9月14日(金)

今日も朝から天気がいい、すこし回廊のようになった、ベランダで朝食をとる、ほかの旅行客は、ここから出ている ツアーに参加するために、ほかの宿からも来て。にぎやかです。
中には 日本人らしき2人組の女性もいます、どうやら 海外青年協力隊の休みを利用して、ここにいるようです。
スワヒリを話す人もいます。
ボーット そんな様子を眺めていたら、ジャファーリが迎えに来ました。
「さあ チェック アウトして 私の家に来なさい」と 招待してくれました。
そのまま、車に乗って 彼のうちに行きます、閑静な住宅街で、大きなうちが多い地区です。
そこで、車のホーンを鳴らすと、鉄の門が開き 車を入れます、入れたらすぐ 鍵をかけます。
やはり 昼でも 厳重に鍵をかけるようです、町は のんびりした感じなのですが、やはり 大きなうちにすんでいると 泥棒や強盗が来るのを警戒しているようです。
夜は 庭に常時 ガードマンが各家にいます、何かあったら みんなが協力して やっつける ようです。

ジャファリーの家は 小さな売店もやっていました、家に荷物を置き、近くを探索します。消防署が目に付きました。ジャファーリと中を覗いて見ました。古い型のベンツの消防車と 引っ張っていく はしご車がありました。
わいわい みんなが出てきて 記念撮影をします。左端は ジャファーリです(笑)
消防署にいった後に、絵を書くペンキを買いにいくというので ついていきました。
ペンキ屋さんは、アラブの人がやっているようです。

明日からまた移動をします、ビクトリア湖の近くに 行こうと思っていますが、バスで行くと言うと ジャファーリは「ぜったい よしたほうがいい、時間も24時間くらいかかるぞ、それに 国立公園の中を通るから、入場料を外国人は取られる」彼の友達の 旅行会社に連れて行ってくれました。
ムアンザまで 飛行機で言ったほうがいい と ここで 予約を入れておくことにしました。

約6000円くらいです、これで明日は ムアンザに行く事になりました。
このあと ジャファーリの工房に行く予定でしたが、急に銀行で 話をすることになったので、近くのおみやげの大きなモールで 降ろしてもらって、後で迎えに来てもらいました。

のんびりすごして、1日が終わりました。
夜は、ジャファーリの奥さんのもてなしで、夕食です、日本から持って帰った 炊飯器を使って ごはんを炊いています、こちらではインドの影響で米を食べる機会が多いのだそうです。肉はマトンや チキンを 香辛料で炒めたものなど、インド料理の影響を受けています。

万博の思い出の話や、そのときの写真や 私は作った パンフレットなどを 大切にファイルしてあって、2年以上前のことが 昨日のように思い出されます。着てよかった 探して よかった って 感じたひと時でした。

こんど彼は 奥さんと 日本にくるそうです、そのときに日本人の推薦者が必要なようです、「いいよ 推薦状と 身元保証をしますよ」という 話にもなりました。

彼は 日本に着たら、万博の跡地がどうなっているか 見てみたいそうです。
今では 一部を残してほとんどが 取り壊されて 夢の後のような 万博会場です。

一番下の娘さんと親戚の小さい男の子は、カメラをみて 興味津々です。しかし、女の子が弟分に勉強を教えていました。
こんど彼女は 中学生になるそうです。
明日は卒業式で 私にも見に来て って 言っていましたが、日にちがないので いけませんでした。
彼女は 何度も日本に来ているそうです。

ジャファーリは 家のお手伝いや フルーツを切ったり いいお父さんです、奥さんが病気がちなので こんど日本に初めて連れて行けるって 話していました。そのときは 万博の場所を見せてあげたいのだそうです。
BEERを 飲みながら 夜はふけていきました。外には ラジオの音が聞こえます。
タバコを吸いに(室内禁煙 笑)外に出ると、マサイの警備員がいすに座って ラジオを聞いています、そのつど「Heyジャパニー」って 挨拶してくれます、朝まで 警備して 帰っていくそうです 、ちなみに 1月3万円くらいの契約だそうです。
明日は 朝6時くらいにすこしはなれた ロータリーに 空港行きのバスが出るそうです。「歩いていけるよ」と話したら、「とんでもない、暗いときは危険だから すこしの距離でも 車で行くのがいい、明日は送ってあげるよ」と 言うことで ジャファーリも早朝おきて 送ってくれる事となりました
 「ありがとう」

← 部屋においてあった
ジャファーリが作った 姿見

部屋には
チャイが入っているポットを 置いておいてくれた

ちょっとした 親切が うれしいなぁ