9月26日(金)
朝起きて フロントに昨日聞いておいた、メトウライ間で行って列車に乗って その後山岳地帯を廻るツアーはないか?と聞いておいたが 「明日9時にフロントに来い」ということだったけれど 心配だったので8時半にフロントに行ってみると全然段取りが整っていない、ここでまた待ちぼうけも いやだと思い 念を押して 「どうなっているの」と聞いてみると 80D出せば ツアーを組める というではないか、バカにした話である。 要は誰か車を一日チャーターして 列車に乗ったら迎えに行くと言うことだった。押し問答している時間はない「もういいよ」とすぐに ルアージュ ステーションに向かう。

10時30分発の列車に間に合うか ここからメトウライ間では40分以上かかると思われる。
8時半ごろ ルアージュ ステーションに行くと多くの ミニバスが止まっていたが、メトウライ行きは、まだまだ 人が集まらないようだ。困ったなぁ・・3人くらいようやく集まったが 「これは何人集まると 出発するの?」と聞くと 5人ということだ、そのうち待ちきれなくなった人は、降りて行っちゃうし・・9時を過ぎるころに あと一人 「5Dだけど 2人分10払ってくれれば 今すぐ出発する」仕方がないので10D払い すぐに出発してもらう、間に合うかなぁ・・・


無事 快調に飛ばし10時過ぎには駅に到着した、チケットは駅の中を入って 建物の離れのようなところで購入する、運転者がついてきて教えてくれる。
何とか 列車に乗り込む 間に合った 乗っている乗客は ヨーロッパの団体客だ、大型観光バスが時間に合わせて 続々 やってきて あっという間に満席になる。ここは通常はリン鉱石を運ぶ貨車の線路で山肌を縫って走るから 観光にも転用されているらしい、レーザールージュの由来は 赤い車体の列車が トカゲのようにクネクネ車体をくねらせて 渓谷を走っていくところからきているらしい、終着駅はセルジャと言う駅でそこで また 逆戻りして戻ってくると 言うものです。貨物列車はもっと奥のほうまで行きますが、観光列車はお昼までに戻ってきるので、ここで機関車を反対側に付け直して山を降りてくるのです。
発車までしばらく待っていると、向こうから長い長い土砂をつんだ貨物列車がホームに入ってきます(上中央写真)、その数100両以上その土砂の中にリンが含まれているのです。
発車すると山のほうに向かい 町を抜けます、小さな町なので500mも進めば山肌が見えてきますが、この間子供たちが まだスピードにのっていない機関車を追い掛けたり併走しています。
最初は 子供の遊びかなぁ?と思っていると 多くの子供が走っています。
それにあわせるように、ヨーロッパの人たちがコインを投げます、そうかこれを狙っていたんだ。コインやキャンディを投げてそれを懸命に子供たちは拾うのです、動物園のような光景で目を背けたくなりました。
事実 その行為は子供たちを潤すのかもしれないけれど・・・・・・なんだか 人を動物のように見下したような感じがいやなのです。
むかしから 主従関係のはっきりした国なのだからかなぁ、何か物をあげるのだったら手渡しであげたい と思ってしまった。
多分 もらった子供たちはそんなことはどうでもいいさ、もらえれば と言う子供もいるけれど、少し大きくなった子供は 電車を追いかけることをしていなかったところを見ると 屈辱的なことだとわかっているからなんだろう。
そんなことを考えながら窓から顔を出していると 変な期待をさせてしまうので 首を引っ込めた。
周りでは 相変わらず コインを投げてそれに群がる子供を見て車内では 嬉々としている。
列車は赤茶けた山肌をゴトンゴトン緩やかに登っていく、時々 ゆっくり 走ったりしながら、1時間半ぐらいで 折り返し駅に着く、そこで一旦 先頭の機関車をはずして、下りの先頭に付け直します。

折り返しセルジャ駅には何もなく、降りる人もいないそのまま機関車を付け替えて、また来た道を戻ります。
正直 言うと これは少しがっかりしました。これに乗るか さらに奥地にある山岳オアシスの渓谷に行くか悩んだのですが、少し奮発しても ジェピカなどの山岳オアシスはよかった って いう話をあとで聞いたので これを見ている人でどうしようかなぁ と思っている人は 山岳オアシスに時間を割いてください。
順調にメトウライに戻り 団体客の人は あっという間に 3〜4台の大型バスに乗ってどこかにいってしまいました。
駅員にルアージュステーションを聞いて、トボトボ歩き始めました。
トズールに一旦戻って 砂漠の入り口と言われる ドゥーズに行こうかなぁ、などとふと思いました。
その途中には 塩湖のショット エル ジェリドの横を通るはずです。問題はそのバスが一日1便しかないことです。
ルアージュ ステーションは 道端でした・・・・山岳方面に行くルアージュを探しましたが、「朝しかないよ」と言われあきらめることにしました。
トズールに戻る ルアージュは頻発しているので 難なく乗り込み
昨日着いた バスターミナルに着きました。14時少し前です。太陽が高く上り眩しいくらいの日差しです。
バスターミナルに入るには0.5D必要です。入場のチケットをもいでいる人にドゥーズ行きのバスは?と聞くと あれだ!と指差した先には ここで降りる人の荷物を降ろしているバスが1台だけ小さなバスターミナルに見えました。やったこれはいいぞすぐ乗れるかなぁ?お金をバスの運転手に払うとバスにチケットの印刷機がついていて 座席ナンバーの入ったチケットをくれました。値段は5.5Dです、やっぱりバスは安いなぁ。すぐにバスは発車しました、時間をロスしないでツイテイルぞ!!
眩しくてサングラスをかけないではいられません、ウトウトしながらも 塩湖を探して窓の外を見続けます。ドゥーズまでは3時間半の予定です。
窓から外を眺めていると 少しはなれたところに 真っ白でキラキラ輝く 塩湖を見つけました。
少しの間ですが 地図と見比べて 自分の今いる位置を確認します。
17時少し過ぎたくらいで バスはドゥーズの高台にある バスステーション(ほとんど野原)に着きました。さあ 宿を探してどうしようかな?と考えていると・・・・なれなれしく一人の男が近寄ってきます、矢継ぎ早に 砂漠に行くのか?宿は決まったのか?日本人か?と聞いてきます。今着いたばかりで、ベンチでゆっくりプランを考えているのに うるさい・・・ 待て待て 自分で今考えているから 黙っていてくれ と そのうち 「日本人がここにはいるぞ」と その日本人は砂漠に行きたいけれど、人数が集まらないから 参加者を探しているんだって、そうこうしていると、向こうから一人の日本人が話しかけてきた「日本人ですか? 昨日この人に砂漠ツアーを頼んだけれど、ほかのツアーより安く行ける様に交渉しているんだけど、あと一人足りないんだ、参加しませんか?」との事だった、でも天気が悪くなってきそうだよ・・それに砂漠はモロッコでも行ったし・・・あまり気乗りはしなかった。その人はトミーさんといって、世界旅行の最中だった、中国からズーート西に来てヨーロッパを通ってチュニジアに来たのだった。
宿はドゥ ラ テント に泊まっているらしい、私は一度ヴァンマルスに行ってみたいと思っていたので、そこに行くよ と言った。
ヴァンマルスには トミーさんが案内してくれた。トイレシャワーつきの部屋で15Dだった、中庭もよく見えて窓も大きく明るい部屋が気に入ってそこに決めた。そのあと インターネットに行くが文字化けしてうまく使えない・・・・ホテルに戻ると、トミーさんと愛ちゃんという女性がソファーで話をしていた、彼女も昨日からここに泊まっているようだ。
2人とも感じのいい人と感じた、明日 気が向けば一緒に言ってもいいよとあいまいに答えていたが、あと一人を探している様子に「も一度砂漠もいいか?」と思い行くことにした、泊まりの砂漠ツアーで砂漠の中のオアシスまで車で行って(クサルギレン)そこから少しらくだに乗ってあたりを回って また クサルギレンのテントで1泊すると言うものだ。
3人で飯でも食いに行こうということなり ラマダン明けの合図を待つこととなった。
またまた 空砲がなり人々はいなくなり しばらくするとまた家の外に出てくる、そこでチャイを飲みながら おしゃべりするのだ
愛ちゃんはヨーロッパを回りチュニジアに来たそうで 一人で3ヶ月間旅行をするそうです。(驚)
そして 手には怪我をしており「どうしたの?」と聞いて見ると、すごい武勇伝を持っている人だった。その話は 後にすることにして、飯を食べたら ビールが飲みたくなり そこの店員にこの辺でビールが飲めるところ知らない?」と聞くと町外れの 「オートキャンプ場にあるよ」と言うことなので、行ってみることとする、真っ暗な道を テクテク歩いていくと バイクや車で来た人たちがテントを張って泊まる キャンプサイトがあり そこの横にこじんまりとした、小屋がありそこの人に「ビールある?」と聞くと 大きな冷蔵庫のような箱の中を見せてくれた、箱はでかいけれど その中に缶ビールが20本ぐらい 申し訳なさそうに 入っているのみであった。
それでも ここではありがたい 3人で話をしながら 私は缶ビール2本を飲んでしまった。
宿に戻るともう23時近くになっていた おのおのの部屋にホテルに帰りました、部屋の中は少し暑く 窓は全開ドアも少し開けて寝る。
明日は、本当は南の島にバスで移動しようと思っていたんだけど、まあ このような変更も良いか 旅は道ずれ世は情けです。