温かい皿

第二の皿 entree
陸に上がった帆立貝は海の夢を見るか


 アカデミー・グルマンディーズ。1920年代に『食通の王』キュルノンスキーが創設した美食家アカデミーに倣い、フランス有数の資産家であり名高い美食家でもあったジル・ドゥ・ロスコーが、30年前に設立した。
『料理は、食という必要を快楽に変える至上の芸術である』と唱えたロスコー氏が自ら選んだ限られた食通達を会員とする、初めのうちはごく小規模のサロンだったが、次第にその名は、フランスの美食家・料理人達の間で知られていった。そして、後にフランス料理界の『神』とまで言われることになる天才料理人ジャン・フィリップ・レニエがアカデミーの専属料理長となって以来、アカデミーはその最盛期を迎える。
 アカデミーの会員となること、月1回その定例会、美食の限りを尽くした晩餐に出席することが、著名人や食通達のステイタスとなっていった。 
 しかし、栄光というものはいつまでも続かないものである。3年前に、『体力とそれに伴う気力の限界』を訴えてレニエ氏が料理界の第一線から引退。続いて、公私共にそのパートナーであったロスコー氏も、アカデミーの主宰の座を降りることを宣言した。
 2人のカリスマによって支えられてきたアカデミーである。これでついに美食の殿堂も終わりかと囁かれたが、ロスコー氏は彼がレニエ氏と共に大切に育てあげた掌中の珠をアカデミーのために残していった。
 ガブリエル。弱冠23才でアカデミー主宰の重責を担うことになった、天才である。



「おばちゃん、そのタマネギとジャガイモを1キロずつちょうだい。それから…ブラウンマッシュルームと…」
 レストランが休みの月曜日、真志はアランと一緒に近くのマルシェ(青空市場)に買出しに出かけた。友人達をアパルトメントに招いてのパーティーの食材を準備するためだ。
 真志は実家の洋食屋のメニューを皆に披露しようと思っていた。
 さすがに食が文化の1つに数えられるフランスの市場の豊かさは、日本のスーパーの比ではない。豊かな土地に育った、見るからに栄養たっぷりの色鮮やかな野菜が山積みになっている様は、美しくさえある。
 トマトやナスの1つを取っても、ビニール栽培のものとは元気さが違う。こちらのナスビは煮込んでも絶対に崩れないし、トマトのまた甘いこと。それに肉の種類の豊富さも圧巻だ。牛、豚はもちろん、羊、鴨、ハト、がちょう、うずら、ウサギ。内臓屋さんなんてものもある。チーズ専門店を覗いても、『とろけるチーズ』しか普段食べない日本人には、目から鱗が落ちる思いだろう。世の中にこんなにたくさんの種類のチーズがあるなんて。当然ワインもだ。しかも、笑いが止まらなくなるほど安い。
「で、何を作るんだって、真志?」
 八百屋を後にすると、既に両腕を紙袋で一杯にしたアランが、買い物リストを片手にきょろきょろしている真志に尋ねる。
「うんとね、まずは、うちの定番ハヤシライス。ポテトのサラダもつけてね。それから、トンカツとあめ色タマネギのスープも作ろうかな」
 真志を1人でこんな所に買い物に行かせると、いつまでも市場の中でうっとりと立ち尽くしていたことだろうが、そんな彼をアランが監督してくれた。
 月曜の朝の込み合ったマルシェを1時間ばかり歩き回り、やっと目当ての食材全てを仕入れた二人は、市場を出てすぐの広場に面した小さなカフェに立ち寄った。
「でもさ、洋食なんてうけるか、ちょっと心配だな。普通に和食を作った方が期待を裏切らないかも」
「肉じゃがとか天ぷらか? やめとけ、そんなもの、今更珍しくないさ」
 昔、日本の料理学校にも講師として行ったことがあるアランは、和食にも詳しい。それに、別に日本滞在経験があるからではないだろうが、真志がパリの料理学校に通いだしてすぐに彼の方から声をかけてくれ、何かと親切にしてくれた。真志にとっては、尊敬する師匠であると同時に、異国の地で初めて出来た大切な親友、同じレストランで働くようになった今では家族も同然だった。
「ワインはもう1本くらい買った方がいいかもしれんぞ。ブレンダの奴、底なしに飲むからな」
 真志は、マルシェのハーブ屋で買った生のミントを鼻に持っていって、そのさわやかな香りにうっとりした。これは、食後にミントティーにして出そう。
「なあ、真志」
 広場に面したカフェのテラスから買い物帰りや犬の散歩で通り過ぎて行く人々を眺めながら、パリに居られる幸せを噛み締めていた真志に、アランがふいに声をかけた。
「ガブリエル・ドゥ・ロスコーは、その後どうなんだ?」
 真志は、夢から揺すり起こされた人のように、はっとなって彼を振り返った。
「先週は、何回来た?」
「うん…火曜の夜と、金曜のランチタイムの2回だよ」 
「相変わらずのハイペースだな。親父が戻ってきてからも、足が遠のくことはない。また随分とボン・ヴィザージュは気に入られたものじゃないか」  
 オーナーがバカンスから帰ってきた今はメゾン・コルノーに戻っているアランだが、ガブリエルのその後の動向は気になるらしい。それは、もちろんアランだけに限らないことだが。
「で、今まで出された皿について、『おいしい』と言ったのか、彼は?」
 真志は、少し考えた後、首を横に振った。
 幸運をもたらす天使ガブリエルに『おいしい』と言わせた料理人は、この業界で成功する。何やら迷信じみているが、彼に見出された有名シェフの話を聞けば、自分もそれにあやかりたいという気持ちにはなる。
 ボン・ヴィザージュの若い見習い料理人達といえども、それなりに夢も野心もある。フランス各地に名門ホテルやレストランを持つガブリエルの目にとまって、引き抜かれたい。ゆくゆくはパトロンになってもらって、自分の店を出せたら。
 ガブリエルがレストランを訪れた日は、厨房に漂う空気がいつもとは違った。
 ガブリエルは、オーナー・シェフのピーターの料理だけでなく、若い料理人の挑戦的な皿にも興味を示し、舌鼓を打った。しかし、今まで、誰1人として彼の究極の一言『おいしい』を下賜されてはいない。真志のもらった『わくわくする』が最高評価だ。
 それでも、ガブリエルがボン・ヴィザージュに対する興味をなくすことはなかった。いくら気に入ったレストランでも、そう立て続けに食事を続ければ飽きるものだし、パリには他おいしい店も星の数ほどある。一体、ボン・ヴィザージュの何がそこまでガブリエルを惹きつけるのか。
「全く、何が目的なんだろうな」
 さすがにこの頃では薄気味の悪さを覚えているらしいアランが、ぼそりと呟いた。近くにあるというのにアランのメゾン・コルノーにはまだガブリエルの訪問がないことにも、引っ掛かりを覚えているのかも知れない。
「目的…」
 真志は神妙な面持ちでアランの言葉を繰り返した。その脳裏に、同僚のフランソワが真志に向かって言った言葉が甦る。
『ムッシュ・ロスコーは、シンジがお目当てなんだぜ』 
 真志は当惑気味にうつむいた。そんなこと、あるはずない。アランに気づかれぬよう、小さく溜め息をついた。
(そりゃ、僕が初めに出したあの皿をガブリエルさんが気に入ってくれたことは本当かもしれないけれど…半分は、ただ珍しかったからだよ。オーナーの料理だって、やっぱり好きで食べてるし、フランソワだってブレンダだって、よくやってるって褒められたじゃないか)
 半ば自分に言い聞かせるように真志はそんなことを考えたが、先週の火曜にあった出来事を思い出して、余計に戸惑いは深くなった。
(ううん、気まぐれに決まってるよ。あんなことを僕に言ったのもただの思いつきで、フランソワが言うようなことじゃないんだ)
 ふいに、ガブリエルの澄んだ青い瞳が、謎賭けでもされているような不思議なその笑みが、真志の頭の中にうかんだ。
 真志の心臓は急に高鳴った。
(ガブリエル…)
 真志の思いは先週の火曜のディナータイム、ボン・ヴィザージュでちょっとした物議を醸した、その出来事に飛んだ。




「ムッシュ・ロスコー」
 ガブリエルにオードブルとしてオマールエビのシャンパンソースを出した後、真志は彼に挨拶をするためテーブルに向かった。そこでガブリエルが、初めてこのレストランに訪れた時と同じように、いとおしむように温かい皿に指先で触れるのを見たのだ。
「ああ、シンジ」
 真志を見ると、ガブリエルはにこりとした。真志に会えて心から嬉しいというような、無邪気な顔だ。
 真志の胸もついときめいた。
「この皿も、ちょっとひねってやろうと思ったんでしょう。ほんの少し味噌を入れましたね?」
「あ、分かりました?」
 ソースに味がわからないほどごく少量の味噌を入れると、香りがたって風味が増す。日本のフレンチ・シェフが考え出した手法で、ここフランスにも伝わり、実際レストランで使われているという。
「残念ながら、入れるタイミングが早すぎましたね。一番よい香りが飛んでしまっていますよ。火から下ろす直前に足してやらないと」
 今回のガブリエルの評価は辛口だったが、彼の言葉は真志にはいつもすんなり受け入れられるものだった。むしろ勉強させてもらっているような気がした。
 ガブリエルの料理に関する知識は恐ろしいほど豊富だった。それに、その舌の冴えも全く感嘆ものだ。
 オーナーのピーターが店に帰ってきたばかりの頃、ガブリエルが彼のトリュフ入りオムレツを所望した。その時、実はピーターはバカンス先でひいた風邪が治りきらず匂いを感じることが出来なかったのだが、長年の勘で作った料理には一見いつもと変わったところは全くなかった。しかし、ガブリエルにとっては違った。彼は帰り際、ピーターに『大事にして早く風邪を治すように』と言い残していったのだ。嗅覚をやられていたピーターには、トリュフのデリケートな香りをいつものようにうまく生かすことが出来なかったらしい。もっとも普通の客に分かるレベルの話ではなかったが。 
「あの…それって、ムッシュの癖なんですか?」
 ガブリエルの指先がまだ皿の端に触れているのを眺めながら、真志は思い切ったように尋ねた。
「え?」
「初めてここに来た時も、そうしていましたよね。そんなふうに皿の縁に指を滑らせて…何か意味があるんですか?」
「ああ、これは…」
 ガブリエルは、指摘されて初めて気がついたというように、手を離した。うつむいて、小さく笑った。
「癖になっているんでしょうね。私のために出された皿がとても熱いと、何だか嬉しくなってしまうんです。もちろん、料理が熱くておいしいまま食べられることも嬉しいですが、それよりも…厨房にこもる熱さの一端に触れているような気がして…そこで一心に料理を作っている方々の仕事をじかに感じることが出来るようで、どきどきするんです」
「厨房の熱…」
 真志は、自分が属する、その小さな世界にこもる熱気のすごさを思い出した。物理的な暑さのせいだけじゃなく、必死になって料理をする人間達の発する熱が物凄いのだ。
「あ…で、でも、ムッシュ・ロスコーくらいになると、自分で厨房に立って料理くらいしますよね。別にそんなふうな想像をめぐらせなくても…」
 するとガブリエルが心底残念そうな顔になったので、真志は思わず口をつぐんだ。
「私は、食べるのが専門で、作る方は全然駄目なんです」
「そ、そうなんですか…?」
「たぶん、一点だけについ気持ちがいってしまって、全体の流れが見えなくなるんでしょうね。オーブンの中の羊の鞍下肉の焼き加減が気になって、ソースのことはお留守になって焦がしてしまったり。なまじ味が分かるだけに、自分の作った料理の悲惨さまで分かってしまう。これは、かなりのストレスですよ」
「あは…意外と不器用…なんですね」
「ええ、ですから私にとって、料理のできる方というのは憧れなんですよ。私には、自ら料理を作ることはできないのに、たぶん最高の料理が分かる味覚の才能だけが与えられたんですね。時折、料理人の方々には嫉妬を覚えることさえあります。モーツァルトの天才をねたんだサリエリのようにね」
「毒なんか、盛ってしまう…とか?」
「それはできませんね。最高の料理を供してくれる人を殺したりしたら、私自身の楽しみを殺すことになってしまいますから」
 ついに、堪え切れなくなった真志は、お腹を押さえて笑い出した。
「ムッシュ、おもしろすぎますよ…真面目な顔でそんなこと言うんだもの」
 真志がひとしきり笑う様子を目を細めるようにして見守った後、ガブリエルはおもむろに口を開いた。
「シンジ、今日は火曜日だから、何か魚でいいものが入っているんじゃないですか?」
 火曜と土曜は中央市場が開く関係で、食材も新しいいいものがそろう。確かにこの日も、大きなヒラメのいいものが入っていた。パリでは大抵の食材について満足できるのだが、それでも魚についてだけは、日本の市場で売られているものの新鮮さには負けることが多かった。だが、このヒラメは刺身にしても食べられそうなくらい実に新鮮だったのだ。
「ヒラメですか」
 想像したらしい、ガブリエルは陶然とした顔になった。時々彼のうかべる表情のなまめかしさに真志はどきまぎする。
「ライム風味のソテーが、本日のメニューにありますよ」
「それもいいですが、ねえ、シンジ、1つ、ヒラメで遊んでみてくれませんか?」
「へ?」
「今夜は、『お任せ』で、あなたに一品作ってもらいたいんです」
 シンジは馬鹿みたいに口を開いて立ち尽くした。
「お、おまかせって、僕にですか? 無理ですよ、そんな…」
 即興で何か作れとのガブリエルの頼みに、真志は戸惑うばかりだった。ただの見習いの真志にそんなことができるわけがない。
「でも、そんなに立派なヒラメを目にしたら、こう料理したらおいしいだろうと想像はめぐらせたでしょう?」
「そ、それは確かに考えたけれど…」
「それを形にすればいいだけです。簡単じゃないですか」
「でも、作ったことのないもの、実際食べてみておいしいかどうか保証できないし、とてもお客様には出せませんよ。それに、第一オーナーがそんな勝手を許してくれるはずがない…」
「オーナーが許してくれさえすれば、作ってくれるんですか?」
「う…それは、たぶん…」
「大丈夫だと思いますよ。ピーターは豪気な人ですから、あなたの挑戦をむしろ面白がって見守ってくれるでしょう」
 いきなりガブリエルは真志の背後に向かって声をかけた。
「ね、ピーター、今、真志に即興で私のための一皿を作って欲しいとお願いしていたところなんですが、かまいませんよね?」
 真志はぎょっとして後ろを振り返った。すると、いつからそこにいたのか、オーナー・シェフのピーターが悪戯っ子のような笑いをアランによく似た顔にうかべて立っていた。
「ほう、即興でか…おもしろいじゃないか、シンジ、やってみろ! ムッシュが食べたいとおっしゃるんだ。お客の望みを出来るかぎり叶えるのが、料理人ってものだ」
 そして、これまたアランそっくりな格好のいいウィンクを真志に投げてよこした。
「幸い、今夜は店もそれほど込み合ってない。おまえが即興料理にかかりっきりになっても、まあ大丈夫だろう」
 かくして、見習い料理人、真志は、ガブリエルのための即興料理を作ることになったのだ。




「シンジ!」
 己の想念に深く捕らわれていた真志は、アランのいぶかしげな呼びかけに、はっと我に返った。
「ああ、ごめん、アラン、ぼうっとしちゃって」
「ムッシュのことを考えていたのか?」
 図星であったので、真志はうっと言葉に詰まった。
「う…うん…先週の火曜に、いきなり即興で一皿作らされたんだよ。その…オーナーを差し置いて、僕みたいなピヨピヨの見習いが『お任せ』なんてどうかなぁと思ったんだけれど、オーナーも何だかおもしろがっちゃってさ」
「即興で? ムッシュ・ロスコーがおまえに?」
 アランも、この知らせには少し唖然となったらしい。コーヒーを口に運ぶ手を止めて、聞き返した。
「すごく新鮮なヒラメだったから、半生になるよう軽く湯引きをして、カルパッチョ風にしてみたんだけれどね。どうなることかと思ったけれど、うん、まあまあの出来だったと思うよ。ガブリエルさんも喜んでくれたし」
「ムッシュ・ロスコーは本当におまえを気に入っているんだな」
「気に入ってるなんて、そんなことないよ。たぶん日本人の僕が作る味が少し珍しいだけだよ」
「だが少なくとも、即興で何かを作れと言うくらい、おまえの味がお気に召したのさ」
 アランは、しばらく何やら考え込んだ後、こんなことを言った。
「真志、オレが口を出すのもなんだが、ガブリエル・ドゥ・ロスコーとの縁は大事にしろよ。おまえが今後パリで料理人としてやっていく上で、彼は必ず力になる…嫌な話だが、日本人が作るフランス料理に対する偏見がこの国にないわけじゃない。味方を作るのは大切なことだ」
「待ってよ、アラン。僕は、何もパリで自分のレストランを持つことなんか考えちゃいないんだよ」
 アランの顔つきが、厳しいものになった。
「そりゃ、こっちにいられて、料理の勉強が出来て幸せだし、このままずっと暮らしたいなと思うことはあるけど」
「なら、そうすればいいじゃないか」
「そんなに簡単にはいかないよ。だって、初めから2年間の約束なんだから。料理学校を卒業したらすぐに日本に帰るって。それを、ついついアランの誘いに惹かれて残ってしまったけれど、親にしてみれば、話が違うってちょっと怒ってるみたいなんだ。一体いつ帰るんだって、この間の手紙にも書いてあったし…僕自身も何の目的もなくこのままずるずる残るのもまずいかなって気はしてる」
「なら、目的を作ればいいじゃないか。こっちで自分の店を持つつもりで修行している日本人は他にもいるんだし、そこまですぐには考えられなくても、ここに何年かいることはフランス料理をやり続けたいなら無駄じゃないと思うぞ」
「でも…そこまでの自信、僕にはないよ。こっちで料理人として成功するなんて、とてもじゃないけど無理な気がして…あのね、今なら、日本に帰ったら、叔父さんのつてで神戸のいいレストランに就職口があるんだ。だから、余計に迷ってる…」
「おまえはそれで満足なのか? せっかくパリにまで来ていながら、2年ぽっちで日本に帰って、無難なレストランに雇われて。それじゃ、つまらんだろう。おまえの夢や料理に対する愛着はその程度のものなのか?」
「夢は…あるけど…そりゃ僕だって、自分の料理をたくさんの人に食べてもらいたいし、いつか自分の店なんか持てたらいいだろうなとは思うけど…どこで、どんなふうに仕事をやりたいかというとまだ分からないんだ…パリで1人でやっていける自信は少なくともないよ」
「誰がおまえを1人になどするものか、オレはな…!」
 アランが声を荒げいきなり肩を強くつかんだので、真志は痛みに顔をしかめて小さく身を縮めた。
「あ、すまん」
 アランは慌てて手を離した。
「アラン」
 椅子から立ち上がりかけた姿勢のまま何か言いたげに口もとを震わすアランを、真志は呆然と見上げた。
「シンジ、オレはおまえを高くかってるんだ」
 アランは辛そうに顔を背けた。
「オレをがっかりさせないでくれ」
 おもむろに足元においていた荷物を持ち上げると、アランは、真志を置いて、カフェのオープンテラスを後にした。
「あ、待って、アラン!」
 真志も慌ててアランを追いかけた。
(アラン、どうして?)
 肩を怒らせ無言のまま歩いていくアランの広い背中を、真志は問いかけるような不安な目でひたすら見つめていた。 




BACK

INDEX




Cloister Arts