今回のトルコ旅行の中でも一番の思い出は、Yaseminとの出会いだったかもしれません。
彼女は21歳地元サフランボルで暮らす、素朴なイスラム教徒です。
ここサフランボルでは、お酒の飲めるところが、ほとんど無いほど、トルコの中では厳格なイスラムの街です。
写真で見るように、髪の毛を被うスカーフをいつもしています。
彼女がなぜ日本語を話せるようになったかと言うと、サフランボルが世界遺産に指定され、YAPICI家でもペンションをはじめるようになって、そこに日本人が多く宿泊するようになりました。
我流で日本人から言葉を教えてもらい、綺麗な日本語が話せるようになった人です。
それと共に、日本への感心が高まったそうです。
そうです彼女は、ひそかに日本へ行こうと考えていたのです。
トルコの素朴なサフランボルから、日本を見てみたくなり
彼女は、一人で日本へ行こうと決意したのです。
イスタンブールやアンカラにすんでいる都会派のトルコ人ならわからないことも無いのですが、ズーット家の事を手伝いながら、過ごしてきた彼女には一大決心であり、そのためには一生懸命、お小遣いを貯めなければいけないのです。何年もかけて、以前に両親に相談したら、即反対されたそうです
その後、夢をあきらめることなくついに、航空券を購入したそうです。出発は明日!両親にはイスタンブールに行くと言って、空港で本当のことを話すと言っていました。
彼女にとっての、冒険であり両親に内緒で、行く決意は固いようです。
前の日は、一日中ペンションの隅々まで、ズーーート掃除機をかけている彼女の姿を見ました。
650ドル貯めたそうです。これで東京で1カ月過ごせるか?と聞いてきました。
ここでは、かなりの金額です。
東京にトルコ人の友達がいて、そこの家族に泊めてもらう予定だそうです。
食事はみんなで作ると言っていました、「多分やせると思う、あまり食べられるものが無いような気がする」とも言っていました。
いろいろなところを見てみたいそうです、そして「もし困ったことがあれば電話をする」そんな話をしていました。
「あなたが、見たい日本は決していいことばかりじゃないかも知れないけど、日本で困ったことがあればいつでも電話してください」と言うと「ありがとう」って言っていた泣いていたYasemin、が印象的でした。
がんばっていい思い出を作って欲しいと、本当に心底思いました。ここまで来るのに彼女なりにがんばったと思えたから・・・
10月から1ヶ月。Yaseminは無事日本で生活できたのでしょうか?
また連絡してみるつもりですが、さあて・・・
でも、彼女には、実は、今年の3月に結婚したばかりの旦那がいたのです。彼にのもちろん内緒です。
なんだか、とても心配になっている今日この頃ですが、
悪い考えで、航空券は100ドル以上しますし、東京の友達は、昼間は学校に行くと言っていたし、何だかだんだん日本人の影が・・いかん・いかん・邪推は・・と思ったしだいです。
何はともあれ、楽しい日本滞在であるます様に・・・(祈)
私はそんなYaseminを励まし、お土産やさんのおじさんに、さよならを言って、いろいろ出会いのあったサフランボルを後にしました。
2004年 後日談
とある人が、私のサイトを見ていてその人とメールのやり取りをして 真相がわかりました、その人はたぶん本人で、なんだか自分が日本に呼んだみたいなことを言っていましたが、学生の人で東京に住んでいてサフランボルのヤセミンに惚れてしまい、毎年のようにそこのペンションへ行ったそうです。日本に行ったのはその彼の誘いです。トルコの友達もいるのですが、泊まったのはその人のアパートです、まずいぜ ヤセミン 大人といえ学生も抑えきれなかったのか、トルコで結婚している女性人を自分のアパートに泊めていたそうです。
その人はこうも言っていました、日本に到着したらトルコでは決してはずさなかった、スカーフは終始つけていなかった 大阪や奈良京都など2人で旅行もした 昼間はその人は大学にいくので 知り合いのトルコ人といたり 一人でアパートにいた そんな生活をしばらくしてとる子に帰っていったそうです。憧れの日本彼女にはどう映ったのでしょうか?一人で知らない東京のアパートでいて・・
お互い若いせいもあるでしょうが、駆け落ちみたいに両親に内緒で 飛び出した 彼女は 今はサフランボルに戻って 暮らしていると聞きました。
なんだか 少しがっかりしました・・・・・・そのために日本に行ったのかぁ やっぱりかぁ そりゃまずいぜ ヤセミン