愛死−LOVE DEATH−
第十五章 窮地
三
閃光が、生じた。
カーイが追いすがってくる前に、レイフの投じた手榴弾がその足下に転がり、爆発したのだ。
距離がちょっと短かったかもしれないと思いながら、半ば巻きこまれることを覚悟して、その場に身を伏せたレイフの上に、誰かが庇うように、覆い被さってきた。すぐ後に、爆風が、火の波となって、頭上を噴きぬけ、通りすぎていった。
息を止めて、それをやり過ごした後、頭をずらして見てみると、やはり、クリスターの琥珀色の瞳がレイフを上から覗き込んでいた。無茶をするなと言いたげな顔をしていた。
「ちょっと髪がこげたかな」と、頭に手をやりながら、薄く笑ってそう言って、クリスターは、即座にショットガンを手に、置きあがった。レイフも、すぐに飛び起きた。
「やったかな?」
ほのかな期待を込めて、そう呟くレイフは、天井まであがったキノコ状の火の手と煙、ばらばらと落ちてくるコンクリート片がおさまるのを、目をこらしつつ眺めた。しかし、手榴弾が爆発した場所には、倒壊した壁の残骸と火が残るのみで、目当てのターゲットの姿はない。
逃したかとレイフが舌打ちした瞬間、離れた場所にいる仲間達の叫ぶ声とショットガンの発射音が届いた。
「手榴弾でも、歯がたたないのかよ」
呆然と呟くレイフに、傍らのクリスターが、考え深げに首を傾げて、目の前の廃墟にゆっくりと近づきながら、言った。
「いや、爆薬の破壊力そのものが通用しないという訳ではない。爆発の拡散速度よりも、彼の移動する速度の方が格段に早いからだ」
レイフもすぐにクリスターに追いつき、おさまりつつある、火を飛び越えるようにして、ヴァンパイアに応戦している仲間達の方に向かった。
「やはり、どうしても、彼の早さがネックになるね。捕らえるにせよ、破壊するにせよ、あの足を止めて、とっさに逃げられないような状況を作らないことには、MK89も、私達の携行する他の武器もほとんど通用しない」
「奴の足を…」
壁の一部が崩れ落ちた通路から、散発的に銃声の響く、南ゲート前の広々としたスペースの飛び出した。
仲間たちは、幸い、それ以上は一人も欠けることなく、よく組織され、訓練された動きで、彼らの使うどの武器も無効な手強い敵に対して、果敢に戦い、少しずつではあるが、押しぎみに戦いを進めている。だが、クリスターには分かっていた。ターゲットの狙いは、そうやって、自分が引いているように見せかけながら、彼らの弾薬を消費させ、すべての弾が尽きたところで、一気に襲い掛かるというものなのだ。
「レイフ、残りの弾薬は、どのくらいだ?」
レイフも同じ危機感を覚えていたらしい、心もとなげな声で、言った。
「パラ・オーディナンスの挿弾子が4個とダブル・オー弾が2ダースほど、手榴弾が4個だよ」
「私も、似たようなものだな」
兄弟は、数瞬の間その場に立ちつくし、戦いつづける仲間達と、その攻撃の前に一瞬姿をさらしたかと思うと、さっと身をかわして、後退することを繰り返しているターゲットを眺めつつ、次の作戦を考えた。じりじりと下がっていくターゲットの後方に、コンクリートの壁にしきられた、他のものよりも細い通路の入り口が覗いている。
一体、どうして、こんな迷路みたいな変な造りにしたのだろうと、レイフは、しみじみと思った。無計画に増築されていったような、壁のしきりや、不規則に分岐する通路、先に進めると思って歩いていると急にぶつかる行き止まりなど、この倉庫に踏み込んで、歩き回り、次々と場所を変えて、戦いを重ねながら、自分が巨大な迷路に迷い込んでような、ともすれば、位置や方向を見失ってしまいそうな気分にさせられた。レイフが、ここに来て、初めに見つけた、あの通路も、一体、もともとは何のために使われていたのかよく分からないものだった。他のも壁よりも分厚い壁に取り囲まれているところを見ると、可燃性の危険な薬品のボンベでも並べていたのかもしれない。実際、使用済みの古びたボンベが奥のほうに幾つか転がっていた。
「あれかい?」と、クリスターが、低い声で尋ねた。
「ああ」と、レイフ。
クリスターは、もう迷わなかった。マイクロフォンを通話に切り替え、司令室でこの戦いを固唾を呑んで見守っているだろうジェレミーを呼んだ。
「ジェレミー、聞こえるか?」
(は、はい、クリスターさん)
「いいかい、私の合図待って、この倉庫の照明の電源を切ってもらいたい。いいかい、合図のあった、その瞬間にだ」
(はいっ)
ジェレミーにも現場の緊迫感がわかるのか、余計なことを問い返すことはしない。
「さぁて、最後の総攻撃だ」
レイフは、腹をくくったように、にやりと笑って、そう呟くと、ショットガンに新たな弾薬を装填し、ピストルの挿弾子を交換した。クリスターも銃に弾を込め、サブマシンガンをフルオートに切り替えた。
兄弟は、どちらからともなく、互いを見詰め合い、そして、再び、目の前で繰り広げられる戦闘に神経を集中した。
次の瞬間、彼らは、ターゲットに対して攻撃を続ける味方の援護に加わりながら、仲間達のもとに駈け寄った。
乱戦の中、束の間はぐれてしまった指揮官二人が戻ってきたことに、仲間たちは皆ほっとしたようだ。
「いいか、これより、全ての火力を一気に集中させて、ターゲットを圧倒し、追いつめるぞ」
次の指示を待ちうける傭兵達にクリスターはそう告げて、弟の方を見、目で合図をした。
言葉をかわすこともなく兄の意向を理解したレイフは、迷わず、頷き返した。背中に背負ったMK89にそっと手をやり、確かめるかのように触れた。
「行くぞ!」と、クリスターの発した鋼のような力強い声が、最後の総力戦の火蓋を切る、合図となった。
傭兵達の攻撃が急に活発になったことに、それまで、ヴァンパイアの速度を使って縦横無尽に動きながら、器用に弾をよけ、そうして、徐々に敵の弾薬が尽きるのを持つ構えでいたカーイは、それ以上は同じ場所に留まっていられなくなって、じりじりと後退した。もう、先程のように、彼らの火器の集中砲火を浴びるのは御免だという気持ちが根底にあったので、残った弾薬の全てを使いきるつもりでいるかのような攻撃に狼狽し、恐れを感じていた。
(どうする…また天井に逃げこんでもいいけれど、あんな変な爆発物をしかけられているかと思うと、それもぞっとしない…)
それから、傭兵達の先頭に立って、指揮をしながらサブマシンガンを連射している紅い髪の男に目をとめた。少し離れた後方に、もう一人もいる。先程からタッグを組むようにして追いすがってくる、この二人には、カーイはかなり手を焼いていた。できれば、もう、あまり近くによりたくない難敵だった。一人だけなら、初めに戦った髪の短い方を追いつめた時のように、カーイがその気になれば倒せる相手だったろうが、二人になると、それがとたんに戦いにくくなった。例え、片方にいい所まで肉薄しても、必ず、もう片方が、示し合わせたような連動した動きで、それを阻止し、カーイにひと泡食わせるような攻撃を加えてくる。気のせいか、体の動きまでも、前とは別人のように早く、力に満ちていた。ヴァンパイア並みとまではいかなくても、十分人間ばなれした動きだった。
(あの二人のうちのどちらかでも倒せたら、残りの連中はそれほど苦労せずに倒せるのだろうけれど)
と、その時、丁度一番前にいて指揮を取っている長い髪の男のサブマシンガンの弾が尽きた。攻撃するには絶好のチャンスだ。新しい弾薬に交換するため銃を下ろす、その男に、カーイは、とっさに飛びかかろうとした。が、絶妙なタイミングで、駈け寄ってきたもう一人が、兄を守るような形で、カーイの苦手なショットガンで強力な散弾を連射する。カーイは、無数の散弾から慌てて身をひるがえして、後退した。全く、やりにくいことといったらない。
いつのまにかカーイは、倉庫の端の方まで追いつめられていた。またしても人間相手に撤退しなければならないようだ。だが、それも、彼らの頼みとする弾薬が尽きるまで。強力な火器という身を守る手段さえなければ、彼らとても、カーイの獲物である弱い人間達に過ぎない。
どこに逃げこむかとカーイが四方をうかがうと、右手に細い通路が伸びているのが見えた。あまり大勢が広がって侵入するわけにもいかない、その狭い横幅を見ると、彼らを誘いこむには絶好の場所かもしれない。
にもかかわらず、何故か、カーイは、そこに入りこむことを躊躇した。直感的に、そこに追いこまれることに抵抗を覚えたのだ。
だが、迷うカーイに向かって、レイフが、またしても手榴弾を投じた。カーイは、それが届く前に、その狭い通路に飛びこみ、壁にぴったりと身を押しつけるようにして、床に伏せた。数秒後に、あの閃光と、すさまじい爆風が押し寄せてきた。カーイは、両手で耳を塞いで、それをやり過ごし、すぐに起き上がると、通路の向こう側に立ち昇る火の方を睨みつけ、それから、背中を向けて、通路の奥に向かって、進んでいった。
(あの赤毛の野蛮人!ここに入ってきたら、真っ先に捕まえて、今度こそ八つ裂きにしてやる)
肌をちりちりと焦がす熱風にほとほと嫌気がさしたカーイは、そんな呪いの言葉を口の中で吐きながら、薬品が入っていたらしいダンボール箱やゴミが床の隅に転がっている雑然とした通路を、更に奥へ奥へと歩いていく。すぐ先は曲がり角になっているらしいが、一体、倉庫の中のどの辺りに通じているのだろう。ぐるりとまわって、傭兵達が待ちうけている先程のゲート前に出るなんてことにはならないだろうか。
理由の分からない不安で落ち付かない気分でそんなことを思った、次の瞬間、唐突に頭上の照明が消えた。
カーイは、びくりとなって、足を止めた。
カーイの視界は、瞬間、闇に閉ざされた。人間を遥かに超える暗視力を持つヴァンパイアといえども、順応するには、それなりの時間を必要とする。明るさに慣れていたカーイの目は、何も見ることができなくなり、人間のように、不安な気分で、視力が戻ってくるまで、そこに立ち尽くしていた。だが、やがて、徐々にもののありかが分かるようになってきて、カーイは、再び歩き出した。カーイの耳は、どうやら、追っ手が通路の中にまで入ってきて執拗に彼を追跡しだしたらしい物音を、背後に捕らえていた。しかし、まだ、彼の目は完全ではなかったので、ゆっくりと速度を落として、足下に転がっているガスボンベのようなものを用心深くさけながら、突き当たりの角を曲がった。
そこで、カーイは、はっと息を飲んだ、闇の彼方から、何者かが彼を睨み返していた。傭兵の一人が、先回りをして、カーイを待ち伏せていたのだ。
カーイは、出しぬかれたという衝撃と込み上げてくる敵意に、思わず牙をむいて、低く唸った。
何も考えず、怒りに任せて、カーイは、敵目掛けて駆け出した。すると、向こうも、彼目掛けて、猛然と突き進んでくる。望む所だった。この手で、引き裂いてくれる。凄まじい殺意を放ちながら、手を振り上げ、敵に襲いかかろうとした、次の瞬間、カーイは、急に足を止め、後ろに飛び退った。
何かがおかしいと、とっさに悟っての反応だった。
そして、カーイの敵も、同じように後ろに飛びすさった。彼と同じ動きで。
徐々に視力の戻った目を凝らして前方を見透かし、思わず、カーイはあっと小さな声をあげていた。
騙された、と愕然となった。
ガスボンベが乱雑に転がる、その先は行き止まりになっており、そして、その壁には巨大な姿見の鏡が立てかけられていたのだ。呆然と立ち尽す、カーイの姿が、その滑らかな表面にはくっきりと映されている。
まさか、こんな子供だましに引っかかるなんてとショックを受けているカーイの耳に、低い破裂音が届いた。はっと息を飲み、振り返りかけた刹那、カーイは、背中に鈍い衝撃を受けた。
被弾したと悟った瞬間、白煙がカーイの視界を白く塗りつぶした。
(スルヤ…!)
命中したMK89の40ミリ弾から飛び散った薬品が彼の体と周囲をあまねく包みこんだ。
通路の曲がり角には、暗視ゴーグルをかけ、大きなグラネードランチャーを構えたレイフの姿があった。破裂した40ミリ弾から吹き寄せてくる零下の爆風から、慌てて飛び退り、入り口で待ちうける他の仲間達のもとまで駆け戻った。
「首尾はどうだ?」
すぐさま歩みよって問いかけるクリスターに向かって、レイフは、親指をぐっと差し上げて見せながら、晴れやかな笑顔で答えた。
「やったぜ。これ以上ないってくらい、ジャストミートだったさ」
通路の奥から静かに流れてくるひんやりとした白い煙がおさまるのを待って、クリスターは、ジェレミーに命じ、照明をつけさせた。
「さぁて、奴をとっ捕まえにいこうや」
意気揚揚と先頭に立って、ずんずん通路の奥に歩いていく弟の背中を見、クリスターはうっすらと笑うと、自らもその後を追って、通路に足を踏み入れた。