地下鉄を降りて、あたりを見回しても、どこがどかだかわからない、サラリーマン風のインド人を見つけて(英語がしゃべれそう)ヴィクトリア記念館の場所を聞いてみると、あっさり「ついて来て(フォローミー)」って頼もしい答え、
着いて行くと途中で「チャイでも飲まない?」って聞いてきました。
美術アカデミーの前のチャイスタンドでチャイをご馳走してもらって、道路を横切ったところで、博物館が見えてきた。ここで写真をとってもらって、お別れそのとき「ボールペンがあったら、欲しいのだけど・・」日本のボールペンは書きやすくて人気があると聞いていたんだが、まあ、何本も持ってきたから1本あげました。チャイ代にはチョット高いけれど、ヴィクトリア記念館はすでに(17時)閉館でしたが、中を見たいとは思っていなかったので、ゆっくり廻りの公園を歩いていました。コルカタの市民ものんびり散歩をしたり、ジョッキングをしたりしていました。

地図を見ていると、一人のおじさんが興味深そうにこちらを見ています。
「どこからきたの?」とありきたりの質問から始まり、「これからどこに行くの?」「ダージリンだよ」と答えると紙を出してきて、すらすらなにやら書き始めます、きれいな英語を書き、ガイドブックにものっている、ポイントを書いていきます。
「私はダージリンが好きで何回も行っているから、お勧めを書いておくよ」と言うことですが、正確な記憶力に(後で歩き方と照らし合わせた)ビックリしました。

そして、バラーナスにも行くんだ(ベナレスは英語表記で今は、バラーナス、しかし鉄道駅だけはバナラシー駅
と呼んでいるようだ。カルカッタも然り今は、コルカタ ボンベイも然り今はムンバイと呼んでいます)と言ったら、彼はサナルート出身(バラーナスの近郊で両親はまだそこで住んでいる)でバナーラス大学で美術を教えていたらしい(定かでないが)バナラーシのお勧めの所や宿も教えてくれた。

イギリス風の建物のヴィクトリア博物館  
東インド会社の本拠地であったコルカタを
偲ばせます。

                     セントポール寺院もその当時の面影を残し中では、
                     ミサがおこなわれていました。
                     厳粛でかつ静寂な趣のある内部でした。

おじさんは、よし私がこの周りを案内してあげよう(だぶん、後でチップ頂戴って言うだろうな と思いつつ)
ついていきました、まあ、自分で周れないわけでもないけど、どうなるか面白いので、案内させてみました。

次に行ったのは、セントポール寺院です、特に興味があったわけではなかったのですが、時間があったので
寄ってみました、その後は、美術アカデミーに入り何かもう催し物を見た後、日が暮れてきました。
少しずつ涼しくなってきて、ビールでも飲みたくなりました。

私が、「その辺でビールでも飲もうか?」と提案しました。「いいねえ」ってことで、彼の知っている店に歩いて10分くらいで行ってみると、外装を改装中でお休み「残念だ」ということで、彼は帰ることに「ちょっと 家に帰ってかあちゃんと ビールでも飲みたいんで、RS200くらいチップをくれないか?」「おっ来た来た」と思いつつ、まあ、少しはカメラマンをしてくれたりしたので、「RS100位ならいいよ RS200は多すぎるな」というと、肩をすぼめて「サンキュウ」といって帰っていきました。(チョット、がっかりしかし、これがインド、そろそろいい感じになってきた)

帰り際、サダルまで帰るんで、タクシーに値段交渉してくれと頼むと「40ルピーで十分だから」そう言っておいたとタクシーを止めてくれました。

そのタクシーで、サダルまで帰りました、降り際「50ルピー払ってくれ」と言ったので、「40ルピーで十分だろ」と
40ルピーを置いて降りてきました、何か言いたそうに身を乗り出して来たが、すぐに次の客が着いたので、そのまま言ってしまいました。

少しはインド人に慣れて着ました(その何日か後は、すでにメーターで行くようにと、言えるようになりましたが)
サダルに帰るとまだ時間は19時くらい、十分に列車の時間があったで、(20:45分発)

ビールの飲める所を探した、有名なラッシーの店ブルースカーイカフェに聞くと「とんでもない ここはないよ」
と言うことで、向かいのFRESH&JUICYと言う名の店で、お客は一人もいないけれど呼び込みが「どうぞ 入ってください」って呼び込んできたので「ビールは飲めるか?」と聞くと「もちろん」それはいいと腰を据えました。
タンドリチキンとカレーライスとキングフィッシャ ライトビールを頼みました。
しばらくすると「今日は、ガンジーの日でビールは売っていない」って確かに3日はガンジーデイって書いてある。
祭日は禁酒日も聞いたことがある。「何とかならんか」「プレミアムで10ルピー余計掛るがいいか?」10ルピーくらいなら問題ない「2本買ってきてくれ」と頼む、たぶんどこかに買いに行くのだろう。
しばらくすると、使い者が、紙袋に入ったビールを床に置いた、コップも紙で覆ってある、「おおっぴらには飲まないで」
と念を押されて、ゆっくりビールを飲んでくつろいだ。

外は相変わらず、人力車とサイクルリキシャ、車が三つ巴になり、ホーンを鳴らしまくっている。
喧嘩寸前だ、いいぞいいぞこれがインドの喧騒だな、と思いつつ食事を終える。

飲んだ後に、ラッシ−を飲みに向かいに行く、さすが50ルピーもする高級なラッシーすごくおいしかった。

そろそろ ホテルに荷物をとりに行って、シアルダー駅に行かなくては、ホテルに帰る途中で 人力車のおっちゃん
が「シアルダーまでなら60ルピーで行くぞ」と言っている、「また後でね」とホテルに帰り フロントは昨晩と同じ人に代わっていた(朝と夜は交互でシフトしているホテルが多く、昨日の時間にいた人が今日もいる)

「ハイ、ジャパー−ニ コルカタはどうだった?今日はダージリンに行くのだろ?」と聞いてくる「そうだけど、さっき人力車のおっちゃんが、60ルピーで行くと言っていたが どう思う?」と聞いてみると、「だめだめ、人力車はこの界隈しか行かないし シアルダーだったらタクシーがベストだ サイクルでも難しいな」と言っていた。

シアルダーまでメーターで行くと言うタクシを見つけて、乗り込む、町は雑然としてタクシーでも30分近くかかった、人力車で行ったら、1時間はゆうに越えるどころか、途中で捨てられるな と感じた。

駅に行くと、ポーターが群がって来た。しかし「荷物はこのバックパックだけだから いらないと断っても なおも20ルピーだとか15ルピーだとか 6人くらいがかってにダンピング合戦をしている。その横をスタスタ通り抜け、約50mの駅に入っていった。

まだ時間は1時間近くある、大きな駅の中を歩き回る。
駅の中は多くの家のない、老人子供などが、ここそこらで寝ていて、その横を何もないように人々が、(近郊の列車の発着終着駅であり多くの人が)、右へ左へ波のように移動していく。

まずは、水と揚げパンを買い込む、今晩の食料だ だぶんアッパーベットなので、ゆっくり食事もできないだろう
その後は、出発列車がどこのホームから出るか、直前にしかわからないので、電光掲示板を見逃さないようにしないといけない。

バラナシ行きの急行列車が止まっていたので、客室の様子を見に行く、まず先頭には貨車が繋いであった、
その次は2等車だ、中は電気もついていなくって 格子の窓は小さく 誰もいないかと思い 覗き込んだら 黒いインド人が一杯乗り込んでびっくりした。
次が寝台車 ここも電気は薄暗く 大きな荷物を持ったインド人に占領されていた。

次が、AC3teirでかなり今までの客車と違う感じです。電気も明るく、車両に一つついた入り口には、予約客の名前が貼り付けてあります。ここまでで、10両以上です。

その次が、AC2teir(冷房2段ベット)これは私が乗るのと同じ、グレードです。ここも、乗客の数が決まっているので、入り口近くに多くの人はいません(二等は出発直前に乗り込む人で、入り口近くには多くの人がたむろしています。)

AC2teirにしておいて良かったとつくづく思いました。このベラナシ行きの列車は1等はありませんでした。ホームにはここにたむろしている、ジプシーのような子供が、パクシーをねだりまわっていました。
駅の中は、活気があって写真をとっておきたいところですが、撮影禁止になっているので何も撮れませんでした。

この駅のメイントレインは、やっぱりダージリン メール
らしく、歩いていると、警官から「ダージリンメールに乗るのか?と聞かれます。

← ダージリンメールのキップ $24 エアコン 二段ベット 

時間が近づくと私が乗る列車は9番ホームに来ると言うことが解りました。
とりあえず、時間は20分くらいあり
客室に荷物を置きにいきます。

ズーット先まで、ベラナシ行きと同じ配列で連結されています。自分が乗り込む車両まではずいぶん距離があります。

乗り込もうとするとジプシーの女の子が 「パクシー頂戴」
仕方ないなと2ルピーコインをあげようとすると、「5ルピー頂戴」と言うので、「だめだよ」周りのインド人も(結構裕福な人たちだと思う、身なりもきちんとしているし携帯電話も持っていた。)「あまりお金を上げるのは良くない」と言っていました。
彼女達は「あなた達は黙っていてよ」みたいなことを言って、けん制しながら「5ルピー頂戴」と3人くらいが波状攻撃、おまけに乗り込もうとするのを邪魔をします。

ベルが鳴ってもまだ邪魔をしていたので、彼女達を飛び越えて、1ルピーもあげずに列車に乗り込みました。
この後も、パクシー攻撃に遭いましたが、全部あげていてはきりがないし、老人に限って少しあげるようにしました。

「少ない」と言う人には決してあげませんでした。

荷をほどいていると、気がつくと列車は出発していました。
日本のように出発します、というのは、ありません。
(ヴェトナム・タイ・トルコでも夜行寝台に乗りましたが、
静かな出発です)

ビールが効いてきて、いつのまにかウトウトして来ました。
車両の人たちは、目的地(降りる駅)ごとに分けてあるようで、4人部屋の人たちは、すべて同じ駅で降りるようで
安心して、寝れます。

車掌がキップの確認に来て、しばらくしたら寝てしまいました。明日は、目的の一つのトイトレインイ乗る予定です。