非常に暑い、ヴィエンチャンのオアシス、サウナに行こう!
昼の時間を利用して、サウナで一汗流し、すっきりリフレッシュ、サウナに着くと、12時から営業ですが、まだ掃除中、少し待っている間に、もう一人 日本人のような顔をした、山○邦正さん似のラオス人が居ました。
サウナは、一つの部屋が3m四方ぐらいでハーブが敷き詰められ、窓もない 真っ暗の状態です。
中に入るとすごく暑い、そこにバスタオルを巻いて入ります。
ムッする中で、ラオス人も入ってきました、彼は自称ヴィエンチャンの大学生です。(良くあるパターン)何人?と聞かれ日本人と答えると、日本j人はは大好きだ!と言うじゃないですか、まあ、これも良くあることで、しばらくすると暑くて我慢が出来なくなって、外に出ようよしたとき、スルット私のタオルの中のモモの付け根に手が伸びてきました。???
顔を見るとニヤッと、笑います。
こ こいつ ホモだなと思うが早いか、そいつの尻に、キックを見舞ってやりました。ピシィ っと乾いた音が響いて、そいつは「あうううう」って尻をさすります。
まあ、それでおしまい、シャワーを浴びてシャンプーをしていたら、外でそいつは行儀よく待っていました。「シャンプーまだあるから、お前にやるよ」 「サンキュー」と言って、そいつは腰をくねくねさせながら、シャワールームに入っていきます。
まあ、そいつもそんなに気にしていないようで、なかから、鼻歌が聞こえてきました。
少し涼んで、服を着替えて、薄手の長ズボンに代えます、シャツも代えてもうすぐ13時 トクトクを見つけて、また、ワット・ホー・パケオに向います。
1563年に建てられた、このお寺は、どこかで聞いたことがある、名前 そうです、ワット プラケオ(チェンライ) ワット プラケオ(バンコク)と同じ、エメラルド寺院という名前なのです。エメラルドで出来た仏像が、タイここを行ったりきたり、盗ったり盗られたりして、あちこちにこの名前があるのです。
静かな寺院は、チェンライのものとも、また、バンコクの壮大なものとも違います。
今は、お寺ではなくミュジアムになっています。 少しチェンライのワット プラケオに似ています。
回廊には仏像が置いてありますが、みんなが触れるので、損傷が激しくなっています。中は昔の巻物 反物 など歴史博物館のようになっています。しかし、エメラルド像は バンコクにあり、ここにはありません。
そのあとは向いにある、ワット シーサケート(WAT SISAKET)
この寺院は1824年に建てられた、物で日本の木造建築に比べれば 新しいのですが、数々の戦火をくぐり抜けたことを考えると歴史を感じさせます。仏像が数多く安置されていてその数、1万本以上、まだまだ修復されていないものが、山済みされてました。
風通しのいい回廊部分で休憩をします。
やはりここも博物館となっています。この建物に、お坊さんが居ないとイメージが違う感じです。お坊さんとお寺でなくちゃ と思います。
早々に出て、時間が少しありました。15時には飛行場に、行かなくてはいけません。
そうです、あと少しでラオスを出て、バンコク行きの飛行機に乗ります。その便で、18時ころにバンコクに着き、0:30の名古屋行きの飛行機乗るのです。
でも、歩いてダートダムという、なんだかわからないあり塚のような、建築物、黒塔 とも呼ばれ、シャムの侵入からこの街を守った、龍が住んでいるといわれているが、中には入れません。
DARK BLUE とELEMENTS AQUA を買いました、こんなところで、纏め買いするなんて中部国際空港では、ラルフローレンのブラックという新種を買ったばかりなのに・・
飛行機は順調に ワッタイ国際空港を出発、中には、家族で赴任していた日本人家族が、人事異動で日本に戻るらしく「日本ではまだコートいるのかな?しばらくコート買ってないから、来年はみんなの分も買わなければいけないね」と話す声が聞こえてきます。
がんばる日本人です。
そして、行き同じプロペラ機は(行きはバンコクエアウエーズ 帰りはラオスエアー)バンコク ドンムアン国際空港に着きました。
これからの予定は、とりあえず荷物を預けて、バンコクに繰り出す。事です。
そこで今回 今まで旅行をしてきた中でも一番の、激怒に遭います。
それは荷物をターミナル1の荷物預かりに、預けようとしたときの事です。
預けようと覗くと、そこには、若い男女とそれより少し年上らしき30代の、係員がいます。
私が「荷物を預けたいのだけど」と言うと、「わかった、でもカメラとかは入っていないよね」「あッ 入れているから」と言うまもなく、リックを勝手にあけだしたのです。「何をするんだ」と言うと、急に態度が悪くなり(機嫌を損ねたのかも)「カメラがあるじゃないか」と若い係員が、いやな目つきで言う、「しらなかった、それじゃ持っていくよ カメラは」 「他にもあるんじゃないか?」 と言い終わらないうちに、空港の通路で、私のリックのファスナーを全開にした。「おまえ いい加減にしろよ、こんな通りでそれも、荷物を勝手に全部出して、こんなことが許されると思っているのか」と言っても悪意に満ちた 勝ち誇ったような目をして睨むだけ
欧米人のときは、見ていたけれど「カメラは」と聞き、「No」と言われそれだけでした。
下着や土産を、無造作に通路に放り出して、私が「きちんと仕舞えよ」と言っても、ふてくされてポイポイ放り投げて、せっかく綺麗にパッキングしたものも台無しです。
結局、何もなく「何で、そんなことをするんだ」「私達は警察と同じだ」 私が「警察でもそんな外国人のかばんを勝手に開けないぞ、これは問題だな」 すると「これは ルールだから仕方がない」と、他の2人とで 薄笑いをしている。廊下を 通る乗降客も何事かと見て通り過ぎる。
「荷物は預かるから この神を受け取るときに提出してくれ」 その後、先輩のほうが「まあ、そう 怒るなよ」と 言うが 「日本人だから 我慢すると思ったら大間違い・・」
そこから すぐ角を曲がると、ツーリストポリスの詰め所があります。そこで事情を説明「それは 非常識なことを・・でもどうして欲しいのですか?」とあまり動く気配がない、若い女性警官達 「タイ国では、そんな事が通用するの、空港と言う公の施設の中で 」と聞くと「そうじゃないけれど・・」と用をなさない。そのうち、そこのチーフーが帰ってきた、事情を説明すると、「そんな事をしたのですか、彼らにはそんな権限はないし、業務違反だ、今から空港職員を 呼びますから」と対応してくれました。
総勢警官3名 空港職員2名が来て、先ほどの荷物預かりのところへ、気楽にベンチに足を投げ出して、メールを打っていた、彼ら3人は その姿と私を見て「ギョッ 」とした表情 さあ 責任をとってもらいます。やっただけのことは、どこでも 自分で尻を拭いてもらうのが当たり前。
「事情は聞いたけれど、あなた達は 本当にそんなことをしたのですか?」 と空港職員は確認している、彼らも事実を認めた。
空港職員が「彼らには、貴重品を出してくれるよう言うことは出来るが、お客様のバックの中身を見ることは、出来ません。ましてや公衆の通路に放り出すなど、」と説明します。「そして 彼らはそのようなことを やったあとに 謝りましたか?」と警察のチーフが聞いてきます。
「いや もちろん一言もありません」と言うや すぐに「アイアム ソーリー」といやいや 詫びたがもう遅い、非常に態度が悪い。
プリケーション フォームを書いてと言われ、難しくて書けないな と言うと、じゃあ 私が事のいきさつをここに書くから、見て サインしてください
という事で、書いた書類を見て、サインをしました。
空港職員の話では、「これでここの会社が何かの対処をしないと、今度のこの警備会社は 空港との契約更新が出来ない」、ようになっている。
との事です。
いつの間にか空港職員が 携帯電話で警備会社の責任者を呼びだし、事の顛末を説明。そのあとは、彼らの代わりの警備員が来て、空港事務所に、連れて行かれました。
タイなどでは、国際化に力を入れていて、このような前時代的なことを排除しようと努力しているので、対応が早いのだと思います。
こんな状況にあって、自分に非がないときは、しっかり しかるべきところに、苦情を言ったほうがいいですよ。
そんなことで、1時間も貴重な時間を食ってしまったのですが、この問題はまあいいか とほっておくわけにはいかないので(後々、日本人ならいいや じゃ困る人が増える)気を取り直して、スクンビットの飲み屋で 久しぶりのビア チャン(ゾウのマーク)を飲んで、その後、昔 行った事のある、マッサージ屋で トラデショナル マッサージをする、やっぱり タイのマッサージは世界一です。マッサージが終わったころには、短いバンコクの滞在も終わりです。見違えるほど綺麗になった、バンコクのタクシー車両は 日本物とも比べても遜色ないくらい、いい車ばかりになっていました。
静かな、綺麗なタクシーを乗りながら、ずいぶん昔のトクトクが空港乗り入れ出来て、ポロポロ下道 を走って 行ったころのバンコクが懐かしく感じました。
もう立派な文明国に感じます。しかし、10年以上昔の、2ストロークのバイクの煙の中、ガード下の屋台で、食べた味も忘れられない。飛行機に乗ってからは、そんなことを考えているうちに、日本の朝になりました。
まだ、寒かった日本では、トレーナだけでは厳しかった。 2006 ラオス旅行は、もう少し余裕のある日程で、周りたかったと思いました。
いまのままで いて欲しいな 素朴な国で・・・・・
終わり