空港駐車場に出ると、一人の背の高いドライバーが声をかけてくる、「市内のルクソール神殿の近くまで」と言うと
5ドルと言う、ちょっと高くないか?と言うと「ホテルが見つかるまでOk」と言うことで、この車に乗る。プジョーのバンタイプのタクシーでここルクソールでは一般的な物です。かなり古い車ですが、インドに比べれば随分しっかりしたものです。
当初予定していたホテルは外から見てもすごく古く、誇りっぽい感じで、初日くらいゆっくりしたいと考えていましたので、「いいホテルはないか?」と聞くと、NGRASHI ABDELNPY HAMEDと言う名前の彼は、少し高級な出来たばかりの、ナイル川沿いに建つホテルに案内した。
確かに出来たばかりでエレベーターは日本製、部屋も大きなベランダが通り沿い、ナイル川のほとりにある、しかし、街の中心からは少し離れていて、周りには何もない。値段を交渉すると、150LE(1エジプシャンポンド=18.5円)を130LBにデスカウントして泊まることとするが、明日は街の方に移動しよう。

← 素朴な運転手
NGRASHIは、ムスリムでありながらビールを飲むここエジプトでは、おおっぴらにアルコールを飲む人が少ない、同じイスラム圏のトルコより、いっそう飲むところがないのである。もちろん、大きなホテル内では十分飲むことができるが、受付しかないホテルでは、期待できない。
明日のルクソール観光の予定を、たてていて彼に、案内を頼む事ととした。
西岸(街があるのは東岸で、カルナックやルクソールなどの祭殿があり、対して王家の墓や、ハトシェプスト女王葬祭殿などのある西岸は死者街といわれていた)を中心に

明日は、NGRASHIが、朝8時に迎えにきて、新しくできた橋を渡り西岸に行き、まずは、チケットを購入、王家の墓に行き、順次回って、夕方まで150LEと言うことで、手を打った。
ホテルの部屋では、少しくつろいで外にでも出るか?と思っていたが、ベランダから見渡す限りのどかな、ロバの足音がするだけで、それらしき物は何もない、対岸遥かには、オレンジのナトリウム灯のついた、ハトシェプストが見えるだけだ。
機内食で腹も膨れているし、時間は23時近くになっていた、街はますます寂しくなってきたので、そのまま寝てしまった。今日は本当に移動しただけ。

3月11日

今日は朝6時くらいに目がさめて、ベランダに出て見る、天気はよさそうだ。ぼちぼちと人々は動き出します。

対岸はハトシェプスト女王葬祭殿

ツインの部屋130LE

最初からかなりのエジプトなまりの英語はしばし、私には理解不能でしたが、「何だって?」と何度も聞きなおします。
いいかげんに返事をしていたり、笑ってやり過ごすのでは、相手も気分が悪いだろうから・・・・・
Rの発音が、「ル」  Pの発音が「べ」 ファーザルとかペンのことがベンになったり、エアポートがエルボルトになったり、「何だって?」と聞き返しているうちに、少しずつ解ってくるから不思議です。

西岸に入りまずは、メムノン巨像に行きますが、ここは通りから見えます、後ろに、大きな葬祭殿があったのですが、後の王たちに石材として盗まれてなくなってしまった、アメンポテプ3世のものです。

その後、チケットセンターに行き、ほしいチケットを纏め買いするのです。
あらかじめ周るところをピックアップしておかなくては、いけないのです。

私が買ったのは、結果的には、全部です!
こればかりはツアーと違いたっぷり時間があるのでできることです。
今後、各おおむね必要な時間、2005年現在の入場料、これは年々値上がりしていて、エジプト人は無料もしくは5LBくらいですが、地元の人も「高すぎる、そのうち旅行客が来なくなってしまう」と言っていました。
後ほど、書いていきますが、びっくりするほどの値段を使いました。