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熊阪家墓所(白雲観旧跡)  2009.8.16

 保原村高子(福島県伊達市)の豪農熊阪家は、覇陵・台州・盤谷三代にわたる漢文学者を輩出した名家である。伊達熊阪氏は保元の乱の伝説的義賊熊阪四郎長範を祖とする。代々上杉氏の士であったが上杉景虎死亡の後同家内紛により北条氏を頼った。
 天正年間秀吉が北条氏を討伐すると、熊阪主計は安達郡戸澤に隠れて土地の女性との間に土佐をもうけた。この土佐が慶長年間伊達郡保原市柳に移住して伊達熊阪家の祖となった。
 土佐に與惣右衛門と庄三郎の二子あり。市柳を相続した庄三郎の系からは画家の敵山・医家の蘭齋兄弟が出た。

 與惣右衛門は中村へ分家。その孫太左衛門は所用の江戸で京極家の士京都の児島定悠と親しくなり、亡弟太次右衛門の寡婦娟に娶せなかば強引に婿入りを乞うた。宝永五年のことで翌年生まれた男子が熊阪覇陵である。
 覇陵は生来才知にあふれ、太左衛門の姉の子秦豊重に婿入り。太左衛門は長谷寺にあった末弟太七郎の墓と秦一家を高子村へ移して、太七郎の名跡として分家高子熊阪家を立てた(伊達熊坂氏略系図)。

熊阪家墓所

 覇陵は居館を白雲館と号した。そこはその門生や遠方からの文化人との交流の場であり、またその農政の中心であった。熊阪一族の塋域は白雲館の西南に隣接して設けられ現在四十基余の墓碣が立ち並んでいる。平成13年に塋域の整備が行われ、主だった碑碣については基礎の補強と碑面の修復がなされた。覇陵・台州・盤谷三代の墓碑は伊達市指定文化財となっている。
 この塋域の碑文については『福島縣碑文集(江戸時代編)』(1937)に五基が収録され、ついで白雲館研究会により『白雲館墓碣銘』(1989)がまとめられ、銘文のすべてが紹介されている。熊阪家の行状については、松浦丹次郎の『ふくしま伊達の名勝 高子二十境〜高子熊阪家と白雲館文学』(2012)が詳しい。


覇陵
 
台州
覇陵熊阪君之墓
明和5 松崎觀海撰 太田南畝書 
嗣子定邦(台州)建
處士台州熊阪翁墓
文化乙丑 清原宣光撰 
大久保忠成篆額・書 盤谷熊坂定秀建 
※補修
 
斗南(京都)
 
斗南(13回忌建)
熊阪達夫之墓
文政12 頼山陽識 
處士斗南熊坂君碑
文政12 山口重光撰 藤原基茂卿篆額 天保11 換齋立花種道書 熊坂定駿建 窪世祥刻 
 
盤谷
 
君益
處士槃谷熊阪翁墓 
秦鼎識 天保2 雲安大休書 
従二位宰相(四條隆生)篆額 熊坂定謙建 
※補修
秦世壽撰 天保8 葉室顯孝篆額 雲庵大休書 定駿建 ※補修 
定駿の墓

銘文を有する墓碣はほかに以下の如し

・實際院無垢徹眞居士・曁配灋雲院松操壽慶大姉之墓(定昭覇陵・妻養都) 寛政4 定邦撰 定秀書 
・阿閣院翽鳳龍起居士之墓(太七郎助英) 寛政4 定邦撰 定秀書
・慈光院法天了宇居士・曁久松院法苑好因比丘尼合葬墓(覇陵義父太右衛門豊重・妻久保越) 寛政4 定邦撰 定秀書
・清光院葉散妙貞大姉之墓(寺島葛) 寛政4 定邦撰 定秀書
・素光院寂善智居士(定済伯美) 寛政4 定秀撰・書
・寂靜院種植妙般大姉(佐藤誘) 寛政9 定秀撰・書
・林淨妙安清信女之墓(貞秀妾 泉袖) 文政2 定秀撰・書 
・珠光院清蓮妙圓大姉之墓 (西村久) 安政3没 白井篤治撰 安積艮齋評 熊坂適山書 菊田關雄歌書 鼎州熊坂定駿建

熊阪定駿之墓 
明治21 吉岡玄虎書 熊坂定宜・徒弟中建 
石工深谷富次郎・渡邊梅吉 ※補修

※碑面の補修は表面を研磨した上に強化剤をコーティングしたもようで、鐫刻の輪郭がややあまく見える(覇陵、台州、盤谷、君益、定駿の墓碑)。

墓碣配置図

 図面に見えない1・3は保原の長谷寺にある(『白雲館墓碣銘』)。
1a 泠岩院別解不立居士(熊阪定悠) 無銘
1b コ樹院靈苗休耘居士・青松院覺室好圓比丘尼(熊阪助利夫妻) 無銘
3  熊坂秀意銘(熊阪助定) 源惟馨(佐久間東海)撰