ペルーでも貧困地域のナスカは、唯一観光と、細々と畑をやっている地域です。
サボテンも栽培種の1種です。

年間を通じてほとんど雨が降らない気候が、ナスカの地上絵を今まで保存してきた反面、農業などは繁栄せず。
陶器作りや、金などの鉱物採取です、しかし、非常に効率の悪い、40キロで2グラムくらいしか金が取れない、この土を黙々と、安い労働力で産出しています。

↑人馴れした犬は、足元の靴紐をクチャクチャ、噛んでいるし、おっちゃんは「タバコ頂戴」って、ローカルな金の生産所、これに銅を混ぜて、真鍮のような金属でネックレスやブレスレットを作ります。

独特な形をしたセラミックや、左の人は、金の生産方法を説明しているところです。

この後は、郊外に出て古代プレ・インカ(インカ以前)に作られた、水路を見に行きます。地上に水路を通すとすぐ蒸発してしまうので、はるか離れた山から地価の水路を石で作りここナスカに運んでいるのです。
渦巻状に石で組んだ井戸はもちろん、水を持って上がれるようにと、ガイドの話によれば、ロバや他の動物も自由に飲めるように、なっているそうです。

多く存在して、今でも農業に使われている井戸 中を覗くと綺麗な水が流れていました。

PAREDONES

ナスカ市内から車で10分くらいのところにある、インカ時代の遺跡で、クスコに向かう飛脚(チャスキ)の宿だったと言われる、ほとんどが崩壊して状態は良くない。

砂まみれになりながら、小高い丘を登り、遺跡に入るが、これと言って見るに値するものなし・・・頂上に神殿の後が少しあるだけでした。しかし、入場料を払って見ることは、ここナスカの人たちに少しでも潤いをなすことにもなるし、今後の保存の足しにもなるでしょう。

※以前クスコで聞いた話では、日本をはじめ多くの海外の資金援助によって、クスコやマチュピチュの遺跡の保存を図ろうとしたが、政府の高官などに中間搾取されて、援助金はほとんど残らず、今ではマチュピチュなどでは、地元の大学の教授などが、ボランティアで、発掘分析をしているそうです。どこの国にもある話です(カンボジア・エジプト・ベトナムしかり・・)

次はいったんホテルに戻り、昼一番で、Cementerio de Chauchilla墓地跡に行きます。
ここは、ナスカから30キロはなれた丘のうえにあり、砂漠のような中に墓を掘り石で部屋を作り、一族を埋葬したところです。空気の乾燥したこの地域では、自然とミイラになります。

上の写真の屋根のついたところは、開放した墓地で、今は少し気候が変わり雨が降るようになり、そのために援助金で整備されたここにも、屋根がつくようになったのです。

元々は、地下に埋葬されているのですが、ワッケーロ(盗掘者)が、装飾品や身にまとっている布が、綺麗なため骨とう品として高価で売買されるので、それで墓あらしに遭ったもので、そのままミイラが砂漠に捨てられていたものを、綺麗にまとめて展示したものです。

それによって収入を得て、今だまだ整備されていない多くの荒らされた墓の修復をしようというものです。

↑この屋根の下に(地下)に
墓が開示されている。

元々は、親族や家族が、死者を黄泉の国に送るため、綺麗な服を着せて、装飾品や陶磁器ももたせて、葬ったのだが、ワッケーロにより持ち去られてしまった。
座った形なのは、インカポジション といって、エジプトの寝ていて胸の上で腕をクロスしているのと違い、ひざを抱えた形です。しかし、考え方はエジプトと同じで、太陽神を祭って、死んでも復活ができると信じていたことは、共通することです。

今年の春に。エジプトに行き、いろいろところで、復活を願ったり、召使の人形を棺に入れたり死後への恐れ、が大きいことを感じていました。そして今回もボリビアからインカポジションの人形や神様、絵画を見て、「エジプトと似ているなあ」と感じていました。

仏教でも輪廻転生という考えがあり、ヒンズーに経っては、死後の世界を快適に暮らすために、現世で良い行いや瞑想、沐浴をすると言うのは、極端な例です。

空気が乾燥しているので、髪の毛や一部皮膚が残っていますが、エジプトのように特別な人を葬ったのではなく、また特別な術を施してあるわれでもありません。
しかし、クスコにもありましたが、生前 高度な頭の開放手術を施した跡があります。

砂漠の中のチョットへ込んだところは、盗掘されて放置された墓の跡です、まだここは未整備状態です。
将来的に少しずつ、整備していくようです。現在開放されて見学できるのは14個の墓です。

開示されている墓のミイラには気の毒ですが、他の人の墓が整備されるように、少し騒がしいですが、がんばってください。
よくポスターには、三体のミイラが砂漠の丘の上に放置され、並んで眼下を眺めている写真がありますが、以前はそのように、ポツンと砂漠の中に置かれていたそうです。

今では元の墓を探し出して、きれいにして戻してあるそうです。親子・兄弟と一緒に・・

墓場跡の見学を終えると、すでに時間は13時30分です。「バスが14時前に出るんだけど大丈夫?」とガイドに再三言っていたのですが、「心配ない、ペルー時間だ」と意に介さないようです。

ここから30キロあるのに、30分でつくのかな? バスに乗り遅れたら、その下のクラスがここを通るから、それに乗ればいい、「まあ、運を天に任せるか」
結局、ワゴンは大爆走してなんと、30分で着いてしまった、ナイスドライビング!と、また、オルメーニョのVIPクラスのバスに乗って、リマに向かいます。

なんとバスは行きと同じ乗務員、機材(バス)でした。
「おお、またあったね」と乗務員のおねいさんと話しました。「町々でスモーキングタイムが欲しいんでしょ」と笑っていました。各町に着くとバスから降りてタバコを吸っていたのを、覚えていたようです。

隣に座っていた、アルゼンチンからのチョットお金持ちそうな中年女性は、「19時にリマに着かないと、帰りの飛行機に乗り遅れるの もう、大丈夫かしら」とこのバスは定刻でも20時くらいにリマ着だったような・・・

無事走り出しました、慌しかったがナスカ1泊2日はあっという間に、終わりました。

州都のイカでは、インドのような三輪タクシーが走り回り、「わーオートリクシャだ!」とつぶやいてしまった。

洗濯物はこのように木に干します。

道路のこの感じといい、色使いといい、インドのようなイカの町を走る、三輪タクシー、良い雰囲気です。

そのうち日も落ち、暗くなってきました。このバスはイカやピスコといった街を通って、リマに行くのですが、途中唯一小さな半島を経由していきます。最初は私も、多くの西欧人が降りていくホテルが、片田舎にポツンとあるので、「何だろう?」と思っていたのですが、そこはパラカス半島で、みんなはここから出るバジェスタス島にに行くために、ここに泊まり行くのだそうです。この島はリトル・ガラパゴスの別名があるとおり、オタリア(アザラシ)海鳥、ペンギンが住む楽園ということです。

機会があれば行きたかったな、ぜんぜんノーマークでしたが、欧米人は良く知っているし、結構高級なホテルに泊まっている200ドルくらい、年齢層もバックパッカー層ではないのですが・・・

バスは順調にリマに着き19時30分にターミナルに着きました、隣のおばさんはリマに入ったとたん、バスを飛び降りてタクシーを拾って直接空港に向かったみたいです。
明日は、リマの観光をして夕方には飛行機に乗り帰国します。

バスターミナルには多くのタクシーが客待ちしていますが、かなり高い値段を言ってきます。
少し歩き道を流している、良心的なタクシーに値段交渉して行きます。
クエント・クエスタ?と聞くと、トレスとかドスとか数字で答えてくれます。
スペイン語は、棒読みでも割と通じます。

今晩は、リマにある遺跡の中にある、高級レストランに、意を決して乗り込むことを予定しています。
そこでも、もちろんアンティクーチョとピスコサワーしかないでしょう。

ワカ・プクヤーナという遺跡の中に突き出て、屋外レストランは、遺跡が閉館しても目の前にライトアップした遺跡を見ながら食べれるというものです。
地元の有名人も御用達のお店だそうです。

しかし、カメラを忘れてしまいました・
店にはちゃんと、ドアボーイがついていて、いかにも高級な感じです。
静かな綺麗なテーブルは遺跡に向かって、設置されて、静かな雰囲気です。
アンティクーチョもおいしくて、ピスコサワーはさすが、プロのバーテンが作っているだけに、今まで一番おいしかった。しかし、値段も一流、これだけで、150ドルもとられました。

汚いバックパッカーにもちゃんとドアをあけて、お見送り、もちろん少しチップを渡して置きましたが・・

3杯もピスコ・サワーを飲むとナスカから8時間バス移動の疲れもあって、ホテル・ら・パルマスに帰ると、あっという間に眠りに着きました、時間は確か0時チョット前です。