セルチュクでは、オトガル近くのロカンタで食事を取りました。

オトガルの向かいに何件か並んでいるうちの一番左の店です。
ヨーグルト、チョップ・シン(串焼きの小さな肉料理)とキョフテ(ハンバーグの小さいサイズのもの)をミックスにして作ってくれました。それとオムレツにイエニ・ラクです。

味もとってもよく,値段も10,000,000TLちょっとです。ここの息子は(20代)自分の事を“ダイスケ”と言っていました。
日本人の名前を付けるのが,好きなようだ。誰か,日本人の旅行客につけてもらったのでしょうか?

ラクを3杯飲んで,気持ちよくなったところで、オトガルのバスオフィースに行き,明日のイスタンブール行きの時間と値段を聞いておきます。
明日の予定は、エフェス遺跡に行ってみようと思っています。


セルチュクのオトガルです、左の写真は,ドルムッシュが止まっています、近くの町や,イズミルなどに行きます。
右の写真は、長距離バスの発着所です、その前には各バス会社の事務所があります。夜になると大きな長距離バスが発着します。昼間は静かなものです。

このなかのドルムッシュに乗ってエフェスに行きます,歩いていくには少し距離があります(3`以上)「エフェス!エフェス」と言って、バスを教えてもらう、一番角のほうに、クシャダス行きのバスがあって,そのバスが遺跡まで寄ってくれるそうです。値段は2,000,000TLです。トルコではバス料金は長距離でもとっても安く利用できます。

バスの前に机が出してあって,そこで紙切れに領収書を作ってくれて,渡してくれます。それを運転手に見せるのですが、昼間は人が多くないので、顔を見てOKでした。

5分くらいで、エフェス遺跡のふもとの方の入り口につきました、(ここは山にありもう一方は山の上のほうに入り口があります。多くの人はタクシーやチャーターしたバスで来るので、上のほうから下って遺跡を見に来ます。
多くの日本人の団体にも会いましたが、外国人も団体客が多く、年齢層もパムッカレ遺跡より高齢の人が多かった。

私は,下の入場口から入ります、入場料は15,000,000TLで結構高い、パムッカレでもそうですが、入場料はやはりトルコ人には高く外国人観光客向けと言う感じです。パムッカレではトルコ人の高校生位の3人組みが入ろうとして、入場警備の人に呼び止められ、値段を聞いてびっくりして帰っていってしまった。地元の人くらいダダで入れてあげてもいいのにと思いました。

ここには,世界最古の商売と言われる、売春宿(エジプトにもこの宿の存在があった)の表示が残っていて、コロシアムで劇などを見た,昔の旅行客が寄ったそうです。

山を切り開いて作られた,コロシアム、パムッカレのヒエラポリス遺跡より大きい,ここでドイツの観光客のおじさんおばさんが即興で合唱団を作り、2〜3曲合唱していた。
音響が良く,響き渡っていました。ほかの観光客は客席でやんやの喝采を送っていました。

ここは,たまにコンサートが催されるそうで,以前にはフリオ・イズレスアスがコンサートをしたそうです。

ここでひとつ面白い事を発見しました、外国の団体旅行客が日本人団体客を見て笑っています、何を笑っているのか見ていると、日本人の観光客は,ガイドの説明に、皆一斉に「ホー、ホーッ」
て相槌をうつんですね、これは私も多分やってしまう、それが皆一斉に,言うもんだから,外国人には,おかしくてしょうがないようです。これは、以前ヴェトナムに行ったときも、外国人が笑っていました。

西洋人と一緒のツアーに参加すると、確かに相槌は、打つが首を振るだけ、あとは何か一言ったりしてあまり、みんな一斉に感嘆符を発しないんです。(笑)

話がそれましたが、ここは,西暦1世紀や2世紀の建物が多く,大方大理石で出来ています。

地中海に続くアルカデアン通りは、大理石で500m(昔はもっと近くに海があったそうだ)街灯もあり、突き当たってマーブル通りに繋がっています。マーブル通りは
コロシアム脇の通りで,昔で言う繁華街だったところです。ここの道の地下には水路が通っており,ところどころに,中に入るふたがあります。
1世紀にこんな施設があったなんて,すごいですね。
日本では、まだ、原始生活をしていると言うのに・・

古代のものは、アンコール・ワットと言い、時代を日本の時代に合わせると,すごいものと,いつも感心します。

今日はとっても暑くTシャツでもすぐに汗びっしょりになります。「人もすごく多いなあ」、「海にも行きたいなあ」と ふと思いました。

ケルスス図書館

トラヤヌスの泉

コロシアム(収容人員24,000人)