愛死−LOVE DEATH

第十八章 GAME OVER


(メアリー…)

懐かしく慕わしい誰かに名を呼ばれたような気がして、メアリーの意識は、浅いまどろみの中からうかびあがった。

束の間、夢と現実の区別がつかなくて、メアリーは、己を取り囲む暗闇とすぐ傍で規則正しく起こる機械の作動音に戸惑いを覚えたが、すぐにお馴染みの痛みと共に、あらゆる記憶がよみがえった。

つい今しがたまで一緒にいたように思われた、愛する家族が、すべて失われて久しいこと、この絶え間ない苦痛からも分かるように、己自身がついには死にゆこうとしていることを思いだし、束の間の眠りの間和らいでいた顔に苦い表情がうかび、口許には深い皺を刻み付けた。

(まだ終われない…このままでは、私は死ねない…)

メアリーの闘争心は、こんなになってもいまだ衰えてはいなかったけれど、急速に生命の枯渇していく肉体が、彼女の意思を裏切っていた。

そして、メアリー自身が、誰よりもそのことをよく分かっていた。

メアリーは、力の入らない体で可能な限り首を動かし、ベッド脇のサイドテーブルに置かれた家族の写真を見ようとしたが、視力もかなり落ちてしまった彼女の目には、写真たてのぼんやりとした輪郭しか捕らえることができなかった。アダムを呼んで、写真たてを取ってもらうこと考えたが、それだけのために忠実な秘書を呼びつけるのも、何だか気の毒に思われたので、やめた。

頭を再びもとに位置に戻し、じっと目をつぶると、人工呼吸器の音に混じって、外の物音が聞こえてきた。鎧戸と二重になった窓ガラス、分厚いカーテンを通しても伝わってくる風の音。どうやら嵐が近づいているらしい。

それから、昨夜遅くに帰還した傭兵達のことを、傷ついた体で報告のためにここに現れたクリスターを思い出した。

危険な仕事を生業としている傭兵とはいえ、若い命をむざむざ失わせるとは、気の毒なことをした。しかし、あれほど腕の立つ兵士を集め、充分な装備も備えながら、あの生き物を捕らえることができなかったとは、無念でならない。

(最後のチャンスをください)

失望を隠せないメアリーに、クリスターはそう言った。パートナーである弟をなくした彼は、憔悴しきって、まるで死人のようなひどい顔色をしていたが、暗い火の燃えさかる瞳が、このままでは終わらせないという彼の決意を物語っていた。それは、メアリー自身の執念にも匹敵するような、凄まじさだった。そして、メアリーは、クリスターに全てを任せることを決めた。

(それでも、体の自由がきき、自分の力でどうにかできる者はまだいい。こんなふうに役にもたたない身をただ横たえながら、むなしく待つよりは…)

その時、扉を叩く音がして、秘書のアダムがそっと部屋の中に入ってきた。

「会長、準備ができましたので、そろそろ、あちらに移っていただきますが、お体の方はいかがですか?」

気遣わしげな声で忠誠な部下が尋ねるのに、メアリーは、落ちついた風情で、答えた。

「私の方は、いつでもいいよ、アダム」

アダムの合図で、後ろに控えていた数人の看護婦が、移動式の簡易ベッドを押して入って来る。

メアリーは、己が横たわる寝台の暗い天蓋に視線を向け、ゆっくりと肩で息をついた。

今夜中に、あの生き物との決着をみるだろう。クリスターは、メアリー自身を餌にして、ここにヴァンパイアをおびき寄せるつもりなのだ。別に構いはしない、この役立たずの体が、例えそんな形でも、あの生き物の捕獲という至上の目的のために使えるのならば、望むところだった。どのみち、彼女自身の命も、今日明日をも知れぬものなのだ。

(マイケル、トビー、ショーン、どうか、私に力をちょうだい…あなた達のために、あの不死の生き物の秘密を解かせて…あなたたちを再び生きて取り戻す為に…)

外で荒れ狂う嵐にも負けぬ激しさで、彼女にとっても最後の戦いが、そうして始まろうとしていた。





大きなビリヤード台のある遊戯室に、生き残った傭兵達は集合していた。負傷して一時は戦闘不能に陥ったカイルも、頭に包帯を巻いて、復帰するつもりで愛用の銃の点検をしているし、利き手をやられてしまったバースは今回の戦闘に参加することは不可能だが、それでも、仲間達と共にいたいというかのように、ここに来ていた。

ジェレミーも、これを最後の仕事としてやりとげるつもりで、いまや彼の相棒となったレトリバー犬を足下に坐らせて、皆と共に、じっとその時を待っている。

(父さん、あんたの仇を討つことは、もしかしたら、俺の力では無理かもしれないけれど、せめて、一矢くらい報いるつもりで、あいつと戦うよ)

その時、部屋の扉が軽く叩かれて、それが開く気配がした。ジェレミーは深い物思いに捕らわれていた為、最初は顔を上げなかったのだが、誰かの口からあがった、驚愕と動揺の叫びに、はっとなってそちらを見た。目をむいた。

「レ、レイフさん…?!」

部屋中が、一瞬で、水を打ったように静まりかえった。誰もが、信じがたいものを見た衝撃に凍り付き、ぽかんと口をあけて、開け放たれた扉の所に立つ者の姿に見入っていた。

「クリスター…隊長…?」

一番近い所にいたマグナスが、その男の左頬に走る生々しい傷にやっと気がついて、かすれた声でそう呼びかけた。

長かった髪をばっさりと切り落とし、まるでその弟が生き返ったかのような錯覚を見る者にもたらしたクリスターは、マグナスの打たれたような呼びかけに、唇の両端を微かに上げて、にっと笑った。どこかレイフを思い出させる笑いだった。

「今夜の作戦を伝える」と、今度は、紛れもないクリスターの鋼を思わす声に、傭兵達は、はっとなって姿勢を正した。

クリスターは、皆の注視の中、部屋の中に入って、中央にあるビリヤード台の所まで来ると、その上に、手に携えていた、この屋敷の見取り図を広げた。傭兵達が、皆、彼のもとに集まってくる。

「クリスターさん」

ジェレミーの呆然とした呼びかけに、クリスターは、台の上から一瞬顔を上げ、分かっているとでもいうかのような微笑をうかべた。

「まずは、部隊を二手に分けて、敵の襲撃に備えて、この二箇所に待機させる。マグナス、ジェイコブ、君達にそれらの指揮を任せる」

きびきびとした口調で、仲間達に作戦を説明していくクリスターは、昨夜以来の悄然とした、あるいは何かが根本的に狂ってしまったような恐ろしさを感じさせた彼とは違って、まるで、あの悪夢のようなミッションなどなかったかのような、何もかも元通りのクリスターに見えた。そう、その端正な顔につけられた傷と、その髪だけが以前とは異なっていた。

「皆、昨夜の戦いでの疲れ、ショックも大きいだろうと思うが、失った仲間達の為にも、もう一度君達の力を貸して欲しい」

失った仲間。一瞬、何とも言えない傷ましげな表情が、屈強の男達の顔を掠めたが、クリスター自身は、眉一つ動かさなかった。

厳粛とも言える面持ちで、最初にマグナスが、拳をぐっと天に向かって突き出すように仕草をし、言った。

「力を貸してくれなんて、水臭いことは言わないでくれ、クリスター。俺にだって、プロのプライドってものがある。敵がやってくるっというのに、逃げ出すような無様な真似はしないさ」

「そうとも、レイフやベンやムスタファの弔い合戦だぜ」

次々とマグナスに倣って、誓いを立てるかのように、拳を突き上げる仕草をして見せる傭兵達を、クリスターは、目を細めるようにして眺め回し、一人一人に向かって、頷き返した。その凛とした声が、宣言した。 

「そう、これが、最後のミッションだ」





すっかり日も落ちて、闇を引き裂くように窓の外に吹きすさぶ雪混じりの風を、スティーブンは焦燥感にかられた眼差しで追っていた。

一体、いつまで、ここでこうしていればいいのだ。部屋の外は、どうなっているのだろう。まだ、何の騒ぎも起こってはいないようだけれど、では、まだカーイはここに現れていないということか、それとも、あの不思議な力で何時の間にかしのびこんでいるのだろうか。

ロバートは、窓から離れた椅子に腰掛けて、そんなスティーブンの後ろ姿を、心配そうに見守っている。

と、その時、複数の足音がこちらに近づいてくるのが分かった。

「スティーブン」

ロバートが注意を促すのに、スティーブンも緊張した面持ちで、振りかえった。

「ここを出るんだ、おまえ達」

武装した警備員が、乱暴に扉を開け放ちざま、そう言った。

「ここを出て…?一体、今度は私達をどうしようと言うんだ」と、素早く問い返すロバートに、警備員の一人が銃口を向けた。ロバートは怯んだように、口をつぐんだ。

「おまえ達には、今から別の場所に移動してもらう。さあ、手間をかけさせないで、早く出ろ」

スティーブンとロバートは顔を見合わせたが、従わないわけにはいかず、警備員達に急きたてられるように、部屋から出、屋敷内を移動し始めた。

「おい、一体、これは誰の命令なんだ?クリスター・オルソンか?」

スティーブンが、傍を歩く一人の警備員にそう尋ねたが、じろりと威嚇的に睨まれるだけで、答えは返ってこなかった。

(くそっ。やっと部屋から出られたはいいけれど、これじゃあ、屋敷内の状況は分からないままだ。それに、こんな差し迫った時に、わざわざ俺達を移動させるなんて、どういう意図があるんだ?)

初めは、果たしてどこに連れて行かれるものか、もしかしたら、今度こそ、本当に処刑される為に引き出されたのではないかと疑いながら、果てしないものに思われる廊下や階段を歩いていたが、やがて、見覚えのある場所に差しかかったことに気がついた。

(ここは…)

ロバートの方に視線を向けると、どうやら、彼も気がついたらしい。そう、彼らは、今、コックス会長の居室に向かっているのだった。

「ここに入っていろ」

一体どうなっているのか問いかけることも許されず、戸惑いながらも、彼らは、やがてたどりついた、一番奥の扉、いつかメアリーとの面会の折、初めに通された控え室に、押し込まれた。

「なんだって、こんな所に俺達を…」

スティーブンは、目の前で閉ざされ鍵を下ろされた扉を前に呆然としばし立ちつくし、それから、ただの客人用の控え室にしては広々としすぎる、その部屋をぐるりと見渡した。

「スティーブン!」

その声に振り向くと、ロバートが、コックス会長の寝室に続く扉の前で、緊張した面持ちで立っている。スティーブンは、そちらに駈け寄った。

「あいつら、どうして、俺達をこんな場所に…」

「分からない」

ロバートは、力なく首を横に振った。二人とも、隣の部屋にいるかもしれない人物を意識して、小声になっている。

スティーブンは、重厚なその扉を睨みつけながら、じっと考えを巡らせていたが、やがて、思いきったように、その取っ手に手をかけた。

「スティーブン…」

「やっぱり…この扉、鍵がかかってない…」 

もしかしてという思いがあった。スティーブンは、音をたてないように気をつけながらも、ゆっくりと扉を押し開いていった。

「スティーブン、中に入るのか?」

ロバートが不安げに止めようとするが、スティーブンは、用心しながらも、コックス会長の寝室にしのびこんだ。

闇に目が慣れるのに少し時間がかかったが、やがて部屋の中の様子が分かるようになってきた。スティーブンは、奥にある、天蓋つきの寝台の方に近づいていった。その時には、もう彼は気がついていた。メアリーの生命を維持する為の、医療機器がたてる音がしない。スイッチが切られているのだ。

寝台の傍まで近づき、天蓋を支える柱の陰から中を覗き込んだ時、スティーブンは己の予想が的中したことを悟った。

そこにいるはずの人物、メアリー・E・コックスは、忽然と姿を消していたのだ。


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