MACHU PICHU
バスに乗り,遺跡の入り口、サンクチュアリーホテルの前まで行きます。シングル一泊455ドルで,予約なしでは泊まれないと言われている。

入り口では、チケットを提示して中に入ります、大きな荷物は持って入れません。
私は、入ってすぐの段々畑を登っていきました、右手に見張り小屋を見ながら、 インティプンクに行く インカ道を
歩いてみました。時々人にすれ違うだけで、遠目に遺跡を見てみたいと思いで,ひたすら歩きました。


入り口

ワイナピチュヘ⇒

←インティプンク

ごろごろした石の道をだらだら登っていきます、途中には見張りの砦があったりします。
マチュピチュの遺跡の中には,多くのリャマやアルパカが住み着いています。
そのうちの1頭が,テクテク付いて来ます。ものをねだるでもなく 道端の草をたまに食べながらついてきます。

マチュピチュの住人

時々水を飲みながら、また、携帯灰皿持参で,一服したりして、段々、遺跡のざわめきから離れていきます。
水の流れる音や、虫の鳴き声、鳥の鳴き声、葉っぱの風でゆれる音,それに私の靴の音だけが響きます。

←愛用の携帯灰皿旅行に行くときは,これを持って行きます。
このごろは,灰皿が置いていないところが多いので・・・止めれば いいのですが。。

追記 今は無事禁煙に成功しました。

下に見えるのは、ハイラム・ビンガムロード ジグザグの道を通って,遺跡に到着します。
ここに,通称「グッバイ ボーイ」が出没します。
最初の道で「グッバーイ」って言って、バスがジグザグの坂を降りていく間に、直線的に降りて、また、「グッバーイ」と言う、バスの客は「あれ?またおんなじ子供だ!」となり,これを繰り返して、最後にチップをもらう、もちろん下りでしか使えませんが・・・
今では、学校に行かないと叱られるので,平日はいないそうです。
しかし今日は土曜日、写真のところで休んでいると、「グッバーーーイ」と下の道から聞こえてきました。
「おおっ やってるな」

←インカコーラとコカ.コーラ名前は似ているが、味はまったく違い甘い,本当に甘〜い、炭酸水のようなものでした。
私は,いまいちおいしく感じられなくて、あまり買いませんでした。

←マチュピチュ入り口

ワイナピチュ行き⇒

主神殿・インティワタナ⇒

インティワナ
(日時計)⇒

細いインカ道を歩いていくと↑ 風光明媚な景色が見える、山はこんもり盛り上がった形が多く、直ぐ下が断崖絶壁です。少し足を出して見ると ⇒
こんな感じです。

←インティプンク

綺麗な石積みの
   インカ道 ⇒

ゆっくり二時間くらい歩くと、城壁のようなものが見えてきました、ようやく着きました インティプルクです、丘の頂上に位置して、マチュピチュが眼下に見えます。しっかりとした石垣が、綺麗に並んでいます。
内側の窪みは、灯りを置いたものと考えられます。
足を絶壁の石垣に投げ出し座り,しばらく景色を満喫します。

城壁の間から見た、
マチュピチュ遺跡(とんがり山付近)

マイナスイオンたっぷりの
人の気配のない遺跡をしばらく
満喫していたら、アグアスカリエンテイスの方から、人の気配が、
イギリス人の10人くらいの団体が、登山用のステッキをもって
大きなリックを担いで,あがってきました、彼らはインカトレッキングの人たちでしょう。
ついた途端、お菓子をみんな食べだしました。
欧米人は本当に、ジャンクフードが大好きですね。
必ず,口が動いています。(笑)
だから,結構オデブな人たちが多いです。
私は来た道を折り返していきます。(アグアスカリエンテイスから、マチュピチュに行くには、この道から行くと(時間はかなりかかるが入場ゲートがないため77ソリスが要らない)
今日は、朝早くから列車に乗って、もうすでに15時過ぎ、日帰りでクスコに帰る人たちは、15時の電車で帰るため、14時過ぎには、遺跡を後にします。
急に静かになった、遺跡に向けて、足を進めます。
私は、ふもとに帰る最終バスの17時半まで、ゆっくり今から、マチュピチュを観ようと思います。

段々畑の塀には簡単に上り下りできるように、石の階段がついている,しかし,降りてみましたが,結構怖い、石段は2.5M位の高さです。

石の階段⇒

インカ時代では,この門が正式な,市街地に入る門,通称 太陽の門、

丘の頂に見えるのは,市街地を見渡す,見張り台

市街地に入ると,ひときわ高いところにそびえる主神殿があります。

ゆっくり遺跡を廻ります、左の写真は、日時計そのものです、日中は観光客が多くて、このような人のいない遺跡を
撮ることが難しいのです。

帰りかけた時に、日本人の団体に会いました、団体旅行もいいなあ〜 と思い始めていて、気楽に廻れるし、知り合いもできる
と言う感覚でした。

遠目に行動が、見えます。
集団で決められた場所を見て、ガイドさんは日本人で、あっと言う間に、次の場所に向かいます。
気に入った景色、や場所でたたずんだり、ボーーとしたり、もう一度見にいったりができない旅行は.やはり私には違和感を感じました。
現地の人と接して、聞いて、その人たちの日常を感じた旅行がしたいと 思いました。
個人旅行は、毎日毎日、その日の宿を探さなくてはならず、重いリックを抱えて、日の暮れた、知らない町を歩くことに、少し疲れていたのかもしれません。
エジプトの時にも、「こんなにいいホテルに泊まっているんだ」と思うところに、日本の旅行社は契約しています。
このマチュピチュに来て、やっぱり、個人で来て良かった、と心の底から思いました。
自分の旅行スタイルはもう変えられないなあ と感じた。
路地からホテルの食堂が見えました、大きな食堂に日本人団体客だけが、ポツンと15人くらい、ビッフェスタイルの食事をとっていましたが、かなりさびしい感じでした。
その人たちに、遺跡で会ったときに、「今日はどこの場所で泊まるのですか?」と聞きましたが、「さあ?」「アグアスカリエンテスですか?」と聞くと「連れて行ってくれるから、知らない」・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そのホテルに面した路地は、アグアスカリエンテスのレストラン街で、うまくて安いものがたくさんあるのです。
「日本人はこのホテルに毎日来るけれど、街には出てこない、なぜなんだ?」と逆に聞かれたことも、2回ありました。「危険なので、外に出ないでください、」添乗の人の常套句ですが、一度、街に出て食事をしたり、酒を飲んだりしてみると、病み付きになります。
KEROSで一時間半くらい過ごし
疲れもたまり、宿に帰り11時前には、爆睡していました。
明日は、ワイナピチュ(若い峰)に登る予定で、朝4時半に起きて、6時出発の予定です。
登るぞワイナピチュ。

アグアスカリエンテスでは、新駅の橋を渡った所にある、レストラン街で、店を探します。
アンティ・クーチョとピスコサワーを探して、「ハート」心臓の肉で造られたものを探して、Kerosの前で「ここで食べていってください」「ハートある?」「ない」「それでは他にもなかったら、ここに戻ってくるよ」とやり取りして、戻って食べた店がここです。他にも、イタリアンの店と言うこともあり↓(PIZZERIA)私の大好きな、カルボナーラを注文すると「どんな感じですか?」
と逆に聞かれてしまい、教えると見事に再現して作ってくれました。
その次の日も、行きました。ちゃんと日の丸の旗を用意して、テーブルに
置いてくれました(いつもはアメリカ・ブラジル・
イギリス・イタリアなどの、旗が置いてあります。
店の人も「日本語の挨拶や、お礼など言葉を教えてほしいと、鉛筆と紙を持ってきて、
質問してきました。一生懸命で好感の持てるお店です。


マチュピチュから
の道