アスワンの空はこの壁紙の背景のような、抜けるような青空です。
アラブ人とは違う、ヌビア人の街です。ナイル川はいったんここで、アスワンダム アスワンハイダムによって遮られます。カイロからルクソールを経て来ている、4階建て、5階建ての豪華客船が、所狭しと並んでいる40隻くらい風景は圧巻です。
その横には、フルーカが滑るように、進んでいきます。川の周りも綺麗に整備されアブシンベルへの入り口としても、栄える街には、高級ホテルも多くあります。
スークと呼ばれる屋台などの出るストリートは、アスワン駅から左に行くと、スークがある。
船を駅近くのところに着けて、船長とはお別れです、パクシーを10LEあげるとズッート手を振っていました。
まずは街を知らなくてはいけない、時間が少しあるので、駅からスークに行ってみる、駅前には何件かのカフェがあって、水タバコをくゆらせる人も多い。(甘い独特の匂いがします)
さらに奥に入っていくと、おいしそうな、カフテを焼いている店やチキンを炭火でグルグルまわしている店があった。夜にはこの辺でウロウロしよう。
14時にホテルに戻り午後の予定です、なるべく他の人たちと周りたい と希望をしていたのですが。何せ時間が中途半端で、やっぱり一人で運転手と周ることに・・・
韓国のヒュンダイの新車で迎えに来た、彼はホテルのオーナー ミスターハマーダの弟だそうです。まずは、イシス(フィラエ)神殿にボートで行く、(小島に建てられている神殿)この神殿は元はここにはなくて、アスワンハイダムを作ると水没してしまうので、この小さな島に移築された物です。入場料は35LEこれは、運転手が買ってきてくれました、(入場料込み)
だから、神殿だけでほかに建物はありません。
船着場に行き、乗合船の値段交渉をします、20LEが地元相場だそうです。多くの人が乗合で行く場合は、一人当り5LEくらいでも行けるそうです。おじさんは30LEを要求しているようでしたが、最後にはしぶしぶ了承、エジプト人同士でも結構交渉が多く、時間が掛かります。ともあれ、島に上がって1時間ということで、船で船着場から、島までは目と鼻の先です、しかし、のんびりモーターボートでは10分位掛かります。
島に上がると広場があり
そこに見えるのが、左の建てものです。
柱には綺麗にはすの花、古代エジプとでは、仏教と共通するようにロータスの模様があしらってあります。
ここでは多くの写真を撮り
綺麗に撮れたものも多く
大きな写真を張っていきます。
たまたま団体客もいなくて、静かな島で、少しくつろぎながら
休憩をしていました。
綺麗に整列した蓮の飾りのついた柱風は涼しい感じです3月エジプでは、軽く上着が要ります。
警備のおまわりさんが撮ってくれた、写真
もちろんパクシー5LEを要求されますが・・・
エジプとではパクシーをねだることは、普通のことで
断られても、喜捨としての性質を失っていないので
あまり怒り出さない。
ホテルがオーナーが中国人に「ガイドが良かったらパクシーを
あげてやってください」と言ったら「何で、そんなもの
あげなければ、ならないんだ!!」と必ず怒り出すらしい。
中国人はわが道を行きすぎる、華僑はそれでイロイロな国での
成功を収めてきたのは確かだが、私としては人と人の
潤滑油としてパクシーがあるなら適度な喜捨は、良いと思う。
(あげるのあげないも自由)その人の来世のために喜捨はするもの、と考えられている
それにしても中国人の評判はどこに行っても非常に悪い
超現実主義で、なおかつすぐ大声を張り上げるためだ、中国では自己主張を声を荒げて行うことが、普通だと思われていて、日本に来いる中国人でも大声張り上げて、怒鳴っていることはよくあり、自分の主張が通ると、さっきの剣幕はどこへやらニコニコしながら・・・話している国際標準から取り残されているのは、間違いない。
ゆっくり周っても1時間も要らないところですが、のんびりできまた、船に乗って戻ります。自家用車で待っていた、
次は、アスワンダムの上を超えて、アスワンハイダムに向かいます。
アスワンダムを作り、例年起こる、ナイル側の氾濫を防ぎ安定した農業や電力供給を解消しようとして、当時、イギリスにより作られた。しかし、自然の脅威はそれ以上で、川の氾濫は押さえきれず、このアスワンやカイロにはその当時の、川の水位を測る、ナイロメーターと呼ばれる施設が残されている。
アスワンハイダムは、1970年日本では大阪万博に沸く35年前に、共産主義の雄ソビエトとドイツにより作られ以後、川の氾濫はなくなった。
人造湖のナセル湖は当時の大統領の名前がつけられているが、出会ったヌビア人の中には村を追われたものも多かった、スーダン国境まで続く巨大な人造湖は約500キロ上流まであり、アブシンベル神殿やイシス神殿島、遺跡が水没してしますので、移築された物も多い。
アスワンハイダムは、ダムというより長い丘のような感じです。雨季になると並々と水が蓄えられるでしょう。
何もない静かなダムの上では、モーターのうなる音がかすかに聞こえてきます。
案内人の彼とコーラを飲んで、家族の話を聞いたりして、時を過ごします。以前はカイロで働いていたのですが、地元の兄弟のやっている旅行会社で、英語を覚えつつガイドをしています。辞書を片手に一生懸命、英語を話そうとしていたのが、印象的で「ゆっくり話せば、良く解るよ」と言うととても嬉しそうでした。
街に戻ったときには、すでに暗くなっています。スークに出るには良い時間です。明日は、早朝3時にアブシンベル行きのコンボーイで(アブシンベルに行くには、コンボーイと言う車列を組んで、20台くらいの観光バスから、マイクロバス、タクシー、1ボックスカーで警察車両が護衛に付き、移動する物です。(テロ対策)イスラム原理主義者は外国人排除を掲げているため。
ホテルでシャワーを浴びたらスークに出ます、今日も1日、忙しい日だった。
スークではまずは、コフタ屋で良い臭いをさせているところで、コフタとケバブをミックスで頼んで、ビールは無いの?と聞くと「ないない」て言われてしまいました。
腹が一杯になり、スークをぶらぶらした後、駅前の椅子を並べて、水パイプを吸いながら、チャイを飲んでいるところに行き、ビール無い?と聞くと、「あるヨ」と言うことで早速注文、屋外のためかラベルがはがしてある「ステラ」ビールを持ってくる、のどが乾いていたのと、久しぶりのビールで、一気に飲んでしまった。
小びん位のを計3本飲んで、夜もふけた街を、ふらふら歩きながら、ホテルに帰る、時間はもう10時過ぎだ
明日は、アブシンベルに早朝から行くので、こんな事をしていないで、早く帰って寝なくては・・・・・
韓国製の新車カセットからは、エジプシャンポップスこれから少しずつ英語とホテルの仕事を強しなくてはと言っていた。