バスは定刻を少し過ぎて、出発したわけなんだけど、その座席の狭さといったら、日本の観光バスの座席を増やして、前席の背もたれとのスキマが狭く、決して大きくない私のひざが前の席につく有様、もちろん足を組むことなんてできない、幸い通路側だったので、体を傾けて片足は通路に放り出して、ようやく少し緩和される感じですが、そんな体勢は長続きできない、また、体をよじってリクライニングができるということだが、前がリクライニングするとさらに、スペースは狭くなって、寝ることはできない状態です。

それでも、2時間くらいずつ寝ては、また腰が痛くなって、体勢を変えて・・・・という感じです。
もう少しお金払ってでもいいから、もう少しゆとりのあるスペースをちょうだい!

隣のミャンマー人の男性は我慢強く上手に横を向いたりしていましたが・・・・・
そして、やっぱり日が暮れると、ミャンマーは思いのほか寒く、それでもなぜだか、クーラーが効いているもんだから日本を出発したときの、長袖、薄手のヤッケを着てちょうどいいくらいです。ほんと寒いんです、外国のエアコンバスや列車は、飛行機の機内も寒いけれど・・・・・

死にそうになりながら、腰が痛くなって、ようやく朝の6時前に、マンダーレの郊外のバスターミナルに到着、乗り心地自体は悪くなかったので、この路線の道路は悪くないんでしょう、(夜でよく見えない)
こんなことで泣き言を言っている、私も少々焼きがまわってきたのかも知れませんが・・・

バスターミナルといっても、原っぱにバスがゴチャゴチャ止まっていて、それにタクシーの呼び込みやら、いる状態です。
今日もまず最初に、駅に行って、今晩の夜行急行で、バカンに行くためのチケットを買いにいかなくてはなりません、今度こそ乗るぞミャンマー鉄道です。

値段はヤンゴンより安いはず、駅まで2000kで交渉成立、その後、マンダーレの市内を周って、ミングォンに行く私の場所の送り迎えをして、夕日をマンダーレ・ヒルで見て、最後に駅まで送って、25000kでどうだと、仲介人みたいな人が提案してきました。23000kならいいよ、だってミングォンに行ったら、9時から14時までは向こうにいるわけで、実質半日じゃないと言うと、「わかった、23000kで」ということになりました。
正直これの半分くらいの値段が相場かも知れません、しかし、気持ちよく自由に行きたい所を、行きたい時間まで、あんたの指示のところになら
どこでも、と言うことで、時間を買いました。
(ミングォンというのは、マンダーレにかかるエヤワディー側の対岸10`上流にある古都です。)

早速、30年以上前の、マツダの360ccの軽トラに幌がついた、通称ブルータクシー(地元の人も、普通のタクシーと区別して、ブルータクシーと読んでいて 値段が安いと言っています)
ガタゴト良い味を出して、走っていきます。

最後に撮った写真

最初に駅に行く時に、一人の若者がついてきました
身なりのしっかりした感じです。

駅に行くと、私は22時発のバガン行きの列車のチケットを
取りたかったのです。
若者はテキパキと駅に入り、慣れた様子で、二階の外国人
専用の受付を通り越し、ドアを開けて中に入っていきました
そこは、切符売り場の中側で、いすに座って切符を売っている
人の後ろに立っているわけです。

一言二言 駅員に何かいうと、駅員は「じゃあ、こっちでやるよ」と事務所の奥で、8ドル
払って、チケットを受け取り、あっという間に、終わりました。
「20時半には、ホームに来てくださいね」

先ほどの若者がいなければ、迷って時間が掛かったはず、大変助かりました。
「この後は、ミングオン行きのボート乗り場に行くよ」と段取りがいいのです。
「ところで、あなたナ誰?と聞くと、ホテルの従業員です、と言って、マンダーレ・スター
ホテルの
名札を見せました。
でも、私は先ほど買ったチケットによって、今晩、バガンに出発してしまうんだけど・・・
「それは別にいいんですよ、いつもあそこのバスターミナルにいて、ひょっとして、
お客さんがいれば、ホテルに連れて行くのが仕事ですから、と言っていました。
金銭の要求もしてきません。

ボート乗り場に連れて行ってくれ、その後、朝食をとる屋台のようなとこにて、別れましたが、別れ際、またもやバイクのおもちゃを2台あげると、非常に嬉しそうに、部屋に飾っておくよ、と言っていました。
彼は、「この後ホテルの仕事が始まるから、失礼します、もし、あなたがミングォンから、帰ってくる時間に間に合えば、ここに戻るけど、できなければ、代わりの人をよこすから、心配しないで」と言って、手を振って立ち去っていきました。いい人だ・・

川沿いの、屋台は観光客を皆無、洗面器のような桶に、茶碗が浮かべてありその茶碗を、取り出して、洗面器の中の水を少しすくって、中を指でゴシゴシして、水を捨てて、そこに暑いお茶を注いで渡してくれます。チョット、水やら衛生状態やが心配ですが、まあ、郷に入れば郷に従え、あまりいやな顔をしてもいけない、にこっとして、グイット飲み干しました。腹は大丈夫だったか?って・・・・もちろん 鉄の胃腸を持つ私ですから・・・
お粥を(朝食はお粥が多い)食べて、川沿いを見に行きます。

↑これが ロンジーと言う
服装みんな穿いてる

川沿いに住んでいる人は、やっぱり貧困層の人が多い、どうしてか?今ミャンマーは、いろいろなものに多くの税金を掛け、ホテルの営業や資格、家の課税は高いのです。だから、川沿いとか、水上住居とかに住むのです。

上の写真のテントのような、建物に住んでいます。
この時に、走り回って遊んでいる子供が3人くらいいて、おもちゃをあげたのですが、これが失敗で、あっという間に、10人くらい集まってきて、その後も、「ヤッター、これもらった」って、走り回り、自慢をするわけだから、あっという間に、何十人もの子供が、わんさか出てきて、思わず、逃げ出しました。15人くらいには、小さなおもちゃをあげたのですが、以後、闇雲にあげたりしないで、お礼の印であげないと、良くないことが判りました。

船に乗り込んだら、9時出発、約2時間弱 ゆっくり川を上っていきます。(往復3000k)
川沿いには、テントが建って川で洗濯している姿が見えます。
スイス人カップルと、ドイツ人の男性、日本人の親子、日本人の男性と私が乗客です。

このあとが、大変だった(汗)

ボートから、ミングォン・パヤーが見えて
きます。

これは、1790年から建設されて、
ボードパヤー王が建設途中に、死去して
中止された、未完成の寺院です。

完成していたら、一辺72m、高さ150m
のピラミッドも凌駕するものができていた
でしょう。

しかし、その後の地震で崩壊し今の形で
残っています。

川沿いで生活する人々

渡し舟の様子

ミングォン・パヤー(デジカメ)

ミングォンに、外国人がはいると、3ドルの入場料を、払わなけれ
ばならない。(米ドルのみ)


 ライカVFで、撮ったモノクロ写真
 なかなか、露出・シャッタースピードがあわなくて、多くの写真 が、ボツとなった。

船から下りると、「14時にここに集合だからね」と言われ、川沿いを歩き出します。

まず目に入るのは、真っ白なサトーヤ・パヤこれを昇ると、ミングォン・パヤがそびえたっています。

入場料を支払い、履物を脱いで、ビニール袋に入れて、リックにくくります、そうです まだ私は10キロ近くのリックを背負って 移動しているのです、日本から出て、2日目ですが、いまだ宿に泊っておらず、荷物は持って歩かなければならない状態なのです。

それに、もうもう一つ貴重品とカメラ3台の入った、ワンショルダーのバックです、これをもって、目もくらむような急な階段を上っていかなくてはいけません。

後で、日本人で一人できた人が 言っていました。
「サングラスにハンチングで、顔がよく判らなかったので、そんな荷物を持って移動しているのだから、てっきりイタリア人か思った。」でた〜 イタリア人 発言 今回で3国目です、イタリア人といわれたのは・・・・

確かに、ここミャンマーは、外国人で一番多いのが、私の苦手な自己主張の国のフランス人、その次が緻密なドイツ人 そして明るいイタリア人だそうです。

↑ 一眼レフ、ポジフィルムで撮った、サトーヤ・パヤー

← お気に入りの、「世界最速のインデアン」と言う、バイク狂のじじいの映画のTシャツで、  背中にはインデアンの横顔のマークが入っていて、「何で、インデアンだ」、と指を刺し  て聞かれたこともある

ミングォン・パヤーの頂上部分に、行くためには最後のところで
地震でひび割れて、クレバスのように裂け目ができているところもあり、(30センチくらい)ここをまたいで、直角になった、頼りない木でできたはしごをよじ登っていかなくてはならず、年配の人は、それぞれ手を引き合って、昇っていった。
そこに、私がリックを背負って、行ったものだから、「グット・ラック」と降りてきてすれ違う人に、言われてしまった。

少し気合を入れて昇れば何のことないところであったが・・・・

ミングォン・パヤーを降りて、ミングオンの鐘の置いてあるところに行く、この鐘は、ミングォン・パヤーが完成したら、吊るそうと思って、作った巨大な鐘で、重さは90トン!!あるそうです。
どうやって、あそこの頂上に持っていって、なおかつ、吊るそうとしたのか、もちろん人力?信仰心はすごいと、改めて感心しました。

しかし、イギリスの植民地時代に、イギリス軍が大砲を作ろうと思い持ち出してしまったが、あまりの重さにエーヤーワディ川に落としてしまい、放棄して行ったのを、また、信仰心の強いミャンマーの人が引き上げて、今の場所に吊るしてあるそうです。

恐るべき、信仰心とミャンマー人

シンピューメエ 
亡き婦人シンピューメエのために作った寺院

驚異の90トン!

牛に優しく、おじさんが声を掛けながら進む

人の歩くスピードで、のんびり進む牛車

ミングォンの鐘を鐘一突きして、シンピューメエに行きます。
ここは、回廊のように塔に登って行けます、周りの景色がよく見えるようになっています。

しかし、上るたびに小坊主がいて、デメリッション(喜捨)をしてくれとうるさい、小乗仏教では、一般人は坊さんに喜捨することによって、徳がつめて来世で、ステージが上がると思われているが、それにしても、ここミャンマーでは坊主の「デメリッション」と言う言葉が多すぎる。生活に困窮さがあるとは思われないが(食事はちゃんと、托鉢でまかなっている)

マンダーレでは、坊さんが、漫画を売って歩いている商人から、何冊もの漫画を買っていた、一般人は漫画を買って読むことなどできないことを考えると、観光客の喜捨はいい小遣い稼ぎのように思われる。
だから、喜捨はしなかった。

シンピューメエを一通り見たら、のどが渇き(気温35度以上)コカコーラを瓶で飲みます。1000k!この国ではべらぼうに高い!帰りは、止っていた牛車に乗って(500k)1キロも離れていませんが、のんびり船着場に帰ります。あっという間の滞在でした、もう船の時間14時が近づいてきます。船に乗ったら、今度は川を下って行きます。