愛死−LOVE DEATH

第十三章 ワルキューレ 


クリスターは、腕時計を見下ろした。そろそろ、いつ客人が現れてもおかしくない時間だ。

今、この司令室にいるのは、彼の他に、助手のジェレミーも含めた傭兵が4人、そして、部屋の隅の長椅子に寝かされたスルヤとそれに付き添うスティーブン、別の隅に立ち、部屋にいる他の連中に敵意を込めた眼差しを向けているパリーだ。

クリスターは、目の前の、壁一面を埋め尽すような監視カメラのモニターやセンサーが支障なく働いているのかをさっと見渡してチェックした。この工場の警備室は、コックス会長の屋敷のそれによく似ている。それも当然で、クリスターが提案したセキュリティシステムを導入していたのだ。もっとも、新システムを取り入れてすぐに、この工場兼研究施設は閉鎖の憂き目にあってしまったので、実際に稼動することはなかったのだが。

クリスターにとっては、だから、非常に扱いやすく、今度のミッション向けの仕掛けも取り入れやすいシステムだった。ターゲットの出現に備えて、運動及び熱センサーのスイッチも既にいれてある。暗視用にも切り替え可能なカメラは、この広大な施設のほとんど全ての部屋という部屋、空間という空間を監視できるよう設置されており、例えどこから侵入されても、すぐにその位置が補足できるようになっていた。

隣の部屋で、他の傭兵達と一緒に、装備の点検をしていたレイフが戻ってきた。

「なあ…そろそろだよな?」

モニターの前の椅子に泰然と腰をかけて、じっと考えを巡らせている兄の後ろに立ち、その後ろに束ねた長い髪を軽く掴んで引っ張りながら、囁く。

「どうしたんだい?落ちつかないようだね?」

髪を引く手をそっと取って頭から離しながら、クリスターは、椅子を回して、レイフの方に向き直った。それから、レイフの胸に、丁度心臓の上辺りに手を置いて、その鼓動を確かめるような仕草をした。

「珍しいね。おまえが、戦闘前にそんなふうに緊張するなんて」 

「ちよっとぞくぞくしているだけだよ。大体、兄貴だって、同じだろ」と、レイフは、不満気に言い返した。 

「いつもより随分力が入っているじゃないか。何だって、あのターゲットにそんなにこだわるんだよ。確かにちょっと変わった相手だけれど、獲物は所詮獲物に過ぎないんだ。強いか弱いかだけの違いしかないんだよ。戦う相手に対して、あまり余計なことを考えんなよ」

クリスターは、僅かに驚いたように、目を瞬かせた。

「私が?」

それから、首を傾げて、考えこんだ。

「そうかもしれないね。気をつけるよ」

あっさりそう答える兄に、レイフは安堵したような顔をした。大丈夫。クリスターは、いつもと変わらず冷静沈着だ。

「ベンや、他の連中の様子は、どうだい?」

「ああ、いつでも来やがれって意気込んでるぜ。武器の制限については、もっと不満が出るかとも思ったんだけれど、たった一人仕留めるには、今の装備でも充分すぎるくらいだって、皆問題にしてないみたいだな」

「おまえも、そう思う?」

「そう思いたいけれど…分からねぇよ。常識的に考えれば、勝てないはずがないんだけれど、オレは、ほんのちょっとだけれど、あいつと接触したから…案外てこずるかもしれない、そう感じてる」

「てこずるかもしれないとは、私も考えるけれどね。でも、おまえだって、自分の力が全く通用しないなんて悲観しているわけではないんだろう?大丈夫、私とおまえが組んでいるんだ、勝てるよ」

「うん」

素直に賛同する弟の腕を軽く叩いて、クリスターは、椅子から立ち上がった。

「さて…」

以前意識を取り戻さないスルヤの傍から離れず、話し合う双子に用心深い視線を送っていたスティーブンは、クリスターが、自分達の方にいきなり注意を向けたことに、はっと緊張した。

「君の友人は、どんな具合だい?」 

ゆったりと近づいてくるクリスターに、スティーブンは、無言のまま、身構えた。レイフが、心配そうに、その様子を見ている。

「まだ一向に目が覚める気配はないようだね。薬が聞きやすい体質なのかな」

レイフのジャケットを体にかけてもらって、昏々と眠りつづけるスルヤの顔をクリスターは、長身の身をかがめるようにして、覗き込んだ。スティーブンは、唇を噛み締めて、威嚇するように睨みつけている。もっとも、スティーブンの敵意など、クリスターは、そよ風くらいにしか感じていないようだった。

「だが、時間を考えると、そろそろ薬の効果は切れてくるはずだから、念の為、もう少し催眠剤を追加投与させてもらうよ」

「えっ?」

スティーブンが動揺して椅子から立ちあがりかけるのを無視して、クリスターは、弟に呼びかけ、注射器と薬品の入ったアンプル等を乗せたトレーを持ってこさせた。

「な、何をするんだ?!」

クリスターが、無抵抗なスルヤの腕を取って、袖を捲り上げるのに、スティーブンは気色ばんだ。それを、素早く彼らの傍にやってきたレイフが、なだめるように片手で押さえる。

「落ちつけよ、スティーブン。大丈夫だからさ」

兄に薬品のトレーを渡しながら、そう囁くレイフを、スティーブンは、きっと見据えた。

「何が、大丈夫、だ!スルヤにこれ以上、何をしようっていうんだ?!」

「別に、何も」と、クリスターが、答えた。

「ただ眠っていてもらうだけだよ。ターゲットがここに来たら、この子には、騒がずにじっとおとなしくしていてもらいたいんだ。まさかとは思うけれど、相手は我々の想像を超えた怪物だからね。気がついたこの子が、自分の置かれている状況にパニックを起こして、泣いたり、叫んだりしたら…それで、ターゲットにこの子の隠されている場所が見つかってしまうなんてことも、起こり得るかもしれないからね」

むき出しにしたスルヤの腕を、アルコールを染みこませた脱脂綿で消毒しながら、クリスターは、鼻で微かに笑った。

「…細い腕だな。余計なことかもしれないが、もう少し鍛えた方がいいのではないかな、この坊やは。他人はおろか、自分の身一つ、これではまともに守れないだろう」

そうして、素早くアンプルから薬液を注射器に吸い上げ、空気をぬくと、スルヤの腕にすっと針を沈みこませた。深い眠りに捕らわれたスルヤは、ピクリとも動かない。

再び暴れようとするスティーブンを、レイフが、辛抱強く押さえ付けた。

「心配ないって。言っただろう、眠ってもらうだけだって。それに、その方が、この子のためでもあるんだぜ。こんな修羅場で気がついて、余計なストレスを覚えるよりは、何も知らないですやすや眠っている間にことが終っている方が、よっぽど幸せじゃないか、なぁ」 

スティーブンは、レイフの腕を振り解き、その顔を激しくねめつけ、それから、もうこの双子と顔をつき合わせていることには耐え難いというように、背を向けた。

「終ったよ、スティーブン」と、クリスターの冷めた声が、彼の背中に届いた。

「これで、ミッション中に、この子が、うっかり起きてしまうということはないだろう。その代わり、何か起こっても、自力では逃げることもできない。君が、しっかり守ってやることだ。この子を巻きこんでしまったことに対する罪滅ぼしをと考えるならね」

「そんなことは、言われなくても分かっている!」

クリスターは、傍らに佇むレイフに向けて、軽く肩をすくめてみせた。

突然、監視システムの方から、鋭い警告音が鳴り響いた。

クリスターとレイフは、さっと目を見交わすと、無言のまま、熱及び運動感知装置に素早く駈け寄った。 

スティーブンも、はっと息を飲んで、そちらを振りかえった。同じ室内にいた傭兵達も、憮然とした面持ちのパリーまでもが、その瞬間、注意をそちらに向け、次に起こることを、固唾を飲んで見守った。

コンピュータースクリーンを兄の後ろから覗き込んでいたレイフが、ジェレミーや傭兵仲間達に顔を向けて、親指をぐっと上げて見せながら、言った。

「御到着のようだぜ」

センサーは、スクリーン上の建物の見取り図の内部で点滅する光を示していた。

「工場の方だね。南側の玄関から堂々と入ってきたよ…Fセクション5ポイント、ほら、監視カメラにも映っている」

クリスターが指で指し示した壁面のスクリーンの一つには、確かに侵入者の姿がはっきりと映し出されていた。黒のロングコートのポケットに両手を突っ込んで、ためらいのない足取りで、人気のない廊下を更に奥を目指して歩いていく。彼が移動するにつれ、カメラは順番に切り替わって、その姿を追いつづけた。

「ターゲットが現れたんだってな?」と、隣の部屋で控えていたベン達も、司令室に入って来た。

「ああ、今カメラで見ているところだ」と、レイフが差し招くのに、興味津々で傭兵達はスクリーンの前に集まった。

「全然警戒してないみたいだな」

「俺達が待ちうけているってことに気づいてないんだろう」

何の不安も恐れも感じさせない、滑るように優雅な動きで内部に入りこんでいく侵入者の姿に、闘争心にあふれた百戦錬磨の傭兵達は、些か鼻白んだようだった。

侵入者は、廊下が分かれた時にどちらに進むべきか迷うように少しの間立ち止まったり、あるいは、何かの物音や気配が感じ取れはしないかというように束の間首を傾げて耳を澄またりしながら、何かを探しているようだった。 

「それにしてもさ」と、傭兵達の一人が、声を低めて、隣の仲間に耳打ちした。

「すげえ美人だよな…男だとは分かっていても、クラクラするくらいじゃないか。あんなのを襲って捕まえるなんて…ちよっとぞくぞくするっていうか、妙な気分だな」

スクリーン前の椅子に腰を下ろして、鋭い眼差しで、動くターゲットの一挙手一投足を観察していたクリスターも、「ああ」と、その点については、賛成した。

「確かに、美しいね」

後ろでレイフが微かに息を吸いこむ音を聞いて、クリスターは、どうやら弟もそのことに気がついたのだと知った。クリスターの唇に笑みがうかんだ。

「けれど、見かけ通りの相手だと思うと、痛い目を見るかもしれないよ。第一、無防備どころか、我々が監視していることにもちゃんと気づいているよ、彼」

瞬間、カメラからターゲットの姿が消えた。

「えっ…どこに行ったんだ、あいつ…?」

緊張した面持ちのジェレミーがそう呟いて、スクリーンの方に一歩進み出ようとした時、カメラは、侵入者の顔を大写しで捕らえた。ジェレミーは息を吸いこみ、傭兵達もぎょっとした。気がついていないとばかり思っていた相手は、今、しっかりと監視カメラの一つを捕らえこみ、それを通して彼らを睨みつけている。それから、誰もが、はっと思い至った。ここの監視カメラは、天井に広角レンズを残して本体は埋めこまれるような形で設置されている。こんなふうにカメラに近づくことは、脚立でも使ってよじ登らないことには無理なのだ。

「ああ」と、一人冷静なクリスターが言った。

「スティーブンの言ったとおりだね。宙にうかぶことも彼はできるんだね」

傭兵達は、思わず顔を見合わせた。

クリスターが、目を細めるようにして、スクリーンの中の厳しいカーイの顔を見守るうちに、その唇が動いた。

「何か言っていやがるな…音声が聞こえないのは、残念だけど」と、レイフが、首を傾げた。

「…私達に対する警告だよ」と、どうやら、カーイの唇の動きを読み取ったらしい、クリスターが言った。

「スルヤを返しなさい、と言っている。素直に応じるならこちらもおとなしく引き下がるが、そうでないなら、今度は間違いなく殺す…随分怒っているようだね、彼」

そうして、部屋の片隅に取り残されたまま、自分達の方を、警戒を込めた眼差しで睨んでいるスティーブンと、彼の後ろに守られるように眠りこんでいるスルヤを、ちらりと見やった。

「ふん、上等じゃねぇか」と、レイフが、獰猛に目を細め、唇を舐めた。どうやら、カーイの挑戦は、彼の闘争心に火をつけたようだった。

カメラから、またしても、カーイの姿が消えた。クリスターは、僅かに目を見開いた。

「Fセクションからターゲット、消失…」

続いて、センサーが、ターゲットが、つい今しがたまでいた位置から、瞬時に移動して、上の階に現れたことを知らせた。

「壁を抜けて移動できるというのも、本当だったようだね」

心底感心したように、クリスターは呟いた。カーイの能力がこんなふうに実際に証明されていく様を見ることが楽しくて仕方ないというかのように、その声は、いつもより、弾んだものになっている。

「ターゲットの現在位置は、Gセクション4ポイント…レイフ」

兄の呼びかけに、レイフは、「よっしゃ!」と威勢よく答えてその肩を軽く叩いた。そうして、待ちうける傭兵達につかつかと近づき、戦える喜びに目を輝かせながら、吠えるように宣言した。

「これより、俺達捕獲部隊は、ターゲットを攻撃、捕獲する!いいか、相手は殺しても死なねぇ化け物だ、生け捕りにしなきゃいけないからって遠慮するな。戦場でやるのと同じことだ、動けなくなるまで、弾ぁ、ぶちこんでやればいい。さあ、行くぞ!」 

傭兵達は、おおっと意気盛んな歓声をあげて、答えた。そうして、レイフと、彼に率いられる先発隊の6人が、司令室を離れ、ターゲットを仕留めるべく、現場へと向かった。

「父さん、気をつけて」と、息子のジェレミーが呼びかけるのに、先発隊の一人であるベンは照れたように笑い、「おまえもな。まあ、あまり無茶はしないで、今日は勉強するくらいのつもりでクリスターにぴったりとついてろ」と言って、背を向け、仲間達を追いかけていった。

黒い戦闘服に身を包み、ライフルやピストルで武装した、戦闘のプロ集団が、カーイの捕獲のために出撃していくのを、スティーブンは黙って見送っていたが、急に、訳もない、焦燥感が込み上げて来るのを覚えた。

武装した男達の前に、血を流して、倒れたカーイ。あの夢が、ついに現実化しようとしているのか。

スティーブンの仇敵。そして、神。

一瞬、己の中の激しい欲求を抑えかねたかのように、傭兵達が消えていったドアに向かって、足を踏み出そうとしかけたが、視界に入ったスルヤの姿、あまりにも無防備で、スティーブンしか守る者のいない、か弱い友人の様子に、その足も途中で止まった。

駄目だ。ここから、動けない。

(カーイ…)

スティーブンは、唇をきつく噛み締めると、クリスターや残った傭兵達が集まっているスクリーンの方に、近づいていった。

クリスターも、他の誰もスティーブンに注意を向ける者はいない。それ程に、今は、皆、監視カメラに再び捕らえられた獲物の姿に、そして、じきに始まるだろう戦いに心を奪われていた。

傭兵達の後ろに立ったスティーブンの目も、スクリーンの一つにはっきりと映る、カーイの姿に釘づけとなった。本当に、ここまで、来てしまったのだ。

スルヤを取り戻す為に、スティーブンの誘いにわざわざ乗って、この危険な罠の中に飛び込んで来た。

(馬鹿だ、カーイ…怪しいとは思ったんだろう?だったら、進んで罠にかかったりなどせず、さっさとロンドンから逃げてしまえばよかったんだ。そんなに、あんたにとっては、スルヤは大事な存在なのか…いずれ殺すと、あんた自身が言った相手なのに…)

スティーブンの手は無意識のうちに上がって、その胸元を激しく掴みしめていた。まるで、そうすることで、己の胸の中で焼きつく火を鎮めようと、空しく試みているかのようだった。


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