今日は南米最後の日です、夕方7時の飛行機にてマイアミに向かいます。
行きのように乗り継ぎにことごとく失敗したらどうしよう、と言う不安はぬぐいきれませんが、ここまできたら、なるようになる。
仕事を休む場合もありうる、しっかりと連絡だけは入れておかないと・・・・
ホテルを9時にチェックアウトして、現地ツアーに頼んだ、旧市街観光に向かいます。
昼からは、黄金博物館やミラフローレスを意ぐるりと廻ります。
私の泊まったホテルは、歩き方には載っていないけれど、便利で値段も安い、とてもお勧めなホテルです。ミラフローレスのピザストリート近くのホテル ラ・パルマスまだできて間もないホテルです。

ホテルの人にお礼を言って、外に出るとツアーのワゴンがすぐきました。
まずは、昨日食事をした ワカ プクヤーナまで行き、それぞれの行き先のマイクロバスに乗ります。私は旧市街域にここは、町が世界遺産に指定されていて、装飾を飾ったり 街にそぐわない色の使用は禁止されています。それで、ケンタッキーフライドチキンも、黒くなっています。ガイドが「世界唯一の黒いケンタッキーです」と教えてくれます。
街は国の機関が集中していて、各国の大使館も多くあります。 黄色い建物が、コノ国の伝統の色使いのようです。ホテル ラ パルマスのような・・・・・・・

← 黒い看板のケンタッキフライドチキン





町の中心グラウ広場で、バスを降りてしばし歩いて散策
朝食をとっていなかったので、少し立ち食いをする。

サンフランシスコ修道院  1546年から100年の歳月をかけて建てられた。
回廊状になった内部の部屋には200人以上の聖職者たちが住んでいた。
図書館も完備されて、羊の皮でできた本も現存する。 回廊には17世紀のセビリアンタイルで作られた装飾が綺麗です。
トルコのタイルを思い出します。
地下には、カタコンベと呼ばれる地下墓地があり、薄暗い地下の3階まである広大な地下墓地には、シャレコーヴェをはじめ遺骨などが、綺麗に並べられている。
頭は頭、太い骨は太い骨、細いものはこちら、など人には関係なく、骨の種類で分けて埋葬保存されています。
ここにはいるには、現地の公認ガイドが同伴でないと入れないそうです。

回廊の綺麗なセビリアンタイル
天井にも綺麗に装飾がされています。

中は少しかび臭かった・・・・・ 右の写真は、聖職者たちの 図書館です。
フラッシュ禁止なので、何とか手ぶれしないように撮影したものです。

地下のカタコンベは、もちろん死者への配慮のためもちろん、撮影禁止。
まあ、そんものをとっても仕方がないのですが・・・・・・・・・・

サンフランシスコ教会から路地を歩いていくと、ここには日常があり、リマの北側を流れる、リマック川の護岸工事に、トラックが奔走しています。近くの公園では、地元の小学生が、遠足にきていました。

リマの市内はいまっまでの都市と違い、自家用車の普及率も高いようです。

市民の足のバスは写真のようなボンネットバスも多く力強いく走りまわっています。

街の中央分離帯では、信号待ちの車を狙って、ジャグリングをやってチップをもらったり、足を引きずりながら、募金箱を差し出す人や、豆菓子を売る子供やらがたむろしています。

旧市街を歩いて見てまわり、午前中のツアーは終わり。

私は、リマで人気の、チキンのレストランに行ってみます。
日系人が経営していて、リマの人もNorky's ノルキーズです、ファミリーレストランのようなたたずまいですが、確かに多くの人でにぎわっていました。

グリルドチキンの半身と最後の日のピスコサワーで昼食をとります。

ピスコサワー↓

昼からは、ガイドが変わって黄金博物館に行きます、実は
あまり行く気がしなかったのですが、午後からの時間つぶしに
金城トラベルに、ツアーをお願いしたら、このツアーになったしだいです。

武器博物館と二階にクスコやナスカの昔の装飾品が飾ってあるものです。

それぞれの部族の衣装などです。
しかし、いままでいろいろな地域で散々、見てきた私は(ラパスからインカロード
を北上してきた)聞いたことのあることばかりで、ガイドの人に、「何でそんなに
詳しいの?」ときかれてしまいました。

「ラパスのチワナクは聞いたことがあるけれど、いったことがない、この模様
と同じ物があるそうだが、本当か?」「インカポジションの像も同じか?」
など話していました。

1階は日本の刀や、鎧などが多く展示してあったり、スペイン軍の拳銃など
所狭しと並んでいましたが、少し興ざめ感は否めませんでした。


まあ、のんびりすごしただけ良かったのかも・・・・・・・


黄金博物館の正門




陽気な現地ガイド  ⇒
スペイン語担当と
英語担当の人
ちなみに英語は私一人
だけでした。

あっという間に時間は過ぎて、まだどこかに行くのかな?と思っていると、海岸沿いの道を通り、少しだけ太平洋を見て、ミラフローレスに向かいます。

ミラフローレスには16時頃到着して解散、そのまま、ピザストリートでコーヒーでも飲んで行きます。
陽気なリマッ子そのままの、3人組のレストランに入りました、飾りつけは、トマトをイメージしているそうで、とても、ポップな色使いのクロスです。

通称 ピザストリート イタリア系のお店が多いこ
とから名づけられた。

コーヒーを飲んでいると、話し掛けてくる、一番左の人は英語が話せるけれど、他の2人はまったくだめですが、通訳しながら、わいわい、「いつまでリマにるの?」「今日もうすぐ空港にいくのだけど・・・」「それは残念だね」
一番右の子を指差し「この子はダンスがうまくて有名なんだよ、一緒に踊りに行けば楽しいのに・・」
空港に行くときは、この紙を見せなさい、35ペソ以上は高いからね。インターネットをする時は、あそこの所は高いから、」こっちの店で  などと
いろいろ教えてくれます。
時の経つのを忘れ、道に出てタクシヲ探します。先ほどの右の子がタクシヲひろって値段交渉してくれます。言ったとおりの値段で、運転手も折れたようです。コーヒー1杯でありがとう (後日、写真と日本の音楽CDを送りました)
長い旅行が終わろうとしています、一時はどうなるかと思いましたが、人々は親切で、恐いことは何一つなかった旅行でした。
ここにくる前は、首しめ強盗、過激なデモ、ボッタクリ、警察も賄賂を要求など、物の本に書いてありました。
これで何度、こうゆう情報に翻弄されたことでしょうか、インド エジプト ベトナム カンボジア ネパール もちろん、危険もあるでしょうが、日本で本だけでまたは、ネットだけで一部の情報を鵜呑みにして、語ることはとっても愚かな事だと、近頃強く感じます。
しかし、旅行の決行に踏み出すまではとても気になり、また、本の情報に翻弄されるのでしょうね。
本が安全だと言う場所でも、逆のことが言えるのかも知れません、だから常に自分のアンテナを張り巡らし、現地の状況を肌で感じる、「やばそうだな」と思ったら、引き返すことも、アンテナのひとつだと思います。
そんなスタイルで、また、ブラリサラリーマン バックパッカーとして、「見てみたいな、食ってみたいな、話してみたいな」と言う気持ちの続く限り、
旅行は続けたいな・・・・・・
そうそう、帰りは あっけないくらいに順調にことが進み、あっという間とはいかないけれど、30時間以上かけて、名古屋に戻り、行きに送ってきてくれた、ジャンボタクシーの運転手さんの同じ車になり、リックの中からごそごそと、ドリームキャッチャーを出して、車にぶら下げてあげました。
「本当に、行って来たんですね、日に焼けてこの季節もう寒くなってきていますが、真っ黒になっていますね」チチカカ湖やボリビアの紫外線の強い高度の高い国にいたせいでしょうね。

ドリームキャッチャー

あれだけ暑かった、愛知万博も跡形もなくおわり、秋風が吹く街を走り抜けながら
長いようで、短かった南米初体験を終了しました。


長い間、読んでいただいてありがとうございます。
写真に関して、ますます綺麗なものを撮りたくて、PLフィルターなる風景専門のメリハリを効かせるものを、購入 腕はさておいて、次回はこいつの威力を試してみよう。

See you Later!