3月14日
今日は午前中にシンカフェのツアーでクチのべトコンのトンネルを見て、午後からは市内観光のハードスケジュールです。
朝、8時にホテルから歩いて3分のシンカフェの前に行くと、そこはすでに多くの旅行者がたむろして、それぞれ自分の乗り込むバスを探しています。観光バス5台くらいずつ並び、1台出て行くとまた一台来ると言う位の繁盛ぶりです。特にメコンデルタやクチのトンネルツアーは大人気で、私が行ったときは、クチのトンネルツアーは3台くらいのバスでした。
朝のサイゴンのバイク渋滞の中をのろのろ進み、郊外に出ました。舗装は一応してあるのですが、でこぼこになっているところも多く、首がガクガクします。
お昼前にクチにつきました、入場料US$5(かなり高い)を払い、きれいに芝が張られた玄関の建物のなかに入っていって、かなり使い込まれたビデオを見ます、戦争時代には農民は機関銃を持って農作業をしているところや、トンネルの中に小さいベトナム人が滑り込んで、アメリカ人は入り口が小さくて入り込めなかった様子などでした。
その後、ガイドの人の後をついて、トンネルのほうに行きます、同じようなツアーのグループがいて、ポイントポイントで、交錯するので、どのガイドのツアーわからなくなってきます、途中で何度も違うグループに混じっていました。
左の人は、トンネルの入り口でポーズをとる人で手に持っているのは蓋です。これはオーソドックスな写真です(笑)よくガイドブックでも見ます。
上の写真はベトナム兵に破壊された、アメリカの戦車です。
このトンネルは,地下に何十キロと通路が張り巡らせれ,3層(地下3階)になっているそうです、一番上は軍事的な施設(会議室・作戦室・兵隊の休憩所)二階は、食堂や,病院などで三階は、一般に人の暮らす住居のようになっていて、1階が攻められても,2階に通じる通路を自ら爆破して閉鎖するそうです。
ずっと先の川にもつながっていて,そこから船で移動することも可能だったそうです(アメリカ軍によりこの山の周りは,ぐるりと囲まれていたが、川伝いに移動できていたそうです。
周りにはトラップ(仕掛け)もおおく作られていて、落とし穴や、足で糸を引っ掛けると上から竹の切り口の鋭い屋根が落ちてきたり、家を調べようと兵隊が玄関を開けると、槍が飛んでくるようになっていたり・・
B52の不発弾を使って、解体して陶器でできた(金属地雷探知機に感知されない)地雷を作ったり、凄惨な時代です。
トンネル内の通路部分、観光客用にかなり大きく掘り直されているそうですが、日本人でも四つんばいで,移動が大変ですが兵隊は走って移動していたそうです。
日本の忍者屋敷のようなどんでんかえし
その他に、今回の私のちょとした目的のマシンガンが撃てるということです、地面においた機関銃も撃てます。
射撃場は山に向かって,50m位向こうにドラムカンなどが置いてあり,水が入っているものもあります。
機関銃はM6 M7 M16 などのアメリカ製と、AK47のような中近東の人が今でも使っている,旧ソ連製の機関銃です、私は、M16とAK47カラシュニコフを撃ってみました、AK47のほうが、弾が大きく銃もおおざっぱなつくりです(M16はコンパクトで作りもしっかりした感じです。)
足元にはライフルが・・・入り口で弾を何発か購入して(希望の機種を言って)射撃場に行きます。台座に機関銃を入れて(はずせないようにしてある)撃ちます。弾の装填と台座の固定までは、軍人の係員が行います。
むやみに乱射されたらたまらないからだと思います(笑)
撃った感じは、AK47方が音も大きし,反動も大きいです(逆にいえば静かで反動のない銃のほうが優れていると言えるのですが)、素人には「撃ったなー」と言う感じがAK47方がします。
単発、連射切り替えができるレバーを変えて連射しますが、アット言う間になくなります。
だから、カートリッジは多くないといけないのでしょう。銃身もすぐ熱くなってきます、通常、固定台座からは離しもらえないのですが、少し打つ前に話をしたりしていたら、最後にちょっとなら、立ち姿勢で撃たしてやる「内緒だけど」と言ってくれました。係員もしっかりピストルをホルダーにそして最新の機関銃を持っているので、日本人くらいなら、大丈夫だろう!と言う感じです。
台座から外して持っている写真はちょっと貴重かも・・・
夢中に撃っているうちに、ほかの人たちはすでに移動していて、はぐれてしまいました(笑)
違うシンカフェのツアーの人たちがいたので、ガイドに言うと「俺のとこで行けばいい、ちゃんとシンカフェまで戻るからどっちでも一緒だよ、それに俺のほうが面白いし」と言うことで、こっちに合流しました。
ここには、3組(2名ずつ)の日本人のかわいい女の子もいたし、(こっちの方がいいな)彼女達と話をしながら見て回りました。
太陽も上がってきて、気温もグングン上昇して暑くなってきました、当時のベトナム人の忍耐強さを感じました。
当時のベトナム兵の人たちが食べていた、芋やフルーツ・お茶などを途中で休憩して食べるのも含まれていました。地下には食堂もあって、炊事で出る煙をうまく分散させて、枯葉のの間から地上に出すように(アメリカ兵に見つからないように)工夫もされていました。
見学も終わり,またバスに揺られて、午後1時ころには出発した、シンカフェの前で解散です。
一度ホテルに戻り、着替えをして、昼からの市内観光に備えます。
中華街の通称「チョロン」ここに行ってみたかったのです。
そこのCHO BINH TAY(ビンタイ市場)ここは、観光客慣れしていない、地元の商店主の仕入れ市場だそうです。
1日中これをやらされる係員