愛死−LOVE DEATH

第十一章 双獣


この屋敷の警備員詰所にはちょっとした広間と言ってよいようなかなり広い部屋があてられていたが、壁の一面に設置された数多くのスクリーンとコンピューターや様々な機器がつめこまれている為、実際には窮屈なくらいに感じられる。  

広大な屋敷の内部をくまなく監視が行き届くように設置されたカメラは、通常のものだけでなく暗視及び赤外線カメラに切りかえることもできる。それらカメラが正常に作動するか一つずつチェックするのはなかなか根気のいる仕事だったが、クリスターの的確な指示のもと作業は効率よく進み、ようやく最後のカメラチェックが終った所で、今日の仕事は全て終了となった。

作業員達が出ていった後も、クリスターは一人残って、機器の調整を行なっていた。そこへ、作業員達と入れ代わるように中に入ってきたのは、ベンの息子のジェレミーだ。

個人邸宅のセキュリティーシステムにしては、カメラの数一つとっても厳重過ぎる、この部屋の有様に一瞬ひるんだように立ち尽くした後、感嘆したような溜め息をもらした。

「すごい…軍事施設並みですね…。このセンサーは、何です…?」

操作していたコンピューターの画面から顔を上げ、どことなく冷めた声でクリスターは言った。

「屋敷の周囲に設置した、運動及び熱センサーだよ。今は、スイッチは切ってあるけれどね」

「これだけのシステムを設置したら、文字通り蟻が入り込む隙間もないですよね」

「さあ、どうかな…」

視線を再び操作パネルの上に落としながら、淡々と事実を述べるように、クリスターは答えた。

「侵入者を防ぐ、あるいは内部からの脱出を妨げるということは、今回は、初めからあまり念頭には置いてないんだ。どうやら、それは不可能の相手のようだから。その代わり、相手の位置や動きはすぐに捕捉できるようなシステムにしてみたんだよ」

「それって、例の吸血鬼を捕まえたら、ここに連れて来るってことなんですか?」

「ここは、町中から離れていて、万一不測の事態が起こった場合でも、世間に知られずに対処しやすいし、それに、何より、会長があれをすぐ傍に連れて来て欲しがっているからね」

端正な顔に、うっすらと苦笑めいた影がうかんだ。

「その吸血鬼って、本当に…ううん…壁を抜けるなんて聞かされても、何だか信じられない気分です」

「それは、私もこの目で見たわけじゃないからね。あのスティーブンの言葉をそのまま信じるなら、そういうことだけれど」

「それなのに、こんなに大掛かりな準備をするんですね。たった一人を誘拐する為に、あんなすごい報奨金まで出して、世界各地から傭兵を雇って…俺なんか、例え相手が人間でなかったとしても、一人のためにそこまでする必要があるのだろうかと、少し思うんですが」

「ああ…」

クリスターは、もっともだと言うように頷いた。 

「君の疑問は分かるよ。けれどね、今回のターゲットに関しては、その能力は未知数だけれど、いずれにせよ、過小評価はしないことにしているんだ。アタックの機会は一度きりだと考えている。失敗して、それで、警戒したターゲットが姿をくらましたら、それきりだからね。追跡して、再び発見するのは困難だろう。そのくらいなら、初めから、手はぬかないで、重装備でかかった方が効率的だろう?コックス会長にとっても、これが最後の機会なんだ。装備も、それにかかる資金も、惜しむ理由などないんだよ」

ジェレミーは、クリスターが作業中のコンピューターの操作画面や、その横の機器に興味津々の視線をこっそりと送っていた。それから、ジェレミーの存在など、その辺の機械の一部と同じくらいに意識もしていないクリスターの、僅かに目を細めるようにして、コンピューター画面に走る数字を追っている、怜悧な顔をうかがった。

「あの…」と、意を決したように、ベンは口を開いた。

「父から、オルソンさんのことは、よく聞かされていたんです。数多くの戦場で、色んな外人兵士を見てきたけれど、その中でも、オルソン兄弟ほど優れた戦士はいなかったって」

「ベンにそう言ってもらえるなんて、光栄だよ」と、特に心を揺さぶられたようでもなく、クリスターは言った。

「父の命を、お二人が助けてくれたこともあるそうですね」

「私達が?」

機器を操作する手をとめて、クリスターは顔を上げた。

「そんなことがあったかな…すまないが、覚えていないな」

怪訝そうに首を傾げる。

「コロンビア軍のゲリラ掃討作戦で…まだお二人は、軍を辞めて傭兵を始めたばかりのころだったと」

「そう言えば、初めて彼と会ったのが、コロンビアの外国人部隊でだったかな。同じ小隊にいたんだね」

クリスターの関心を引けたのが嬉しくて、ジェレミーは、無邪気に笑った。父親の話を聞いた時から、ずっとこの兄弟と話してみたかったのだ。

ジェレミーの母と離婚後、世界中の紛争地帯を傭兵として渡り歩きながら、たまに思い出したように故郷に帰ってくるベンは、平和な暮らしの中では想像もできない戦場でのすごい体験を息子に語って聞かせた。今度こそ引退すると言って戻ってきたのは僅か半年前で、そこで教えられたのがオルソン兄弟の名前だ。腕っ節が強い戦士の話なら、今までも数限りなく教えられてきたが、ベンが彼らを気にいっているのは、それだけが理由ではなかった。

「あいつらはな、何というか、とても興味深い奴らなんだ。というのは、一人だけでももちろん目をむくくらいに強いんだが、銃撃戦なんかで二人が「バディ」として組むとまた戦闘能力がぐんとあがりやがる。ツーカーっていうか、一種のテレパシーでもあるんじゃないかってくらいに、言葉なんかかけあわなくても見事な連動ぶりでな、傍で見ていて、舌を巻くくらいだった」

そんな双子が傍にいてくれたおかげで命拾いをしたとも、ベンは語った。それは、密林の中に隠れ潜むゲリラの拠点の一つと黙される集落を叩く作戦で、ベンは双子の片割れのレイフと同じ分隊にいて、第一波として襲撃をかけるはずだったのだが、敵に気づかれていたらしく、逆に後ろから回りこまれ攻撃されてしまった。彼らの分隊は後続する他の隊とも切り離され、密林の中に散り散りばらばらに逃げこむしかなかった。そして、気がつけば、ベンはレイフともう一人の兵士の三人だけで、密林の中、立ち尽くしていた。完全にロストの状態だった。地磁気に異常がある場所だったのか、コンパスさえ役に立たず、他の隊とのランデブーポイントはおろか、自分たちがどこにいるのかも皆目分からなくなっていた。 

「あの時は焦ったなぁ。味方の位置を確認したくても、銃声の一つも聞こえてこなくてな、どうやら、ゲリラどもは俺達に一発泡を食らわせた後は、後続が来る前にさっさと脱出したらしいんだな。密林の中のことだし、生きているか死んでいるかも分からない傭兵を探す手間などかけてはもらえない。自力で帰りつくか、でなければ、密林の中をさまよい歩いた挙句、獣の餌食になるか、ゲリラに見つかって殺されるかしかなかったのさ。で、どうするって話になってさ、レイフが言いやがったんだ、帰りつけると思うって。けれど、どうやって?自分らの位置も分からないのに、撤退する為に動いている本隊をどうやって探し当てるんだって聞いても、レイフは、説明しにくそうな顔をするばかりでさ、他にあてはないんだから、いいから、とにかくついて来いって言うんだよ。仕方ないから、その通りにしたわけさ。迷子になった状態で途方にくれて立ち尽しているよりは、まだしも帰りつこうと歩いている方が、気分的にましだったしな。けれど、レイフの言葉など、信じていたわけじゃなかった。そのレイフは、時々立ち止まって、確認するように周囲をぐるりと見渡したりしていたけれど、迷っているという感じはなかったな。不思議なんだが、本当にどこをどう行けば戻れるのか分かっているかのようだった。俺達は半日歩きつづけた…そしてさ、本当に本隊を見つけちまったんだよ!嘘だろうって思ったけれど、本当に帰れたんだな。本隊の連中も驚いていた。結局行方知れずになった第一分隊で、帰って来れたのは、俺達だけだったんだ。もう、レイフ様様だったぜ。無事にキャンプに帰りついた後、礼を言おうと思ってレイフを探したら、奴は兄貴と一緒に近くのバーで飲んでた。それまで、クリスターとはあまり話したことはなかったんだが、俺の奢りで三人で飲んでさ、かなり打ち解けた雰囲気になったところで、聞いたんだよ。レイフ、どうして、本隊の位置が分かったんだって。そしたらさ、奴はにやりと笑って、傍らの兄貴の方を見ながら、当然のことのように答えたんだ。オレは本隊の場所なんか、これっぽっちも分かってなかった。けれどさ、こいつがどこにいるのか、どうやったら、こいつの居場所に辿りつけるのかなら、いつだって分かるんだ、と。冗談かと初めは思ったが、どうやら本当らしいんだな。つまりさ、本隊にいるクリスターを追いかけていたんだよ、奴は。まるで離れていても引き合う磁石の両極みたいに、あいつらの間には、特別な何かがあるんだろうな」

ジェレミーの話を聞き終わった後、しばらく、クリスターは無言で、眼差しを伏せ、何か思い巡らせているようだった。

「…ベンは、話を面白くするために誇張してしまう癖があるんだよ」と、やれやれというように溜め息をついて、言った。

「でも、ちゃんと本隊に帰り付けたというのは本当なんでしょう?」

「あれは、戦場でもあれば密林の中でもある、極限の、とても特殊な状況下で起こった特別なケースで、あんなことがしょっちゅう起こっているなんて思わないで欲しいな。私には、今弟がどこで何をしているかなんて、分からないし、そんなことまでいちいち分かっていたら、神経がもたないよ」

「ねえ、レイフさんが怪我をして、それでクリスターさんも痛くなったこととかあるんじゃないですか?」

会話の中で、とっつきにくい印象のクリスターが少し打ち解けてきたように思えて、ジェレミーも緊張を次第に解いてきて、そんなことを聞いてみたのだが、少し調子に乗りすぎたようだった。

「ジェレミー…」

ほとんど優しいといっていいくらいの穏やかな声なのに、呼びかけられた途端、ジェレミーは、びくりと震えあがった。

クリスターは、コンピューターを操作するためにかけていた眼鏡をゆっくりとはずし、顎に軽く指を添えるようにして、緊張して身を固くする若者を見据えた。目尻のすっと切れあがったアーモンド形の双眸は美しいが、こんなふうに細められると、危険な肉食獣めいた凄みが増して、見る者を射すくめる。

「世の中には、双子というだけで、変な好奇の目で見たり勝手な憶測を膨らませる連中がいる。特に私達のように、大人になっても、仕事も生活もすべて、ほとんど一緒にしているとね。それで嫌な思いをしたことが、今までなかったわけではないんだよ」

「す、すみません…立ち入ったことを聞きました…」

ジェレミーが真っ赤な顔をして、しどろもどろになりながら謝るのに、クリスターは、表情をやわらげて、頷いた。ジェレミーは、恐々その様子をうかがいながら、どうしよう機嫌を損ねてしまったと途方に暮れていた。こんなはずではなかったのに。クリスターと打ち解けて、気にいってもらって、彼のするプロの仕事を間近で見られる機会を持ちたいと思っていたのに。

「ジェレミー」

「は、はいっ!」

クリスターは、僅かに首を傾げるようにして、若者の紅潮した顔を、しみじみと眺めた。

「ねえ、どうして傭兵になどなろうと考えたんだい?君のお母さんは、どんなにか哀しみ、必死になって止めただろう。確か、大学にも行っていたんだよね、君は。学校を出て、普通のちゃんとした仕事についた方が君のためだよ。ベンは教えなかったのかな。傭兵なんて、きついし、汚いし、給料は安いし、職業などとおこがましくも言えるようなものではないんだよ。今からでも遅くないから、お母さんの待つ家に帰りなさい」

こんな説教じみたことをいきなり言われて、ジェレミーは相当面食らった。これが、クリスター相手でなければ、自分がどんな道を選ぼうと自由だろうと反抗的に言い返したかもしれないが、さすがに恐くてできなかった。しかし、

「傭兵なんかろくな仕事じゃないって…それを、クリスターさんが言うんですか…?」 

あまりにも意外であったので、むしろ不思議に思って、問い返した。

「それじゃあ、どうして、あなたたちは、そんなきつくて割にあわない仕事をするために、戦場を渡り歩いてきたんです…。体をはって、いつ死ぬか分からない状況の中に自分から進んで飛び込んでいこうとするのは、そこでしか得られない何かがあるからでしょう?」

ジェレミーの言葉に、クリスターは面白そうに片方の眉を軽く跳ね上げ、腕を組んで、椅子の背もたれに持たれかかった。また、余計なことを言って、生意気な奴だと思われただろうかと、ジェレミーは冷や冷やしていた。

「脳内麻薬のせいだよ」と、唐突にクリスターは言った。

「は…のうない…え、何です…?」 

聞きなれない言葉を聞いて、ジェレミーは目をぱちぱちさせた。一瞬何の話か理解できずに、もしかして冗談を言われているのではないかと疑ったくらいだが、クリスターは、いかにも真面目な顔つきで頷いて、語り始めた。

「我々の脳内に存在する神経伝達物質の一種だよ。エンドルフィン類と言われるそれらの物質はモルヒネと似た構造を持ち、脳のオピオイドレセプターに結合することで人間に快感を覚えさせる。一種の鎮痛、鎮静作用があって、人が痛みや苦痛や疲労を覚える時に分泌され、苦しみをやわらげ、その状態を乗り切るよう助けてくれるわけなんだ。例えば、マラソン選手が、長時間走り続けて体の痛みや疲労を感じだすと、分泌量が増して、痛みを和らげてくれる。そして、さらに走りつづけるうちに、「快感」や「恍惚感」を感じ、いわゆる「ランニングハイ」と呼ばれる陶酔状態に陥る。この快感が、人を「また走りたい」という気持ちにさせるんだ」

話の展開についていけなくて、必死に耳を傾けながら目をぐるぐる回しているジェレミーの様子に密かに微笑みつつ、クリスターは、続けた。

「さて、ここに君のような傭兵になって間もない新兵がいるとしよう。外人部隊は正規軍よりも過酷で、最前線に出されることもしょっちゅうだ。最初、新兵は震えあがる。ここで挫折して部隊を去っていくものも少なくないが、戦場に踏みとどまり、目の前の戦いを何とか切りぬけ、その日を生きて帰ることを繰り返すうちに、少しずつ、戦いに対する気分が変わっていくことに気づくんだね。近くで聞こえる砲声を聞くと縮みあがっていた男が、その音を聞いただけで気持ちが高揚し、闘争心を燃やし出す。戦場を這いずりまわって、弾があたらないように祈ることばかり考えていたのが、いかに敵を多くしとめ、極限状態で自分がいかに生き延びかに次第に頭が回るようになってくる。いかに、このゲームを楽しむかという点にね。そうして、一人前の人でなしの傭兵ができあがるわけだ。我々にとって、戦争はゲームに過ぎない。人殺しをゲームと呼ぶようになった時点で、もう普通の生活に完全に戻ることは無理だと思った方がいい。つまりは、この頭は、戦争に中毒を起こしているんだね」と、クリスターは、自分の頭を指先で軽く押さえた。

「そう、認めよう。戦場で覚える以上の快感は、確かに他ではちょっと見つからないな。…セックスよりも、ずっといいと思うよ。今は、こんな上品な企業づとめをしているけれど、確かにペイもずっといいし、待遇に不満があるわけではないけれど、それでも、じきに本当の戦場に戻りたくなってしまうのだろう。ジェレミー、君がもし、こういう中毒者の一員になりたいというのなら、別にとめはしないけれどね。いや、歓迎するよ、終わりのない血と硝煙の世界にようこそ、とね。できれば、ベンの年になるまで生き残って欲しいけれど、こればかりは、君の技量と運だからね」

一見、大企業の若きエリートと言っても通りそうな知性的で上品そうなクリスターの口からこんなことを言われると、返って生々しさがあった。ジェレミーは、混乱しながらも、言われたことを理解しようと、唇をぎゅっと引き結んで一生懸命考えている。

(素直な坊やだな…)

クリスターは、その様子に思わずまた微笑みを誘われた。このくらいの年の頃の自分といえば、親の期待を裏切って入った軍隊で上官にしごかれていたが、年季の入った兵士の目で見れば、こんなふうにいかにもやわで頼りなさそうに見えていたのだろうか。そう思うと、余計におかしくなった。

「…大学、実は退学になったんです」と、ジェレミーが、しょんぼりとしてつぶやくのら、クリスターは、首を傾げた。

「退学?どうして?」

「大学では化学をやってたんですが…それよりずっと前から、爆薬づくりに密かにはまってて、ネットで知り合った仲間と情報交換したり、たまに手作りの爆薬を作って、人気のない郊外で爆破したり、そういうことをやってたんです。初めは、花火の親玉みたいなものだったんだけれど、知識も技術も増えてくると、段々欲が出て来て…で、ある時、ナパーム弾を作ってやろうと」

クリスターは、意外なことを聞いたかのように、僅かに目を見開いた。

「どうやって?」と、思わず椅子から少し身を乗り出して、聞き返していた。

「黒色火薬と硝酸塩でこしらえた無塩爆薬に、洗剤から分離した酸化鉄を加えれば、爆発圧縮率が増して、爆弾の破片が高く飛ぶんです。それに塩素酸カリウムを足してもっと発火しやすくしてやりました」

「それで、結果は?」

「そうですね、結果は成功…というよりうまくいきすぎたんです。計算よりもすごい破壊力で、友達の農場の隅の使われていない納屋を吹き飛ばしたんだけれど、火が高く飛びすぎて、家畜小屋に引火してしまったんです。それで、結構な騒ぎになって、警察が来て、爆発物を作った罪で逮捕されてしまったんです…ガキどもの悪戯にしては度を越しているって、半年ぶちこまれて、大学も追い出されてしまいました」

クリスターは、呆れたように、ジェレミーのうなだれた顔を見ていたが、その冷めた瞳には、次第に興味を覚えつつあるような、楽しげな光が輝き始めていた。

「…火薬の配合率とそれぞれの薬品量は?」

手元にあった紙を取り、ジェレミーが答えた値をもとに数式に当てはめて計算して算出した破壊力に、クリスターは、目を真ん丸くした。

「人気のない農場でよかったな。こんなものを街中で爆発させたら、大惨事になるところだよ。火は、結構出ただろう…ナパーム弾とまではいかなくても…私なら、水銀雷酸塩も追加するね、発火の度合いが上がるよ」

「ああ…そうか…」

クリスターの提案にジェレミーは感心したように頷いて、頭の中にかきとめるように、口の中で薬品名を呟いていた。その様子を眺め、それからふと遠い目になって、クリスターは考えた。

(戦争狂いの夫に、爆弾マニアの息子か…最悪だな)

ジェレミーの母親に心底同情していた。しかし、それを言うなら、手塩にかけて育てた双子をどちらも戦争に取られてしまった、自分たちの母親の境遇も似たようなものなのだが。彼女には、近いうちにまた手紙を書こう。クリスターの手紙が定期的に届く度に、一人暮しの寂しい母親は、息子達はまだ無事でいるのだと安心できるから。

「あの…」

遠慮がちなジェレミーの呼びかけにクリスターは、夢から覚めたように瞬きをした。

「クリスターさんは爆発物のエキスパートだって、父から聞いてます。特殊部隊では、破壊工作を専門にされていたとか…」

若者の顔に、率直な親しみと憧憬がうかんでいるのを見て、クリスターは、幾分辟易して、視線をそらせた。駄目だ。こんな期待に満ちた、きらきらした目で見つめられるのは我慢できない。面倒見のいいレイフなら、弟みたいで可愛いとか思うのかもしれないが、弟なんて手のかかるもの、一人もいれば充分ではないか。

「君と一緒にしないでくれないか。私は別に、用もないのに爆発物を作って、それを花火のように打ち上げて、喜んだりはしないよ」

どうして、気さくで人好きのするレイフではなく、冷淡な自分の方にわざわざ近づいてきたのか、これで分かったような気がしていた。ベンが入れ知恵したのだろう。爆発物の取り扱いのABCを学びたければ、クリスターにくっついていろと。

当惑したように黙りこんでしまったクリスターに、あまり細かい所に気が回る性質ではないジェレミーは、無邪気な鈍感さで話し続けた。

「クリスターはあんなクールな顔をして実は悪質な爆弾魔だから、怒らせるなって、父が言ってました。昔…あなたがたと同じ外国人部隊にいた時、すごく怖い目にあわされたんだって。父の悪い癖で、レイフさんによくたちの悪い冗談をしてたそうですね…入隊したてで右も左も分からない、ぴかぴかの新兵の尻なんか撫でて、悲鳴をあげさせて遊んでいたんです。レイフさんは、ただの悪ふざけだと笑っていたけれど、傍で見ていたクリスターさんの気には入らなかったんですね。ある日、父の所にやってきて、弟に悪さをするのはやめろとすごんだんだとか。もっと湾曲で上品な言い方でだけれど、とにかく、やめないと自分に喧嘩を売ったものとみなして報復する。もう二度と、穏かな気持ちで夜眠れることはないと思え。君くらいの大きさの対象物だけをきれいに吹き飛ばして他には害を与えないような小型の爆発物を、君が知らないうちに取りつけることくらい、ごく容易いことなんだと…ぞっとするような静かな低い声で恫喝された、と。それからは、宿舎のベッドで寝る時も、作戦行動中に野宿をする時も、どうしてもあなたの言葉が思い出されて、おかしなものが体やベッドにくっついてないか、調べすにはいらなくなった。悪魔に呪われたような嫌な気分だったって。実際ツキも落ちて危険な任務が回ってきた挙句、注意力が散漫になっていたせいでついには負傷までしてしまって、それでとうとう音をあげて、謝りに行った。それからも、あちこちの戦場で度々会うことになった双子とは、ずっと友達づきあいはしているけれど、クリスターさんの見ている前で弟に馴れ馴れしすぎるスキンシップするのは御法度だと、固く自分を戒めているんですって」

クリスターは軽く舌打ちをした。ベンの奴。椅子の背に身を預けて、軽い頭痛でも覚えたかのように、指でこめかみの辺りを押さえた。戦友の調子のよさそうな顔が頭にうかんだ。後で、彼を捕まえて、釘を刺す必要があるなと思っていた。昔のことを、あれこれと面白おかしく息子に吹聴するのはやめろ、と。

何だか急に疲労を覚えた。この頃、ろくに運動らしい運動をしていないから、体中の筋肉が強張っているのだ。少しは解しておかないと、いざというという時に使いものにならない。明日の朝は早起きをして、屋敷の周りの乗馬道をランニングしよう。弟も叩き起こして、組み打ちの相手をさせるのもいいかもしれない。

「ジェレミー」

頭の中ではそんな計画をたてながら、主人の命令を持つ忠実な犬のような風情で、じっと自分の様子をうかがっているジェレミーをチラリと見やった。素人は時として恐い。こんな子供でも、使いようによっては少しは役に立つかもしれない。

「明日、私は、トラップをしかけるために例の廃工場に向かう。よければ、君もついてくるかい?農場で花火を上げるよりは、まだしも有効な爆発物の使い方を見せてあげるよ」

親切そうに響く自分の声を他人事のように聞きながら、こんなのは嘘だなと心の中で呟いていた。

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