船から、マンダーレの町に戻ると、そこには、朝乗った、ブールータクシーのおじさんと、助手席にもう一人、助手?が乗っていました。
しかし、二人とも英語が話せませんでした、でも何とかなるでしょう。

マンダーレーしないの昼下がりを、360ccの軽トラに乗って、ポコポコ 音をさせて移動していきます。
最初に行ったのは、マンダーレの小高い丘、マンダーレヒル近くにある、サンダムニ・パヤー、 1774もの小仏塔が建てられています。
真っ白な小仏塔は規則正しく、建てられていて、清楚な感じです。

マンダーレでは、どこの寺もその敷地内に入ると、裸足にならなくてはならず、必ずしも
きれいに、掃除が行き届いているとは限らず、小枝や小石で足の裏が痛くなり、当然まっ黒になります。
ここのお寺は、きれいに磨き上げられピカピカ 光輝いていました。
私はお寺の造形には、興味がありますが、宗教的なお祈りとかはあまりしません、クルーット廻って出てくるだけだと10分くらいで事が終わってしまい、車に乗ったり降りたりが、続きます。

次に向かったのは、すぐ隣の寺院でした。クドードォ・パヤーです、ここも真っ白な 小仏塔がありますが、それぞれの中には、経典が収められたのもだそうです。
そこも、クルット廻って、時間を見ると、まだまだ、15時くらい、最後にはマンダーレにある丘、マンダレーヒルにて日没を見て、駅まで送ってもらって終了と、最初計画を話していた、その間はどこにでも連れて行ってくれるという事になっています。
時間があるので、市外にはずれ、マンダーレー最大の寺院、でマハムニ仏が祭られている、マハムニ・パヤーに向かいます。
マンダーレヒルの麓からは、少し距離があり、30分くらい走ります。

今までのお寺では、人の気配がなく、観光客も 参拝者も いませんでしたが、ここはさすが、有名なお寺で、出店も並んでにぎわっています。
警官が中を警備したり、多くの信者が、仏像に金箔を貼っていたりします。私も入り口の、女の人から花を買って献花します。

ここのお寺には、高さ4mもの、大きなマハムニ像が収められています。金属製でお寺の火災で、本堂は消失したのですが、この像は残り、また信者が、金箔を貼り付けて、今では金ぴかになっています。

金箔を張るために上段に上って、張りますが、女性は残念なことに
下の段までしか入れないようになっています。

仏教では女性は、お坊さんに触れることも、直接、お守りを授かることもできません。

しかし、熱心なおばあさんは、正面より近くに寄れる、横の通路から、お祈りをしていました。

ここには、ライオンや人間をかたどった6体のクメール様式の青銅像で、最初はアンコールワットに置いてあったものを、1431年タイ軍が持ち去り、1564年アユタヤにモン族がバゴーに奪い返し 1600年ヤカインの王が、バゴーから持ち去り、1784年にバードパヤー王が、奪い返し 今の場所に納めた もので、体の悪いところを、直すと言われている。

男性はここで金箔を貼る

女性はここで、お祈りをする

繊細な感じのお寺は国内各地にある

マハムニ仏のモデルになたものとも言われ

昔の世界地図には、日本も書いてあります。

境内にある 鐘は太い棒で、突くようにして
鳴らし、大小さまざまな鐘は低い音から
高い音まで、響き渡ります。

一通り、お寺を廻って16時過ぎ 今から、また、マンダーレヒルに向かいます、そのこの麓から、
ゆっくり頂上を目指すと40分くらいかかると言う事です。
今日から、バスの窮屈な移動で、寝不足気味で、朝からボートに乗ってミングオンに行き、
それからの市内観光で少し疲れていますが、マンダーレヒルを、目指します。

市内の様子、

マンダーレ・ヒルの階段

写真のような階段を延々、ペタペタ裸足で上っていく、所々にお寺が点在し、丘全体が回廊でつながったお寺という感じです。涼しい風が、吹き抜けて気持ちがいい。でも一番下から、上る人はほとんどいません。、

← はじめてのゆっくりとった食事
ミャンマーに来て、まだ、まともな食事がとれていませんでした。

山頂に上る途中に、飯屋を見つけ、少し早い夕食をとる、仏教域なので、もちろんアルコールはない。

定番のチャーハンとラーメンです。

ふと横を見ると続々車やミニバスが止まっています。「ん?」と気がつきました。ここまでは車であがってくる道があるんだ!(7合目)、そしてその横には、なんとエレベーターまであるではないか、そうです、苦労して上る必要はないのですが、地元の人はもちろん下から歩くので、ブルータクシーの人は下でおろしてくれたのでした。(上の駐車場はちゃんとした日本車のマークUや15年前くらいの、程度のよいカムリなどが多く、ブルータクーシーに乗って、上まで通行料を払って上ってくる人はいません)急にここから、人が増えてきます。そうです、ここはマンダーレのサンセットスポットなのです。

夕焼けが迫ってきて、山頂に行くと、きれいにお店がありエレベーターで
上がってきた人も多く集まっています。

山頂では、係員に「カメラを持っている人は、3500k払ってください」と言われ
渋々払います。

その後間髪いれずに、別の人が「マンダーレエリアの観光チケットを持ってい
る?」と聞いてきました。どうやらここに入るには、その周遊チケットがいるよう
です。「ないけど・・」「じゃあ購入しなくてはならない」「いくらですか」「15ドル!!」 
 「エエエエエエット、これを見たら、もう列車でバガンに移動するんで、15ドルは払えない」
(実際、15ドルあれば3泊〜4泊は宿泊できる値段です)もう降りますと言って、少し下りかけたところで、
さっきのカメラ持ち込み料を、払い戻してもらうことにしました。いやそうに、女性の徴収員は返してくれましたが、いくら日本人でも、この夕日を見るために15ドルは払いません、日本国内でも1800円払って、夕日を見る人はいないと思います。そんな足元を見た、ミャンマーの取れるとこから、とってやれ と言う考えがミエミエです。
国民も「何でもかんでも、すぐ名目つけて私たちからも金を徴収っするんだ、最悪だよ」と言っていました。
経済制裁を受けている、この国では観光客から外貨を強制的に徴収しないと、と言う感じです、だから外国人はドル払いのみです。

夕日は雲がかかって きれいに、地平線に沈んでいく姿は見れません、この季節は条件がよくないそうです。
「まあーいいか」と途中の下り階段から写真を撮って、また、一番下の入り口まで、ペタペタ歩きます。暗くなって足元が見えにくくなっています。階段のところどころにあった、出店もすでに撤収してしまって、さびしい感じです。
真っ暗になって、入り口に着くと、「おおおっ 帰ってきたか」という感じで、ブルータクシーは待っていてくれました。
「もういいか?」と聞かれ「ああ、朝早くからありがとうね、じゃあ、駅までお願いします」と言うと、意味が判ったか判らないか?駅にまた、ポコポコ走って、駅に着いたのが、19時30分くらい、あと二時間、列車に乗るまでに時間があるが、駅前の中国系のホテルで、ビールでも飲んで時間をつぶすことにして、彼らとはお別れです。気持ちを込めて5ドルチップをあげました、二人はとてもうれしそうに、顔を見合わせ、チェーズティンパァデェ(ありがとう)と言ってくれました。そのときの写真が、前頁にある、ブルータクシーの写真です。

少し望遠をかけて上から撮った街

ア〜アアッ 雲がかかってしまった 

こっちは まあ、まずくはないけど・・・

見た目 よりも 実際はうまかった!

合計2500k (観光場所の値段です。)

このマンダレービールが、非常においしい、今までいろいろな国で、いろいろなビールを飲んだ中でも、5本の指に入るもので、言えるくらいの、おいしさでした。(後で聞くと、やっぱりドイツのビールコンテストで何度も入賞してるらしい)

日本では、まずビールを飲まない私ですが、外国に行くとビールが一番手っ取り早いので、かなりいろいろな銘柄を飲んでいます。

今日一日、長くなりましたが・・・・・
駅に行くと、ホームも真っ暗でもちろん電光掲示板の、案内板もない、電車はどこに来るんだろ?と思い、改札のおじさんに聞くと「ここで待ってな、若いもんに案内させるから、でもまだ電車が着てないんで、ここで待っていなっさい」と心強い、言葉

真っ暗なホームには、何両もの列車が、各ホームにたたずんでいました。
「どれだろう?」放送も案内もない、文字は読めない・・・まだまだ、観光客を乗せるためのものではないようです。しかも、私が頼んだアッパークラス(とはいっても、硬い木のいすに、スポンジの薄いクッションがついた程度で、ただし、リクライニング出来る、)のみ、室内に蛍光灯室内灯がある、ほかの車両は、真っ暗・・・・でも インドほど汚くはない。

駅員の若者に、延々と真っ暗なホームを歩き、座席まで案内してもらい、隣の人に「ここはこの人が座るから、よろしくね」と告げて、帰りかけた時に、お礼に300kを手渡し、またホームに下りると、ちびっ子がいっぱい、夜のホームで遊んでいます。
少し、年長の子が、タバコやお菓子を売り歩いているのに ついて廻ってるのです。

一人の男の子から、タバコの葉っぱを巻いただけのタバコを、20本くらい買って、(多分少し高い値段だと思う)「写真を撮るよ」とデジカメを構えると「、ワーーーーーッ」と集まってきました。フラッシュがピカピカするのが、嬉しいらしく、何枚もねだります。
デジカメで撮って、モニターを見せてあげると「おっこれは俺だ!とおおはしゃぎです。

そんな時間をすごすと、列車に乗り込み、22時になると、列車は何の前触れもなく、スーーット 動き出しました。

短い、そして 忙しかったマンダーレにさよならです。もう少し時間があったら、もっとのんびりしたかった街です。

↑  誰も乗ってないように見える、アッパークラスの車内、しかし、ちゃんと乗客はいるのですよ、どこに? 床に寝ています。なぜ床に寝ているのかと言うと、いすに座ってリクライニングにしていると、第二次世界大戦時に作られた、この線路は、かなり曲がったり、うねったりしていて、横揺れ・縦ゆれは、今まで乗った国の列車でも別格なくらい 揺れます。バスよりもゆれる、バスよりは足元に余裕がありますが、だんだん揺れで、いすに座っている、尻がずれて、いすから落ちそうになることしばしばで、その度に、ずり落ちた尻を、直さなければいけないので、慣れている、ミャンマー人は、空いているアッパークラスを頼んで、床に寝るのです。

しかし、日本を出て3日目未だ、宿で寝ていないので、シャツを代え、水で簡単に体を拭いて、水を買って、列車の連結部で歯磨きをして、明日は、まず宿を決めて、シャワーを浴びたいと思いつつ、一向に収まらない、揺れに耐えつつ、うとうとして夜を過ごします。

車両には、外国人らしき人は皆無、窓は開けていますが、だんだん寒くなり、閉めても隙間風が結構寒く、「こんなこともあるだろう」と予想していたので、日本を出たときの、服装をして、トレーナーに薄いスポーツ用ブルゾンで、丸くなって目を閉じていました。まあ こんなんも悪くない・・・・

タバコ売りの兄弟、しっかり者のお兄ちゃんとちゃっかりした妹です。

ポーズをとっている女の子
      ↓         

暗闇に佇む、 アッパークラスって
この電車かな?

あっちへ いけーーい

 鉄道のチケット