愛死‐LOVE DEATH−
第十六章 逆転
一
「誰だっ?!」
灯りの消えたロッカー室に足を踏み入れたレイフとルフラーは、部屋の暗がりからゆらりと立ち上がった人影に、瞬時に銃口を向け、厳しい声で誰何した。
だが、両手を上げて、光のもとにゆっくりと進み出てきた者の正体に、半ば期待を裏切られたような失望と、意外な驚きの混じった溜め息をついた。
「スティーブン?おまえ、一体こんな所で何をしてるんだよ?」
部屋の明かりのスイッチを入れ、まぶしい蛍光灯の光に照らされた部屋の中で、ひどく緊張した面持ちで佇んでいる若者に、レイフは、不審に思ったというよりも、素直に意表をつかれて驚いたというような、頓狂な声をあげた。
「急に司令室からいなくなったって、泡を食ったジェレミーから、さっき連絡が入ったところなんだぜ。心配させてくれるじゃないか、ええっ?」
心配してたんだ。内心少し鼻白んだ思いで、スティーブンは、相手の真摯そのものの顔をまじまじと見たが、どうやらレイフには何の含みもないらしい。彼の後ろに立つルフラーの方は、スティーブンの突然の登場に、何かしらすっきりしないものを感じているらしく、用心深く銃を構えつづけている。
「じっとしていられなくなったんだよ」と、スティーブンは、内心の動揺を悟らせまいと、必死にポーカーフェイスを保ちながら、抑えた声で言った。
「モニターであんた達があの化け物と戦っているのを見ていて、あんな所でただじっと見守っているのが我慢できなくなって、出てきてしまったんだ。とにかく、あんた達のいる倉庫まで行こうと思って…行ってどうなるってものでもないんだろうけれど、あんた達のうち二人がやられて、後の二人も戦闘不能になって…見ていると、こっちまで追いつめられたような気分になってきて、耐えられなかったんだよ」
「助太刀でもしようってつもりだったのか?」
スティーブンのいい訳に、レイフは目を丸くした。
「そりゃ、無茶ってもんだろう。モニターであの化け物の戦いぶりを見てたら、素人の坊やが一人駆けつけたところで、足手まといになりこそすれ、戦力の足しにはなりっこないって分かりそうなものじゃないか」
呆れたようにレイフが言うのに、スティーブンは、言葉に詰まったような顔をして、微かに頬を赤らめ、うつむいた。我ながら苦しい言い訳でと思い、これでは通用するはずがないと焦っていたのだが、レイフは、そんな彼の反応を別の意味に受け取ったようだ。
「まあ、じっとしてられないって気持ちは分からないでもないけどさ。無理はすんなよ。大体、おまえは、あの黒髪の友達の傍にいて守ってやらなきゃならないんだろ?」
優しい口調で、慰めるように言うレイフに、スティーブンは、妙にうろたえたくらいだった。
「スルヤのことは…もちろん、俺が責任を持たなきゃならないけれど、それにしたって、早くこの戦いが終ってくれないことには、あんた達はスルヤを解放してくれないんだし…それなら、少しでも早く決着がつくようにって…」
レイフは、痛いところを突かれたように顔をしかめ、それから、スティーブンの背後に視線を投げかけ、がらんとしたロッカー室の内部をぐるりと見渡した。
別段不自然な所はないように見える部屋だが、何かがおかしいと、レイフの第6感が働いていたのかもしれない。彼は、よく見える目をすがめ、微かな異常のサインでも聞き取ろうとするかのようにじっと耳を澄ましていた。その様子に、スティーブンの緊張は、いやが上にも高まる。
「ところでさ、スティーブン、俺達は、実はあの吸血鬼を追いかけてここまで来たんだが…おまえさ、ここに来るまでの間で、奴らしいものを見なかったか?あるいは、変な物音を聞いたとか?」
室内に視線をさまよわせたまま、レイフが唐突に聞いてきた。スティーブンの背中に冷たい汗が流れ落ちる。
「あいつって…カーイがここに?」
今初めて知ったというように、スティーブンは、息を吸いこんだ。
「ああ、どこかは特定できないんだが、とにかくこの工場内にいるらしい。ほら、あのMK89を食らわせてやったんだ。だから、今頃どこかに氷づけになってのびてるはずなんだが…」
「そうなんだ。すごいな、奴をそこまで追いつめたのか…でも、残念だが、俺は、見ていない」
思わず視線が後ろに向かいそうになるのを、スティーブンは必死で堪えた。
「といっても、俺が知っているのはこの一階の廊下とこの部屋くらいなんだけれど。物音も、特には気がつかなかったな」
「そうか」
レイフは、眉を寄せ、しばし、何か考えを巡らせていた。その様子をスティーブンは、固唾を飲んで見守る。
「それはそうと、スティーブン、なんだって、こんなところに隠れてたんだ?」
来たかと思った。スティーブンの心臓は、待ちうけていた質問がなされるのに、胸の奥で大きく震えたが、答える声は、意外としっかりとしていた。
「てっきりまだ倉庫にいると思ってた、あんた達が近づいてくる足音を聞いて、とっさにどうしたらいいか分からなくなったんだよ。こんなところで鉢合わせして、何を言われることかって恐くなったんだろうな。頭が冷えてくると、俺の行動は、あんたが言ったように、全く滑稽なものでしかないって思えてきたし、それに…あんたはともかく、あんたの兄貴に見咎められるのは抵抗があったしさ」
「ああ…そうだな、確かにおまえは何かとクリスターをイライラさせてるよなぁ」
レイフは、しようのない奴だと言いたげな目でスティーブンを眺め、それから、後ろのルフラーに合図を送って、部屋の中を一通り調べにかかった。
だだっ広い、あまり多くのものは残されていない部屋を調べるのにそれほど時間はかからなかった。鍵のかかっていない大きなロッカーの幾つかを何気なく開けてみたり、床に倒れたロッカーを足で無造作に蹴ったりして回っている二人の姿を横目で眺めながら、スティーブンは握り締めた手のひらが汗でじっとりと濡れてくるのを意識していた。
「よし、こんなものだろう。次の部屋を調べるぞ」と、レイフが言った時、スティーブンは、全身から思わず力がぬけそうになった。
「おまえもついてくるか、スティーブン?」
レイフが親しげに尋ねるのに、スティーブンは、妙に動揺しながら、そちらを振りかえった。
「おまえを散々苦しめた、あいつがとっ捕まえられる所、見たいだろう?」
スティーブンは、一瞬、何と答えたらよいのか分からないような気分で、遊びに夢中になっている悪戯小僧のような顔で、無邪気に笑って片目をつぶって見せるレイフを、凝視してしまった。おそらく、彼は、人を疑うということが基本的にできない、子供のような人格なのだろう。そう思うと、急に後ろめたさを覚えた。そして、クリスターがあれほどまでにスティーブンを毛嫌いする理由は、案外こんな所にあるのかもしれないとぼんやりと思った。
束の間意識を飛ばしていたスティーブンの肩を、レイフの手が、軽く叩いた。スティーブンは、はっと瞬きをした。
「気にするなよ。クリスターに会っても、俺が、何とかうまく言いくるめてやるからさ」
スティーブンの沈黙を、自分の兄に対する気兼ねと受け取ったのだろう、励ますような調子でそう囁いた。
「さあ、嫌な仕事はさっさと終らせちまおうぜ。スティーブン、あいつを捕まえてたら、おまえとあの黒髪の男の子は、俺が無事に近くの病院まで送ってやるからな。心配するなって、もうすぐだからさ」
くるりと踵を返し、先に部屋を出ていくレイフの広い背中を、スティーブンは、複雑な思いを噛み締めながら、目で追っていた。
本当に、いい奴であることには違いないのだが…。
「スティーブン、ほら、早く来いよっ!」
痺れを切らしたような声が部屋の外の廊下からかけられるのに、スティーブンも慌てて、ドアに向かった。
入り口の所で、一瞬足を止め、そっと視線を背後に向け、耳をすませた。
相変わらず何の音もしない。
まだ、眠り続けている。
(カーイ…)
スティーブンは、万感の思いをこめて、静かに部屋のドアを閉じた。