偉大なるアンコール・ワットです。12世紀後半にスールヤヴァルマン二世により建てられた。ヒンズー教の宮殿です。ここに住んでいたわけではなく、ここで祭事を執り行ってたのです。
クメール建築物は、内部の空間がほとんど無く、外側からの象徴的なものと聞いたことがあります。
石を運び大きな天にそびえる建築物を作ったのです。3つの祠堂があります、そこに登るには、60度くらいの幅15センチくらいの急な石段を登っていかなくてはいけません。※アンコールや他の遺跡を見学するときの注意!服装に関してはきびしいドレスコードはありません、(タイのお寺では王宮は短パン草履はだめです)季節にもよりますが、女性は日焼けを嫌う場合は、薄手の長袖に帽子は必需品でしょう。
靴は足元が、石や瓦礫が多いところや、アンコールワット・トムのように高いところへ石段を登ります。
石段は日本のお寺のように登りやすいようには作ってありません、むしろ登っていきにくいように作ってあります。
ハイヒールや底の高い靴は止めておいたほうが良いでしょう、運動靴を持参することをお勧めします。(何人か過去にアンコール・ワットの急階段から落ちて15M以上亡くなった人もいます)
アンコールの遺跡や他の寺院は世界の各国によって、受け持ち分担して修復をしています。長年の時間により崩壊してしまったものをそのまま放置していたので、世界的な遺産を守る意味でも、フランス・日本・アメリカ・イギリスなどが行っています、フランスを中心として、日本は多くの協力をしています。こんなところでも世界貢献しているのは、地元の人も知っていて「日本人が直してくれた」と言っていました。
そのほかにも「アメリカ人は遺跡に関しては、歴史の浅い国だからあまり関心が無い」とも聞きました、確かにべトナムのミーソンを空爆したり、納得できる部分もあります。
ベトナムと違い戦争で壊れた遺跡はあまり無く、ポル・ポト派も遺跡は壊さなかったようだ。
もともと、クメール人は(カンボジア人)遺跡とか歴史的建築物にはあまり興味が無く、20世紀始めに、フランス人学者が、これは貴重なものだ!と言ってからそうなんだ!って感じで大事にし始めたもので、その間の歴史的なこともあまり、語り継がれてなく、自分達の文化を知らないのは、恥ずかしいと言うことで文献を調べなおしたと言う事です。今ではタイと「アンコール・ワットは昔タイのものだった」とのゴシップでタイ大使館を焼き討ちにして、国境閉鎖する事態もあるくらい、自分達の誇りにしているようです。
近隣諸国との関係
カンボジアは、東はベトナム、西はタイと国境を挟んでおり、当然数々の小競り合いをしてきました。
そのような戦争はついこの間まで(ポル・ポト戦争)があり、タイ人は「自分達の文化のほうが、発展してると言う感じで」「タイ人は鼻が高いから嫌い」と隣国のカンボジアの嫉妬を招いているそうです、また、前記したダナンのランさんは昔軍人で、べトナムを侵略しようとした、ポルポトを撃退させた戦争に参加していて私が「この後、カンボジアに行くんだ」と言った時も「カンボジア人は注意が必要だ」と言っているように、いい感情は持っていないようだ。このような国ともうひとつラオスとも国境を挟んでいるカンボジアです。

西側の正門から見るアンコール・ワットの道
3つの塔は入り口の塔で、先が尖がっていない
真ん中の両脇にかすかに尖がりの中央塔見えます。

参道を歩いていくと半分が工事中ですが、これは向かって右側が、日本が受け持ちの修復場所、左側がフランスの分担の受け持ち地域です。日本人は仕事が速い、と現地人も言っていた(笑)

正面の入り口ここを抜けると、中庭に入り
3本の祠塔が見えてきます。

ジャジャジャンこの風景は有名ですね。
左に手前見える足場は日本が修復中の経蔵

シュガーやしが生える正面です雨季になれば
ここが聖池になって、はすの花が咲く風景に
なります。

4体のシンハー像の階段を上り入場します
階段の傷みが激しいので、木製階段が作ってあります・