能な限り、食いとめること。メアリーの居室はこの上三階に位置している。二階には、やはり別働隊が待機しているが、例えターゲットを食いとめられなかった場合でも、三階までは追撃するな、その時は即座に退避しろと命令されていた。おそらく、そこでトラップを仕掛けるからということなのだろう。

壁に背中をもたれさせるように立っていたマグナスが、ふいに身動きしたかと思うと、外との温度差で水滴がついて窓の表面を手でぬぐい、闇の向こうを透かし見るようにした。

「どうかしたのか、マグナス?」と、アーサーが問いかけた。

「いや、遠くで犬の吠える声がしたような気がしたんだが…風の音が、こううるさくちゃ…」

次の瞬間、距離はあっても聞き違えようのない銃声が、鳴り響いた。傭兵達は、一斉に、警戒態勢を取って、ある者は階段の陰の暗がりに身をひそめ、ある者はいつでも飛び出せるよう、身を低くして、重厚な調度品の傍で銃を構えつつ、息を殺した。

「今の銃声、一体どこからだ?」

「屋敷の中じゃない…外を巡回している警備員が発砲したんじゃないか?」

瞬時に緊張感のみなぎった一階ホールで、ジェレミーもまた、大時計の陰に身を隠しながら、ライフルを構え、敵の襲撃を待ちうけた。どきどきと胸の中でせわしなく心臓が鳴り響き、つい力をいれてライフルの銃身をつかんでいる手にはじっとりと汗がにじんでくる。 

(父さん、どうか俺達を守ってくれよ)

昨夜の戦闘でカーイに能力を目の当たりにし、それなりに覚悟して、ここで待ちうけていた傭兵達だったが、それでも、何の前触れもなく彼が現れた瞬間、いきなり頭上が少し明るくなったかと思って顔を上げると、そこに淡い光炎に取り巻かれたヴァンパイアが翼のない鳥のように中にうかびあがっているのを見た瞬間は、肝をつぶした。

「で、出やがった!」

「うぅ…この野郎、一体、どこから?!」

気色ばみ、銃口を一斉にカーイに向けながら、隠れ場所からら飛び出してきた男達を、彼は、特に心を揺さぶられた様子もなく、さっと見渡した。そこにいる者達の中に、求める姿を探したが、いないことに気づくと、他の誰にも興味はないのだというかのような淡々とした声音で言った。

「クリスター・オルソンは、どこにいるのです?」

カーイに向かって、ライフルの銃口をあてていたジェレミーが、はっと息を飲んだ。その頬が見る間に紅潮した。

「死ね、この怪物め!」

恐怖を上回る怒りに押されて、ジェレミーは、ライフルを発砲した。それにつられたように、仲間達の銃が続けざまに発射される。

だが、やはり、カーイはそれら全てを一瞬でかわし、忽然と彼らの目の前から姿を消してしまった。

「2階だ!」と、誰かが叫ぶのにジェレミーが顔を上げると、2階に続く階段の上に佇んで彼らを見下ろすカーイの姿があった。

「逃がすな、追え!」

男達は、カーイを追って、階段に殺到し、駆け上ろうとしたが、突然、先頭を進んでいたアーサーが悲鳴をあげた。 

「危ない」

見ると、二階の廊下に置かれていた大きな飾り棚が、階段の上から投げこまれ、彼らに向かってすごい勢いで滑り落ちてくる所だった。男達は、巻きこまれるまいと、慌ててひき返した。

「くそっ…全く、何て怪力なんだ…」

彼らの行く手を阻むように、階段の中程でとまって、そこをふさいでいる重い飾り棚を呆然と眺めながら、マグナスが吐き捨てた。

「おい、とにかくこいつを何とかしないと、あいつを追うこともできなしない。おい、アーサー、そのショットガンを貸せ」

巨大な飾り棚を押しのけることはどう見ても不可能だったので、強力な火器で穴をあけて、そこから入り込むことにしたようだ。そうしているうちに、今度は、2階で待機していた他の連中とターゲットが接触したらしい、男達の怒号と、ライフルやピストルの銃声が響き渡った。

「おい、急げ!」

「分かっている!」

カーイが残していったバリケード相手に格闘している仲間達の後ろに立ち尽しながら、ジェレミーは、ふと不安な胸騒ぎを覚えたように頭上を仰いだ。

「クリスターさん…」





屋敷の周囲を巡回していた警備員を襲い、メアリーの居場所を聞き出すと、カーイは、まっすぐにその場所に向かった。さすがに屋敷の主人の周囲での警戒は厳重で、番犬や、武装した警備員があちこちに見られたが、カーイにとって、彼らの警戒網をくぐることは容易かった。

敏感な感覚を持つ犬は、うろんげに周囲をうかがったりしたかもしれないが、音もなく風のように素早く闇を駆け抜けていくカーイの動きを完全に捉えきることはできなかったし、ましてや、人間が気づくことなど不可能だった。

唯一の失敗は、最初に捕らえた警備員の発砲を許してしまい、それによって、カーイの侵入が明らかになってしまったことだが、どうせ、メアリーの居室に近づけば、遅かれ早かれ、敵の誰かとは出くわして、ちょっとした争いになることは避けられなかっただろう。カーイは、ここでの戦いは最小限に抑えたかったが、あまりに相手の抵抗や攻撃が激しいと、望まぬ犠牲者をまた作ってしまうかもしれない。

(クリスターさえ倒せれば、残りは放っておいても、別にどうということはないのだけれど…)

メアリーがいるとされた、屋敷の左翼部分に近づいて、そっと内部の様子をうかがうと、幾つもの戦闘的な気配が潜んでいることが知れた。昨夜戦った、戦闘のプロ達の生き残りだ。では、クリスターも彼らと共にいるのかもしれない。そう思って、一階ホールで待ちうけていた一団の前に姿を現したのだが、目当てのクリスターはそこには見当たらず、そうなると無駄な戦いはしたくないカーイは、さっさと上に移動した。階段を塞いで、階下の連中の足を止めたのは、やはり、余計な争いをして、これ以上の血を流したくなかったからだ。

カーイが流したい血、殺さなければならない相手は、まずはクリスター、そして、メアリーだけ。

二階部分を、唯一の敵の姿を求めて、しばしさまよい、その間に、やはり待ちうけていたジェイコブの率いる別働隊と軽い交戦状態に陥ったが、それもするりとかわしたカーイは、最後に三階を目指すことにした。どうやら、ここにもクリスターはいないと悟ったからだ。

ジェイコブ達が必死に攻撃する中、何の重みもないかのように床からまいあがり、そのまま天井を通りぬけ、メアリーの居室があるとされる最上階目指して、上昇した。

(メアリー・E・コックス、私は、あなたの顔を見たこともなければ、どんな人物なのかも知らない。だが、あなたの私を捕らえようとする執念、それが、スルヤを危険に巻きこみ、私に本来ならする必要のない殺しまでさせた。不死の秘密を手に入れる?馬鹿なこと、そんなものが自分や他人の幸せの役に立つなどと思うなんて…人間というのは、昔に比べて随分と知恵も力もつけたのに、その一点については、やはり愚かなままなんですね。だから、あなたには同情も哀れみも覚えはしません。大それた野望を抱いた報いに、あなたは死ぬのです)

生まれながらの不死者の傲慢さで、カーイは、会ったこともない女を冷やかにそう断じた。あるいは、病床にあるか弱い女を殺すという、あまり心楽しいものではない殺しを前に、そんなふうに思わなければ、やりきれなかったのかもしれない。 

三階部分の廊下に、カーイは、音もなく立った。照明は落とされ、しんと静まり返って、一見人が住む場所のようには思えない。カーイは、首を一方に軽く傾けるようにして、周囲の気配を探ったが、ここには、階下のように傭兵達が待ちうけてはいないようだ。カーイの顔に、安堵よりも、あてが外れたような思いと不安がうかんだ。

クリスターは、一体、どこにいるのか。

だが、ここでじっとしているわけにもいかないので、まずメアリーを見つけることにして、壁に古い肖像画が何枚も飾られた暗い廊下を歩き始めた。

(クリスター、一体、どこにいるのです?私にここに来いと言ったのはあなたなのに。一体、今度は何をたくらんで…?)

その時、頭上に小さく瞬く光を見たような気がして、カーイは、ふいに足を止めて、天井を振り仰いだ。

彫りこまれた模様の間に埋め込まれた小型の広角レンズが、カーイを見下ろして、微かに光っていた。

カーイは、打たれたようになって、それを凝視しながら、肩で大きく息をした。心臓の鼓動が、急に早まってくる。体の脇に下ろした手を、強く握り締めた。

ヴァンパイアの聴力が、周囲を取り巻く壁の中にごく小さな機械の作動音を捕らえた。

瞬間、カーイは、駆け出した。ほとんど同時に、彼が今いた場所にまぶしい閃光が生じ、続いて火が、爆風を伴って、走るカーイの後ろから追いかけてきた。

(クリスター!)

カーイは、唇を噛み締めた。

やはり、クリスターはどこか近くにいる。カーイを見つめ、狙い、追いつめ、今度こそ仕留めるつもりで。

しかし、まさか、ここまで荒っぽいまねをするとは思わなかった。メアリーの居室の近くで爆破を行なうなんて。カーイは、本気でクリスターの正気を疑った。

そんな思いが頭を過ったのも、実際には僅か数秒のことで、爆炎に負けぬスピードで廊下を一気に駆け抜けると、奥に見えてきた、巨大な扉に向かい、迷わずそこに飛びこみ、突きぬけた。

床の上に膝をつくように降り立ったカーイの後ろで、爆風を受けた分厚い扉が、悲鳴のような音を立て、揺らいだ。だが、その扉が打ち破られることはなかった。ぴたりと計算され尽くしたように、爆破の威力はこの部屋の直前でおさまっていた。

廊下は、ほとんど真っ暗だったが、この部屋には灯りがついている。爆破の震動で天井からぶら下がったシャンデリアが揺らいで、跪くカーイの影が床の上で踊った。

カーイは、目を上げた。微かに息を飲んだ。

「スティーブン…?」





底知れぬ静寂をはらんだ琥珀色の双眸が、その瞬間火の海となった画面に見入っていた。

映像に映る炎に照らし出された顔は、クリスターのものだ。

彼は、トラップにかかったカーイが、火に追われるように廊下を奥へと駆け抜け、メアリーの部屋に飛び込んだことを確認すると、モニターの前からゆらりと立ちあがった。

傍らに置いたコートを取り上げ、右手に銃身を切り詰めたM−79を握った。デザート・イーグルは太股に取りつけたホルスターに入れてある。

ふと耳を澄ますような仕草をした。

(レイフ、おまえは、少しは後悔しただろうか。おまえにとって、このゲームは命に見合う価値はあったのか)

クリスターが引き受けたこの仕事に、そもそもあまり乗り気ではなかった弟は、ヴァンパイアの鋭い一撃がその胸を貫いた瞬間、一体何を思ったのだろうか。親に背き、昔の友人達とも縁を切って、戦ってばかりの人生を送った。最後にはやはり戦闘の中で命を落とすことになって、己の生き方を悔いはしなかったろうか。もっとましな人間になることもできたのかもしれない。傭兵などやめて、かつての友人達にならい、まともな社会の一員として、定住して普通の仕事につき、いつかは愛する人を見つけて新しい家族を作ることだって、望めばできたかもしれない。

(じゃあ、兄さんはどうなんだよ?)と、今でもクリスターと共にある弟が、どことなく呆れたように問いかけた。答えなんか、とっくに知っているくせに、と。

クリスターの口許に緩やかに笑いが広がった。

このゲームに、人生そのものに見合う価値は果たしてあるのか?

そう、答えなど、とっくに出ている。

クリスターは、背筋を伸ばし、迷いのない足取りで、扉へと向かった。カーイがいるあの場所に行き、この最後のゲームを戦う為に。


NEXT

BACK

INDEX