9月28日(木)

今日は、朝からバスに乗って、快適だったメリダを後にします。
7時のバスは、ADOのプリメーラクラス、4時間の予定です。
ホテルの人にお礼を言って、リックを抱えてテルミナル・デ・オトブスに向かいます。
バスは、15分くらい間になると、荷物を飛行機のように、カウンターで預けます、代わりに荷物タグがもらえ、これを無くすとなかなか荷物を渡してもらえませんので、注意が必要です。
カンクンは、メキシコ一のリゾート地で、長い洲になったところに、高級ホテルが立ち並び、旧市街側には、おいしい地元のレストランや、小さなホテルが立ち並びます。
バスは順調に高速道路を走り、ウトウトしている間に、カンクンのセントロ近くのバスターミナルに着きました。
9月というのに真夏の太陽が照り付けて、30度後半の気温です。まずは、セントロから歩いて、5分くらいのホテルに今日の宿を見つけに行きます。
明日は、帰国の日で、朝5時には空港に着いていなければいけません。今日が最期の、旅行地での生活になります。
あっという間に、過ぎていってしまった時間は、なんだか昨日の事のような、すっと前のことのような複雑な感じです。最期は、カンクンでゆっくりビーチリゾートでも満喫しようかと思っていましたが、ここに来て
1枚のポスターをバスターミナルで発見!「最期のインカ帝国、トゥルム遺跡」うーーーん二時間半で、いけるようだ、遺跡の中にビーチが併設されているようだ、今からなら間に合いそうだ、「よし、水着とタオル、カメラと貴重品を持って、行ってみよう」と急遽、トゥルムに行くことにしました。
宿は、目星をつけていたコロニアルにしよう、聞いてみると、「あるよ」「とおりに面した窓のある部屋がいいのだけど・・・」「今は一杯なんだ」「じゃあ 空いている部屋でいいよ」
通された部屋は、内廊下形式の、回廊に面している部屋で、中は暗い「ウウウーーーン。窓のある部屋はないの?そちら側の・・」ととおり側を指差した「あるけれど、ファンのみなんだ」かなり暑かったが、「じゃあ、そのファンの部屋でいいよ」と部屋は決まりました。1泊300ペソスです。「明日は早く発ちたいので、タクシーの手配を頼むよ」「任しておいてよ」ということで、部屋に入ったのが、12時過ぎ、そこから、荷物を整理して、またバスターミナルに行きます。
バスは、2等のオリエンテのバスです、1等もいいけれど、もうすでに出たばかりなので、2等で行きます。
バスは、何人かの欧米旅行客を乗せ、後は地元の人が乗っていました。
広い道をスイスイ走り、2時間半後には、トゥルムの遺跡の近くの国道上に止まりました・運転手の人にあらかじめ、トゥルム ルイナス(遺跡=ルイナス)と言って置いたので、教えてくれました。そうでないと、7キロ離れたトゥルムの町に着いてしまいます。
そこでは名人かの欧米人が降りて、迎えに来ていた車に荷物を積みなおし、この近くの静かな、宿に泊まるようです。アメリカ人の2人組の大学生は、カンクンで散々遊んで、もう騒がしいところや、都会的な町は、十分と 話していました それで静かな、ここに宿替えをしたようです。
バスを降りて、200mくらい、小道を歩くと、広場があり、そこではレストランやお土産やサンがあります。そこから歩いても1キロ弱なのですが、ここはい一発、トレインに乗っていきます。トレインといっても、トラクターが引っ張って、遺跡の入り口まで連れて行ってくれるものです。大方の外国人は、「高い!歩いていくから いらない」って、怒り出す人が多かった、別に、日本円で100円くらいのものでしたが・・乗らないは 自由ですが、怒らなくてもいいのにな。外国人は、有色人種に対しては、すぐ怒るんですよね。
遺跡は、今までと違った形になっています、まず、高い塀で囲まれた都市を作っていて、スペイン人から町を守った後が見受けられます。
海から来た スペイン人はまず最初に、この遺跡を発見したそうです。時間はすでに15時を過ぎていました、遺跡の敷地に入ってすぐに、海のほうに行きます。高い崖を降りて、下に行くと小さな砂浜がありました。早速、水着に着替えて(砂浜で)海に入ってみます。
潜ってみると、透明度が、キーカーカーとぜんぜん違い、がっかり。しかし、海からカメラを持って行って、遺跡を撮りました。
30分ぐらい バチャバチャやって、買っておいたクリスタルウオーターで、濃い目の塩水を流し、遺跡に戻ります。遺跡自体は、建物も低く 小さく、今まで見た壮大な遺跡と比べると物足りなさを感じました。しばらくすると 係員が 例の笛をピーーーッ と吹かれて「何?」と聞くと「もう閉館時間だから、順次 出口に向かいなさい」との事です。

トレイン トラクター

海の中から撮った遺跡

あっという間の滞在ですが、気になっていたのでそれでも満足です。
遺跡を出たのは17時前くらい、そこから またトラクタートレインに乗って、広場まで行き、バスの乗り場に向かいます。
1等の乗り場は、きちんとした、建物があって、1等はすでに出た後でした、この後は1時間後、道路で待っていると、2等クラスのバスが通りがかるので、それに乗れば良いと、教えてもらいました。
程なくバスは来ました、席は自由席で、チケットは、バスの中に自動販売機のようなものがあり、運転手に「カンクンまで」と伝えると、打ち出してくれました。
バスに乗った時は、割と空いていましたが、時間が17時過ぎ、カンクンまでの道は 今拡拡張工事中で、多くの作業の人たちが、次々 乗ってきます。
作業服そのままで、1日しっかり労働をして・・・・・・・・・・・だんだん、ギュウギュウ詰めになってきました、そこで 問題が汗ばんだ服そのままの、体臭が車内に充満し、目が痛くなるほどの、すごさで、これが2等バスの醍醐味と、言い聞かせながら、何とか外も真っ暗になったころ、2時間半後にカンクンに到着しました。ホテルに行く前に、バスターミナルで、行きにも買ったサンドイッチをパクつきながら、ホテルに戻ります。
まだ、キーカーカーで焼けた背中は 痛く水を少しずつかけて、アロエオイルを塗りこんで、シャワーを浴びると、明日の荷造りを済ませて、旧市外のレストランに向かいます。パラバス公園を横切り、ヤシュチュラン通に出ます、レストランやパブの多い通リです。その通リのメキシコ料理のラブラシータに行きます。ここで炭火焼焼肉のファヒータとビールで夕食をとります、流しの3人くらいのバンドや8人くらいの楽団が、いろいろな店でテーブルの傍らで、演奏しています。
通リもにぎやかです。

← メリダからカンクンまでの
バスチケット

↑ カンクン セントロの
コロニアルホテル

焼肉 ファヒータ

その後も、コーヒを飲んだりして、宿に帰ったのは、23時くらいです。
明日のために、そのまま 少し暑い部屋の天井のファンを最強にして寝ます、しかし、キーカーカーから 背中の日焼けはケロイド状になり、横を向いてもしくは、うつ伏せでしか寝れない日々が続き、ここ数日は十分な睡眠が取れていませんでした。睡眠が阻害されると、疲れがみるみる溜まってきています。
何とか酒の勢いで眠りにつくことができましたが、初日のベリーズのシュノーケリングでシャツを着ないで スノーケリングおこなった事を、後悔しました。