3月27日
バスは市内東のエクスプレスバスターミナルに、まだ薄暗い朝の5時に着きました。(ルアンパバーンからバスで来たときは、こことは正反対の西のはずれの北方面バスターミナルでした)
ソンテウや、トラックバスが「どこに行くんだい、乗っていけよ」と客引きをしています。
他にも中距離の農村部から、大きな荷物を持った買出しの人たちも乗っています。アメリカ人は知り合いの人に、迎えに来てもらうと言うことで、ここでお別れです。
トラックバスはなかなか発車しませんでしたが、荷物をいっぱいの人たちを乗せて出発です。
どこに行くんだ?聞かれ とりあえず中心部のタラートサオに行くことにしました。ここには近郊のバスターミナルと市場があります。
一番わかりやすいところで、「タラート」と言うと、5.000kipです。距離はあるが、お客さんの家の近くまで回り込んでいくので、でこぼこ道の路地にまで入って行っては、Uターンして、そのうち荷台においてあった、私のリックの下に、魚が入った荷物の水が大量に流れてきて 「わーーーTT魚臭い水が通過しているではないか、今日はこれを背負って、1日行動しなくてはいけないと言うのに」と、いきなりのブルーです。
途中の市場にも、買出しから帰った人たちが、荷物とともに降りて行き、街はいよいよ動き出します。結局タラートに着いたのは、6時半くらいです
ここの市場にも 多くの買出しのおばちゃんとともに降りて、「さあ 今日はどうするかな?」とバスターミナルの入り口で考えます。
まだまだ、涼しいですが、今日もまた暑くなりそうです。
ふと見ると、有料トイレで、お兄ちゃんが料金を徴収しています。「このバック、ここで下だけ洗っていい?濡れちゃって」と英語が通じなかったので、バックを指差して身振りで頼むと 「いいよ、」と言うことで、洗面所でタオルを濡らして、バックの底を拭きます、良かったのは撥水だったので、染み込んでいなくて、石鹸でにおいも取れて、一安心、いつも持っていく日本手ぬぐいで拭き、手ぬぐいを綺麗に石鹸で洗い、リックにくくって置きます、そうすると 1時間もしないうちに乾いてしまうのです。
日本手ぬぐいは、いつもあっという間に 乾いてしまうので、とっても重宝します。
よし まずは、郊外にある、THAT LUANG(ワット タートルアン) 金色に輝く大きな 寺院です。朝のうちに行ってしまおう、そうすれば混んでいないだろう。
市場にいた トクトクに聞くと1ドルでいいよ、さすが市場のトクトク 結構距離があるのに、まあなんて安いことだ。
トクトクの のんびりしたエンジン音を聞きながらタールルアンまで15分位、走ります。
タートルアンの前には、広場があり左手には、国会議事堂もあります。
着いたのは、7時過ぎで まだ寺院では 朝のお勤めの時間です、観光客は8時からしか入れません、広場でのんびりしたり、タートルアンの周りを歩いたりしています。
子供達の登校時間らしく制服を来た 少し裕福そうな子供達が歩いていきます。たまに「ハロー とかモーニング」と声をかけてきます。
ポジフィルムで撮った ワット タートルアン
8時になったところで、入場して(5000kip)中に入ります。もちろん誰も居ません。
中は回廊の真ん中に先ほど見た、ストウーパのような、金色に輝く塔があります。
周りを見て塔に上がります。まだ涼しい時間で、誰も居ない塔の2階部分に幅、3mくらいの塔を囲むように、回廊があり、そこで 一昨日から、まともに寝ていないので、少し朝寝します。
遠くから子供の声や、車の騒音もなく、お坊さんの話し声や、お経の声が聞こえる。
1時間くらいボーットしていると、9時半を越えていました。下のほうが騒がしくなってきました。
団体の人たちが到着したようです。大体9時くらいから、ツアーが始まり、30分で到着、と言うパターンのようで、観光バスが 続々きます。
さすがラオスのお寺は、あまり人が来なくて 観光地化されていないな と思っていたら、時間が早いだけでした。
門の中の回廊部分から塔を写す
タートルアンは紀元前2世紀に由来すると言われるが、現在の形は、1873年に中国の侵攻で破壊され、1930年代に復興されたものだそうです。ここでは旧暦の12月タートルアン祭が開かれ各地から、大勢の僧侶が集まってきます。表の広大な広場は人で埋まり、中の回廊は僧侶達の寝泊りするスペースになります。
お坊さんは町でも良く見かけます。困難ことを言っては、罰が当たるかもしれませんが・・・・汗をかいて、あまり袈裟も洗濯しない修行の身なのでか、とてもにおいがきつく、最初に会ったときは、その人の体臭なのかとおもいましたが、街でお寺で僧侶に会ったら、みんな ただの汗臭いと言うのを 通り越してかなり、いや 気持ちが悪くなるほどのにおいが、まだまだ私の修行の足りなさか・・・寺が混んできたので、歩いて次は、パトウーサイと言う、街の真ん中に立つ パリの凱旋門のような内戦時の戦没者の慰霊碑です。階段を登ると、ヴィエンチャンの市内が一望できます。
セタティラート王の像(在位1548-72)
←先端 回廊部分
中の売店で、CAPを買いました。お土産用に5個、作りはしっかりしていて、刺繍も丁寧 これで約1ドル べらぼうに安い物価です。お土産やさんから下に降りて、リックを受け取り、真ん中の1階部分にある、売店でコーラを飲みながら、次はどこに行こうか?考えているときに、ふと地図にサウナの文字が、無性に行きたくなり、一昨日からシャワーも浴びていない(ボディークールベーパーで、体を拭いていた)
思い立ったら、即、トクトクに場所を説明して、そこに向います。
しばらく走って、多分ここだと思う、と来たところ「近所の人に聞いたら、以前はやっていたけど、今はやっていない」そうだったのか、私が持っていた「地球の歩き方は」以前買ったもので、よくこうゆうことがあったので、またか、やっぱりアジアなど情報は、新鮮じゃないとすぐ変わってしまうんだな、と感じました。
街のはずれにある、このお寺につれてきてもらいました。
シーと言う妊婦が、このお寺を作るときに、基礎の部分から大きな石が出てきて、自ら人身御供でこの石もろとも、深い穴の中に落ちて、この寺が出来ることとなった、と伝えられ、今でも女性が願い事をする時に来るようです。やはり女性が多くお参りをしていました。
お寺には、裏側から入ったのですが、そこに居たのは、大きなビックバード、飛ぶことは出来ないのですが、、60センチくらいの体長で、大きなくちばしと長い足が特徴のサギのような体型の鳥です。
つかつかと寄ってきて、私のリックの紐をついばんだり、靴紐をついばんだり、します。人間を怖がることもなく、多分ここに長い間居る鳥でしょう、背中の部分をさすると 少しひざを屈めて、また、リックの紐やカメラのストラップをつつきます、凶暴や危険ではなく、かわいい感じで、しばらく一緒に、居ました。
周りの子供は、大きな鳥が怖くて、でも、私が鳥の背中をなぜたりしているのを見て、興味心身にと近寄ってきますが、触れない。
外国人もこわごわ近くまで来ては、写真を撮っていきます。お寺の守り神かも・・
そのまま、歩いて500mくらいのところにある、 WAT HO PHAKEO(ワット ホー パケオ) その向かいにある WAT
SISAKET(ワット シーサーケート)に行きます。
もう時間は、昼の12時過ぎです。着いてみてやけに人が少ないな と思っていると12時から13時までは休憩時間で閉館だよ って教えられました。
仕方がないので、さっきの遺恨サウナに行きます、違う店を見つけたのです。気温はすでに30度を超え20キロ近いリックを背負って歩いていたので、汗びっしょりです。
トクトクで街の反対側 ワット チャンの裏にあるはずです。このあと、書くのもおぞましい?はずかしい?出来ごろがあるのですが、まあ、それも笑ってOKって事で、ページが長くなりましたので、次のページで、つづく・・・