愛死‐LOVE DEATH

第十四章 死闘


(そこで待っていろ。今、行く)

通信が終了しても、数瞬の間、レイフは、マイクロフォンから手を下ろそうとはせず、じっと耳を傾けていた。

ああ、やっぱり、この声だと思っていた。ヴァンパイアとの戦闘中、壁に打ちつけられて、一瞬意識を失いかけた時に聞いたと思った声。離れていても、体や意識の一部を共有しているかのように、いつも身近に感じられる、その存在。

(クリスター、早く来てくれよ)

仲間がやられて、少し気弱になっているのかもしれない。自分の力が、ことごとく通用しなかったことに、戦う意気がくじけかけているのかもしれない。弾薬が残り少ないことも、何とも、心もとなかった。

「レイフ」

呼びかけられて、そちらに顔を向けると、やはり、打ち消しがたい不安と恐怖を顔にはりつけたルフラーが、問いかけるかのごとく、レイフを見ていた。

「ああ」

指揮官である以上、部下に頼りない姿は見せられない。自らの不安を振り払って、レイフは、安心させるように、頷いてみせた。

「すぐに救援が来る。新しい弾薬と、武器を持ってな。安心しろ。もう少しの間の辛抱だ」

だが、その時、ルフラーの後ろに伸びる、通路の奥に、またしても、あの揺らめく光を認めて、レイフの顔は強張った。

(もう戻ってきやがったのか!)

彼は、瞬時に戦闘態勢を取って身構えると、生き残った仲間達に向かって、叫んだ。

「あいつが戻ってきた。ルフラー、バース、マグナス、ここはひとまず退却するぞ!」

通路の隅に横たえられた、ベンとムスタファの遺体の方に一瞥を向ける。それを見ると再び強烈な怒りをかきたてられたが、復讐心は、今は、心の隅に押しやった。僅か四人となった戦力と残り少ない弾薬という現実を、考えなければならない。味方が来るまで何とか生き延びることが、第一だ。

幸い、敵は、あの驚異的なスピードを発揮して、すぐにでも彼らに迫ってくることはなかった。何かしら、迷うかのごとく、揺らぎながら、退却していくレイフ達をゆっくりと追ってくる。

(畜生。今に、見ていやがれ…!)

レイフの気性からすると、倒したくてならない敵がそこにいるのに、退かねばならいという状況は、腹立たしくてならないものだった。だが、同時に、傭兵としての経験は、無謀な戦いを挑むよりは、引くべき時に引くことの方がより現実的で賢明だということも理解していた。生き延びれば、次の機会に戦い、勝つことも可能だからだ。

一瞬、カーイと思しき光る影に火のような目を向けると、レイフは、振り切るように背中を向け、仲間達を引き連れて、ヴァンパイアの死の追跡から逃れるべく、走り出した。 




こうして戦いの場に戻り、ハンター達を追いかけながらも、カーイの心は、戦う気分からは程遠かった。人間達の執拗な攻撃に煽られ、逆上し、我を忘れて彼らハンター達とやりやい、その時には、普段はめったに使わない、人間より遥かに優れた己の身体能力に今更ながら酔いしれ、自らが狩人であることを再認識していたのだが、それも束の間、実際にこの手で二人のハンターを餌食にした時点で、一気に熱も昂揚もさめてしまった。まるで、真新しい遊びに夢中になっていたのが、急に、おもしろいばかりでない現実を思い知らされたかのようだ。

(一体、私は何をやっているのだろう。こんなことをするために、ここに来た訳ではない…それは確かに向こうが仕掛けてきた戦いではあるし、避けようもなかったことではあるけれど…スルヤ一人を取り戻せればいいだけなのに、どうしてこんな必要のない殺しまで…)

吸血のための殺しならば、生きる為に仕方のないことと自分を納得させることもできる。だが、これは違った。カーイが用心深く立ちまわり、こんな事態に追い込まれる前に、掟にしたがって逃げていれば、避けられた殺しだ。死んだ男達の、断末魔の声が、その恐怖に凍りついた顔が、脳裏にこびりついて、離れない。ひどく気分が悪かった。あの男達にだって、愛する家族も友人もあっただろうと思うと、気が滅入って仕方がなかった。

それから、そんなふうに感じている自分に気づいて、愕然とした。   

(私は、また人間のように考えている…己がヴァンパイアだということを忘れている…)

どうして、こんなことになってしまったのだろう。人間社会に紛れこんで、一人で生きてきた時間が長すぎたのだろうか。彼らの感じ方が、身に染みついてしまったのだろうか。殺さざるを得なかった、数多の人間の愛人達に覚えた、愛情や共感や惜別や諸々の想いが、その血と共にカーイの中にも取りこまれ、少しずつ蓄積し、毒のように体中に回っていったのだろうか。カーイが本能に目覚めたばかりの無邪気な子供だったころ、ただ一人恋と狩りの日々に明け暮れて世界中を渡り歩き、古い神の一族の末裔としての誇りと自信に溢れていた頃は、こんな迷いや惑乱が、彼の心にしのび寄って来る気配もなかった。ゲームのように、時として必要のない殺しまで鮮やかにやってのけ、それを楽しみ、終ってしまえば、すぐに忘れた。一体、あの頃と今の自分とでは、何が変ってしまったのだろう。

(駄目だ、このままでは…こんな錯覚に捕らわれていては、私は、もはや血を吸う神の子ではなくなってしまう…)

そう言えば、その昔、あの輝かしいレギオンも、同じようにことをもらしていたのではなかったか。長く人間の中に混じって生きるうちに、自分が何ものであるのか、分からなくなってくると。当時のカーイは、そんなレギオンの気持ちを理解するには子供過ぎて、思いもよらぬ弱音を吐く恋人に、ただ冷たい怒りと軽蔑を覚えただけであったけれど。

(スルヤ…)

ふいに、スルヤのあどけない優しい笑顔が頭の中に、鮮やかにうかびあがった。すぐ近くにいるはずなのに、その気配も何も掴めない。果たして、無事でいるのだろうか、傷つけられてはいるまいか。それから、血にどっぷりとつかったかのような、己の右手を見下ろした。あの男達を打ち倒した時のものだ。すぐに身を翻したから、返り血はほとんど浴びていないが、何しろ素手で人間を引き裂いたのだ。その手は真っ赤に染まっているし、銃弾を浴びたおかげで、服もずたずたに穴があいている。近づけばきっと硝煙や血の匂いがぷんぷんすることだろう。自慢の髪もばさばさに乱れているし、顔つきだって、凄惨な悪魔じみたものに変わっているかもしれない。スルヤが一目見て、恐がったら、どうしよう。こんな嫌な思いまでして、必死になって助けようとしている恋人に、それで嫌われてしまったら、泣くに泣けない。

それから、こんなどうしようもないことを考えている自分に、苦笑した。何時の間にか、ハンター達を追うことすら忘れ、立ち止まっていた。

(スルヤ、あなたのせいなのかもしれませんね。私が、こんなふうに変になってしまったのは…?)

それから、にわかに顔を引き締めた。さすがに、弱い方にばかり流れていく自分の心に、危機感を覚えたのだ。このままでは、本当に自分は駄目になる。

カーイを警戒しつつ、逃げていく男達を、冷たい無表情に戻った顔で、見守った。彼らは、必死で撤退しているのだろうが、カーイにとっては、その動きは、あまりに緩慢で、瞬時に追いつき、追いつめられるものだった。武器によって強化されているとはいえ、その能力も、カーイには遥かに及ばない。その気になれば、もっと早くに殲滅できたのだ。カーイの中に、躊躇いと甘さがあったから、ここまで手間取ってしまった。

本当に、何て脆い生き物達。カーイとは、違う。彼は、ヴァンパイア、生まれながらに、人間を餌食にして生きる捕食者なのだ。

(今度こそ、逃がさない。これで、終らせてやる)

カーイは、再び己の血を奮い立たせ、視界の中、遠くに去りつつある獲物達を見据えた。その唇がまくれあがり、真珠色にきらめく鋭い牙が顕わになる。

狩人が血を嫌っていては話にならない。あの人間達全員を血祭りに上げて、その血を全身に浴び、浸ることで、かつての自分を取り戻してやる、なくしかけている本能を呼び起こしてやる。

そして、カーイは、動いた。




ごおっという突風が吹き寄せてくるかのような音に、レイフは、ヴァンパイアの襲撃を悟った。

「バース!」

すぐ横を走っている仲間に向かって叫び、体当たりするかのようにして、二人して、床を転がった。間一発、バースがいた場所を、何かが目にもとまらぬスピードで駆け抜けていく。

息を飲んで立ち止まる傭兵たちの前で、それも動きを止めた。鳥の翼めいて広がった長い髪が、ふわりとその背中に滑り落ちる。あれほどの攻撃を受けても、少しもこたえているように見えないが、構えるように半ば上げられた右手が血に汚れていることと、銃の連射を何度も受けた胸の辺りの布地がずたずたに傷んでいることが、凄絶な修羅場をくぐりぬけてきたことを充分に物語っていた。美しい顔には敵意がみなぎり、薄く開いた唇からは紛れもない牙が覗いて、無言のうちに、レイフ達を威嚇していた。

(くそっ)

床からすぐに飛び起き、ライフルをカーイの胸にぴたりと当てながら、レイフは、退路も立たれ、それ以前に、この相手が本気を出せば、どうあっても逃げることなどできないということを思い知らされていた。となれば、後は戦うしかないが、残り少ない弾薬が、どこまで続くだろう。弾が尽きれば、後は、この信じられない力を持つ化け物に八つ裂きにされるだけだ。まさに万事休すという気分だった。だが、黙っておとなしくやられる気にはならないし、救援さえ着けば、こちらの戦力は一気に増し、勝機もぐんと増すはずだ。

それまで、持ちこたえさえすれば。

(クリスター、間に合わせてくれよっ!)

レイフは、決死の思いに顔を引き締めて、ライフルのトリガーにかけた指にぐっと力を入れた。

激しい乱射戦が、始まった。

「いいか、接近戦には持ちこむなよ!あいつの手に捕まったら、ベン達みたいにずたずたにされちまうからなっ」

そう言うレイフも二回ばかり捕まったが、何とか逃げられたのは、たぶん運がよかったからだろう。ただ、今度捕まったら、おしまいだという気はしていた。ターゲットが放つ殺気が、今までとは全く異なっていたからだ。初めから、あまり戦い慣れている相手とは思えず、レイフ達の攻撃に対して素早く反応はするものの、何がなんでも相手を追いつめ仕留めようという気迫は感じられなかったのが、今は、本気になっていた。それが、数々の戦場をくぐりぬけてきたレイフをして、かつてない程の戦慄を覚えさせた。

勝てないかもしれない。

四人の男達は、群れからはぐれたらたちまち肉食獣の餌食になることを知っている獣のように、互いから離れず、自分達の周囲を、そこにいたと思えば、次の瞬間には別の場所にと移動しながら、攻撃の機会を覗っているヴァンパイアに、必死に応戦していた。

すると、レイフの隣で、正確な射撃でピストルを撃っていたマグナスが、舌打ちをした。どうやら、ついに弾を使いきったらしい。

「マグナス、俺の腰のパラ・オーディナンスを使え…」

レイフが言い終えるより先に、それまで周囲を回転しながら様子をうかがっているだけだったカーイが、いきなり、飛びこんで来た。どうやら、銃弾がつきてきたことを悟ったらしい。ナイフ以外は戦う武器を持たなくなったマグナスに一気に襲い掛かって、その腕を捕らえこみ、仲間たちから引きずり離した。電光石火の動きに、傭兵たちは防ぎきれなかったが、レイフがすぐに後を追った。

「マグナスを離せ!」

抜き放ったナイフで切りつけようとするマグナスの手から凶器を弾き飛ばし、血の塗れた右手をその頭に振り下ろそうとするカーイ狙って、レイフは、ライフルを撃った。被弾したらしい、カーイの腕の力が一瞬緩んだ隙に、マグナスは、その手を振り解いて、逃れた。

「こっちに来いっ、化け物!」

味方が逃げ切れるように、そう叫んだレイフは、すぐに、そんな考えなしの挑発を後悔した。カーイの、殺気を放って青く光る目が、レイフを振りかえり、捕らえたからだ。

(やばいっ!)

レイフは、ライフルを撃った。しかし、今度は、カーイは、銃弾を易々とかわして、レイフの懐に飛びこんできた。腕と肩を捕らえられた、と思った途端に、レイフの視界が回転した。すごい力で投げ飛ばされたらしいと気がついたのは、すぐ後ろの壁に激突した瞬間だ。反射的に受身の姿勢を取っていたため、致命的なダメージは受けていなかったが、それでも、衝撃に頭がぐらぐらした。一体、この馬鹿力の化け物に壁にぶち当てられるのは、もうこれで何回目なのだろう。全身青痣だらけになるに違いないし、骨にもひびくらいは入っているかもしれない。

「畜生…」

壁に背中を押しつけて、レイフは何とか立ちあがった。ライフルは、投げ飛ばされた時に、落としてしまった。代わりにガン・ホルスターからぬいたパラ・オーディナンスを、続け様に数発、近づこうとするカーイ目がけて、撃った。が、カチリと軽い音がして、ついに弾が尽きたことをレイフは悟った。予備の挿弾子はもうない。

すべての武器をなくしたレイフを見つめる、ヴァンパイアの白い顔に、酷薄な笑みが広がっていくのを、レイフは、背中に冷たい汗が流れ落ちるのを意識しながら、睨みすえていた。

ついに、万策は尽きた。このまま、あの細いくせに恐るべき力を秘めた手に引き裂かれて、死ぬしかないのか。

レイフに向かって、カーイの足が一歩踏み出された。レイフは、死の一撃が打ち寄せてくるのを予想して身構え、最後の力を振り絞って反撃するつもりで、ぎゅっと拳を握り締めた。

その時、レイフの耳は捕らえた。コンクリートの床を蹴る、複数の足音が次第に近づき、何時の間にか、すぐ傍にまで迫ってきていた。

カーイも振り上げかけた手を下ろして、そちらを振りかえった。その目は、この広い通路の突き当りを回りこんで、駆けよってくる武装した男達を捕らえていた。

新手だった。

鋭いものが空を切る音を聞いて、カーイは、そちらを吹きかえりざま、体をずらして、避けた。レイフの手刀が、カーイの体のすれすれの所をかすめ、ついで、その蹴りが頭を襲った。カーイは、怒りに任せて、その攻撃を体ごと振り払った。レイフは壁とは反対側に弾き飛ばされて、駆けつけた味方の方に向かって、床を転がっていった。

カーイは、その後を追いかけた。どうしても、ここでこの男にとどめを刺さなければというような強迫観念めいた思いにかられていた。だが、その目の前に、飛び出してきた、別の影があった。打ちつけた腕を庇うように床にうずくまるレイフの脇を駆けぬけざま、その肩に軽く触れ、カーイの前に立ちはだかるようにして、大型のショットガンを構えた。

その姿を見て、一瞬カーイは目を丸くした。それから、その後ろにいる、今まで戦っていた赤毛のハンターとこの新手のハンターの顔を交互に見比べる。何ということだろう、そっくり同じ顔が二つある。

「私の弟を傷め付けるのは、そのくらいにしてもらえないか」

低く押さえた声で、そう告げて、クリスターは、一瞬の迷いもない的確さで、カーイの胸目掛けて、SPAS−12の引き金を引いた。セミオートマチックにセットされていた大型ショットガンから、12発のダブル・オー弾が一気に連射される。その一発ごとに鉛の弾が8個入っており、至近距離だと、一発で人間の胴体を吹っ飛ばせるという強力な火器だ。

銃口から迸る火を見たと思った瞬間、痛みと衝撃がカーイを引き裂いた。これまでの戦いの中で、どんな苛烈な攻撃にも耐え、受け流してきた、自分の唇から、初めて悲鳴があがるのを、カーイは、まるで他人の声を聞くような遠い心地で呆然と聞いていた。


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