愛死−LOVE DEATH−
第十一章 双獣
二
眼鏡の下の琥珀色の瞳が、パソコンの画面に三次元的に映し出された、建物の見取り図を食い入るように見つめている。ズームインして、一階部分を拡大し、その中で点滅しながら動いている、幾つかの点を追った。赤く輝く一つの光とそれを追うかのように動いている複数の緑色の光の点。
クリスター・オルソンは、視線を横に動かし、そこでずっと繰り返し再生を続けている、先日接触したヴァンパイアの映像を眺めた。パリー達研究スタッフの間に衝撃をもたらしたものだ。肉眼はおろか、ビデオでも捉えきれなかったその動きに、クリスターも魅せられている。彼がこの世で最も美しいと思うのは、野生のチーターが狙い定めた獲物に対して猛烈とダッシュをかける時のスピードだったが、それでさえ、この生き物の動きの前にはなんとも重々しく、しなやかさに欠けるように思えてくる。重力に縛られた生身の肉体など持たないかのようだ。天使や精霊、あるいは悪魔ならば、このような動きもするだろう。そう、まさしく、そこにいるのは、それらと同等の存在なのだ。
その時、クリスターの背後のドアが、何の前触れもなく、いきなり勢いよく開かれた。
「ノックくらいしたらどうなんだい、レイフ?」
振りかえりもせずにクリスターは言った。
「ん…何やってんの?」
レイフは、まっすぐ双子の兄のもとに近づいて来て、その後ろからパソコンの画面を覗き込んだ。
「これって、コックス会長が提供してくれた、例の場所…?」
顎に指を添えて、興味深そうに尋ねる。
「街中でのアタックは、極秘にことを進めたい会長としては避けたいところだからね…仕方ないさ」
「だから、わざわざおびき寄せて、トラップをしかけるわけ?」
画面の中で点滅しながら動いている光を、レイフの目が、鋭く追った。光は、追うものと追われるものを表している。陸軍特殊部隊の破壊工作用のシミュレーションソフトを参考にクリスターが作ったオリジナルで、戦場となる建物や敵及び味方のデータをインプットし、シミュレーションを繰り返しながら、かなり具体的に作戦をたてていくことができる。
「でもさ、相手の能力が未知数ってのは、かなり作戦立てづらいんじゃないか?しかも、殺さずに捕まえなきゃならないわけだろう?いや、不死の化け物相手だから、そんな遠慮はいらないっていうのなら、助かるけど」
戦いにくいと言いながら、レイフの目は、目の前で繰り広げられているシミュレーションを熱心に追い、頭の中で実戦場面を思い描いているのか、何やら物騒な光を帯びて、細められている。
「そうだね…私も、この相手は、多少大げさなくらいの重装備でかかってもいいと思っているよ。武器、弾薬は、会長が何とかしてくれるそうだし…後は…」
「銀の弾丸とか十字架は?」
レイフは、にやにやと笑って、ポケットから煙草を取りだし、ライターで火をつけた。
「ヴァン・ヘルシングのような偉大な先人とは違って、我々は、ただの戦争屋だからね。デザート・イーグル五十口径オートマチックに、ウィンチェスター製の296グレイン弾とホッジドン1110火薬の方がありがたいな」
椅子をくるりと回して、弟の方に向き直り、その口から煙草をさっと奪い取ると、クリスターは笑いを含んだ目をして、言った。
「第一、銀の弾丸がきくのは、吸血鬼じゃなくて、狼男の方だよ」
「あ、そうか」
レイフの煙草をうまそうにふかしながら、クリスターは、デスクの端においていた書類を弟によこした。
「後、私達が必要とするものは、優秀なハンター達だよ」
それは、クリスターが召集をかけた傭兵達のリストだった。
「へえ…短期間で、よくこれだけの面子を集められたなぁ」
「報奨金がよかったんだよ」
「いくら?」
クリスターがそっと耳打ちをするのに、レイフは、おおっとうめいた。
「俺達にも…それくらいの特別ボーナス、出ないかなぁ…サラリーマンだから、無理かなぁ」と、溜め息をついた。レイフは、大企業のために働く自分達も立派なサラリーマンのうちだと思っている。それはちょっと違うのではないか、サラリーマンはショットガンや大型拳銃や防弾ベストで武装してゲリラやテロリストや強盗相手に体をはって戦闘したりは普通しないものだと、クリスターは首を傾げるのだが。
「大丈夫。その点も、ちゃんと交渉済みだから。傭兵連中よりも、私達のボーナスが安いっていうことはないよ」
「さすが。そういうことも、兄さんはぬかりがないよな」
おまえが世間知らずなだけだとは、クリスターは口が裂けても言わなかったが、内心では、弟の無邪気さに呆れていた。戦闘にかけてはプロ中のプロだが、その他のことについては、レイフは全く子供並みに初心だった。自分がいなくては、絶対周りからいい食いものにされてしまうに違いない。同じ年のはずなのに、クリスターは、いつも弟に対しては心配性の保護者のような気分になる。
「それから…傭兵達は、今夜遅くにでも、ここに到着する予定になっているから、私の代わりに出迎えてくれ」
こほんと咳払いをして、クリスターは、そう言った。パソコンの操作をする時だけかけるフレームレスの遠視用の眼鏡をはずし、机の引出しの中に戻すと、立ちあがった。
「どっか、行くの?」
弟の煙草をもう一息吸いこむと、クリスターは、灰皿の上で揉み消した。
「パソコンの中のシミュレーションもいいけれど、実際現場を見てみたいから、ちょっと今から出かけてくるよ。おまえにも、また下見に行ってもらうけれど…」
自分もついて行きたそうな顔をする弟に、残っていろと手振りで示して、クリスターは部屋を出ていこうとした。
「じゃあ、煙草買って来てくれよ」と、レイフが呼びかけるのに、クリスターは扉の所で足を止め、怪訝そうに振りかえった。
「さっきの最後の一本だったんだぜ?出かけるんだったら、ついでにどこかで買ってきてくれよな。アダムに頼んだら、贅沢そうな葉巻なんか持ってきやがるんだから、話にならないよ。俺は、マルボロがいいの」
クリスターは、ちょっとばつが悪そうな顔になった。
「分かったよ。…高速のサービスエリアででも買ってこよう」
雪だ。
世界は白く塗り込められている。一体ここはどこなのだろうと、周囲をぐるりと見渡したら、どうやら、子供のころ訪れたことのあるパリの街、忘れようにも忘れられない、あの橋の上だということが分かった。
はっとなってスティーブンは橋の方を振りかえった。
吹雪の中、雪よりも白く輝く長い髪をたなびかせて佇んでいる、一人の青年の姿に、スティーブンははっと息を呑んだ。
(カーイ…)
カーイは、ゆっくりと橋の上を歩いて、スティーブンの方に近づいてくる。黒いロングコートの裾が、不吉な黒鳥の翼めいてゆるやかに舞う。雪の上を踏みしめて歩いているようには見えないくらい、その動きは、優雅で、かろやかだ。
(約束を、やぶりましたね?)
その白い顔には、少し哀しげな、咎めるような表情がうかんでいた。
(せっかく…助けてあげたのに…)
心底残念そうに溜め息をついた。そうして、改めてスティーブンを見つめると、薄い唇の端をゆっくりと微笑むようにつり上げた。夜目にも鮮やかな白くきらめく牙が、むき出される。
スティーブンは、何故か動くことができなかった。恐ろしいと感じ、逃げなくては思いながら、同時に、次第に己に迫りつつあるものの姿に魅せられていた。
(本当に、馬鹿な人ですね)
そのほっそりとした手が硬直したままのスティーブンの腕に向かって伸ばされる。氷のように冷たいと思った、その手が火のように熱かったことをスティーブンは覚えている。殺した人間の命が、その体の中で熱く激しく燃えていることを知っている。殺人者とは思えないほど、清らかで美しい顔。この美しさを保つ為、一体何人の人間が犠牲になってきたのだろう。駄目だ。逃げなくては。金縛りにあったかのように動かない体を、それでも、迫りつつある白い手から離そうとした。
突然、ずどんという重い銃声が響いた。ぱっと赤い血しぶきが飛び散り、カーイの手は、スティーブンから離れた。スティーブンは、とっさに、何が起こったのか、理解できなった。
よろよろと下がるカーイの胸に、更に二発目、三発目の銃弾が打ちこまれ、その度に赤い花が咲くように血が飛び散る。
(あ…)
スティーブンは、激しく喘いだ。こんなはずはない。カーイは、決して何者にも倒されないはずだ。しかし、スティーブンの目の前で、カーイは、がくりと膝をつき、ほとんど音もなく、雪の上に倒れた。倒れた姿は、無残にも手折られた花のようだ。真っ白な雪に、その長い髪に、真紅の血の花が咲き、広がっていく。
(その生き物を捕らえて。それは、人類の未来を担う、貴重な生きたサンプルなのだよ)
酷薄な女の声が、どこからかした。そうして、呆然と佇むスティーブンの脇を、どこから現れたのか、黒尽くめの武装した男達がすりぬけ、死んだようにぴくりとも動かないカーイに近づいていく。
(やめ…)
スティーブンは、突然、激しい憤怒が胸の奥からせり上がってくるのを覚えた。男達の一人が、カーイの傍らに跪き、その体に手を伸ばした時、スティーブンは、堪えきれなくなったかのように叫んでいた。
「やめろ、そいつに触るな!」
そう叫んで、スティーブンは、ベッドから飛び起きた。頭がガンガンと痛んで、ひどい耳鳴りまでした。全く、何という嫌な夢だろう。こんなにうるさいくらいに頭が響いている。
次の瞬間、スティーブンはカーテンのひかれた窓の方を振りかえった。夢ではなく、実際低く唸るような轟音が、窓の外から聞こえていた。
スティーブンは、ベッドから飛び降りた。ロバートの心配を他所に、結局コックス会長のマナハウスにここ数日滞在していたのだ。自分の知らない所で、勝手に話が進んでいくことを懸念していたし、コックス会長やその配下も基本的に信用していないスティーブンには、彼らの動きを監視する必要もあった。
カーテンの隙間からは、明るい光がちらちらと差し込んでいる。一体、何事が起こっているのだ?
カーテンを開けて、スティーブンは、思わずあっと叫んでいた。屋敷の広々とした中庭の上空に、一機の大型ヘリがうかび、サーチライトで暗闇を照らしながら、今まさに着陸態勢にはいっていたのだ。
一瞬呆気に取られたスティーブンだったが、すぐに部屋の中に引き返し、急いでセーターとジーンズに着替えると、勢いよく外に飛び出していった。
「レイフ!」
ヘリの回転翼がたてる轟音に負けじと声をはり上げて、サーチライトの光の直中で、赤い髪をなびかせながら立っている男の背に、スティーブンは声をかけた。
「よお、スティーブンか。どうやら、起こしちまったみたいだな。夜中にうるさくしちまって、すまねえが」
「一体、なんの騒ぎなんだよ、これは」
着陸しつつあるヘリの音がうるさいので、レイフの耳元に口を近づけて、怒鳴るように話さなくてはならなかった。
「クリスターが呼び集めた傭兵連中だよ。俺達も、軍を辞めた後、しばらく、世界各地のホットゾーンで傭兵家業をやってたことがあるんでさ、人脈ってのがあるんだよ。昔の傭兵仲間とか、その知り合いで腕の立つ連中に片っ端から声をかけたらしいな。幾らなんでも急な話すぎるから、無理かとも思ったけれど、それでも、10人集まったのは、コックス会長が、べらぼうな報奨金を提示したからさ」
「へえ…」
興味津々で、着陸した大型の移送用ヘリを見守るうち、ハッチが開いて、男達が、次々と地面に降りてきた。ヘリのサーチライトがまぶしいので、手で遮るようにして待ちうけたが、それでも、近づいてくる男達のシルエットしか、初めは見えなかった。
「レイフ・オルソン!」
太い声が、光の中からそう叫んだ。
「その真っ赤な頭は、ヘリの中からでも見えたぜ…久し振りだな、元気か?」
アイルランドなまりの英語だった。
「おお、ベンか。コソヴォ以来だな。引退したって話も聞いたけど、いい年してもまだ傭兵なんてやくざな仕事、やってんのかい?」
レイフも、ヘリの回転翼の音に負けじと怒鳴り返す。
「なかなか、足を洗えんのが、この仕事の因果なところでな」と、がっしりとした体躯の、フーリガンに混じっていてもおかしくなさそうな強持ての壮年のその男は、がははと笑いながら、レイフの腕をつかみ、馴れ馴れしげに肩をバンバン叩いた。
「相変わらず男前だな、レイフ坊。傭兵にしておくのは惜しいぜ」
「傭兵じゃないよ。コックス・バイオメディカルに勤めるれっきとしたサラリーマンだぜ、今は」
ベンと呼ばれたその男は、一瞬きょとんとした後、最高の冗談を聞いたというように豪快に笑った。
「おまえが会社勤めかい、想像できんなぁ。…で、兄貴はどうした、クリスターは?赤毛の悪魔兄弟に再会できるのを、それは楽しみにしていたんだぜ。大体、おまえがいる所にクリスターがいないなんて、おかしいじゃないか」
「クリスターは、今ちょっと出かけてるんだよ。今度の仕事の関係でさ」
ベンの目が、その時、レイフの後ろで、呆気に取られた様子で立ち尽しているスティーブンに移った。
「おい、そっちのハンサムな坊やは?」
フーリガン風の厄介そうな男にそう声をかけられて、スティーブンは、一瞬ひるんだ。
「ああ、こいつは、ステーブン・ジャクソン…今度の仕事の関係者だよ。俺達のアドバイザーってところかな」
「よ、よろしく」と、スティーブンは、緊張しながらも礼儀正しく挨拶をした。
フーリガン男は、相好を崩して、スティーブンに向かって、手を上げてみせた。。
「なかなか、かわいい坊やじゃないか」
レイフは、にやりと笑って、肩越しにスティーブンの方を振り返って、言った。
「ベンに気に入られたみたいだぜ。気をつけな、スティーブン坊や。こいつの悪癖でさ、ハンサムな若い男の子が傍にいると、挨拶がわりに尻を撫でたり、タマを掴んだり、そういうセクハラ行為をしてくるの。俺も、昔はよくやられたくちでさ」
「…………」
スティーブンは、無言のまますっと動いて、レイフの広い背中の後ろに隠れた。レイフとベンは、その様子に,くっくっと喉を鳴らせて、笑った。
「初めまして、ミスター・オルソン」
ベンの後ろに控える男達の中から、一人の若者が、進み出てくる。
「父から、あなたの話はよく聞かされていました。ジェレミーです」
年のころはスティーブンと同じくらいだが、姿格好は、父親であるベンの若いころそのままといった感じで、がっしりと横幅があって逞しい。
「ああ」と、興味深そうに目をまたたかせて、レイフは差し出された手を取って握手した。
「離婚した奥さんとの…?おいおい、大事な一人息子を、こんなヤバイ世界に入れて、いいのかよ」
咎めるような目で、ベンを振りかえる。
「俺もそう思うんだが、本人がどうしても傭兵になりたいと言うんで、仕方がなくてな。血はあらそえんということなんだろう。だから、せめて、しばらくは俺が傍にいて、一人前になるまで鍛えてやろうと思ってな、今回の仕事に同行させたわけだ」
「それで、引退しそこねたって訳か。大変だな、親ってのも」
はあっと溜め息をついて、他の男達をぐるりと見渡した。
「久し振り、レイフ。またあんたたちと一緒に仕事ができるなんて、嬉しいぜ」
「企業勤めに飽きたらさ、今度はアフガンに来いよ。いい勤め先を斡旋してやるよ」
「初めまして、指揮官殿。湾岸とボスニアで、フランス外人部隊として戦いました。腕は確かなつもりです」
顔見知りとそうでない奴とが、順番に挨拶をしてくるのに、レイフは握手と笑みでまめに応えていく。その様子を見守りながら、スティーブンは、先程見た夢を思い出して、重い気分になっていた。ヨーロッパからアジア、アラブ系まで国籍も様々な、いかにも戦い慣れた屈強な男達を見ていると、先程の夢が現実化したような気がしてくる。
そう、まさしくこの男達は、カーイを仕留めて捕らえるために雇われたハンター達なのだ。
「さて、今回のミッションついての説明は明日の朝、行なう。今夜は遅いし、遠路遥々イギリスまでやってきて疲れている奴らもいるだろう。戦地の固いベッドや野宿の生活とは月とすっぽんのゴージャスなお貴族様風屋根つき寝台がおまえらを待ってるから、ゆっくり休んでくれ」
そう言って、屋敷の方に歩き出すレイフを追って、男達もわいわいと騒ぎながら歩き出す。
カーイを倒すための頼もしい助っ人と呼ぶべきなのだろうか、何故か少しも喜ぶ気にはなれず、彼らの姿を、じっと立ち止まって目を追う、スティーブンの胸には、自分でも説明しがたい重い暗雲が垂れこめていた。